この日から、僕は『現実』と言う前にためらうようになった
突然質問と回答の流れが逆転した、だけでは無い。
その内容が僕には理解出来なかった。
心当たりなんて無い。
防壁を越えた?
それはその、神秘と魔法がある元の世界に僕が足を踏み入れたということだろうか?
いや、心当たりはあった。
あのとき、アスファルトの舗装された道を走っていた僕は、いつの間にかあるはずの無い木にぶつかり、そして土の地面に倒れたのだ。
最初の異変の場所から僕の家までの道に、大きな木も土の地面も存在しない。
となると別の場所だ。
そしてその別の場所とは、実は別の世界だったということだ。
「わかりません。僕はただ走っていただけで……」
「自覚しての事では無かったのだな。実は、我々の方ではその現象を説明できる」
「それはどんな?」
「うむ、ちょっと待ってもらえるか?」
そう言うと、彼は手元の端末を取り出してどこかに連絡する。
「……ああ、頼む。第二救護室だ」
通話を終わり、彼がこちらを向く。
「今、私より上手く説明できる者を呼んだ。ちょっと癖があるが優秀な男だ」
そう言って男は黙り込んだ。
しばらくすると、どこからか、ペタペタと大きな音が近づいてくる。
スリッパ履きなのだろうか?
ガラッ
ドアが勢いよく開いた音が聞こえ、ペタペタとやはりスリッパらしき足音が近づいてくるのがわかる。
「所長、ただいま参りました」
「芹沢くん、けが人がいるんだ。もう少し控えたまえ」
「所長?」
「ああ、言い忘れていたか。ここ第七支部の支部長、鴉羽俊だ」
鴉羽、なるほどそう言われると鋭い目つきや痩せぎすの体格がカラスを連想させる。
もちろん苗字が本人の雰囲気に影響を与えるなんてことはないけど、不思議と似合っている。
「話はどこまで?」
「生身であちらに行った件についてからだ。そちらは君の専門だろう?」
「了解です」
近づいて来たその人、芹沢さんは、隣の鴉羽さんに比べれば若い。
一見したところ大学生ぐらい? と思ったものの、そんなはずはないだろう。
なぜかジャージの上に白衣を羽織っているが、研究者なのだろう。
きっとあだ名は『ドクター』とかに違いない。
「ここの研究班に属している芹沢です。いや、君の話を聞いてびっくりしたよ。まさかそんな逸材が今まで埋もれていたなんてね」
「はい、芹沢さんですね……逸材?」
「そう、紛れもなく才能がある。まさかピアサーも無しに『RAW WORLD』に入れるなんて、しかも多少不安定になっているとはいえキーストーンも遠いあんな場所で……」
ピアサー? ローワールド? キーストーン?
突然聞き覚えの無い単語の連発で、僕が何も言えずにいると、ガシッと芹沢さんの肩を鴉羽さんがつかむのが見えた。
「痛たたたた……所長、なんですか?」
「何度も言ってるが所長じゃ無くて支部長だ。それに、いきなり専門用語でまくし立てるやつがあるか。ちゃんと説明しろ」
「わかりました、わかりました所……じゃなくて支部長。じゃあ、わからない言葉が出たら聞いてくれるかな?」
癖がある、と鴉羽さんが言う意味がわかる気がする。
それはともかく、質問には答えてくれるらしいので聞いてみる。
「ええと、まずローワールドって何ですか?」
彼の指が文字を描く、R、A、W?
