表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/15

第07話 心に届いた、たった一言

 新しい夜着に着替え、温かい湯に浸かり、心地よいベッドに横たわったはずのセレナだったが、結局その夜はほとんど眠ることができなかった。

 ダリオンの鋭い視線が脳裏に焼き付き、彼の発した言葉の真意を測りかねていたからだ。

 冷徹な将軍という噂と、目の前の彼の細やかな配慮――その乖離が、セレナの心を大きく揺さぶっていたのかもしれない。

 不安と期待が入り混じり、眠りは浅く、何度も目が覚めた。


 セレナは緊張で胸が締め付けられる思いで朝食の席へと向かった。

 ダイニングルームは広々としており、中央に置かれた大きなテーブルには、すでにダリオンが着席していた。

 彼はすでに軍服を身につけ、その背筋はぴんと伸び、隙のない完璧な姿勢で座っている。

 彼の周囲には、まるで冷気が漂っているかのような静謐さが感じられ、セレナがダイニングルームに入ると、彼は一瞬だけ視線を向けたが、すぐに視線を正面に戻した。

 その視線は、セレナを認識しただけの、何の感情も含まないもののように見えた。


「エレナ様、どうぞこちらへ」


 老年の侍女が、ダリオンの斜め向かいの席を指し示す。

 その距離は、遠すぎず近すぎず、まさに形式的な夫婦の距離を示しているかのようだった。

 セレナは呼吸を整え、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。

 テーブルには、温かいパン、スープ、卵料理、そして数種類の果物が美しく並べられており、どれも食欲をそそる良い香りを立てている。

 胃の奥で、微かな空腹感が刺激された。

 しかし、その雰囲気は、アスフォデル家の賑やかな朝食とは全く違っていた。

 ダリオンは一切会話をせず、ただ静かに、淡々と食事を進めている。

 カトラリーが皿に触れる微かな音だけが、部屋に響き、その厳粛な沈黙にセレナはますます緊張してしまった。

 目の前の人に何を話せば良いのか、何をすべきなのか、まるで全てがわからない。

 この完璧すぎる静けさに、セレナは故郷での息苦しい朝食を思い出した。

 あの時とは違うはずなのに、なぜかまた何か間違ったことをしてしまうのではないか、という恐怖が胸に広がる。

 皿の上の料理に手を伸ばすことすらためらわれた。

 セレナは、震える手でスープの入った銀器を持ち上げようとした、その時だった。

 緊張のあまり指先が滑り、カシャン! と音を立てて銀の匙がテーブルに落ちてしまった。

 その乾いた音は、沈黙の中に響き渡り、セレナの心臓を強く跳ね上がらせてしまう。

 まるで、この静寂を破った自分が、何か大きな過ちを犯したかのような錯覚に陥る。


(ああ、なんてことを! 無用な騒ぎを起こすな、と仰ったばかりなのに……!)


 顔から火が出るほど恥ずかしい。冷や汗が背筋を伝る。

 セレナは慌てて匙を拾おうと身をかがめたのだが、彼女の手が匙に触れるよりも早く、目の前に、もう一つの手が伸びてきた。

 大きくて、骨ばった、けれど指先は力強い、男の手だった。


 ダリオンの手だ。


 彼が、黙ってセレナの落とした匙を拾い上げる。

 彼の指が、わずかにセレナの指先に触れており、その一瞬、セレナの全身に電流が走ったような感覚がした。

 冷たいはずの彼の指先から、なぜか不思議な温かさが伝わってくる。

 触れた場所から、微かな熱がじんわりと広がってくる。

 そして、ダリオンはゆっくりと顔を上げた。

 セレナの鳶色の瞳と、彼の鋭い碧眼が、真正面から見つめ合い、その一瞬の間にセレナは彼の瞳の奥に冷徹さだけではない、何か別の感情が宿っているような気がした。

 それは、一見すると無感情にも見えるがどこか深い部分で、彼女を見守っているかのようなそんな錯覚だった。


「……食事は、口に合うか? 料理人に、何か好みに合わせて用意させようか?」


 彼の声は低く、相変わらず感情の起伏は少ない。

 しかし、その問いかけは、セレナの耳には驚くほど優しく響いた。

 それは、アスフォデル家で『道具』として扱われていたセレナが、一度も向けられたことのない種類の言葉だった。

 自分のことを気遣う、純粋な問いかけ、誰かが自分の『好み』を尋ねるなど、思いもよらないことだった。

 その問いかけに、セレナの胸の奥で、長年凍てついていた何かが、じんわりと、まるで氷が解けていくようにほどけていくのを感じてしまう。

 警戒心で固く閉ざしていた心の扉が、わずかに緩んだようだった。


「はい、とても……美味しいです。何も、問題ございません……」


 セレナは、震える声で答えるのが精一杯だった。

 予想外の優しさに、思わず言葉が詰まる。

 彼の言葉が、こんなにも自分の心を揺さぶるとは思わなかった。


(この人は、最初から『敵』ではないのかもしれない。もしや、私が思い描いていたような、冷酷な人ではないの?)


 セレナの心に、これまで抱いていた警戒心が少しずつ薄れていく。

 将軍として冷徹であることと、個人として冷酷であることは、違うのかもしれない。

 彼は、ただ不器用なだけなのだろうか?

 それとも、単に人との交流が苦手なだけなのか?

 いずれにしても、彼が危害を加える意図を持っていないことは、少なくとも今のところ、強く感じられた。


 その夜、セレナはベッドの中で静かに決意した。


(私は、この城で生き延びてみせる。そして、この偽りの結婚を、本当の自由への足がかりにしてみせる。ダリオン様は、きっと私を助けてくれる……いえ、助けてくれる、というより、私はこの新しい場所で自分自身の力で、生きる道を切り開いてみせる)


 ダリオンのあの視線と、たった一言の『気遣い』。

 それが、凍てついた心を溶かし、セレナに新たな希望を与えていたのであった。

読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!

していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、更新が早くなるかもしれません!

ぜひよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