月はいつも僕を見つめている
「あの逆さ富士? が侵略者の拠点だとすれば、認識阻害が誰を対象にしているかは明白だな」
まず、あの天に浮かぶ異質な物の存在を僕がSORAで見たことがない。
そしてSORAにとっても敵の拠点なんて情報を伏せる意味が無い。
知ったところで数時間で到達できるような場所じゃ無いからだ。
そして、侵略者自身が地上の存在から隠しているというのも違うだろう。
僕みたいなSORAへ入って間もない新人に見えたんだ。
名家の戦士――守人だっけか、が気づかないはずがない。
だとすればこの阻害は十二家とSORAを隔てるものだろう。
つまり、防壁の付随機能の一つで、あれに立ち向かう人材かどうかで分けていると考えるのが自然だと思う。
つまり、十二家の使命は侵略者から大要石を守る事の他に、あの空に浮かぶ敵拠点を攻略する事も含まれることになる。
こういうのをなんて言うんだっけ、敵基地攻撃能力がどうのこうの……なんか自衛隊の議論であった気がするけど……
でも、確かに敵の拠点を潰せれば永久にかはわからないけど、敵の出現を止めることができる。
それが可能……では無さそうだなあ……
攻略に成功したんだったら、防壁への干渉も一時的に止まることになるけど、SORAやその前身の政府組織がそれに気づかないはずがない。
だから多分、あの空の逆さ富士は、500年前の防壁構築時……いや、その前から変わらずあそこに存在しているんだろう。
さっきから見ていると動いている様子が無い。
例えばジェットエンジンで高度を維持しているとか、翼が羽ばたいているとか、そういうわかりやすい法則で浮いているのでは無さそうだ。
おそらく法則――それもこっちと異世界の両方で通じる何らかの超常的な力で浮かんでいるのだろう。
だいたい行き方わからないしなあ。
いくら魔法があったって、空を飛べる訳じゃない。
富士山の高さが4kmも無いことから考えると、あの逆さ富士の高度は見た感じ数十kmぐらい――確か成層圏っていうんだっけ?
空気が薄く普通に呼吸できるはずもない。気温だってマイナス何十度かだろう。
むしろ現代で行くなら宇宙服とか必要なんじゃ無いだろうか?
思考に溺れているうちに、欠けた月が完全に逆さ富士から完全に姿を現した。
その瞬間――急に逆さ富士が消えた。
慌てて月の周囲に目を走らせるがどこにも無くなっている。
いや、無くなってはいない。それは認識出来なくなっただけだ。
「すごいな……これは。これが認識阻害か……」
そして、幸運だったのかもしれない。
月が空の一点にある特定の日時で無ければ僕は気づくことが出来なかった。
あるいは太陽でもそうなのかもしれないが、日食は真っ暗になるわけじゃ無いから認識阻害が働いても気づかない可能性があるだろう。
そこでふと疑問がわいてくる。
こんなのが日本にいくつもあるのだろうか?
例えば関西だったら逆さ六甲山とか逆さ天保山とかあるのだろうか?
そんなくだらない事を思ってしまう。
だけど、否定する材料は無い。
全国に十二の名家があるならば、異世界の拠点も複数あると考えるのに無理は無い。
そして世界は?
ふと頭に浮かんだのは、昼に支部で調べた資料の『世界の戦況』だ。
結局あのときは選択しなかったが、今になって気になってしまう。
ヨーロッパにもアメリカにも、そしてアフリカにも、同じような侵略者の拠点が天に浮かんでいるのだろうか?
「だとすると……調べることが出来るかもしれない」
ネットは真偽不明の情報であふれている。
その中に、こうした侵略拠点の情報が紛れ込んでいないか?
