第17話「驕りの代償」
前半終了を告げるホーンが響く。
2-2の同点。
成磐中の選手たちがベンチエリアに向かう中、緋色の足取りは軽やかだった。
「よし...!よし、いける!!」
緋色の興奮した声が、成磐中ベンチ内に響く。
しかし、誠と蒼の表情は複雑だった。
「緋色くん、水分補給をしっかりと」
みち先生がボトルを手渡しながら、緋色の様子を観察している。
「ありがとうございます!」
緋色は一気に水を飲み干すと、興奮を抑えきれずに話し始めた。
「すごいんです!今までと全然違う感覚で、コート全体が見えるんです!」
「最初はみんなを活かせて、次は僕一人でも決められました!」
緋色の瞳は輝いていた。
(この力があれば...これなら全国に行ける!)
一方で、誠は腰に手を当てながら緋色を見つめていた。
確かに緋色の前半のプレーは素晴らしかった。特に照へのパスは、見事としか言いようがない。
でも、何かが引っかかっている。
「緋色...確かに得点は素晴らしかった。でも...」
誠が何かを言いかけた時、
「もう1点いきましょう!後半で決めましょう!」
緋色の明るい声が、誠の言葉を遮った。
誠の違和感は深まる。
蒼も心配そうに緋色を見つめている。
(何か...おかしい。緋色の様子が...)
「緋色、少し落ち着け」
誠が再び声をかけようとしたが、
「大丈夫です!この感覚があれば、後半は絶対勝てます!」
緋色の自信に満ちた表情。
でも誠には、それが危険な兆候に見えて仕方がなかった。
「緋色くん、チームプレーを忘れちゃダメよ」
みち先生も、優しくも的確な指摘をする。
「もちろんです!でも、この力を使えばもっと...!」
緋色の返事は上の空だった。
照が近づいてくる。
「緋色、前半のパスは最高じゃったなー!でも、一人で突っ込むのは危険じゃで」
「ありがとうございます!でも大丈夫です、見えてるんです!」
照も困ったような表情を浮かべた。
一方、出雲帝陵中のベンチでは、全く違う空気が流れていた。
「みんな、前半はお疲れ」
監督が労いの言葉をかける。
「いえ、まだ始まったばかりです」
颯真の表情は冷静そのものだった。
「あの8番、…面白いな」
監督が言うと
「はい、確かに興味深いです。だが...」
颯真の目に、わずかな失望の色が浮かんだ。
「まぁ、もしかしたらあの程度かな…と。後半は、少し本気でいかせてもらいます」
颯真の一言で、ベンチの空気が一変した。
前半は様子見だったのだ。
「全員、準備はいいか?」
監督が言うと、選手たちが一斉に頷いた。
前半とは明らかに違う、鋭い眼光がそこにあった。
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第3クォーター開始
後半開始の笛が響く。
出雲帝陵中の選手たちがピッチに現れた瞬間、会場の空気が変わった。
前半とは明らかに違うメンバーと迫力。
そして、颯真の表情も変わっていた。
「前半は面白いものを見せてもらった」
颯真の声に、これまでにない鋭さが宿っていた。
緋色は気づいていなかった。
相手が前半、本気を出していなかったことを。
そして今、颯真が前半の緋色のプレーを完全に分析済みであることを。
第3クォーター 2分。
緋色がボールを奪取した。
(よし!この感覚で...!)
緋色の視界に、黄金に輝くパスコースとドリブルコースが見えた。
周りが声をかけるが、前半と同じように一人で突破を図る。
颯真が冷静にチームメイトに指示を出す。
「右のスペースを潰せ。あいつの動きは読める」
「OK!」
緋色はドリブル突破を図るが、しかし―
「甘い」
颯真の冷静な声と共に、ボールが簡単に奪われた。
(……え?な…んで?ちゃんと見えてたのに...)
緋色の困惑をよそに、颯真は瞬時にカウンター攻撃を開始した。
シンプルなロングパスを前線に送る。
それだけで成磐中の守備は完全に崩された。
ゴール。
2-3
(え…?こんな簡単に逆転...?!)
緋色は愕然とした。
前半はあれほど有効だった感覚が、なぜか通用しない。
(なんで…なんで読まれるんだ?この力があるのに...)
