第14話「届かない勝利」
中国大会2日目の朝、宿舎の食堂には昨日とは違う空気が流れていた。
シューティングレイヴ広島戦での1-7という惨敗の重さは確かにあったが、それでも選手たちの表情には諦めの色はない。
むしろ、何かを掴もうとする意志の強さが感じられた。
「おはよう」
緋色は席に着きながら、小さく挨拶をした。
昨夜は結局あまり眠れなかった。
広島戦での敗戦が頭から離れない。
特に、あれほど手応えを感じていた光る感覚が、後半は全く通用しなかったことが心に引っかかっていた。
でも、その一方で前半戦での手応えも確かにあった。
光る感覚は確実に機能していたし、チームとしての連携も悪くなかった。
「緋色、しっかり食べとけよ」
キャプテンの長瀬 誠が優しく声をかけてくる。
昨日の試合後、誠は一度も弱音を吐いていない。
3年生として、キャプテンとして、チームを支えようとする意志が伝わってくる。
「はい。ありがとうございます」
箸を動かしながら、緋色は昨日を振り返っていた。
前半は確実に戦えていた。
光る感覚も安定して機能していた。
問題は相手のレベルが想像以上に高かったことだ。
「緋色、そんな深刻な顔すんなや」
朝比奈 照が隣に座りながら言う。
「昨日は確かに負けたけど、内容は悪くなかったじゃろ?特にお前のパスは前半冴えとったがん」
「そうですね。でも後半は…」
「後半のことはわかるけど、今日は今日じゃけぇな!」
照の岡山弁には、いつもの力強さと前向きさがある。
その言葉に、緋色の気持ちも少しずつ前向きになってくる。
「今日は八羅針中だな」
誠が慎重に言う。
「組織力に定評があるチーム。昨日とは全く違うタイプの相手だ。気を引き締めていこう」
「昨日の経験を活かせるかが鍵ですね。ただ、相手も当然こちらを研究してきているでしょうから、油断は禁物です」
椎名 美智先生が慎重に分析する。
「まだ課題は多い。でも、一戦一戦勝ち点を積み上げていくことが大切です。今日はその第一歩にしましょう」
みち先生の言葉に、選手たちの表情が引き締まった。
朝食を終え、バスで会場に向かう道中。
緋色は窓の外を眺めながら、自分の気持ちを整理していた。
(昨日は確かに悔しかった。でも、前半は確実に戦えていた。光る感覚も機能していた。今日は、その感覚をもっと活かせるはず)
昨日の敗戦から一夜明けて、緋色の中には新たな決意が芽生えていた。
光る感覚への信頼は揺らいでいない。
むしろ、より強くなっている。
会場に到着すると、2日目特有の緊張感があった。
各チームの実力が見えてきて、勝負の行方が徐々に明確になってくる段階だ。
成磐中は現在0勝1敗。今日の試合は絶対に落とせない。
「よし、今日こそやってやろう」
誠の声で、チーム全体が気合いを入れ直す。
アップを始めると、緋色は昨日よりも体の調子が良いのを感じた。
光る感覚への信頼も完全に戻ってきている。
いや、昨日よりも強くなっているかもしれない。
「ひいろくん、今日も頑張って!」
スタンドから桜倉 えみ(さくら えみ)の声が聞こえる。
女子の試合の合間に、また応援に来てくれたのだ。
「えみちゃん…」
その温かい声援が、緋色の心に力を与えた。
昨日の落ち込みなど、もうどこにもない。
八羅針中学校との対戦。
相手は黄緑と白のユニフォームを着た、確かに規律正しい動きをするチームだった。
特に注目すべきは背番号10番の白石 智久。
3年生の司令塔で、チーム全体をまるで将棋の駒を動かすように巧妙にコントロールしている。
(あの選手が八羅針中の頭脳か)
緋色は白石を観察しながら思った。
冷静で無駄のない動き。
感情を表に出さず、常に全体を見渡している。
主審のホイッスルが響き、試合開始。
第1クォーター 序盤
八羅針中の戦術の巧妙さが露骨に現れた。
白石を中心とした緻密なパスワークで、個人技に頼るのではなく、組織として成磐中の守備陣を徐々に崩してくる。
「うっ…これは厄介だ」
緋色は相手の動きについていくのに必死だった。
昨日の広島戦とは全く違うタイプの難しさがある。
広島は個人の圧倒的な技術力だったが、八羅針中は組織的な完成度の高さで勝負してくる。
第1クォーター 中盤
ついに八羅針中の精密機械のような攻撃が実を結んだ。
白石が放った正確無比なパスが、フォワードの走り込むタイミングと完璧に合致。
冷静に決められた。
0-1
「くそ…やられたがん。あの10番、ほんまに上手いなあ」
照が悔しがりながらも、相手への敬意を込めて言う。
「落ち着け。白石の動きは読めてきた」
誠が冷静に指示を出す。
