僕は頭を打った。その後、頭の中を打ち抜かれた
『お兄ちゃん、起きなよ』
不意にそんな声が聞こえた気がした。
今のは、柚葉の声だ。
煩わしいと思ってしまうほど僕を気にかけてくれた妹の声だ。
はっとして目が覚める。
見覚えが無い、明るい、そんな部屋だ。
周囲で誰かの話し声が聞こえている。
照明が暗く、何の音もしない自分の部屋と大違いだ。
それで昔を思い出したのかもしれない。
今はもう、柚葉には会えないのに。
話し声の主がベッドの僕に近づいて来て、仰向けの僕の顔をのぞき込む。
「起きた? 痛いところは無いかしら?」
優しげな声がかけられる。
若い女性だ。
看護師では無いだろう。
なんか見たことのない制服を着ている。
じゃあここは病院じゃないのか?
僕は……
「ああ、無理に起き上がろうとしないで、頭を打ってたんだから」
言われてまた頭を枕に沈める。
「僕は、いや、ここは?」
「そうね、混乱する気持ちはわかるけど、ちゃんと説明するから」
「あ、その前に、今何時ですか?」
どれだけ気を失っていたかわからないが、入院なんて事になったらいろいろ大変だ。
「えっと、朝の7時ね……ああ、悪いとは思ったけど学生証を見たから、学校には連絡が行っているわ。事故に巻き込まれて病院に入院中ということになっているわ」
なっている? ちょっと引っかかる言葉だったが、それより伝えないといけないことがある。
「えっと、僕はバイトをたくさんしていて、そちらも連絡しないと……」
「それは朝から?」
「いえ、火曜は夕方からです。コンビニで……」
「コンビニかあ……店名を言ってくれれば連絡しておくわ」
「僕のスマホは……」
「ああ、ここね、普通の携帯電話は通じないの」
そんな場所があるのだろうか?
病院だとすると携帯電話禁止はわかるんだけど……
とりあえず僕は、コンビニの店名と店長の名前を彼女に伝えた。
「それで、ここって何なんですか?」
「えっと……」
女の人は後ろを向いて誰かに確認を取っているようだ。
「いいんですね? ……はい」
どうやら確認が取れたようだ。
「立原くん……で良かったわよね。ここは、SORA関東第七支部という場所なの」
「ソラ?」
聞いたことが無い。
関東で7つも支部があるなんて相当大きな会社か組織だと思うけど……
「それって……」
そのとき、彼女の向こうから男の人の声が割り込んだ。
「その先は私が説明しよう。宮代くんは夜勤だったろう、もう上がりなさい」
「……はい、あとはよろしくお願いします」
その男の人は、宮代さんより大きく見えた。
大きいのは変では無いが、やたら大きく見えた。
ちょっと考えて、姿勢だと気づいた。
宮代さんはかがんで話しかけてくれたのに対して、この人は背筋を伸ばして顔だけこちらに向けている。
だが、顔が遠くにあっても、その鋭い目や固く結んだ口はちょっと怖い。
「さて……ちょっと長い話になるが、問題無いか?」
僕はちょっと確かめる。
頭は少し痛むが、変な眠気も無いし、長い話を聞くのも可能だろう。
「はい、大丈夫だと思います」
「では、気分が悪くなったら止めるから言ってくれ。まず、君は自分がどこで頭を打ったか覚えているか?」
「家の近くです」
「その直前に何があったか話してくれるか?」
「突然街灯が折れて、標識も折れて、僕は怖くなって走って逃げました。そしたら追いかけてくるようにどんどん柱が折れて……」
「なるほど、それで何がそれをやったか見えたか?」
「いえ、わかりません。暗かったからかもしれませんが……」
最後の瞬間まで僕は犯人の姿を見ていない。
ちらっとでも姿が見えていたら何か言えたと思うけど……
「正直に言おう。信じられないかもしれないがアレは異世界の化け物だ」
「え?」
「そして、我々SORAはそうした化け物を退治する国の組織だ」
化け物? 異世界? この人は、何を言っているのか……
僕は信じる信じないの前に、思考が止まってしまう。
だが、次の言葉は無い。
この人は……ああ、僕の反応を見ているのか……
「えっと……僕は化け物とか見たことないし、そんなのが居るって聞いたことが無いんですが……」
「当然、情報は封鎖させてもらっている。そして化け物はこちらでは見えないし存在も感じられない」
「こちら……つまり現実では、ということですか?」
