第20話「きっと、みんな」
試合から2日後
日常に戻った緋色は数学の授業に集中できないでいた。
黒板に書かれた二次関数のグラフが、緋色の目にはぼんやりと映っている。
「相原、この問題の答えは?」
先生に指名されて緋色は、はっと我に返った。
「え…あの…」
教科書のページもめくれていない。周りのクラスメイトたちが心配そうに振り返る。
「大丈夫か?ぼーっとして」
先生の優しい声に、緋色は慌てて頭を下げた。
「…すみません」
(集中できない…頭の中が整理できない)
昨日の誠との会話は心に響いたが、それでも不安は消えない。
自分が本当に変われるのか、光る能力は戻るのか、チームメイトと再び信頼関係を築けるのか。
すべてが分からなかった。
休み時間になると、緋色は一人で中庭のベンチに向かった。
誰もいない場所で、そっと手を伸ばしてみる。
(光る感覚…まだあるかな)
目を閉じて、深呼吸をする。心を落ち着かせて、いつものように集中してみた。
しかし…
(見えない)
いつもなら金色に輝いて見えるはずの線が、全く見えない。
もう一度試してみる。今度はもっと強く集中して。
(あ…)
かすかに、本当にかすかに、薄い光のようなものが見えた気がした。
でもそれは以前の鮮やかな金色とは程遠い、消えそうなほど弱い光だった。
「やっぱり…」
光る能力が弱くなっている。
中国大会の敗戦での自信喪失が、能力にも影響を与えているのは明らかだった。
(このままじゃダメだ。でも、どうすれば…)
焦りと不安が胸の中で渦巻いている。
「ひいろくん、どうしたの?」
振り返ると、桜倉 えみ(さくら えみ)が心配そうな表情で立っていた。
「えみちゃん…」
「なんだか元気がないみたい。一昨日の試合のこと?」
えみの優しい声に、緋色は答えに困った。
一昨日の詳しいことは、誰にも話していない。
「うん…ちょっと」
「そっか。私たち女子も負けちゃったの。すごく悔しくて」
えみの表情が少し曇る。
「でもね、来年こそは絶対にリベンジするって決めたの。男子のみんなと一緒に、全国を目指したい」
「えみちゃん…」
「私、ひいろくんが一生懸命頑張ってるのをいつも見てるよ。でもね、失敗や後悔なんて誰だって経験するものだよ」
「……」
「私だって試合でミスすることあるし、思うようにいかなくて落ち込むことだってある」
「えみちゃんが?」
「うん。この前だって、パスミスから大ピンチになっちゃったし」
えみは少し苦笑いしながら続ける。
「でも先輩たちが『大丈夫、次頑張ろう』って声をかけてくれたの。一人じゃないって思えた」
(一人じゃない… 誠先輩も同じことを言っていた。)
そしてえみちゃんも。
「ひいろくんも一人じゃないよ。みんながいる」
えみの笑顔が、緋色の心を少しだけ軽くした。
放課後、緋色は部室の前で立ち止まった。
中からチームメイトたちの声が聞こえてくる。
いつものように明るく話している声。
でも、その輪に入っていく勇気がなかった。
(一昨日、僕はみんなを見ていなかった)
(チームメイトを信じていなかった)
誠の言葉が頭をよぎる。
(でも、このままここにいても何も変わらないし…)
深呼吸をして、部室のドアをノックした。
「…失礼します」
部室の中で、照と蒼が話をしていた。
緋色の姿を見ると、二人ともほっとしたような表情を見せる。
「緋色…きたかー!」
照が安堵の息を吐く。
「もしかして辞めるんじゃないかって心配しとったんで?」
「そうだよ。みんな緋色の落ち込み方に心配してた」
蒼も穏やかに笑いかける。
その優しさに、緋色は胸が熱くなった。
(みんな、あんな僕を心配してくれてたんだ)
「すみません…心配かけて」
「ええって、ええって。そんなん気にせんでええけぇ」