「俺が白石にプレッシャーをかける。そうすれば相手の組織が乱れるはずだ。緋色、その瞬間を狙ってパスで崩してくれ」
「はい!」
誠の言葉に、緋色は強く頷いた。
深呼吸をして心を落ち着かせる。
すると、視界の隅で金色の線が見えた。
昨日よりもはっきりと、そして安定して。
(見える…!昨日よりもずっとクリアに見える)
緋色は自信を持ってパスを送る。
ボールは狙い通り照のスティックに向かった。
照が完璧にトラップし、そのまま相手ゴールに向かってドリブルを開始する。
「ナイスパス!」
照のシュートは惜しくもゴールキーパーに阻まれたが、確実に成磐中のペースに持ち込めた。
「いいじゃないか!その調子だ」
誠の表情に、希望の色が浮かんでいる。
しかし、白石も黙って見ているわけではなかった。
緋色のパスコースを冷静に観察し、徐々にその傾向を掴もうとしているのが分かる。
(あの司令塔、僕のパスをみてる…)
緋色は背筋に緊張感を覚えた。
でも、それは恐怖ではなく、むしろ闘志だった。
第1クォーター 終盤
成磐中にフリーヒットのチャンスが訪れた。
八羅針中の選手がファウルを犯したのだ。
「緋色、任せたぞ」
誠がボールを託した。
緋色は再び深呼吸をする。
光る感覚がより鮮明になってくる。
今度は複数の光る線が、まるで選択肢を示すように見えた。
(あそこだ!照 先輩の動きに合わせて…)
緋色が選んだコースは、白石の予想を上回るものだった。
ボールは完璧に照の走るコースに届く。
しかし、白石も一瞬遅れて反応していた。
完全には読めていないが、確実に緋色のパターンを分析しているのが分かる。
照は躊躇なくシュートに持ち込む。
「ゴール!」
ボールがネットを揺らした瞬間、成磐中のベンチが沸いた。
1-1の同点。
「よっしゃーー!ナイスパス、緋色!」
照が駆け寄ってきながら言う。
「でも、あの白石って選手、お前のパスを読もうとしとったぞ」
「うん、僕も気づきました。でも大丈夫。今日は調子がいいから!」
緋色は自信を持って答えた。
第1クォーター 終了
1-1の同点で前半に入る。
「いいぞ、みんな。このペースを保とう」
誠の表情には、昨日とは明らかに違う手応えがあった。
第2クォーター
第2クォーターに入ると、白石と緋色の静かな駆け引きがより激しくなった。
白石は緋色のパスコースを予測しようと集中を高め、緋色は光る感覚を頼りにその予測を上回ろうとする。
まるで将棋の対局のような、知的な戦いが展開されていた。
第2クォーター 中盤
ついに白石が緋色のパスを読み切った瞬間が訪れた。
緋色が光る感覚に従ってパスを出そうとした時、白石が完璧なタイミングでインターセプトしてきたのだ。
「うっ!」
緋色は驚愕した。
光る感覚で見えたコースが、完全に読まれていた。
そこから八羅針中の巧妙なカウンター攻撃が始まり、再び失点を許してしまう。
1-2。
(読まれた…光る感覚が読まれた)
緋色は初めて経験する感覚に戸惑った。
でも、それは恐怖ではなく、むしろ興奮だった。
「緋色、気にすんな!相手も相当やるってことじゃ」
照が励ましの声をかける。
「まだまだ!僕はまだやれる」
緋色が声を上げる。
昨日の広島戦とは全く違う。
諦める気持ちが微塵もない。
第2クォーター終了
1-2で八羅針中リード。
ハーフタイムのベンチで、選手たちの表情は昨日とは全く違っていた。
負けてはいるものの、戦えている実感があった。
「手応えはあった。だが、まだ勝ててない」
誠が冷静に現状を分析する。
「後半は白石のマークをもっと厳しくする。そうすれば相手の組織がもっと乱れるはずだ」
「そうじゃなー!それに緋色のパスも冴えまくっとる。読まれたのは1回だけじゃけぇ、気にせんでええ」
照も前向きだ。
「あの感覚が、すごく安定してるんです。白石選手に読まれたのは悔しいけど、まだまだいけます」
緋色も自信を持って言う。
むしろ、白石との駆け引きが楽しくなってきていた。
「昨日よりもいい内容になってます。後半もこの調子で行きましょう」
みち先生も前向きな表情を見せている。
しかし、試合を後ろで守っていた福士 蒼は、少し不安も感じていた。
どのチームも想像以上に高いレベルでプレーしている。
「大丈夫かな…」
蒼が心配そうに呟く。
「大丈夫!みんなで頑張ろう」
緋色が力強く答える。
その言葉に、蒼も頷いた。
仲間がいる。それが、何よりも心強い。
第3クォーター
後半開始。
成磐中の動きが一段と良くなっていた。
特に緋色と白石の駆け引きは、まるで知的スポーツのような様相を呈していた。
第3クォーター 序盤
