第39話「ホムホムの道のり」
青成ダービーが終わり、いつもの練習が戻ってきた成磐中ホッケー部。
梅雨入り前の爽やかな午後、焔は青い人工芝の上でボールを転がしながら、ふと自分がここまで来た道のりを振り返っていた。
「焔、どうしたの?」
緋色先輩の声に我に返る。
「あ、緋色先輩。すみません、なんでもないです」
「そう?なんか遠くを見てるような顔してたけど」
緋色先輩が僕の隣に腰を下ろしてくれた。
「たまには昔のこと思い出すのもいいよね。そういえば焔はホッケー、いつから始めたの?」
「小学1年生の時からです。お父さんがホッケー選手だったので。物心つくころにはスティック握って、お父さんの試合を観に行ったりしてました。」
「へー、それじゃあ本当にサラブレッドなんだね」
緋色先輩の言葉に、僕は少し複雑な気持ちになった。
「そう…ですかね...。でも、僕が今ここまで来られたのは、お父さんのおかげだけじゃないと思うんです」
「どういうこと?」
「えーっと...」
僕は少し迷ってから口を開いた。
「緋色先輩、僕の昔の話、聞いてもらっても大丈夫ですか?」
「もちろん。聞かせてよ」
緋色先輩の優しい笑顔に、僕は安心した。
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――― 小学5年生の夏 ―― U12選考会 *U12は対外試合がないため選考のみ
「小学5年生の時、僕は1学年下なのにU12日本代表候補に選ばれたんです」
焔が語り始める。
「当時は『天才少年』って呼ばれて、『下級生なのにこんなに上手いなんて、僕ってすごいんだ』って。その時からU12のエースで毎試合2、3点は取って、チームメイトからも『ホムラすげー』『戦術はホムラだ』って言われてて...正直、調子に乗ってました」
緋色は黙って聞いている。
「でも、紅白試合の時に初めて『上には上がいる』ってことを思い知らされたんです」
「そんなに上手な選手がいたの?」
「はい。…島根の神門 颯真がいたんです」
その名前を聞いて、緋色の表情が少し変わった。
「颯真が...やっぱり小学生の時からすごかったんだ」
「小学6年生で、既にU15代表の最有力候補って言われてました。僕が見た中でも、別格でした」
焔は当時を思い出すように空を見上げた。
「試合が始まって、僕は得意の3Dドリブルで先制ゴールを決めたんです。『なんだ、年上相手でも楽勝だな』って思ってました」
「すごいじゃん!」
「でも前半の終わり位から颯真が本気を出したんです。正確なパス、完璧なゲームメイク、そして何より...僕の動きを完全に読まれてました」
焔の声が少し沈む。
「最終的に、僕たちは3-5で負けました。僕は3点取ったのに、チームは負けたんです」
「一人で3点も取ったのに負けたの?」
「今思えば僕が個人プレーばかりしてたから、チーム全体のバランスが崩れてたんだと思います。颯真はそれを見抜いて、自分では無理にいかず見方の選手を使って点を取ってました」
緋色は頷いた。
「成磐中に入ってからやっと気づいたんです。僕は『一人で点を取る選手』だったけど、あの時の颯真は『チーム全体を強くする選手』だったって」
「なるほど...」
「あ、でも島根には他にも印象に残った選手がいて」
「他にも?」
「体格の良いDFがいたんです。背は高いし、足も速そうでした。でも、その時の僕には『まあ、普通かな』程度にしか見えなくて」
焔は少し申し訳なさそうに笑った。
「今思えば、きっとその選手にも失礼なことを考えてたんだと思います」
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「でも、小学6年生になったら状況が一変したんです」
焔の表情が少し曇った。
「颯真は中学に上がって、僕と同世代で僕に対抗できる選手がいなくなって...」
「ということは?」
「完全に僕の無双状態でした。どのチームと戦っても、相手は僕を止められない。3人も4人もマークに付けてくるんですけど、それでも簡単に抜けちゃって」
焔は苦笑いを浮かべた。
「正直、つまらなかったです。『こんなに簡単でいいのかな』『僕ってもしかして、もうホッケー極めちゃった?』なんて思ってました」
「そっか…そこまで差があったら、そう思っちゃうのかもなぁ」
「はい。だから中学に上がる時も『成磐中なら余裕だろう』って完全に舐めてました」
焔は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「部活紹介の時も『僕が入ればチームは絶対強くなる』くらいに思ってて。『絶対、日本一のストライカーになります!』なんて宣言したのも、実は本気で簡単だと思ってたからなんです」
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「それで、実際に練習が始まったらどうだった?」
「全然だめでした」
焔は苦笑いを浮かべた。
「基礎練習でも、3対3のミニゲームでも、小学生の時のようにはいかない。複数人のマークに対応できないし、チームプレーなんて全然分からなくて」