緋色は焦った。
でも緋色は気づいていなかった。
黄金に見えるコースそのものが、前半より明らかに減っていることに。
一人でボールを運び、一人で相手と戦い続ける消耗。
体力と集中力の限界が、徐々に緋色を蝕んでいた。
「緋色!落ち着け!パスだ!」
誠の叫び声が聞こえる。
でも緋色の耳には入らない。
(追いつかなきゃ...全国に行くんだ...!)
(この力で、なんとかしなきゃ...)
再び突破を試みる緋色。
しかし颯真は、その動きを完璧に予測していた。
「またか…パターンが単調すぎる」
ボールを奪い取り、再びカウンター。
ゴール。
2-4
「なんだ...そんなものなのか...」
颯真の声には、期待していたのに裏切られたような失望が込められていた。
観客席から、不安そうな声が聞こえてくる。
「緋色、どうしちゃったの...」
けいの心配そうな声。
「前半はあんなに良かったのに...」
みっちゃんも困惑している。
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第4クォーター開始。
颯真は止まらなかった。
緋色が独走を試みるたびに、完璧に予測して奪い取る。
緋色の単純なプレーは、すでに颯真に完全に読まれていた。
緋色の苦し紛れのパスを読まれ、カットされた瞬間からの美しいカウンターで5点目。
2-5
緋色の単独ドリブルを止めた瞬間からの流れるような攻撃で6点目。
2-6
「…まだ分からないか?」
颯真の冷静な声が、緋色の心を深く刺した。
緋色は完全に混乱していた。
前半はあれほど輝いて見えた黄金のコースが、もうほとんど見えない。
体も重く、思考も鈍っている。
それでも、諦めることができなかった。
(まだ...まだ僕には...光るコースが…)
最後の攻撃。
緋色が必死にドリブルを仕掛けるが、もはや予測可能な動きでしかない。
颯真が軽々とボールを奪い、5点目のゴールを決めた。
2-7
残り5分。
颯真がベンチを向いた。
「交代だ」
主力選手たちが、次々とベンチに下がっていく。
これ以上は必要ないという、明確なメッセージだった。
颯真も最後にベンチに向かいながら、緋色を振り返った。
「お前の能力は面白い。だが、一人では限界がある」
その言葉が、緋色の心に深く突き刺さった。
試合終了を告げるホーンが響く。
最終スコア
2-7
緋色は膝をついた。
(新しい光の道を手に入れたはずなのに...できるはずなのに…)
結果は惨敗。
最後には主力を下げられるという現実。
「緋色...」
誠が歩み寄る。
「すみません...僕がもっとしっかりしていれば...」
緋色の声は震えていた。
「いや、それは違う」
誠の表情は厳しかった。
「お前一人の責任じゃない。でも...今日のお前のプレー、どこかおかしかった」
「おかしい...ですか?」
「ああ。まるで俺たちが見えていないみたいだった」
「え…?」
誠の言葉が、緋色の胸に重くのしかかった。
観客席から、けいとみっちゃんが駆け寄ってくる。
「緋色、お疲れさま」
けいの優しい声。
でも、その目には深い心配の色が浮かんでいた。
「今日の緋色...前半はとても上手だったよー。でも途中から...」
みっちゃんが言いかける。
「なんだか、一人で戦ってるみたいに見えたさ~」
「あ...…」
緋色の声は小さかった。
誠と同じみっちゃんの素直な言葉が、緋色の胸に刺さった。
「僕は...僕はチームのために戦ってたんだ...」
「そうね…。でも、チームと...みんなと一緒に戦ってるようには見えなかったわ」
けいの的確な指摘。
緋色は返す言葉がなかった。
成磐中のテントに戻る途中。
緋色は足取り重く歩きながら考えていた。
次の試合まで、あと数時間しかない。
負け組トーナメントでの5位決定戦。
(新しい力を手に入れた...前半は逆転もできた)
(でも、なぜ後半は勝てなかった?)
(なぜ、最後は通用しなかった?)
颯真の最後の言葉が頭に響く。
「一人では限界がある」
(パスでも得点できた…一人でも決められた…なのに…なのになんで…?)
心の中で、何かが深く傷ついているのを感じた。でもその何かがわからない。
大事な試合の敗戦の記憶が、心に重くのしかかっている。
最後のチャンス、5位決定戦トーナメントへの道のりが、すぐ目の前に迫っていた。
しかし緋色の心は、既に深く折れていた。