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第03話 棺の中で聞いた声


 深い闇に包まれた棺の中で、セレナはゆっくりと意識を取り戻した。


 薬の効能は完璧だった。

 全身を巡る血の気は感じられず、まるで氷漬けになったかのように身体は冷たい。

 呼吸は微かに、ほとんど感じられないほどに浅い。

 肺に送られる空気は極めて少なく、かろうじて棺のわずかな隙間から流れ込む、生温かい空気が命綱だった。

 棺の中は、身動き一つ取れないほどに狭く、ひんやりとした木の感触が皮膚にまとわりつく。

 鼻腔を刺激するのは、朽ちかけた木と、土の匂い。死という概念を無機質に突きつけるような、重苦しい閉塞感がセレナを押し潰そうとする。

 そんな中で、リリアがこっそりと握らせてくれた、甘く清涼な香りのする香の袋だけが、この閉鎖された空間で唯一、彼女の心を落ち着かせる頼りとなっていた。

 その香りは、リリアの優しさと、わずかながらも確かに存在する希望をセレナの心に灯し続けた。


 どれほどの時間が経ったのだろう――数刻か、あるいは半日か。

 棺に横たわるセレナには、時間の感覚が曖昧だった。

 自身の鼓動すら感じ取れない中で、ひたすら静かに時が流れていく。

 時折、頭上から重い足音が聞こえる以外は、しんとした静寂が支配していた。

 冷たい棺の底に横たわりながら、セレナは神経を研ぎ澄まし、耳を澄ませた。かすかに、複数の声が聞こえる。

 最初は不明瞭だったが、やがてそれは、聞き慣れた、そして聞きたくなかった声へと変わっていった。

 どうやら、棺が安置されている地下納骨堂に、公爵家の人間が来たらしい。


「これで、アスフォデル家は守られる……無用な災いの種は、早々に摘むべきだったのだ。我々の血筋に余計なものを持ち込まずに済んだな、アルフォンス」


 低く、どこまでも冷酷な父ロドリック公爵の声だった。

 その声には、娘を葬ったことへの悲しみなど微塵もなく、ただ安堵と、自身の選択への正当化だけが滲んでいる。

 まるで、長年の重荷を下ろしたかのような、忌々しい存在が完全に消え去ったことへの、隠しきれない満足感が伝わってくる。

 セレナは目を閉じたまま、心の中でその言葉を反芻する。


 父にとって、セレナは『災いの種』だったのだ。


 公爵家の名誉と繁栄のためならば、娘の命すらも簡単に差し出せる存在。その残酷な事実に、今さらながら深い絶望が胸を締め付けた。

 これまでも薄々感じていたことだが、ここまで明確に突きつけられると、心の奥底が凍りつくようだった。

 次いで、もう一つの声が聞こえた。それは、優しい兄を演じていたはずの、アルフォンスの声だ。

 その声は、父の言葉に呼応するかのように、明確な喜びと、解放されたかのような軽い響きを帯びていた。


「父上のご英断です。全く、あの女が出しゃばらなければ、もっと早く終わっていたことでしょうに。才気ばかりで、家の名声を傷つけるような真似ばかり……王家との縁談など、冗談にもほどがありました。私にこそ、ふさわしい地位があるというのに」


 その声には、隠しきれない歓喜と、セレナに対する深い嫌悪、そして己の野心が見え隠れしていた。

 セレナの才能が、彼自身の影を薄くしていると感じていたのだろう――彼の言葉は、まるで熱い烙印のようにセレナの心に焼き付いた。

 自分がどれほどこの家族に憎まれ、疎まれていたのか、その真実を改めて突きつけられた気がした。

 表向きの優しさが、どれほどの欺瞞に満ちていたのか。

 その偽りの仮面が剥がれ落ちた今、残るのはただ醜い真実だけだった。


「そうだ。セレナは常に余計な存在だった。無駄な手間をかけさせおって……これで全てが円満に収まる。お前の地位もこれで磐石となるだろう、アルフォンス。あとは、余計な火種を作らぬよう、慎重に立ち回ればいい」


 ロドリックの同意の言葉に、アルフォンスはさらに高らかに笑った。

 その笑い声は、冷たい納骨堂の石壁に反響し、棺の中のセレナの耳には、悪魔の嘲笑のように響いた。

 それは、彼女の死を祝う声――自身の存在が、どれほど家族にとって重荷であり、邪魔だったのかを、これほどまでに残酷な形で知らされるとは。

 深い悲しみと、全身を貫くような裏切りの感情に、セレナの身体は仮死状態にあるにもかかわらず、激しく震えていた。

 胸の奥が、氷の塊で押し潰されるように苦しい、しかし、涙を流すことすらも許されなかった。

 仮死の状態を保つために、感情の起伏すらも最大限に抑えなければならない。

 わずかでも動揺すれば、生命維持のバランスが崩れ、本当に『死』を迎えてしまうかもしれないのだ。

 だが、その冷たい会話の中に、一筋の温かな声が混じった。

 それは、背後の影に身を潜めるかのように、か細く、今にも泣き出しそうな、けれど芯の通ったリリアの声だった。

 彼女は、恐れながらも、じっとその場に立ち尽くし、セレナのために祈りを捧げていた。


「……お嬢様を……どうか、神よ、どうか……お守りくださいませ……」


 彼女は、きっと彼らの会話を耳にし、隠れて震えながらも、セレナの無事を祈ってくれている。

 この世界で唯一、自分を案じてくれる存在がそこにいる。

 その声を聞いた瞬間、セレナの心に、凍てついていたはずの温かいものが、じんわりと広がっていくのを感じた。

 それは、まるで厳しい冬の終わりに、一輪の花が顔を出すような、静かで確かな温かさだった。


(リリア……あなただけが……)


 その温かさは、同時に、これまでの苦しみと、家族から受けた裏切りの冷たさを際立たせた。

 誰にも愛されず、ただ利用されてきた自分。

 その事実が、リリアの祈りの声によって、より一層鮮明になった。

 セレナは、冷酷な家族の言葉が耳に残る中、リリアの祈りだけを希望の光として、暗闇の中で耐え続ける。

 この棺の中で、私はもう一度生きる。そのためにも、決してこの偽りの死を悟られてはならない。


 閉じられた瞼の裏で、セレナの灰紫の瞳から、一筋の温かい雫が零れ落ちた。


 それは、仮死の体で流された唯一の涙――冷たい棺の底に吸い込まれていくその一滴は、死を装う偽りの姿と、それでも生きようとする、セレナの強い意志を静かに象徴していた。

読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

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