僕は新しい生活を楽しんでいた。まだこのときは
「寒ぃ」
「代謝が落ちてるんじゃ無いか?」
「だりぃ」
「それは関係ないな」
どうでも良い会話を横で聞いているが、11月も末の体育の授業ならこうもなるだろう。
もう少しすると持久走が入ってくるから寒いとかなんとか言っていられなくなるけど、あいにく今日は柔道で、しかも試合形式だから待機時間がつらい。
武道場の隅は畳が無く板敷きなので、裸足の足裏から冷たさが忍び寄ってくる。
「ほら、俺ってギター弾くだろ? 手が命なんだよ」
「そりゃシャーペン持つときも同じだろ? 森永だけが特別寒いわけじゃ無い」
「いや、俺冷え性だし」
「それは知らん」
相変わらずの森永と羽山だけど、僕も最近はなんだかんだ体を動かしているのでスポーツマンの羽山寄りの感覚だ。
「立原もそう思うだろ?」
「寒いかって? まあ、我慢できなくはないよ」
「裏切り者。帰宅部のくせに……」
「いや、それにしては最近立原の体が引き締まっているように思えるぞ。なんかスポーツでもやってるのか?」
羽山にはお見通しか……なるべく影響が出ないようにしていたけど、あちらの草原や森を走り回っているから多少体に変化があるのかな。
「いや、最後のバイトラッシュで引っ越し屋を多めに入れているからそれじゃない?」
「そうか、意外と鍛錬になるんだな……俺も陸上は高校までにするから大学に入ったらやろうかな……」
まずい、今のバイト先の引っ越し先はすでにやめているのがバレてしまう……
いや、たしか羽山は志望校が関西だったな。じゃあ問題無いか……
*****
「で、結局立原はどの辺狙ってんの?」
「まだわからないよ。1年以上先だろ? そのときまで成績がどうなるかだし……でも、出来ればそんなに遠くは嫌かな」
「だが、首都圏だと国公立は少ないだろう? かなり狭き門だぞ」
「そうなんだけどねえ……」
森永といえども、そろそろ成績や受験のことを気にしだしたということか……確かに羽山が言うとおり、首都圏に国公立の大学は少ない。
元から人口が集中している事もあって、その倍率は高く、難しいかもしれない。
だけど、SORAでの仕事を続けようとするなら、なるべく慣れたこの辺りがいい。
例えば関西や中京、あるいはもっと遠くだと、そこの支部と上手くやれるかわからないし、何より柚葉は東京にいるはずなのだ。
遠方でも国公立、という前の望みはより高いハードルに置き換わってしまった。
「まあ、普段から十分成績の取れている立原なら、1年頑張ればなんとかなるだろう。そう言う森永はどうなんだ?」
「俺か、俺は……」
昼休みの会話は以前と同じように続いて行く。
窓から差し込む日は、季節を反映するように、前より奥まで届いていた。
「じゃあ、また明日」
「おう、またな」
僕は森永に一声かけて教室を後にする。
教室はまだ半分ぐらい残っていたが、羽山はそうそうに部活に行ってしまっていた。
僕はといえば相変わらず即帰宅だ。
校門を出て駅に向かうと、斜めから低くなった夕日が照らしてきてまぶしい。
ちょっと薄目になりながら僕は駅への道を歩く。
かつて、羽山と帰宅時に見たちぎれたガードレールはすでに新品に交換されている。
あれを引き起こした侵略者は、実はかなりの難敵だったそうだ。
なにせ、電車で20分離れた僕の住む町で倒されたのだ。
移動速度が速すぎ、行動範囲も広すぎた。
仕留めた香月さんによると、強さはそれほどではなかったらしいが、捕捉するのに苦労していたそうだ。
このあたり、僕の高校近辺は別のリフターの担当で、まだ僕は会ったことがない。
香月さんではなく、その人が倒していた可能性もあったということだ。
駅までの道は大勢の3年生が連なって歩いている。
すでに部活も引退したので、塾に行くのだろう。
進学校とはいえ公立高校だから塾で最後の追い込みをする人がほとんどだ。
僕も来年はそうなるのだろう。
だけどバイトはやめるにしてもおとなしく塾に通っていられるんだろうか?
