第26話「託されたバトン」
北海道から帰ってきて三日が経った。
秋の岡山は、まだまだ寒くならず快適に過ごせる気温だった。
緋色は自分の部屋で、机の上に置かれた凜太郎からの手紙を見つめていた。
『緋色へ
北海道で過ごした時間、本当に楽しかった。
来年の全国大会で必ず会おうな!
約束、絶対に忘れない。一緒にU15を目指そう!
凜太郎』
短い文章だったが、その一文字一文字に込められた想いが伝わってきた。
(凜太郎...)
緋色の胸の奥で、温かい気持ちが湧き上がった。
北海道での三日間はあっという間だった。
母・けいの現役時代の映像、凜太郎との夜通しのホッケー談義、そして交わした約束。
「来年の全国で会おう」
「U15でも一緒に戦おう」
その言葉が、今でも緋色の心に強く響いている。
しかし、現実は厳しかった。
岡山県11人制選抜ではメンバー外という事実は変わらない。
『そして、補欠メンバーとして...相原 緋色』
あの言葉を思い出すたびに、胸の奥がキリリと痛んだ。
補欠。
技術は確実に向上していた。光る感覚も安定してきていた。
そして、、、暴走してしまった。
あの時は正選手に選ばれることは難しかっただろうな。
(でも今は...)
緋色は深く息を吸った。
(凜太郎との約束があるじゃないか)
北海道で感じた、あの純粋な楽しさ。
ホッケーへの情熱が、再び心の中で燃え上がり始めていた。
(僕は諦めない。絶対に諦めないぞ)
翌日の朝練習。
いつもより早く家を出た緋色は、朝の少し冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
いつもの練習場の青い人工芝が、朝露に濡れてキラキラと輝いている。
「おはよう、緋色」
振り返ると、誠が既に準備運動を始めていた。
「おはようございます、誠先輩」
「北海道はどうだった?」
「...新しい目標と友達もできて、とても良い経験になりました!」
緋色の表情に、以前とは違う何かを感じ取ったのか、誠は優しく微笑んだ。
「そうか。それは良かったな」
他の部員たちも次々と到着し、いつものように練習が始まった。
パス練習、シュート練習、対人練習。
基本的なメニューだったが、緋色は一つ一つの動作に集中していた。
(やっぱり基礎動作。今一番大切なのはきっとここだ)
練習中、ふと視線を上げると、薄っすらとした光が見えたような気がした。
「あ...」
でも、すぐに消えてしまう。
北海道から帰ってから、時々こんなことがあった。
光る感覚が戻ってきてる?でも曖昧で捉えどころのない…。
(気のせいかな...)
緋色は首を振って、再び練習に集中した。
今は、目の前のことに全力で取り組むことが大切だった。
「よし、今日は練習ゲームをしていきましょう」
みち先生の声に、部員たちの表情が引き締まった。
紅白戦が始まった。
緋色は、いつものようにゲームメイクに集中していた。
でも今日は少し違った。
仲間たちの動きを、より注意深く観察していた。
蒼の守備位置、照の攻撃パターン、他の1年生たちの特徴。
(みんな、それぞれに良さがあるんだな…あ!いい走りだし)
そんな当たり前のことに、改めて気づいた。
練習が終わった後、緋色は一人でボールタッチの練習を続けていた。
「コツッ、コツッ」
スティックとボールが奏でる、心地よいリズム。
「緋色」
振り返ると、誠が歩いて来た。
「県代表の試合、見に来るのか?」
「はい、もちろんです」
緋色は迷わず答えた。
結局補欠として選ばれたが変更はなく参加することはかなわなかった。
だがせめて誠の最後の県代表での戦いを、この目に焼き付けたかった。
「そうか。ありがとう」
誠の表情は、どこか安堵したような、そして少し寂しそうでもあった。
「俺、もうすぐ引退だからな」
「...はい」
「でも、お前たちがいるから安心だ」
誠は緋色の肩に手を置いた。
「特に緋色、お前は必ず上手くなる。俺にはわかる」
その言葉に、緋色の胸が熱くなった。
「誠先輩...」
「来年は、お前がこのチームを引っ張る番だ」
誠の瞳には、静かな確信が宿っていた。
「頑張れよ」
夕日が人工芝を赤く染める中、二人は黙って立っていた。
世代交代の時が、確実に近づいていることを、二人とも感じていた。
―――
それから一週間が過ぎた。
岡山県11人制選抜の試合当日。
緋色は観客席から、誠の県代表としての最後の戦いを見守っていた。
一回戦を突破し、2回戦の相手は滋賀県代表。全国でも屈指の強豪県だ。
「頑張れー!誠先輩!」
緋色は精一杯の声援を送った。
ベンチにも入れないという現実は悔しかった。
でも今日は、誠の雄姿をこの目に焼き付けることが何より大切だった。
試合が始まると、誠の存在感は圧倒的だった。
正確なパス、的確な判断、そして何より、チーム全体を見渡し声をかけ続けるリーダーシップ。
「すげぇ...」
緋色は食い入るように見つめていた。
これが県代表レベル。これが誠の真の実力。
前半、岡山県が1点を先制した時、誠が拳を上げてチームを鼓舞する姿は、まさに真のキャプテンだった。
しかし、後半に入ると滋賀県の猛攻が始まった。
2-1で逆転を許し、さらに追加点を取られて2-2。
終了間際、岡山県に最後のチャンスが訪れた。
ペナルティーコーナー。
緋色は手に汗を握って見守った。
誠のプッシュパスが味方に渡り、タッチシュートが放たれた。
しかし、惜しくも相手GKの好セーブに阻まれた。
試合終了のホイッスル。延長戦はなくPS戦。
惜しくも敗れてしまい、岡山県の2回戦敗退が決まった。
観客席の緋色は、悔しさで胸が張り裂けそうだった。
(誠先輩...)
