この日は平穏だった。平穏に終われば良かったのに
いつも眠い。
それでもちゃんと成績を取らないといけない。
僕には、浪人も、私立大学も望めないんだから。
「おう、元気……じゃねえな。相変わらず」
「まあね、なかなか大変だよ」
声をかけてきたのは森永だ。
こいつは中学校時代と変わらず、いつもひょうひょうとしている。
僕にとっては古くからの友人の一人だ。
「午後の体育、大丈夫なのか、立原」
「ああ、悪いけどご飯食べたらちょっと昼寝するよ」
気を遣ってくれたのは羽山だ。
彼とは高校に入ってからの友人だが、良い奴で優等生だ。
「何なら添い寝してやろうか?」
「机に突っ伏して寝るのに添い寝も何にも無いだろう? お前はいつもそんな調子だな」
「そりゃそうだ」
森永が調子の良い(僕にとっては気持ち悪い)ことを言って、それを羽山がたしなめる。
そしてそんな二人を見ていると、僕も自然に笑い声が出てしまう。
今は昼休み。
教室では楽しくおしゃべりしている女子や、ゲームの話に盛り上がる男子が、数人ごとにまとまって昼食を食べている。
僕の場合は、大体いつもこの三人だ。
すぐそばで大きな笑い声が上がる。
僕たちじゃ無くて女の子達のグループだ。
スマホで動画を見ているらしく、一方に寄って小さな画面をのぞき込んでいるのが見える。
僕は、カバンからパンをいくつか取り出す。
仕事は夕刻を挟むので忙しくて大変だが、コンビニはこうした廃棄品をもらえるので助かっている。
ただ、昨日は仕事を終えて家に帰り、今日の予習をしていたら0時を越えてしまった。
前日が引っ越しのバイトだったこともあり、日曜夜の僕は疲労困憊で、それを翌日の今日にも引きずってしまっている。
野菜の少ない、ついでに肉も少ない昼食を食べ終えるともう眠気にあらがえない。
「おやすみ」
「おう、俺はちょっとジュース買ってくるわ」
「俺も行くよ」
二人が離れて、僕の周囲が一気に静かになる。
とはいえ教室の中は相変わらず騒がしい。
でもそれは僕に向けた言葉じゃ無いから無視できる。
僕は眠気に身を任せる。
固い机でも今の僕には柔らかい枕と大差ない。
雑音を聞き流しながら僕の意識は沈んでいく。
ふと、何か耳に触るような感触がした。
虫か?
目を開けて僕は起き上がる。
「うわっ、急に起き上がるなよ」
ジュースを片手に森永が大げさに言う。
こぼれやすい紙カップのジュースがこぼれた様子は無い。
僕は両耳をこすって、何もいないのを確認する。
「いまなんかした?」
「何にもしていないが……確かになんかちょっと変な感じがしたな。もしかして小さな地震でもあったのかな?」
そう言って羽山がスマホを操作して検索する。
「うーん、別に地震情報は上がってないな」
「よっぽど小さかったのかな?」
「そうかもしれないな」
僕はまだ少し眠気を引きずっていたが、時計を見ると昼休みはあと10分も無い。
昼食のゴミを捨てに立ち上がる。
席に戻ってきたとき、二人はアイドルの話をしていた。
こう見えても、いや見たとおりかもしれないが森永は軽音学部でギターを弾いている。
羽山は陸上部で、勉強も出来る文武両道だ。
話題はアイドルだが、森永は音楽性について、羽山はメンバーのかわいさについて話している。
その様子が、普段と真逆なのでちょっと可笑しいと思った。
「立原はどう思う?」
「何が?」
森永に聞いてみると、最新曲が普段と違うメンバーがメインで歌ってくる事についてだった。
「いや、僕はあんまり詳しくないから……」
「そうか? 良くテレビで流れてるじゃねえか。ほら、これ」
森永がスマホから流す曲は、なぜか聞き覚えがあるものだった。
ん? と一瞬思ったがすぐに思い出した。
引っ越しトラックで聞いた曲だ。
「うん、良い曲だとは思うけど……あんまり興味は……」
「つまんねえなあ、人生損してるぞ」
「今が一番忙しいからね。しょうがないよ」
「そうか、そうだよな……」
森永は言い過ぎた、と思ったのか語尾がしぼむ。