まあ、来年の状況なんてわからないけど。
いつも通り都心から離れる方向のホームに向かい、乗客が少なめの電車に乗る。
空席はあったが、僕は立ったまま夕日に照らされた風景を眺めている。
コンビニのアルバイトは週2に減らした。
ちょうど例の一件でシフトが減ったところで、復帰時に自分から申し出たのだ。
今は木曜と日曜だけ働き、空いた時間をSORAでの活動に使っている。
家から最寄りの拠点は、意外に近い位置にあったので、そこの空き地を借りて真世界に入り、魔法の訓練をしている。
時に香月さんも一緒になることもある。
今日も拠点に顔を出すと先に香月さんが来ていた。
香月さんは、ここから山の方に一駅行ったところにある、鳴瀬女子学院の生徒で、僕と同じ2年生だ。
結構有名な学校で、全寮制であるということだが、それにしては良く出てこれるなと思って聞いてみた。
「ああ、うちはちょっと特殊だから……」
どういうことか説明を受けた。
十二家の一つに『虎ノ瀬』という家がある。
受け持ちは関西なのだが、表の顔として教育機関を持っており、いくつかの大学やその附属高校を含め、多くの学校を傘下に置いているらしい。
そして鳴瀬女子学院は虎ノ瀬グループに属していて、名家の子も通っているそうだ。
「まあ、私なんて名家から見たら格下のSORAの息がかかっているから、あんまり恩恵は無いんだけどね。名家の子は訓練で公休が認められているぐらいなんだけど、私はせいぜい放課後にSORAの活動で外出が認められるぐらい。それでも一般の子よりずっと動きやすいから助かっているわ」
なるほど、そういう事情か……僕は、ふと思いついて聞いてみた。
「龍崎の子はいるの?」
「え……ああ、いえ、知ってる限り在学生にはいないわね。元々学年全体でも数人よ。それに龍崎ぐらい大きければ自前で学校も持ってるでしょ」
「そうなんだ……」
柚葉のことを聞けるかと思ったけど、上手くいかないな。
「さあ、いくよ」
「いつでもどうぞ」
僕の声に、離れた位置から駆け込んできた香月さんが、持っていた剣を振る。
――上段
僕は右手をその剣に合わせて上げる。
手に感じる衝撃。
だが、僕の右手は血を流すことも、衝撃で骨が折れることもなく無事だ。
「ふう、かなり良くなったね」
「そりゃ、何度も痛い目に合ってるし……」
香月さんは持っている剣――実際には竹刀を下ろす。
僕もSEDを持っている右手を下ろし、念のためリリースボタンを押しておく。
何をしているのかというと、『小障壁』の魔法の訓練だ。
全身を覆うような障壁は最弱のものでもM3の能力が必要だが、M2の僕でも使える障壁がSEDには登録されている。
小障壁はSEDを中心に半径25cmの球状の障壁を張る。持続時間は1秒で勝手に消える。
これを使いこなすには、来る攻撃にSEDを合わせてタイミング良く発動する練習が必要で、僕はそれを香月さんに手伝ってもらって真世界で行っていた。
「これなら、戦士タイプと組んで仕事をしてもやっていけると思うよ」
「単独だと?」
「攻撃に決め手が無いから無理ね。素直にしばらく私と組みましょ」
「そうだね。よろしく」
あの、支部の裏から真世界に入った日から、今までに一度だけ仕事をする機会があった。
この小拠点の周辺のパトロールで、いくらかの野生動物を見つけて追い出した。
本来の異世界の侵略者に対する任務ではないのでさほどの収入では無かったが、それでも減らしたバイトの分ぐらいは埋め合わせることができた。
本物の侵略者の退治だと10万円とは行かないものの、それに近い収入を得られるので、是非こなせるようになっておきたかった。
二人で分けても十分大した額なので、できれば月一ぐらいでやっておきたいが、香月さんでも毎月の出動というわけでは無いらしい。
どうしても学生は通学で拘束時間が長いために、なかなか仕事が回ってこないそうだ。
「じゃあ戻りましょう」
「寒いもんね、ここは」
山、森、川などは真世界でも表層世界でも変わりが無い。
だけど、平地の建物は草原や土の地面に変わってしまう。
真世界の方が風が強く、より寒く感じるのだ。
「そうね。ちょっと過剰なぐらい厚着してくる方がいいわ」
言いながらピアサーでゲートを開ける香月さん。
だが、彼女がゲートをくぐる前に向こうから頭が差し込まれる。
「緊急で出られないか?」
入ってきた人は、この拠点に常駐する元リフターで現お寺の住職の男性だ。
当然禿頭なので、すぐに彼だとわかった。
この拠点は近所のお寺の裏手に存在している。
「今?」
「今暴れている奴がいる。どうも複数らしい」
どうやら、初の侵略者退治に参加することになりそうだ。




