第25話「新たな約束」
結婚式は札幌市内のホテルで行われた。
緋色にとっては初対面の親戚ばかりだったが、けいが嬉しそうにしているのを見ているだけで十分幸せだった。
新郎新婦の幸せそうな笑顔、温かい拍手、感動的な誓いの言葉。
「綺麗だったねー」「そだねー」
式が終わると、けいが満足そうに言った。
「これから二次会もあるけど、緋色はおじいちゃんの家で待ってて。凜太郎くんも一緒に来てくれることになってるから」
「本当?」
緋色の顔がパッと明るくなった。昨日の約束を覚えていてくれたのだ。
夕方、祖父の家に戻ると、既に凜太郎が母の雪乃と一緒に到着していた。
「緋色!」
「あっ凜太郎!」
二人は再会を喜び合った。
「少し休憩してからいきましょ」
けいがみんなを家へ招き一休みすることになった。
ーーー
部屋でリラックスしていると、けい、由里と雪乃の笑い混じりの声が聞こえてきた。
「ねえけい、U18の中央トレセンで他競技との合同合宿があったこと、覚えてる?」 由里の声だ。
「もちろん。あの時に…巧真さんと会ったんだー」
けいの声に、懐かしさが滲む。
緋色は思わず耳を澄ました。(タクマ…父さんのことかな?)
「全体の戦術講義の後にさ、巧真くん、いきなりけいさんに質問してきたよね」
雪乃が笑う。
「『あのパスした瞬間、どこ見て、何考えてたんですか?』って」
「ふふ…あんなのが最初の出会いになるなんて、思わなかったけどねー」
けいが少し照れたように言った。
「変わった人だったけど、真面目で熱心だったな」
「今となっては笑い話だけど、あの頃から不思議な縁があったんだよね~」
由里の声が柔らかく響く。
「あ、お茶出すね!」
けいの明るい声が空気がふっと軽くした。
―――
「それじゃあ、私たちは二次会に行ってくるから」
けいが玄関で説明する。
「お父さん、お願いねー」
「任せておけ」
祖父の正一が頷く。
「久しぶりに孫の相手ができるんだ。お前らはしっかり楽しんでこい」
親たちが出かけると、家の中は静かになった。
「一晩、お世話になります」
凜太郎が丁寧に挨拶する。
「おう!気を使わなくていい、凜太郎くんも来てくれてありがとうな。緋色がとても楽しみにしてたんだ」
正一は温かい笑顔で迎えてくれた。
夕食を済ませた後、正一が思い出したように言った。
「そうそう、緋色。お前に見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの?」
「お母さんの現役時代の映像だよ。見たことないだろ?昔のビデオテープをDVDに焼いたのがあるんだ。」
緋色は北海道に来るまで、母親が元アスリートだったことを知らなかった。
正一がテレビの前にDVDプレーヤーを用意すると、凜太郎も興味深そうに近づいてきた。
「僕も見ていいですか?」
「もちろんだ。雪乃ちゃんも一緒に写ってるからな。2人とも地元では名の知れた元トッププレーヤーだったんだ」
画面に映し出されたのは、20年近く前のアイスリンクの光景だった。
若いけいが、颯爽とリンクを滑っている。
「うわ、お母さん若い!」
緋色が思わず声を上げた。
映像の中のけいは、今では想像できないような鋭いく力強い滑りを見せていた。
パックを正確にコントロールし、仲間にパスを送り、時には果敢にシュートを放つ。
「すごい!!!全然動きに無駄がない」
アイスホッケーも知っている凜太郎は感嘆する。
「……けいは特別だったんだ」
正一が説明する。
「技術もそうなんだが、何より試合を読む力がずば抜けていた」
映像が進むと、けいがリンク中央でパックを受け、一瞬静止する場面があった。
その後、誰も予想しなかった方向へのパスが通り、チームメイトが見事にゴールを決めた。