森永と羽山には事情をあらかた話してある。
3年になったら僕はバイトをほとんどやめて受験勉強に集中する。
大学は国公立、そして奨学金をもらえば他の学生と同程度には楽になるだろう。
だから今のうち、高2の今ちょっと頑張っているのだ。
「勉強なら俺も手助けする。困ったことがあれば言え」
「うん、でもまだ大丈夫だ」
羽山は羽山でそう言ってくれる。
そのとき、チャイムが鳴る。
教室のざわめきが一瞬止まり、みんなが立ち上がる椅子の音が聞こえる。
差し込む日の光が窓際の机を照らしている。
午後の授業が始まる。
*****
チャイムが鳴り、教室が再びざわめきに包まれる。
太陽は傾き、今では教室の中程の机も照らされて光っている。
「じゃあ、俺部活だから」
「ああ。さよなら」
「俺は今日は塾だな、立原は今日は?」
「うん、バイトは無いよ」
「じゃあ駅までだけど一緒に帰るか」
森永が去り、僕はカバンに持って帰るものを詰め込む。
バイトに行く場合はその日勉強出来ない事を考えていくらか教材を置いて帰る。
だけど、今日は時間があるからほとんど持って帰る。
「お待たせ」
「ああ、じゃあ行くか」
廊下で待ってくれていた羽山に声をかけ、僕は一緒に歩き出す。
校門を過ぎて、駅まで10分ほどの帰り道で、羽山がきょろきょろしながらこんなことを言い出す。
「そういえば……」
「何?」
「最近、工事が多いよな」
「ああ、それは僕も聞いた。引っ越しのバイトで、社員さんが言ってた。なんか物が知らないうちに壊れてるんだって」
「へえ、誰がやったんだろう?」
「それは不明だって」
「車がぶつかったら不明ってことは無いはずだけど……」
「そうなんだよねえ、不思議な話だよ」
おっと、そう言っていたらちょうど工事の場所に出くわす。
壊れているガードレールを交換しているようだ。
ガードレールなんて原型を保っている方が珍しいと思ってよく見ると、大きく曲がって千切れ、その断面がとがって歩道に突き出している。
確かにこれは危ない。
「あれも車かな?」
「それにしては激しすぎる。あれが車だったらもう自走出来ないぐらいじゃ無いか?」
羽山の言うことももっともだ。
まだ夕方4時頃だが、徐々に暗くなって来ている。
駅近くのビルや店の看板にはすでに明かりがともっている。
「じゃあ、またな」
「うん、また明日」
改札に入ったら羽山と別方向の階段を上る。
塾はここから都心方向、僕のアパートはその逆だ。
まだサラリーマンの帰宅時間ではないので電車はそれなりに空いている。
今日は首尾良く座ることができた。
20分ほど乗るので、今の疲れた僕にとってはありがたい。
ちらちらと柱の影が顔を撫でる中、僕はちょっと居眠りを始めた。
ふっと何処かに落ちるような浮遊感を感じて、僕はすぐに目を開けた。
周りを見回してみると、もう次が僕の降りる駅だ。
突然跳ね起きて目立ったか? と辺りの様子をうかがっているが、その様子は無い。
よかった、と思って僕はずり落ちていたカバンを胸に引き寄せる。
僕の短い人生でもたまにこういう目覚めがある。
高いところから落ちる夢を見てビクッと体がこわばって目が覚める。
前に羽山が言っていたが、「プレッシャーやストレスがある時に見る夢」だそうで、今の僕なら無理ないか、と勝手に納得する。
電車が減速するのを体で感じ、僕は早めに立ち上がる。
昼と今、昼寝が出来たことで体の調子は悪くない。
これなら夜の勉強は問題無いだろう。
でも一応ブラックコーヒーでも買っておこうか。
そんな事を考えながら僕は電車を降りる。
駅を出ると風が強い。
なんだか寒く感じてしまう。
こたつを出したのは正解だったかもしれない。
駅前の不動産屋ののぼりが、風にはためいて音を立てている。
ひときわ強く風が吹き、カラオケ店の立て看板が倒れる。
その音に驚いたのか、野良犬がワンワンとうるさく吠える。
僕は、騒音で一杯の駅前から逃げ出すように、足早に家路を進む。
晩ご飯はどうしようか?
