第6話「青成ダービー 初陣」
朝霧に包まれた青い人工芝。
青成ダービーを前に、成磐中ホッケー部の面々はアップに余念がない。
県内にホッケー部があるのは成磐中と青刃中の2校だけ。
今日はその直接対決だった。
散水システムから細かい水滴が舞い、人工芝の表面が朝日にきらめいている。
選手たちのスパイクが青い芝を踏みしめるたび、かすかに水しぶきが跳ねた。
みち先生は優しい声で呼びかける。
その表情には、緋色や蒼たち1年生への特別な配慮が込められていた。
「緋色くん、蒼くん。初めての公式戦ね。でも先輩たちがいるから大丈夫。練習どおり、今できることを精一杯プレーしましょう!」
スタンドからは、ひいおばあちゃんのみっちゃんも声援を送りながら杖を振っている。
「緋色、ばあちゃんも応援してるさ~! 精一杯楽しんでちゃびら~!」
みっちゃんの沖縄弁が朝の空気に響く。
緋色は思わず笑顔になった。
その笑顔を見て、胸の奥で何かが温かくなる。
「おい緋色、楽しむ気持ちを忘れんようーに! 今日の相手は青刃中じゃけぇ、思いっきり挑戦してこい!」
照先輩が岡山弁で大声を張り上げる。
その力強い声に、緋色は勇気をもらった。
照先輩のスティックが朝日を反射し、まるで剣のように光っている。
緋色は深呼吸し、スティックをしっかり握りしめた。
手のひらに汗がにじんでいるけれど、不思議と落ち着いていた。
グリップテープの感触が、なぜか心を落ち着かせてくれる。
ピッチの向こうでは、青刃中の監督がベンチで厳しい表情を浮かべていた。
「兵動は寝坊で懲戒処分。今日は出場もベンチ入りも許可しない。3年生2名は研修学習で欠場、もう1名は怪我で欠場だ」
スタンドには出場停止の兵動天音が立ち、化け物級の声量で叫び続ける。
「ごめーーーーん! 次は絶対寝坊しません! みんながんばれー!」
その大きな声に、観客席がどよめいた。
あれが青刃中の1年GKか。
声だけで相手を威圧できそうな迫力だ。
主力を欠く青刃中だが、桐島藍人は前を見据え、小声で仲間に語りかけていた。
「厳しいが、これもチームの力だ。僕たちだけで勝利をつかもう」
藍人の表情に迷いはない。
緋色は、その姿を見て胸が熱くなった。
スティックを軽く振り、感触を確かめる藍人。
その動作一つ一つに、研ぎ澄まされた技術が宿っている。
ホイッスルが鳴り響き、試合開始。
序盤から両チームの激しいプレッシャーが交錯した。
青い人工芝の上で、白いボールが目まぐるしく行き交う。
青刃中の先制攻撃。左サイドから藍人が仕掛ける。
「シュッ、カツッ、シュッ」
美しいリズムでボールを操りながら、藍人のスティックワークが炸裂する。
ボールが藍人のスティックに吸い付くように動き、見る者を魅了した。
成磐中の選手たちが一瞬動揺する。
「下がるな! プレッシャーをかけろ!」
誠先輩の冷静な指示が飛ぶ。
その声に反応し、成磐中の選手たちが素早く藍人に詰め寄った。
藍人のドリブルがペナルティサークル手前で止められる。
しかし、その技術の高さに観客席からは感嘆の声が漏れた。
「うわあ、あの1年生すごいじゃん」
「ボールが生きてるみたい」
今度は成磐中の攻撃。
照先輩が右サイドを駆け上がる。
パワフルなスプリント。
照先輩の太い足音が人工芝を叩き、水しぶきを豪快に跳ね上げる。
その迫力に、青刃中の守備陣が身構えた。
「照、右から行くぞ!」
誠先輩からの正確なパスが照先輩の足元に転がる。
しかし青刃中の守備も素早く反応し、照先輩の前に壁を作った。
「くそっ、固いな」
照先輩のシュートコースが塞がれる。
仕方なくボールを後ろに戻す。
ゲームは中盤での激しいボールの奪い合いに移行した。
両チームの選手たちが人工芝を縦横無尽に駆け回る。
スティック同士がぶつかり合う独特な音が、コート中に響いた。
「バチッ」「ゴツッ」「ガシッ」
音が重なり合い、戦いの激しさを物語る。
緋色は何度もシュートコースを探るが、まだ自信が足りずパスミスを繰り返してしまう。