知れば政府当局や各国の名家に相当する組織が削除するだろうが、中には漏れているものもあるかもしれない。
真世界のことをもっと知りたいという好奇心が首をもたげてくる。
それは、自分に関わる事象。そして、実際に存在するファンタジー。
ともすれば閉塞感すらある日常から離れた非日常……
僕は唐突な衝動で自分のほおを張った。
一度では足りずに、今度は逆側のほおを張る。
「違う。真世界はあくまで手段だ。僕がすべきことは、家族を取り戻すことだ――忘れるな!」
自分自身に言い聞かせる。
声に出して自分を叱る。
あくまで、家族を取り戻す手段として真世界も、龍崎家も、SORAも、そして香月さんだって、西山さんだって利用するのだ。
そういう気持ちでいないと、日常の忙しさとSORAでの活動を言い訳に、いつしか目標を諦めてしまいそうだ。
何を置いても、まずは妹の居場所だ。
そのことだけが、当面の僕の目標だ。
僕は衝動に任せて走り出す。
足音? 聞き耳? そんなのは気にしない。
僕は目的地である近所のSORA出張所まで、草原を踏みしめ駆けだしていく。
*****
「よし、誰もいないな……」
ピアサーで表層世界に戻った僕は寺の敷地内にある小さな出張所の様子をうかがう。
支部とは異なり、常に人がいるわけでは無い。
リフト現象がこの近辺で起こったときにリフターをサポートするための拠点なのだ。
何もなければ責任者すらお経を読んでいる。
辺りに人影が無いことを確認して、空き地で空を見上げる。
やや移動したがほぼ同じ位置に月が見える。
当然、逆さ富士など影も形も無い。
――でも、本当にあれは何だったんだろう?
多分間違いなく侵略者の拠点。それはわかる。
だけど、それが浮かんでいる理屈も不明。
なぜわざわざ富士山を逆さまにした形なのかも不明。
侵略者は、わかっていたけど理屈が通じない連中なのかも知れない。
そのことは、ちょっと怖い。
僕は冬の寒さと敵の不気味さに身震いした。
「よし」
何がよし、かはわからないけど、僕はそう言って、家路につく。
向こうで草原を走ってきた距離だが、こっちは道なりなのでちょっと遠回りになる。
だけど、道中の安全は比べものにならない。
僕はリラックスして歩いている。
自然、遠い昔母さんとこうして歩いたときのことが思い出されてくる。
そのとき、僕は確か4歳か5歳ぐらいだった。
そのときはまだ僕は自分が養子であることを知らされておらず、母さんが余りに妹ばっかりかまうので、すねてしまった時だったはずだ。
一応両親の名誉に関わるので注意しないといけないが、養子だからと言って僕の世話がおざなりになっていた、とかそういうことでは無い。
単に、2歳か3歳ぐらいの妹の世話に手がかかっていた、というだけのことだ。
すねてしまった僕をお母さんは夜の散歩に連れ出してくれた。
妹はすでに寝てしまって、ちょうど手が空いたときだったのだろう。
「そうちゃんは、月が好きねえ。いつも見上げてるような気がするわ」
そう言われて、初めて自分がそうだと気がついたのだった。
手を引いて夜道を歩いてくれるか母さんに、僕は「うん」とか「そうだね」とか気のない返事をしたはずだ。
「よかったら、どの辺りが好きなのか母さんに教えてくれる?」
そう言われて、僕は自分でも考えたことが無かった疑問に頭を働かせる。
やがて、一つの結論に達する。
「月は……いつも僕を見ていてくれる、から?」
母さんは不思議そうな顔をした。
これは追加で説明が必要だと感じた。
「だって、いつも同じ側をみせてくれるんだよ。それってずっと見ていてくれてるってことでしょ?」
今考えてみれば、ずっとそっぽを向いているのかもしれないし、ずっと後頭部を見せられているのかもしれない。
でも、そのときの僕はそう思っていたし、そう説明したんだった。
母さんは、それを聞いて何を言ったのだったか……よく覚えていない。
ただ、そっと僕の頭を撫でてくれた。
その手の温かさは今でも思い出せる。
今思えば、ゆずの事ばっかり見て、自分の事を見てくれないと母さんを非難したようにも聞こえるので、ちょっと恥ずかしい言動だったかもしれない。
でも、ちゃんと当時から母さんは僕のことを気にかけていて、すねた僕を連れ出してくれたのだ。
そんな事もあって、それからは月を見ると一緒に母さんのことも思い出すようになっていた。
それは今もそうだ。
僕は月を見上げ、月に見下ろされ、家族を取り戻す決意を新たにするのだった。




