第27話「見る目」
みっちゃんが岡山に来てから一週間が過ぎた。
「みっちゃん、今日は一緒に買い物に行きましょ?」
けいの提案で、三人は商店街に向かった。
秋の午後、商店街は買い物客で賑わっていた。
「あら、美味しそうな野菜ねー」
八百屋さんの前で、けいが立ち止まった。
「あの女性、すごく真剣に野菜を選んでるわね」
けいの目線の先には、30代くらいの女性が、キャベツを何個も手に取って確かめている姿があった。
「へー、料理が好きなんだね」
緋色が何気なく言った。
「、、、多分違うさー!」
みっちゃんが杖をコツンと地面に突いた。
「あの人、料理好きじゃないさー」
「えっ?」
緋色は驚いて女性を見直した。確かに野菜を真剣に選んでいるように見えるが...
「見てごらん、緋色。表情をよーく見るのよ~」
みっちゃんの指摘で、改めて女性を観察してみる。
確かに、何かに迷っているような、困ったような表情をしていた。
「実は料理初心者で、必死にどれがいい野菜なのか頑張って選んでるのよー」
みっちゃんがふふっと笑った。
「あんたの見方も面白いねー、緋色」
「私は全体的な動きから判断してたけど、みっちゃんは心の中をきっと見てるのね」
けいは笑いながらも感心したような表情だった。
「両方大切さー。でも緋色、これって特別なことじゃないのよ~?」
「えっ?」
三人は商店街を歩きながら、いろんな人を観察し続けた。
肉屋さんの前では、おじいさんが値段を気にしている様子。
けい:「これはきっと家族分の量を計算してるわね」
みっちゃん:「でも心配そうさー、きっと高いお肉選んでお財布と相談してるさ~」
緋色:「あ...確かに財布を何度も確認してる」
ベンチに座っている中年男性。
けい:「あの人、疲れて休憩してるように見えるわね」
みっちゃん:「違うよー、きっと誰かを待ってて、なかなか来ないんで少し不安になってきてるんじゃないかなー」
緋色:「確かに時計を見る回数が多いかも...」
だんだんコツを掴んできた緋色だったが、時々大きく外すこともあった。
「あ!!あの学生、勉強で疲れてる!」
「うーん、あれは恋の悩みっぽいねー」
みっちゃんが苦笑い。
「あはは、人間はそう簡単じゃないのよ」
けいも笑った。
パン屋さんの前で一休みしているとき、みっちゃんが緋色に尋ねた。
「緋色、チームメイトのことはどう見えてるの?」
「えっ?蒼は真面目だし、照先輩は熱いし...」
「ほら、もう見てるじゃない」
けいが口を挟んだ。
「蒼くんの守備位置の取り方とか、照先輩の動きとか」
「照くんが怒ってるとき、本当は何を考えてるか分かるかいー?」
みっちゃんが続けた。
緋色は少し考えた。
「あ...そういえば、チームのことを心配してるときかも。僕たちが気持ちで負けそうになると、いつも以上に声をかけてくれるし」
「それよ」
けいの声が弾んだ。
「普段からやってることなのよ」
「だから難しく考えなくていいさー」
みっちゃんが優しく言った。
「もっと自然に、もっとその人のこと深く見るだけよー」
「でも...」
緋色は戸惑った。
「僕、技術のことばかり考えてて。相手のプレーパターンとか、自分のパスコースとか」
「それも大切なのよ」
けいが頷いた。
「でもね、その奥にある相手の気持ちも見えるようになったら...」
「相手の本当の狙いが分かるさー」
みっちゃんが続けた。
「技術だけじゃ読めない心理的な部分がね」
―――
緋色は、先日の練習を思い出していた。
蒼の真剣な表情の奥にある、守り抜くというチームへの想い。
照の熱血的な言動の裏にある、後輩たちへの愛情。
誠の静かな佇まいに隠された、強いリーダーシップ。
「あ...」
何かが腑に落ちた瞬間だった。
「もしかして、僕...みんなのことを見てるつもりで、実は表面しか見てなかったのかも」
「良いことに気づいたねー」
みっちゃんが嬉しそうに微笑んだ。
「人は一人一人、心の奥に大切なものを持ってるのよ」
けいが穏やかに言った。
「それを理解しようとする気持ちが、本当のチームワークに繋がるのよ」