青刃中のプレッシャーに押されて、思うようにボールが運べない。
「くそっ…」
また一つ、パスが相手に渡ってしまった。緋色の額に汗が浮かぶ。
コートサイドからみち先生の声が響く。
「深呼吸して、周りをよく見てごらん!」
緋色は胸の鼓動を感じながら呼吸を整える。
スタンドからあの少女が手を振っているのが見えた。
きっと応援してくれている。
温かい眼差しが、緋色の心を落ち着かせた。
「……次は失敗したくない!」
緋色は決意を新たにした。
第1クォーター中盤。
両チームとも決定機を作れずにいた。
青刃中がサークル外でフリーヒットを獲得。
藍人がボールに向かう。
「集中しろ! マークを確実に!」
誠先輩の指示が響く中、サークル周辺で激しいポジション争いが始まった。
藍人は直接ドリブルでスタート。
4m以上動かしてからパスコースを探る。
青刃中の選手がスティックで合わせにいく瞬間、蒼が絶妙なタイミングでボールをクリアした。
「ナイスクリア、蒼!」 誠先輩の声が飛ぶ。
蒼の理論派らしい的確なポジショニングと冷静な判断が光った瞬間だった。
蒼は落ち着いてボールをクリアする。
その正確性に、観客席からも拍手が送られる。
「あのGK、1年生とは思えないな」
「読みが完璧だよ」
そのあとすぐ、成磐中に決定機が訪れた。
照先輩が中央からドリブルで仕掛ける。
力強いタッチでボールを前に運び、青刃中の守備陣を押し下げた。
そのパワーに、相手選手たちが後ずさりする。
「今だ!」
照先輩の強烈なシュートがゴールに向かって飛ぶ。
しかし青刃中のGKが横っ飛びでセーブ。
ボールはゴールポストに当たって跳ね返った。
「うわあああ!」
観客席から悲鳴のような声が上がる。
あと数センチでゴールだった。
「惜しい! でも良いシュートじゃった!」
照先輩自身が悔しそうに芝を叩く。
その悔しさが、チーム全体の攻撃意欲を高めた。
前半終了間際。
青刃中が猛攻を仕掛けてきた。
藍人が再び左サイドから切り込む。
今度は誠先輩との1対1の勝負だ。
「シュッ、カツッ、シュッ」
またあの美しいリズム。
藍人のスティックワークが誠先輩を翻弄する。
左に揺さぶり、右にかわし、一瞬の隙を突いてペナルティサークルに侵入した。
「危ない!」
緋色の心臓が早鐘を打つ。
藍人のシュートモーションに入った瞬間、蒼が大きく前に出た。
「読み勝った!」
蒼の的確な判断で、藍人のシュートコースを塞ぐ。
ボールは蒼のレガードに当たって外に出た。
「すげえ判断だ、蒼!」
照先輩が興奮して叫ぶ。
蒼の冷静さが、チームを救った瞬間だった。
第1クォーター終了。
スコアは0-0。
「お疲れ様。第2クォーターに向けて気持ちを切り替えましょう」
みち先生の穏やかな声が選手たちの心を落ち着かせる。
しかし、全員の目には闘志の炎が宿っていた。
第2クォーター開始。
両チームとも気迫が増していた。
序盤から激しい攻防が続く。
青い人工芝の上で、選手たちの足音と水しぶきが絶え間なく響いた。
開始5分。緋色にとって運命の瞬間が訪れた。
中盤でのボール争いから、照先輩がボールを奪取。
緋色は直感的に前に走り出した。
(僕には、僕だけのやり方があるはずだ――)
その瞬間、藍人の二重ドリブル「シュッ、カツッ、シュッ」がピッチ中央を切り裂く。
あの美しいリズム。
緋色は目を奪われ、そのリズムに合わせるように体が動いた。
そして――
視界の隅で金色の閃光が一瞬だけ走った。
「……えっ!?」
(見えた…今…パスコースが、光って見えた――)
薄っすらとだけれど、確かに光る線が見えた。
照先輩から自分へ、そして自分から誠先輩へ――。
まるで答えが空中に浮かんでいるみたいだった。
光の線は一瞬で消えたが、その軌跡は確かに緋色の網膜に焼き付いている。
緋色は思い切って前を駆け抜け、ワンタッチでボールを受け取る。
「いくぞ…!」
迷いなく、照先輩へパス。
瞬間の閃きが正確に的を射た。
そこから照先輩が鋭いシュートを放つ。
ゴォォォン!