「RAW WORLDだね。生の世界という意味さ。つまり防壁なんて無い元の地球そのままの世界。魔法があって異世界からの侵略者がいる世界だね」
鴉羽さんは芹沢さんの肩に手を置いたまま、静かに横から補足する。
「いろいろな言い方があるがな。RAW WORLDは国際的な名称で、日本だと……そうだな『真世界』という言い方が一般的だ。もっとも国としての正式名称は『裏世界』と言うのだが、事情を知るものは余り使わない」
「裏、だなんていかにもこっちの世界から離れられない凡人が作った用語、誰も使いませんよ。なんせあちらは我々の元の世界、人類の故郷じゃ無いですか。それを認められない無能のひがみですね。あれは」
なんか国に対して不満でもあるのだろうか? 芹沢さんの語気は強かった。
ついでに拳をぶんぶん振り回している。落ち着き無い人だ。
さらに鴉羽さんが補足する。
「それに対してこちらの世界を『表層世界』と呼んでいる。こちらは国での正式名称も同じだ」
「頭の悪い凡人は『現実』とか言ってますけど、鼻で笑っちゃいますね。どっちの世界も現実だし、何なら向こうの方が本当の現実ですよ」
そうか、さっき鴉羽さんが僕の「現実」という言葉にちょっと引っかかっていたのはそれか。
確かに二つの『現実』を知っている彼らにしたら違和感があるのだろう。
やっぱりなんか不満があるらしい芹沢さんに、続けて質問する。
「ピアサー、はなんとなくこっちと向こうを移動する道具っぽいですけど、キーストーンは何ですか?」
「ピアサーはその通り。後で見せてあげるよ。それとキーストーンは、日本語では要石かな。要は防壁を維持している魔法の石だね。これが壊されると一帯の防壁が崩れて侵略者がこっちにやってくるんだ――」
そんなの最悪だ。
ただ、さっき鴉羽さんは「防壁は破られたことはない」と言っていた。
ならばキーストーン――要石も一度も壊されたことが無いことになる。
「――で、当然壊されちゃ困るんで、防衛隊が大事に守っているんだ。それで、防衛隊の行き来のためにキーストーンにはこちらとあちらを行き来するための機能がある。逆にその機能を参考にピアサーが開発されたんだ」
ふと思いついたことが口を突いて出る。
「ということは、要石は魔法の道具で、ピアサーというのは機械なんですか?」
「おお、良い視点だね。確かに魔法と科学、という面はあるんだ。だけど、この科学というのは魔法も取り込み、解釈して応用したという点で、既存の科学とは違う。言うなれば魔法科学、あえて言うと『真・科学』だね。RAW WORLDを知る研究者はさしずめ『真・科学者』かな。それを言うなら今偉そうな顔をしている大学の奴らなんて――」
「――ドクター、説明の続きを」
ぐっと肩の手に力が込められる。
それと、やっぱりあだ名はドクターだったんだ……
「……はい、わかってます。えっと、何の話だっけ?」
「逸材がどうとか」
「そう、まさに逸材。つまり魔法の器具も、魔法科学の機械も使わず向こうに移動できる才能。君は神隠しとか妖精の取り替え子なんて話は聞いたことはないかい? そういうのは皆、重なった世界を認識して移動できる才能なんだ」
才能……といわれても、どっちも不幸な怪異話だった気がする。
神隠しは人が消えて帰ってこないことが多く、取り替え子だって突然子供が入れ替わる話だったはず。
「それってなんかいいことあるんですか? 単に不幸なだけじゃ……」
「とんでもない、今の世界で異界に迷い込めるほどの力はどの組織でも引っ張りだこさ。名家だって……」
「ドクター!」
「痛てて……もちろん僕にとっても奴らは敵です。例に挙げただけです。それに、奴らは一族以外への勧誘は……ん? 確か……立原くん?」
「はい、立原壮真です」
その言葉に、芹沢さんは固まる。
後ろからの手が彼を引き戻し、代わりに鴉羽さんが前に出る。
彼は大きなため息を吐いて僕に言葉をかける。
「立原くん。悪いが調べさせてもらった。家族のこと、生まれのことなどだ。まさか高校生でバイトを掛け持ちするような状態だとはさっき初めて知ったが……」
「え? じゃあ本当に?」
芹沢さんが再起動して驚く。
「そう――彼は龍崎の四番、立原家の縁者だ」
「本当に? いや、まさか……」
龍崎? 四番? 僕の家がなんだというのだろう。