「え、今の...」
緋色の目が輝いた。
「お母さん、一瞬でフィールド全体を見てたような…まるで上から見てるみたいに」
「そうだ。それがあいつがイーグルアイと呼ばれてる理由だな」
正一が頷く。
「鷹が獲物を見つけるように、けいは常にリンク全体を把握していた」
映像には雪乃も映っていた。
けいよりも攻撃的で、かつ相手を巧みに抑える守備を見せている。
「お母さんも、、、すごいな」
凜太郎がつぶやく。
「あの守り方…すごく相手を見てる。今すぐにでも参考になるよ」
「雪乃ちゃんは『ベアリー』って呼ばれてたんだ」
「ベアリー?」
「熊の縄張り、ベア・テリトリーという意味だ。本人がそれじゃ可愛くないって略してベアリー。」
正一は笑いながら言う。
「自分の守備範囲に入った相手は絶対に逃がさない。そういう守備をしていた」
緋色と凜太郎は食い入るように夢中で映像を見つめていた。
自分たちの母親が、こんなにも素晴らしい選手だったなんて。
映像が終わると、二人ともしばらく無言だった。
「すごかった...」
緋色がつぶやく。
「俺たちも、あんなふうにプレーできるようになりたいな」
凜太郎が言った。
「なれるさ」
正一が優しく言う。
「二人ともいい素質を持ってる。後は努力と仲間を大切にする気持ちがあればな」
夜が深まってきた頃、凜太郎が提案した。
「緋色、庭でホッケーしようよ!」
「今から?」
「うん。お母さんたちまだまだ帰ってこないし、今のうちにさ!」
正一が笑いながら言った。
「よし、庭の照明をつけてやろう。十分明るくなるぞー」
二人は急いでホッケー道具を準備した。緋色は持参したスティック、凜太郎は雪乃が用意してくれた予備のスティックとボール。
庭に出ると、照明が暖かい光を投げかけていた。芝生は少し湿っているが、ボールを転がすには十分だった。
「じゃあ、1対1やろう!」
凜太郎が提案する。
「いいね!」
緋色の目に久しぶりに火が灯った。
中国大会以来、こんなにホッケーをやりたいと思ったのは初めてかもしれない。
「どっちが先行?」
「緋色からでいいよ!」
緋色が攻撃、凜太郎が守備から始めることにした。
庭の端から端までが約15メートル。
小さなフィールドだが、1対1には十分だった。
緋色がボールを受けると、凜太郎が低い姿勢で迎え撃つ。
その瞬間、緋色は感じた。
太郎の目が、自分の動きを読もうとしているのを。
(この感じ...中国大会で感じたのと似てる)
緋色が右に仕掛けようとすると、凜太郎は既にそちらに体重を移していた。
左にフェイントをかけても、凜太郎は騙されない。
「うわ、すげえ」
緋色が思わず声を上げた。
凜太郎の守備意識は、同学年とは思えないほど高かった。
「よし、次は俺が攻撃してもいい?」
攻守を交代すると、今度は緋色が凜太郎の攻撃を受ける番。
凜太郎の攻撃は派手ではないが、確実だった。
無理をせず、相手の隙を見つけてから仕掛けてくる。
「守備の人って、攻撃もこんなに考えてるんだ」
緋色は新鮮な驚きを感じた。
自分はいつも
「どうやって相手を抜こう」「どこにパスを出そう」
ばかり考えていた
凜太郎は
「相手がどう来るか」「どこを狙ってくるか」
を常に考えている。
同じホッケーなのに、全く違う視点だった。
1対1を続けるうちに、二人とも汗をかいていた。
10月の夜の北海道は寒いはずなのに、体が熱くなっている。
「楽しいねー」
凜太郎が笑顔で言った。
「うん!すごく楽しい!」
緋色も久しぶりに心から楽しいと感じていた。
中国大会での挫折や、11人制選抜での補欠という現実。
そんなことを忘れさせてくれるような、純粋な楽しさがあった。
「緋色って、攻撃のとき何を一番大切にしてる?」