ボールはネットを揺らし、成磐中が待望の先制点を奪った。
「やったぁぁぁ!」
チーム全体が歓喜に包まれた。
照先輩が緋色のもとに走り寄ってくる。
「緋色、今のパス最高じゃったぞ! どこ見てパスしたんじゃ?」
照先輩が興奮しながら緋色の肩を叩いた。
緋色は自分でも信じられない気持ちだった。
あの光は一体何だったのだろう。
先制点後、青刃中の反撃が始まった。
藍人を中心とした波状攻撃。
今度は本気モードに入った藍人のテクニックが炸裂する。
左サイドから中央へのカット。
「シュッ、カツッ、シュッ」のリズムが更に鋭さを増した。
まるで音楽を奏でるかのような美しいドリブルに、観客席がどよめく。
「うわあ、あの子すごい…」
「まるでダンスみたい」
藍人のドリブルが成磐中の守備陣を切り裂き、ペナルティサークル内でシュートチャンスを作り出した。
蒼が必死に角度を詰めるが、藍人のシュートは完璧だった。
サークル右隅に突き刺さる美しい一撃。
「同点!」
青刃中ベンチが総立ちになった。
藍人の技術に、成磐中の選手たちも感嘆せざるを得なかった。
「やるじゃないか」
誠先輩が小さくつぶやく。
その表情には悔しさと同時に、相手への敬意が込められていた。
試合は1-1で激しい展開に突入した。
両チームとも一歩も譲らない攻防が続く。
人工芝の上で繰り広げられる技術と体力の真剣勝負。
選手たちの息遣いが荒くなり、額に汗が浮かんだ。
第4クォーター中盤。
成磐中の勝ち越し点が生まれた。
照先輩の右サイドからの低いクロス。
完璧な軌道でサークル内に送り込まれたボールを、誠先輩がワンタッチでシュート。
「入った!」
成磐中が2-1で勝ち越し。
観客席から大きな歓声が響いた。
しかし青刃中も黙ってはいない。
残り時間わずかで猛攻を仕掛けてきた。
藍人のドリブルに加え、他の選手たちも次々と攻撃に参加。
成磐中ゴール前が騒然となった。
「集中! 最後まで気を抜くな!」
誠先輩の声がピッチ全体に響く。
成磐中の選手たちが必死にゴールを守る。
青刃中の連続攻撃。
シュート、こぼれ球、再びシュート。
蒼が体を張って何度もセーブを重ねる。
「蒼、頼む!」
緋色も含めた全員が蒼を信じて守備に回った。
青い人工芝の上で、究極の守備戦が展開される。
ラストプレー。
藍人の最後のシュートが飛ぶ。
蒼が横っ飛びで手を伸ばし――
「止めた!」
完璧なセーブ。
観客席が総立ちになった。
ブーッ!
試合終了のホーンが鳴り、2-1で成磐中の勝利。
藍人は汗まみれのまま緋色に近づき、握手を求めてきた。
その表情には清々しい笑顔が浮かんでいる。
「いい試合だった。…驚いたよ、あのパス。まだまだうまくなるよ!」
緋色は照れくさそうに笑い返しながら応じた。
「ありがとう。藍人くんの技術、本当にすごいと思う。僕も、もっと強くなりたい」
藍人の目が優しく光った。
「また一緒に練習しよう。僕も君から学ぶことがあると思うから」
二人の間に、確かな友情が芽生えた瞬間だった。
翌日の朝、みち先生は緋色に新たな目標を告げる。
「次はきっと青刃中はフルメンバーの県大会になるわ。また練習がんばりましょうね」
緋色は青い人工芝を見つめ、次の戦いへの決意を固める。
(次は、もっと強い相手に気後れせずに立ち向かう――)
あの金色の光は何だったのだろう。でも確かに、何かが変わり始めている。
――県大会での再戦。緋色はどんな成長を見せるのか?
夕暮れの人工芝に、新たな可能性の光が差し込んでいた。