普段の僕は節約生活が身についているので、なるべく安上がりなものを選ぶ。
今日は寒いし……そうだ、野菜をたくさん入れた袋ラーメンなどいいかもしれない。
とすると、スーパーに寄る必要があるが、まだこの時間だと安くなっていないかもしれない。
ならば一度帰ってから行くか。
そんな事を考えながら、住宅地を進んでいく。
なんか物足りないと思ったら、子供やご老人が見当たらない。
普段はそこら辺を子供が集団で自転車で走っていたり、おじいさんが犬の散歩をしているのに出くわしたりするが、今日はまだ出会っていない。
風が強いからかな?
それが理由か、すれ違う人がいない。
皆が僕と同じように駅から遠ざかる方向で、後頭部しか見えない。
だからなんだ、といわれればなんでもないのだ。
こういう日もあるだろう。
*****
「やべっ、眠ってしまった」
部屋に帰り、ちょっと一休み、と思っていたらこたつで眠ってしまった。
時計を見るとすでにスーパーは閉まっている時間。
やってしまった。
さすがに明日までご飯抜き、というわけにもいかないし、明日の朝ご飯もある。
「うーん、しょうがないか……」
僕は上着を手に取り、コンビニに向かうことにする。
最近はコンビニだって野菜ぐらい売っている。
スーパーほど安くは無いが、袋ラーメンと合わせてもコンビニ弁当よりは安いだろう。
眠気は完全に飛んでいる。
これは注意しないと明日の朝は寝坊するかもしれない。
だからといって勉強しないわけにはいかない。
まあいいか、とりあえず食べ物を買って帰ろう。
そんな事を思いながら、僕はコンビニまでの道を急ぐ。
さすがに今の時間、人通りはより少なくなっている。
たまにすれ違う人がいるが、誰もいない時間も長い。
そんなとき、ふと変な感覚に襲われる。
何か、今歩いている道がふわふわと柔らかくなったように感じた。
誰もいないのを確認し、立ち止まってちょっとその場で足踏みしてみる。
別に変なところは無い。
「気のせいか……」
夕方にあれほど強かった風は、今は止んでいる。
そのせいか普段のバイト帰りより静かな気がする。
何処か遠くで犬が鳴いてる音がかすかに聞こえる。
不意に、目の前の街灯がちらつく。
大丈夫、ちらついただけで再び街灯は点灯状態になる。
僕は一瞬驚いたが、何も起きない。
「びっくりした。寿命かな?」
LEDだからそんなはずはないけど、そう口に出してみた。
だれも聞く者はいないけど、なんとなく。
一瞬、元々静かな周囲がさらなる静寂に包まれた感じがした。
それこそ耳にキーンとどこから来るのかわからない音が響きそうなほどだ。
そして次の瞬間、突然破壊音が前の方で響く。
ドゴッ
派手な音を立てて、3つぐらい向こうの街灯が途中から二つに折れる。
待ってくれ、今何かぶつかった?
少なくとも僕には何も見えなかった。
暗かったから?
いや、でも街灯を折るほどのものが動いていたらわかる。
また衝撃音とともに、今度は道の反対側の標識の鉄柱が折れる。
「やばい……かも」
目的地は前だけど、今は一刻も早くこの場から逃げないといけない。
僕は振り返り、家までの道を走り出す。
端から僕の様子を見ていたら滑稽かもしれない。
でも、笑われてもいいから誰かが居てほしかった。
僕は道を走る。
破壊音は、止むこと無く僕の後ろで起こっている。
そして近づいて来ている。
「うわっ!」
すぐ後ろの街灯が折れる。
ランプの破片が背中に飛んでくる。
背中で良かった。多分怪我はない。
それに今はそんな事を気にする余裕もない。
全力で走るだけだ。
道の先、向こうに明かりが見える。
車か?
僕は助けを求めてさらに速度を上げる。
突然前方から厳しい調子の声が聞こえる。
「動くな!」
無理を言わないでほしい。
僕はなんかわからない物からにげてるんだぞ。
そう思ったとき、僕の前からまた破壊音が聞こえる。
バキィィ
あれ? と思う間もなく、僕に向かって木が倒れ込んでくる。
こんなところに木なんてあったか? 道路の脇だぞ?
そう思う間もなく、僕は木の下敷きになって倒れ、地面で頭を打ち、気を失った。
気を失う瞬間、頭のどこかで思った――どうして地面は、アスファルトじゃなくて土なんだ?