凜太郎が尋ねた。
「うーん...」
緋色は考えた。
「最近は失敗ばかりだったけど、今は仲間のことかな。どうやったら仲間のためになるかを考えてる」
「なるほど」
「凜太郎は?」
「攻めるときも相手の気持ちを読むことかな。ディフェンスと似てて相手がどうしたいかが分かればその先もわかる気がするし」
二人は芝生に座り込んで話し続けた。
ホッケーのこと、学校のこと、将来のこと。
「緋色は将来どんな選手になりたい?」
「うーん...」
緋色は夜空を見上げた。
「みんなを活かせる選手になりたい。チーム全体を強くできるような」
「いいね」
凜太郎が頷く。
「僕は、絶対に破られない守備をしたい。仲間が安心して攻撃に行けるように」
「それいいね!…お互いもっと頑張らなきゃだね」
「うん」
しばらく黙って夜空を見上げていると、凜太郎が口を開いた。
「緋色、来年こそ全国大会に出たいでしょ?」
「うん、、、出たい。今年は僕のせいで中国大会で負けちゃったから...来年こそは絶対に」
「僕も全国に出たい」
凜太郎の目に強い意志が宿った。
「きっと、、、きっと来年の全国で会おうね」
「…うん!」
緋色の胸が高鳴った。
「もし両方とも全国に行けたら、今度は本当の試合で対戦しよう」
「やりたい!絶対やりたい!」
「約束だよ」
二人は目線を交わした。
「それに...」
凜太郎が少し照れながら言った。
「U15の代表選考もあるでしょ?」
「U15?」
「うん。もし二人とも成長できたら、いつかU15で一緒に世界で戦いたい」
緋色の目が輝いた。
U15日本代表—それは緋色にとって、考えてもないまだまだ遠い夢のような話しだった。
でも、凜太郎がそれを口にした時、なぜかとても現実的に感じられた。
「そうなったら、最高だね」
「うん。俺が守って、緋色が攻める!!」
「想像するだけでワクワクする」
夜が更けても、二人の会話は尽きなかった。
翌朝8時頃、けいたちが起きてきた時には、緋色と凜太郎は庭で再び1対1をやっていた。
「あら、もう起きてたの?」
「おはよう、お母さん!」
緋色は汗をかきながら、でも満面の笑顔で迎えた。
「楽しそうね」
雪乃も嬉しそうに微笑む。
「凜太郎も生き生きしてる」
「お前たち親は遅くまで楽しくやってたみたいだな。二次会はどうだった?」
正一が尋ねる。
「楽しかったわ。でも、この子たちの方が楽しそうね」
(連れてきて良かった)
けいが笑う。
みんなで朝食を取った後、緋色達の帰る時間が近づいてきた。
「もう帰らなきゃいけないのか。」
緋色が残念そうに言う。
「そうね。今日の夕方の便だから」
凜太郎も寂しそうな表情を見せた。
「でも、また会えるよね?」
「絶対に会える」
緋色が力強く答える。
「来年の全国で!」
「U15でも!」
凜太郎が笑って続ける。
空港への道すがら、緋色は窓の外の北海道の景色をじっと見つめていた。
たった3日間だったが、とても濃い時間だった。
母の素晴らしい現役時代、凜太郎との出会い、そして新しい目標。
「楽しかった?」
けいが尋ねる。
「うん。すごく楽しかった!…お母さん連れてきてくれてありがとう。」
「良かった。いい友達ができたのね」
「友達...」
緋色は言葉を噛みしめた。
友達であり、ライバルでもある。
お互いを高め合える、特別な存在。
そんな関係を築けた気がした。
飛行機が離陸すると、札幌の街並みがどんどん小さくなっていく。
緋色は心の中で誓った。
必ず成長して、凜太郎と再び会おう。
全国大会で、そしていつかはU15で。
その時は、今日よりもずっと強くなった自分でいよう。
北海道の空に、そんな決意を込めた。
窓の外には、岡山へと続く雲海が広がっていた。