第16話「一人でも」
中国大会3日目の朝。
決勝トーナメントの会場には、予選リーグとは明らかに違う緊張感が漂っていた。成磐中学校の選手たちもテントエリアで最終準備を進めていた。
「決勝トーナメントはダブルエリミネーション方式となっております。5位以上のチームに、全国大会出場権が与えられます」
場内アナウンスが響く中、緋色は手にしたスティックを握り締めていた。
成磐中は予選リーグを2敗1分けでAブロック最下位の5位。
決勝トーナメントの初戦は、Bブロック1位の出雲帝陵中学校との対戦が決まった。
つまり、1つ勝てば全国確定。
負けても負け組トーナメントで5位決定戦のチャンスが残されている。
しかし初めての大会で緋色の頭には、その『次のチャンス』という言葉がうまく入ってこなかった。
(次、勝たなきゃ...このまま負けたら終わり...)
「緋色、そんなに力まなくていい」
ウォーミングアップエリアで、緋色の緊張を察した誠が優しく声をかけてくる。
「負けてもまだ、次のチャンスがあるんだ」
「はい...」
緋色の返事は上の空だった。
「相手は全国トップクラスのチームだ。厳しい戦いになるのは目に見えてる。だからこそ、思い切っていこう」
誠の経験に基づいた冷静なアドバイス。
でも緋色の心は、初めてのトーナメントへの緊張と不安で支配されていた。
(でも…でも、このまま負けたら...)
「緋色くん、深呼吸して。いつものプレーをすれば大丈夫よ」
みち先生も心配そうに見つめながら、穏やかな声で励ましてくれた。
会場を見渡すと、統制の取れた動きで現れたチームがあった。
出雲帝陵中学校。
紺色のユニフォームに身を包んだ選手たちは、統制の取れた動きでピッチに向かっている。そしてその中心に、他の選手とは明らかに違うオーラを放つ人影があった。
背番号10番。神門 颯真。
すれ違ったとき一瞬だけ視線を交わした、あの冷静な眼差しの持ち主だった。
「あれが神門 颯真か...」
照が小さく呟く。
「見た感じ、緋色と同じ1年生には見えないな」
誠も颯真の姿を見つめながら言う。
確かに、颯真の存在感は他の選手とは別次元だった。
高校生並みの体格に加えて、その場にいるだけで周囲を支配するような迫力がある。
(あの人が...全国トップクラスの司令塔)
緋色は颯真を見つめながら、胸の奥で何かが熱くなるのを感じていた。
石見双星中戦での「線を見る」感覚が、颯真という相手に対してどこまで通用するのか。それを確かめてみたいという気持ちが、緋色の中でふつふつと湧き上がってくる。
「よし、アップに行くぞ」
誠の声で、緋色は現実に引き戻された。
青い人工芝のピッチに足を踏み入れた瞬間、会場の空気が一変した。観客席からは、各チームへの声援が飛び交っている。その中に、聞き覚えのある声があった。
「緋色、頑張って!」
観客席を見上げると、けいとみっちゃんが手を振っているのが見えた。
(お母さん、みっちゃん...今日も見に来てくれてる)
家族の応援が、緋色の緊張を少しだけ和らげてくれた。
アップを終え、いよいよ試合開始の時間が近づいてくる。
開始は出雲帝陵中のボールから始まることになった。
「頑張ろう」
誠がチーム全体に向けて声をかける。
ピッチに並んだ瞬間、颯真と目が合った。
あの時と同じ、冷静で鋭い眼差し。でも今度は、緋色も負けじとその視線を受け止めた。
(今度こそ...今度こそこの力を活かして勝つんだ)
主審がホイッスルを口に当てる。
会場全体の空気が、一瞬静止したかのように感じられた。
そして―
ピーーー!
笛が鳴った瞬間、会場の空気が一変した。
出雲帝陵中の選手たちが、まるで一つの意思を持った生き物のように動き出す。彼らの動きには無駄が一切なく、何度も練習を重ねた精密さがそこにあった。
その中心にいるのは、背番号10番・神門 颯真。
「よし、いくぞ」
颯真の一言で、チーム全体が完璧に連動する。
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第1クォーター
試合開始から数分。成磐中の選手たちは、相手のレベルの高さに戸惑いを隠せずにいた。
出雲帝陵中の動きは、これまで対戦してきたどのチームとも違っていた。
第1クォーター 3分
颯真がハーフラインでボールを受け取った瞬間、緋色は背筋に電流が走るような感覚を覚えた。
(来る...!)
颯真は一瞬の判断で、鋭いドリブルを開始した。成磐中の最前線のプレッシャーを、まるで存在しないかのように軽々とかわしていく。
そのままサークルまで持ち上がった颯真が、そのまま力強いシュートを放った。
「くそっ」
蒼が反応するも、コースが完璧すぎて届かない。
ボールがネットを揺らした瞬間、出雲帝陵中のベンチから大きな歓声が上がった。
0-1
第1クォーター中盤での鮮やかな先制点だった。
(個人技でも、こんなに...)