フィールドでは、誠が仲間たちと健闘を称え合っていた。
その表情は清々しく、全力を出し切った満足感に満ちていた。
―――
試合から数日後。
成磐中の放課後練習。
緋色は、誠から託されたバトンの重みを感じながら練習に臨んでいた。
(来年はお前がチームを引っ張れ)
その言葉が、今でも胸に響いている。
でも、どうすればチームを引っ張れるのだろうか。
パス練習中、ふと視線を上げると、また薄っすらとした光のようなものが見えた。
以前の「光る感覚」とは違う、もっと曖昧で柔らかい光。
(あれは何だろう...)
でも今は、基礎練習に集中しよう。
緋色は意識的に周りを見回した。
蒼の真剣な表情、照の気合いの入った動き、他の1年生たちの成長。
みんな、それぞれに一生懸命だった。
「ひいろくんー、こっちこっち!」
えみの声に振り返ると、女子部の練習が終わったようで、えみが手を振っていた。
「お疲れさま、ひいろくんにお客さんだよ!」
「お疲れさまー…て、え?」
部室の前にみっちゃんが立っているのが見えた。
「みっちゃん!?」
「やーいー、緋色!元気だったかい~?」
みっちゃんは相変わらずの沖縄弁で、杖をついて歩いて来た。
「どうしたの?急に」
「ちょっと緋色の顔が見たくなっちゃってさー」
みっちゃんは優しく微笑んだ。
「北海道はどうだった?良い経験になったみたいだね」
「うん...すごく良い友達ができたんだよ!」
「それは良かった。でも、なんだか少し悩んでるような顔をしてるねー」
さすがみっちゃんだった。緋色の心の内を見透かしている。
「さすがみっちゃん…実は...」
緋色は、11人制選抜で補欠になったこと
誠からバトンを託されたこと
でもどうすれば良いのかわからないことを正直に話した。
みっちゃんは黙って聞いていた。
「そうかい...緋色は責任感が強いねー」
「でも、僕なんかが誠先輩の代わりなんてできるのかな...」
「緋色」
みっちゃんは緋色の手を取った。
「みんなを見てごらん?」
「えっ?」
「ほら、あそこで片付けをしてる蒼くん、照くん、それから...」
みっちゃんは練習を終えた部員たちを指差した。
「みんな、それぞれに一生懸命でしょ?」
「うん...」
「でもね、みんなもきっと、ちゃんと緋色のことを見てるよ」
みっちゃんの言葉に、緋色はハッとした。
「緋色が頑張ってる姿、成長してる姿、悩んでる姿...全部、仲間たちは見てるのさ」
「みっちゃん...」
「技術だけじゃダメさー。相手の気持ち、仲間の気持ち、わかるかい?」
「誠くんの代わりじゃなく、緋色のできることを一生懸命にするさ~」
その瞬間、緋色の視界に、また薄っすらとした光が見えた。
でも今度は少し違った。
仲間たちの表情、動き、そしてその奥にある想い...
それらが、微かに光って見えるような気がした。
「あ...」
「どうしたの?」
緋色の変化に気づいて、えみが心配そうに声をかけた。
「いや...なんでもない」
緋色は首を振った。
でも、心の中では確信していた。
みっちゃんの言葉が、何か大切なものに気づかせてくれた。
技術だけじゃない。
相手を見る、仲間を見る、みんなの心を理解する。
それが、本当の自分に必要なことなのかもしれない。