夕日が商店街を優しく照らしていた。
帰り道、緋色は歩きながら考えていた。
(相手を理解する、仲間を理解する)
(技術だけじゃない。心の中も見ようとする)
(でも…決めつけちゃダメ。いつも理解しようとする気持ちを持ち続ける)
ふと目を閉じた瞬間、まぶたの裏に薄っすらとした光が見えたような気がした。
金色ではなく、静かな青い光だった。
「あ...」
目を開けて辺りを見回したが、特に変わったものは見当たらない。
でも、心の中に何か新しいものが芽生えたような、そんな感覚があった。
「どうしたの、緋色?」
けいが心配そうに声をかけた。
「ううん、なんでもない」
緋色は微笑んだ。
「ただ...なんか、なんか新しいことが分かったような気がして」
みっちゃんとけいは顔を見合わせて、嬉しそうに笑った。
「それは良かったさー」
「きっと、これからもっと見えてくるわよ」
三人は夕暮れの道を、ゆっくりと家に向かって歩いていった。
―――
翌日の放課後練習。
緋色は昨日みっちゃんとけいから学んだことを思い出しながら、グラウンドに向かった。
(人を見る、気持ちを理解する)
(きっと、ホッケーでも使えると思う)
青い人工芝に到着すると、いつものメンバーが準備運動をしていた。
「おう、緋色!今日も頑張るぞー」
照が声をかけてくる。
「はい!」
いつもと同じ挨拶だったが、緋色は照の表情をよく観察してみた。
(照先輩、いつもより少し疲れてるかな?でも元気に振る舞ってる)
「それでは、今日は女子チームと合同練習をします」
みち先生が声をかける。
「男女とも3年生が抜けたので人数が減ったから、一緒にやりましょう」
女子チームが人工芝の向こう側からやってきた。
先頭にはえみの姿が見える。
「ひいろくん!」
えみが手を振ってくる。
その笑顔を見て、緋色は昨日の商店街でのことを思い出した。
(いつも笑顔をくれるえみちゃんのことも、わかったらいいな)
「それじゃあ、紅白戦をやりましょう!男女混合で」
みち先生の提案で、チーム分けが始まった。
緋色はえみと対戦することになった。
「よろしく!えみちゃん」
「こちらこそ!でも手加減しないよー」
えみの目がいたずらっぽく光った。
試合が始まると、緋色は意識的に相手の動きだけでなく、気持ちも読もうとした。
えみがボールを持って向かってくる。
その瞬間、緋色の視界に薄っすらと光る線が見えた。
金色の線だった。
(あ…!光る感覚が前よりも戻ってきてる)
でも、それだけじゃなかった。
えみの表情を見つめていると、目を閉じなくても、青い光がほんのり見えるような気がした。
(えみちゃん、左に行くふりをして、実は右に抜けるつもりなのかな)
技術的には左の光る線が見える。
でも心を読むと、えみの本当の狙いは右のような気がする。
緋色は迷わず右に体重を移してブロックした。
「えっ!?」
えみが驚いた声を上げた。
完全に読まれていた。
「ひいろくん、今の...どうして分かったの?」
「えっと...なんとなく?」
緋色自身もよく分からなかった。
でも確かに、金色の線と青い光の両方が見えたような気がした。
試合は続く。
緋色の新しい感覚は、まだ安定していなかった。
時々見えるけれど、時々見えない。
でも、明らかに何かが変わっていた。
「ひいろくん」
試合後、えみが緋色に声をかけた。
「なんだか、違う感じがする」
「えっ?」
「前とはなんか周りの見方が変わったような...よくわかんないけど、心を読まれてるような?」
「そう...かな?」
緋色は曖昧に答えた。
でも、心の中では確信していた。
昨日みっちゃんとけいから学んだことが、少しずつホッケーでも使えるようになってきている。
「市長杯まで、あと2週間ね」
えみがふと呟いた。
「ひいろくん、きっと今度は良い結果が出ると思うよ」
「ありがとう、えみちゃん」
緋色は微笑んだ。
金色の線と青い光。
技術と心の理解。何かがつながっている。
夕日が人工芝を照らす中、緋色は市長杯への期待を胸に、練習道具を片付けていた。
まだ完璧じゃないけれど、新しい可能性を感じて。