緋色は愕然とした。
第1クォーターの残り時間、成磐中も必死に攻撃を仕掛けた。
そんな中、緋色は石見双星中戦で身につけた「線を見る」能力で反撃を試みた。
深呼吸をして、心を落ち着かせる。すると、視界の隅で薄っすらと金色の線が見えた。
(今度こそ...)
石見双星中の双子の連携を読んだあの感覚を思い出し、相手のパスを予測して飛び込んだ。
「見えた!」
見事にインターセプトに成功。そのまま照にパスを送り、惜しいシュートまで持っていくことができた。
その瞬間、颯真が緋色の方を一瞬見た。
「へぇ...あの8番、面白いものを持ってるな」
颯真が小さく呟く。
しかし、次の攻撃では颯真の対応は完璧だった。
緋色が同じような動きを試みても、もう颯真にはパターンを読まれていた。
「だが、まだ甘い」
颯真の冷静な判断で、緋色の動きは完全に封じられてしまった。
第1クォーター終了。
0-1で出雲帝陵中がリード。
第2クォーター
成磐中の動きが、第1クォーターよりも良くなっていた。緋色の「線を見る」感覚も、徐々に相手のレベルに慣れてきている。
しかし、0-1のスコアは変わらないまま、時間だけが過ぎていく。
(このままじゃ負ける...このままだと...)
観客席のけいとみっちゃんの顔が頭に浮かんだ。
(負けたくない...ここで終わりたくない...)
(誠先輩たちのためにも...みんなのためにも...)
強烈な想いが、緋色の胸の奥で燃え上がった。
絶対に負けられない。
この試合に、すべてをかけたい。
その瞬間―
(これは...?!)
緋色の視界に、異変が起きた。
これまで見えていた薄い金色の線が、突然鮮やかに輝き始めたのだ。
それだけではない。
今までの「線を見る」感覚とは全く違う、新しい世界が目の前に広がった。
コート全体のあらゆる動線、パスライン、攻撃ルートが、まるで黄金の網のように見える。
相手選手の動き、味方選手のポジション、ボールの軌道。すべてが手に取るように分かった。
これは、これまでとは次元の違う感覚だった。
新たな感覚での反撃
すぐにその効果が現れた。
出雲帝陵中の攻撃を読み切り、完璧なインターセプト。
緋色の視界には、複数の選択肢が黄金に輝いて見える。
その中からひと際輝く照へのパスコースを選択。
「照 先輩!こっちです!」
完璧なタイミングでパス。
照が受け取り、そのまま強烈なシュートを放った。
ボールがゴールネットを揺らす。
ゴール!
1-1
「ナイスパス、緋色!」 「めちゃくちゃ良いパスだったがん!」
照が興奮しながら駆け寄ってくる。
(すごい...この力があれば、みんなを活かせる!)
緋色の新しい感覚への自信が高まった。
数分後、再び緋色がボールを奪う機会が訪れた。
今度は、パスコースだけでなく―
(あれ?ドリブルコースも、シュートコースも見える...このまま僕が直接行けば...!!)
黄金に輝くドリブルコース、そしてゴールへの軌道が見えた。
「緋色!」
誠が好位置で手を上げる。
でも緋色の目には、もっと魅力的な選択肢が見えていた。
(僕一人でも行ける...!)
ドリブル突破を選択。
DF二人を華麗に抜き去り、GKの動きを完璧に読んでシュート。
ボールが正確にゴールの隅に吸い込まれた。
ゴール!
2-1
「やった...僕一人でも決められる!」
緋色の心に、今までとは違う高揚感が芽生えた。
しかし、出雲帝陵中も黙って見ているわけではなかった。
緋色の2得点に刺激された出雲帝陵中が、第2クォーター終盤に精密な攻撃を仕掛けてきた。颯真を中心とした組織的な攻撃で、成磐中の守備陣を崩され、同点ゴールを決められてしまう。
2-2
前半終了
観客席のけいが、息子の変化を見逃さなかった。
「あら...緋色の表情が変わったわね」
「そうだねー、何か違う感じがするよー」
みっちゃんも興味深そうに見つめている。
ピッチ上では、緋色の変化に気づいた選手がもう一人いた。
神門 颯真だった。
「ほう...」
颯真の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
前半終了を告げるホーンが響く。
2-2の同点。
緋色の心の中には、これまでにない高揚感があった。
(2点も取れた!新しい感覚で一人でも得点ができた!)
この新しい感覚があれば、後半は必ず勝てる。
「これは...今までと全然違う...!」
緋色の瞳に、新たな光が宿っていた。
そう確信していた。