「そうだったんだ」
「パワーやスキルって小学生と中学生は全く違っていて。特に驚いたのが、緋色先輩たちのレベルの高さでした。連携は完璧だし、個人技術も僕が思ってたより遥かに上で」
焔は緋色を見つめた。
「その中でも、緋色先輩は特別でした。僕が『日本一になる』って宣言した時、他の先輩たちはいつも見てきた『すごいやつがいる』って感じだったんですけど、緋色先輩だけは『負けないぞ』みたいな表情をしてて」
「えっ…そんな顔してたかな」
「はい。その時、『この先輩は手ごわいライバルになるかも!』って初めて思ったんです。そういう視線ってなかなか今まで感じてこなかったので。」
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「それで、緋色先輩が教えてくれたんです。『全部自分でしなくてもいい』『仲間に頼ってもいい』って」
「覚えてるよ。焔は最初は全部自分でしようとして、困まってたもんね。」
「はい。だって、小学生の時はいつも『焔がドリブルで抜いて点を取る』のが当たり前だったから。『仲間に頼る』なんてほとんど考えたこともなかったです」
「それがなんで変わったの?」
「緋色先輩とのパス練習です。『今度は君がフリーになったら合図して。僕がパスを出すから』って言われて、実際にやってみたら...」
焔の目が輝いた。
「すごく気持ちよかったんです。自分で運んでシュートするのとは全然違う、すごい新鮮な感覚でした」
「へぇ…そうだったんだ」
「緋色先輩のパス、本当に取りやすくて。『ああ、これがチームプレーなんだ』って初めて理解できました」
「でも、その時の焔はまだ完全には変わってなかったよね」
「はい...実は、心のどこかで『でも結局、僕が決めるんだから』って思ってたんです。チームプレーも『僕が点を取るための手段』くらいにしか考えてなくて」
焔は正直に続けた。
「本当に変わったのは、青成ダービーでした」
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「青成ダービーでの雷太くんとの対戦で、僕は初めて本当の意味でチームプレーを選んだんです」
焔の表情が引き締まった。
「雷太くんは僕のことを『永遠のライバル』って言ってくれて、すごく一生懸命僕と勝負しようとしてくれました」
「雷太は真剣だったね」
「はい。小学生の頃の僕だったら、絶対に雷太くんと一対一で勝負して、個人技で圧倒してたと思います。それが『当たり前』だと思ってたから」
「でも今回は違ったんだ?」
「はい。緋色先輩からのパスを受けて点を取った時、『ああ、僕はもう一人じゃないんだ』って心から実感したんです」
焔は緋色を見つめて続けた。
「小学5年の時に颯真に負けた理由が、やっと分かりました。僕は『一人で戦う選手』だったけど、颯真は『みんなで戦う選手』だった」
「そっか!んじゃ今の焔は?」
「今の僕は...『仲間と一緒に戦う選手』です!…になれたと思います」
焔は笑って答えた。
緋色は満足そうに頷いた。
「それに、雷太くんみたいに僕のことをライバルだと思ってくれる人がいるのも、嬉しいです。小学6年の時は『ライバルがいなくてつまらない』って思ってたけど、今は違います」
「どう違うの?」
「今は、みんながお互いを高め合ってるんです。雷太くんも、藍人先輩も、きっと颯真も。僕も、緋色先輩に教えてもらいながら成長できてると思うし。刺激されて成長してるのはきっと僕だけじゃないと思うので」
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「次は県大会、中国大会とあるから、焔の成長したとこを見せなきゃいけないね!」
緋色が言うと、焔は力強く答えた。
「僕は、緋色先輩たちと一緒に全国を目指したいです。もう『僕が』じゃなくて『僕たちが』です」
「頼もしいね」
「でも、個人としても成長したいです。チームプレーができても、僕の1番得意なプレーはドリブルやシュートなどの個人技なので」
焔は立ち上がって、スティックを握り直した。
「緋色先輩、もう一度あの連携練習、やってもらえませんか?」
「もちろん」
緋色も立ち上がる。
「今度は、僕からのパスも出せるように練習したいんです」
「いいね。それじゃあ、お互いにパスを出し合う練習をしてみよう」
二人は再び青い人工芝の上に立った。
夕日が校舎の向こうに傾く中、師弟は新たな連携の形を模索し始めた。
焔は確信していた。
小学5年で颯真に負けた悔しさ、小学6年の慢心、そして中学で学んだチームプレーの大切さ。
すべてが今の自分を作ってくれた。
この仲間たちとなら、きっと県大会でも、その先でも、素晴らしい戦いができる。
一人では限界があるけれど、みんなとなら──
「よし、焔。今度は僕が走るから、タイミングを合わせてパスを出してみて」
「はい!緋色先輩!」
二人の声が、グラウンドに響いた。
県大会まで、あと数週間。
新しい焔と、新しいチームで挑む戦いが、もうすぐ始まる。