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第01話 花のように咲いてはならない

新作です。

よろしくお願いいたします。

 アスフォデル公爵家の広大な庭園に、初夏の陽光が降り注ぐ。

 手入れの行き届いたその庭の片隅で、ひっそりと白い百合が凛と咲いていた。

 ひんやりとした朝の空気には、甘く清らかな百合の香りが漂い、その場の静寂を一層際立たせている。

 その慎ましくも美しい姿は、まるでそこに佇む少女、セレナ・アスフォデルそのものだった。

 彼女自身も、庭の風景に溶け込むかのように、控えめにそこに立っていた。

 陽の光を吸い込んだ銀色の髪は、まるで氷の結晶のようにきらめき、灰紫の瞳は、湖面のように微かに揺れるばかりで、感情の波を映すことはなかった。

 十八歳になったセレナは、公爵令嬢としての品格を完璧に身につけており、その立ち居振る舞いは、どこまでも優雅でまるで絵画から抜け出してきたかのようだった。

 その佇まいはまさに『氷の姫』と称されるにふさわしい、透き通るような美しさを纏っていたが、それは彼女が幼い頃から感情を表に出すことを禁じられ、自分自身を守るために築き上げた厚い氷の壁だった。

 その内側に秘められた本当の感情は、誰にも知られることなく、深く凍てついていた。


「あら、こんなところで何をしているの、セレナ」


 冷たく、感情の籠らない声が、庭園の静寂を破った。

 まるで、清らかな空気の中に不調和な音が響き渡るようで――振り返ると、母であるイザベラ公爵夫人が、鮮やかな緋色のドレスを翻して立っていた。

 その顔には、セレナを見るたびに浮かべる薄い笑みが張り付いている。

 それは、社交の場で用いるような、本心とはかけ離れた、表面的な笑みだった。


「庭園を散策しておりました、お母様。百合が見事に咲いております」


 セレナが簡潔に答えると、イザベラは百合の花に目を向け、小さく鼻を鳴らした。

 その仕草には、美しい花への称賛よりも、道具を見定めるような冷たい視線が感じられた。


「あなたはいつも、花のように咲きすぎない方がいいわ……可憐であることは結構だけれど、その美しさも才能も、全てが家の名を上げるための道具。その存在を理解しなさい。今日の茶会でも、隣国の商人との話を進めておくわ。あなたの誉れ、あなたの教養、その全てが、このアスフォデル家の財を潤すことになるのだから」


 セレナは何も言わず、ただ静かにその言葉を受け止めた。

 まるで、それが当然の摂理であるかのように。


 幼い頃から、彼女は常に『完璧』を求められてきた。

 ピアノも、刺繍も、舞踏も、そして学問も。

 どんなに努力して優れた結果を出しても、それは褒められるためではなく、常に兄であるアルフォンスの引き立て役として、あるいは家の利益のための道具として使われるだけだった。

 アルフォンスは表向きは優しい兄を演じていたが、セレナの才能が世間で褒められるたびに、その瞳の奥には隠しきれない深い嫉妬と嫌悪が渦巻いていることを、セレナは幼い頃から感じ取っていた。


「セレナ、そろそろ時間だ」


 低く、どこか抑揚のない声が聞こえ、振り返ると、アルフォンスが立っていた。

 彼はいつものように優しげな笑みを浮かべているが、その目元にはわずかな疲労の色が見て取れた。


「母上、茶会の準備ができております。そろそろ向かいましょう」

「ええ、行きましょう」


 イザベラは優雅に歩き出した。

 アルフォンスがセレナの横に並び、誰も聞いていないことを確認するかのように、極めて小声で囁いた。

 その声は、甘く響くようでいて、どこか冷たい刃のような響きを秘めていた。


「お前も、もう少し『らしく』振る舞えばいいものを……王家からの縁談の噂もあるというのに、そんなでは誰も見向きもしないだろう。もっと媚びるなり、愛想を振りまくなりすればいいものを」


 セレナは何も答えなかった。

 王家との縁談など、自分には『必要ない縁』だと、母に断言されたばかりだったからだ。

 自分がどう生きるか、どんな縁を結ぶか、その全てが家族によって決められてきた。

 まるで、自分には感情も、意思も、そして魂もないかのように。

 ただ、彼らの都合の良い人形として存在しているだけなのだと、改めて深く思い知らされる瞬間だった。


 その日の夜、セレナはいつものように、侍女が用意してくれた睡眠導入剤を飲んだ。

 日中、母とアルフォンスがいつになく執拗に彼女にこれを飲むよう促していたことを、セレナはぼんやりと思い出した。

 普段はこんなにも強く勧められることはない。

 その違和感が、胸の奥に冷たい石のように沈んでいた。

 透明な液体が、わずかな苦みを伴って喉を通り過ぎる。


 その直後――ぞくり、と喉の奥に奇妙な違和感が走った。


 まるで、冷たい液体が血管を這い上がってくるような感覚だ。

 熱いような、それでいて痺れるような感覚が、喉元から全身へと急速に広がる。

 手足の先が冷え、心臓が不規則な鼓動を打ち始めた。


(――まさか)


 頭の片隅で、微かな警鐘が鳴る。

 だが、既に体は言うことを聞かない。

 全身が急激に重くなり、意識がぼやけ、視界が急速に暗転していく。

 壁の燭台の光が、滲んで、霞んで、やがて闇に溶けていく。


 意識が、遠のく。


 遠くで、誰かの焦った声が聞こえた気がした。

 それが誰の声だったのか、セレナにはもう、認識する力は残っていなかった。

読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!

していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、更新が早くなるかもしれません!

ぜひよろしくお願いします!

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