第28話「市長杯 開幕」
青い人工芝の上に、冬の朝の冷たい空気が漂っていた。
11月下旬、市長杯の会場となった青刃中のホームタウンの人工芝には、西日本各地から集まった24校の選手たちが緊張した面持ちで準備を進めている。
「緋色、大丈夫かー?」
照が声をかけてくる。
「はい。なんだか、久しぶりに胸が高鳴ってます」
緋色は深呼吸をして、対戦相手のアップ風景を見つめた。
京都朱雀中学校。
関西の強豪として知られているが、その評判には少し影がさしていた。
「あいつら、また何かやってきそうだな」
塁斗が低い声で呟いた。
「前の試合でも、審判の見えないところでいろいろやってたからな」
「大丈夫」
緋色が静かに答えた。
「今の僕なら、きっと対応できると思います」
―――
―――大会前。
「市長杯の組み合わせが発表されました」
みち先生が部室にみんなを集め、手に持った紙を見つめていた。
「Eブロック...成磐中学校、長崎県の海星中学校、京都府の朱雀中学校」
「長崎と京都か」
照が頷いた。
「どっちもやったことないけん楽しみじゃな!名前聞いただけでも手強そうじゃしー」
「そして...」
みち先生の表情が少し曇った。
「Gブロックに、シューティングレイヴ広島が入ってるわ」
部室の空気が一瞬で張り詰めた。
中国大会で1-7という屈辱的なスコアで敗れた相手。
堂島迅という全国レベルのエースがいたチーム。
「ということは...」
緋色の声が震えた。
「もしお互いにブロックを勝ち抜けば、決勝トーナメントで当たる可能性があるってことじゃな」
照の言葉に、全員が黙り込んだ。
「でも、それは僕たちがブロックを勝ち抜いた場合の話です」
緋色が立ち上がった。
「まずは目の前の試合。一戦ずつ、全力で戦いましょう」
誠から託されたバトンの重みを、改めて感じていた。
「そうじゃな!」
照の声が弾んだ。
「今度こそ、俺たちの本当の力を見せてやろうぜ!」
2年生DFの浦田 塁斗も頷いた。
「俺も、誠先輩がいなくなった分、しっかりと守備を頑張らないとな」
緋色は、仲間たちの頼もしい表情を見回した。
(今度こそ、みんなの期待に応えたい。信じよう、自分も味方も!)
―――
そして成磐中のEブロック、第1戦目が始まった。
笛が鳴り響き、試合開始。
「よっしゃ、行くぞー!」
「おーーー!」
照の掛け声に、成磐中のメンバーが一斉に声を上げた。
京都朱雀中は、開始早々から独特の戦術を見せてきた。
一見普通のパス回しに見えるが、何かが違う。
相手選手が緋色に近づいてきた瞬間、わざと肘が当たった。
「あっ」
「すみません、すみません」
相手選手は謝るが、その目に反省の色は見えない。
審判は気づいていないようだった。
(やっぱり...)
緋色は目を閉じてみた。
まぶたの裏に、薄っすらと青い光が見える。
相手の表情、動き、そしてその奥にある意図。
(この人、最初から僕を狙ってる?)
(ボールとは関係ないところで、プレッシャーをかけてくるつもりだ)
青い光が、相手の気持ちを教えてくれるみたいだった。
以前の金色の光とは少し違う、新しい感覚だった。
パスコースが見えていた金色の光から
相手の気持ちがなんとなく感じられる青い光へ。
緋色の能力は、徐々に変わっていった。
相手が再びプレッシャーをかけてくる。
でも今度は、緋色は冷静だった。
「照先輩、右に動いて!」
緋色の指示に、照が素早く反応した。
相手選手が緋色に向かってきた瞬間、緋色は既にボールを照にパスしていた。
「えっ?完全に読まれて…」
相手選手が驚いた表情を見せた。
「やるじゃんか!」
塁斗が低く笑った。
「相手の手の内が見えてるみたいだな」
試合は序盤から、成磐中のペースで進んだ。
京都朱雀中の選手たちは、いつものような心理的プレッシャーが効かないことに困惑していた。
「何だあいつ...なんで全部バレてるんだ」
相手選手同士がヒソヒソと話している。
それすらも、緋色には聞こえていた。
第1クォーター 中盤
京都朱雀中が本格的な攻撃を仕掛けてきた。
相手エースが巧妙なドリブルで成磐中の守備を抜けようとする。
その時、塁斗が冷静に間合いを詰めた。
「右に行かせろ!」
塁斗の指示で、緋色は相手を寄せるためにポジションを調整する。
誠がいた頃は、黙々と自分の役割をこなしていた塁斗だったが、今は違った。
チーム全体を見渡し、声をかけ続けている。
「緋色、下がって中盤をフォローしろ」
「照、左サイドの4番がお前のマークだぞ」
背番号3番の塁斗は、まさに新しい成磐中の守備の要になっていた。