照が手を振る。
「今日からまた練習、参加してもいいですか?」
「当たり前じゃがん!お前がおらんと始まらんけんー!」
照の岡山弁が、いつもより温かく聞こえた。
練習が始まると、緋色は改めて自分がまだまだ初心者だということを実感した。
基本的なパス練習でも、光る感覚に頼りすぎていた自分に気づく。
(今は光る能力は意識しない。基本の技術だけでを徹底的にやろう)
「緋色、焦るな」
誠が声をかけてくる。
「基本をもう一度確認しよう。お前はまだ1年生だ。時間はたっぷりある」
「はい」
誠の言葉に、緋色は素直に頷いた。
(そうだ。光る感覚なんて今は忘れよう。基本をしっかりやれば、きっと大丈夫)
「まずはトラップ。そしてパスは相手のことを考えて出すんだ」
誠が実演してくれる。
「相手が受け取りやすいタイミング、受け取りやすいコース。それを考えるのが一番大切だ」
「技術だけじゃなくて、気持ちも大事じゃで?」
照も加わる。
「相手を信じて出すパス。そういうのが一番いいパスになるけんなー」
(相手を信じる)
昨日の自分は、チームメイトを信じていなかった。
見れていなかった。光る能力に頼ってばっかりで、一人で何でもしようとしていた。
でも今は違う。薄い光しか見えなくても、仲間がいる。
練習の最後に、簡単なパス回しをした。
緋色は光る感覚のことは完全に忘れて、相手の動きだけを見ようとした。
照 がどこに動こうとしているか、誠がどのタイミングでボールを欲しがっているか。
基本の技術だけで、チームメイトをよく見て、信じてパスを出す。
「えーがん、緋色!」
照が声をかけてくれる。
「今のパス、すごく良かったが!トラップからパスまでしっかりできとったで」
「ああ、とても受けやすかった。丁寧なパスだ」
誠も笑顔で答える。
ゴールで練習していた蒼も手を振って励ましてくれた。
その時、緋色の心の中で何かが変わった。
光る能力がなくても、基本的なことをしっかりやればみんなはみてくれてる。
そう確信できた。
練習後、着替えをしながら蒼が話しかけてきた。
「緋色、今日はどうだった?」
「うん…まだちょっと不安だけど、でも今日は楽しかったよ」
「そっか。僕もね、最初はすごく不安だったよ」
蒼が振り返る。
「ゴールキーパーなんて、ミスしたらすぐに失点だから。プレッシャーがすごくて」
「蒼が?」
「うん。でも仲間やコーチが『失敗しても大丈夫、みんなでカバーするから』って言ってくれて。それでふっきれたんだ」
蒼の話を聞いて、緋色は改めて思った。
(みんな、きっと同じような経験をしてるんだ)
(悩んでいたのは、僕だけじゃない)
「緋色も、一人で抱え込まないで。困ったことがあったら、いつでも相談して」
「ありがとう、蒼」
緋色は心から感謝した。
帰り道、夕日が校舎を赤く染めている。
緋色は一人で歩きながら、今日一日を振り返っていた。
光る能力はほとんど見えなかった。でも、それでも大丈夫だと思えるようになった。
(僕にはみんながいる)
えみちゃんの言葉、チームメイトの温かさ、先輩たちの指導。
すべてが自分を支えてくれている。
(そうだまだ始めたばっかりじゃないか!まだまだこれから学べばいい)
(焦らないで、一歩ずつ)
家に向かう道で、緋色は光る感覚のことは考えなかった。
もう特別な能力だけに頼るのはやめよう。基本をしっかりと身につけよう。
(きっとそれからだ)
(みんなと一緒に、やり直そう)
夕日に向かって歩きながら、緋色は新しいスタートを切った。
一人で背負うのではなく、仲間と一緒に。
光る能力に頼るのではなく、基本を大切に。
そして何より、周りの人たちへの感謝を忘れずに。
まだ1年生の、新しい挑戦が始まった。