だが、次の彼の言葉は、僕をさらなる混乱へと引き込んだ。
「現実、か……なあ、立原くん。地球は昔からこうだったと思うか? 例えば神話や伝説で超常的な力を持つ者がいた話は聞いたことがあるだろう?」
「それは……科学が発達していないから、じゃないんですか? ほら、進歩しすぎた科学は……とか」
「クラークの第三法則だな。『十分に高度な科学技術は、魔法と区別できない』、なるほど、科学の進歩が本人と他人で相対的に違う場合なら成り立つな。昔の天才科学者ならやりようによっては魔法使いを装うこともできるだろう。だが、私が言っているのは違う。実際に、地球は昔は神秘も魔法も存在したのだよ」
法則の名前は知らなかったが、意味は同じだろう。
そんな事より、その後の彼の言葉が問題だ。
「……そんなの、もう科学的に否定されたでしょう?」
「違うんだ。いいか? 真相はこうだ。我々は『科学で万物が説明できる世界を作った』んだよ」
常識的に考えて、彼の言っているのはたわごとだ。
だけど……論理的に考えてみると……成立しないわけでは、ない。
「じゃあ何ですか? 今いる世界はヴァーチャルな世界とでも言うんですか? 全部データの塊とか?」
「なるほど……そういうフィクションは存在するが、それとは違うな。あくまで実体は存在している。この世界には生身の人と、動植物と、そして物理法則で説明できる全てが存在する。だが、本来はそこに魔法や神秘が存在して世界を形作っていたのだよ」
神秘の存在、それは……自分の体験したことからわからなくも無い。
いったん、そこは受け入れるとして、まだ疑問が残る。
「では、どうしてそんな事をしたんですか? 別に神秘が残っていたって昔の人は問題なく生活して居たんでしょう?」
「歴史の話になる。およそ500年前のことだ。地球に異世界からの侵略者が来訪することがあるが、そのとき、敵の攻勢はかつてないほど激しかったらしい。そこで、当時の世界中の神秘を扱う者が一致団結して、侵略者が手出しを出来ない避難所としてこの世界を作り――」
そこで一度、彼は言葉を区切った。
「――そちらに全人類と動植物を転移させたのだ」
話は続く。
「敵は神秘の力を持って攻めてきていた。だから神秘を弾く防壁を築き、それに守られてここ500年の人類は生存してきた」
「防壁ですか……それは今も?」
「もちろん敵は防壁を破ろうと攻めてくる。だが今のところこちらが撃退出来ている。ここ500年防壁は破られていないのだよ」
やはりこれも、常識には反するが論理的にはありうる話だ。
今の世の中は神秘など完全に否定されている。
だけど、それは密かに戦っている者がいるから成立することで、防壁が破られたら異世界の侵略者がこの町にも現れてしまうということだ。
それでもなお、僕には疑問がある。
「じゃあ僕が怪我したのは防壁が破られたからなんですか?」
「そこが問題の核心だな。防壁は今も破られていない。ただ、時々防壁の隙間からこちらの世界に干渉する侵略者がいる。そしてその場合は、こちらの世界では不思議な事件、事故、あるいは人心の荒廃などの影響がある。例えば大地震、大事故、あるいは戦争なども原因がそれであると推測されるものもある。もちろん全部がそれではないが……」
「事故……」
なるほどあれは事故だろう。
突然街灯や柱が、あるいはガードレールが破壊される事故が最近頻発している。
そしてそれはぶつかった車が見つからないという点で不思議だ。
「そう、あの事故は我々SORAとしても追っていた。本来はここまで大騒ぎになる前に始末したかったのだが……」
「それに僕が巻き込まれたんですね」
「そうなるな」
「はは、運が悪いのもここまで来ると大した物だと自分でも思いますよ」
今の状況は明らかに不運だ。
両親が居なくなり、唯一残った家族の妹も遠く離れている。
そこに、変な事件に巻き込まれて怪我をするのだから、笑うしかない。
「いや、そうとばかりも言えないんだ」
「え?」
「敵は明らかに君を狙っていた」
「そんな……どうして?」
狙われる心当たりなんて無い。
それとも敵とやらは不運な人間を見つける特殊能力でもあるんだろうか?
男はしばらく黙って僕を見ていた。
その沈黙が、やけに長く感じられた。
「そこで、逆にこちらから質問なんだが……君はどうやって防壁を越えたんだね?」