相手エースが強引にシュートを放ったが、塁斗が完璧なポジション取りでブロック。
「ナイス、塁斗!」
照が叫んだ。
「やっぱり頼りになるぜー!」
塁斗は誠ほど派手なプレーはしないが、確実に危険な芽を摘み取っていく。
そして何より、チーム全体のバランスを保つ最後の砦として機能していた。
(塁斗先輩がいるから、僕は安心して前に出られる)
緋色は改めて、チームメイトの成長を実感していた。
決定的な場面が訪れた。
照がボールを持って突進する。
相手ディフェンダーが、明らかに危険な後ろからの守備を仕掛けようとした瞬間—
「照先輩、右に進んで!」
緋色の声が響いた。
照が急にコースをかえると、相手選手は後ろからチャージして照は転倒した。
「今のは完全に後ろからだろ」
審判が即座にPCを告げ*グリーンカードが相手チームの選手に出された。
*グリーンカードは1分間の退場処分
「危険な行為はだめだ!次はもっと厳しい処分になるよ!」
審判が告げる。
成磐中の選手たちは照を心配したが、照自身は動揺していなかった。
緋色が相手の意図を事前に察知して、早めに指示を出してくれたおかげで対処ができていたからだ。
「ナイス指示じゃ、緋色!!」
照が感謝の表情を見せた。
「今のでこっちの大チャンスじゃ!このPC決めるで!」
このPCを照がきっちり決め、先制点をもぎ取った。
1-0。
第1クォーター 終了間際。
緋色は確信していた。
金色の線で技術を読んでいた以前とは違う。
あの挫折から今まで練習で培ってきた基礎技術に加え、周りの人たちをしっかり感じる新しい感覚。
(この青い光は、きっと僕の新しい道しるべになってくれる)
(みっちゃんとお母さんから教わったことが、ホッケーで使えてる)
試合はその後、成磐中のペースで進んだ。
緋色に心理を完全に読まれた京都朱雀中は、本来の戦術が通用せず、徐々に崩れていく。
第2クォーターには照が追加点、第3クォーターには緋色のアシストから塁斗が初ゴールを決めた。
「やったぜ、塁斗!」
照が喜んだ。
「今度は攻撃でも活躍じゃな」
最終スコアは3-0。
緋色の新しい能力が遺憾なく発揮された、完勝だった。
―――
試合後、成磐中の選手たちは清々しい表情でピッチを後にした。
「緋色、今日のプレー、すごかったぞ」
塁斗が声をかけた。
「相手の動きが全部読めてるみたいだった」
蒼が言う。
「まだまだなんだけど...でも前よりも確実に変わってきてる気がするんだ」
緋色は自分の手を見つめた。
青い光で見えてきた周りの心。
以前の金色の光とは全く違う、新しい世界が広がっていた。
「次は2時間後に長崎の海風中です」
みち先生が試合結果を確認しながら言った。
「あそこも手強いチームよ。朱雀中にも2-0で勝ってる。でも今日の調子なら...」
その時、みち先生の表情が突然変わった。
「えっ...まさか」
人混みの向こうから、見覚えのある人影が近づいてくる。
30歳前後の女性で、温かそうな笑顔を浮かべていた。
「みちちゃん!」
その声に、みち先生は驚いた。
「ゆのちゃん!?」
二人は駆け寄って、嬉しそうに抱き合った。
「どうしてここに?まさか...」
「そう、長崎海風中のコーチしてるの。ほんとは用事でこれなかったんだけど、成磐中と…みちちゃんのチームと戦えるって聞いて急遽来させてもらったの!」
街田ゆのコーチ。みち先生とは岡山にいたころの成年チーム時代からの知り合いで、現在は長崎に戻りホッケーの指導に携わっている。
「ということは...」
緋色が呟いた。
「次の対戦相手のコーチ?」
街田先生は緋色たちの方を見て、温かく微笑んだ。
「みちちゃんのチームね。さっきの試合、見させてもらったわよ」
「どうだった?」
みち先生が自信をもって尋ねた。
「すごく良いチームじゃない!特にあの8番の子」
街田先生は緋色を見つめた。
「相手の心を読むような、不思議な感覚を持ってるのね」
緋色は驚いた。
試合を見ただけで、自分のプレーに気づかれていた。
「次の試合、楽しみにしてるわ」
街田先生は優しく言った。
「もちろ。うちの子たちも負けないわよ!」
みち先生と街田先生は懐かしそうに話し続けたが、緋色の胸の奥では新たな緊張が高まっていた。
長崎県の海風中学校。
街田先生が指導するチーム。
きっと、京都朱雀中とは全く違ったチームなのだろう。
(次の試合もあの光に頼りすぎず、これまでの練習の成果を見せるんだ)
緋色は青い空を見上げながら、次の戦いに向けて心を整えていた。