緋色は新しいパターンを試した。
光る感覚で見えたコースとは違う方向にパスを出したのだ。
白石の予測を完全に裏切り、照に絶好のシュートチャンスを作り出す。
「よっしゃー!」
照が雄叫びを上げながらゴールを決める。
2-2の同点。
「すげぇじゃねーか、緋色!あの白石をまんまと騙したがん」
照が興奮して言う。
「はい、光る感覚とは別のパターンを使ったんです!」
緋色も満足そうに答える。
白石との知的な戦いに勝った喜びがあった。
しかし、白石もさすがだった。
緋色が複数のパターンを持っていることを瞬時に理解し、さらに高次元の読み合いを仕掛けてきた。
第3クォーター 中盤
今度は緋色の裏の裏を読んできた白石の予測が的中。
危うくインターセプトされそうになったが、間一髪で照がフォローしてくれた。
(すごい…あの選手、本当にすごい)
緋色は白石への敬意を抱きながらも、負けじと光る感覚をさらに研ぎ澄ませた。
第3クォーター 終盤
そしてついに緋色が決定的な一手を放った。
光る感覚で見えた最も意外なコースを選択し、今度は成磐中FWがゴールを決める。
3-2
成磐中が逆転。
「うおおおお!」
ベンチが大爆発した。緋色も拳を上げる。
(いける…僕たちいけるんだ!白石選手との駆け引きにも勝てる)
光る感覚がこれまでで一番鮮明に見えている。
複数の光る線が、まるで未来への道筋を示すように輝いている。
「緋色、すげぇなーー!白石との勝負に勝っとるがん」
照が興奮して言う。
「うん、今日は本当に調子がいい!あの光る感覚がすごくはっきり見える」
緋色も自信に満ち溢れていた。
第3クォーター 終了
3-2
成磐中リード
「このまま逃げ切るぞ!守備を固めて確実に勝ち点3を取ろう」
誠が冷静に指示を出す。
「いや、もう1点取りましょう!試合を決めに行きましょう!」
緋色が興奮して言う。
「そうじゃ!攻撃の手を緩めたらおえん!白石なんか怖くねぇでー」
照も前のめりだ。
「緋色、照、落ち着け。1点差を守ることも考えろ。無理は禁物だ」
誠が冷静に諭すが、緋色と照の目は完全に追加点に向いていた。
白石との駆け引きに勝った興奮で、冷静さを失いかけている。
第4クォーター
成磐中は完全にペースを握っていた。
緋色のパスが次々と仲間に届き、攻撃の手を緩める気配はない。
白石も必死に対応しようとしているが、緋色の調子の良さについていけずにいる。
(僕たち、すごく強くなってる。白石選手にも負けてない)
緋色は心の中で呟いた。
昨日の広島戦での絶望感が嘘のようだ。
「このまま勝てる。絶対に勝てる」
第4クォーター 終盤
成磐中はリードを保ったまま試合を進めていた。
残り時間はあと2分。
「いける…いけるよ、みんな!」
緋色が声を上げる。
「そうじゃ!このまま押し切るでー!」
照も叫ぶ。
残り1分。
誠は守備的に行こうとしていたが、緋色と照は完全に攻撃モードだった。
白石との駆け引きに勝った自信が、彼らを前のめりにさせていた。
「もう1点取って完全に決めるでー!」
「そうだ!もう1点とろう!」
緋色がボールを持って前に出る。
誠の「無理するな」という声が聞こえたが、興奮した緋色の耳には入らなかった。
光る感覚が最高潮に達している。
(今度こそ完璧なパスを。白石にも読まれない、最高の一本を)
その時だった。
緋色が光る感覚に従って放ったパスが、なんと白石に完璧に読まれてインターセプトされてしまう。
白石は試合終盤まで緋色のパターンを分析し続け、ついに完全に読み切ったのだ。
「まずいっ…!!」
誠が叫ぶ。
成磐中の選手たちは攻撃に出ていたため、守備が手薄になっていた。
八羅針中の素早く正確なカウンター攻撃が始まり、白石の正確なパスから見事なゴールが決まってしまう。
「そんな……」
蒼が呆然と呟く。
3-3
同点に追いつかれてしまった。
残り時間はわずか30秒。もう時間がない。
試合終了のホイッスルが響いた。
最終スコア
3-3
引き分け。
「あぁ…」
緋色はコートに膝をついた。
勝てたはずの試合だった。
あと1分…あと1分守り切れば勝てていた。
そして最後のパスを、白石に完全に読まれてしまった。
「緋色、気にするな」
誠が肩を叩く。
「十分よくやった。昨日とは全然違う内容だった」
でも、緋色の心の中には複雑な気持ちが渦巻いていた。
手応えも確実に感じていたが、最後の最後で読まれた悔しさがこみ上げてくる。
ベンチに戻る途中、スタンドからえみが手を振っているのが見えた。
緋色も軽く手を振り返す。
その小さな交流が、緋色の心を少し軽くした。
中国大会2日目の昼休み、会場に設営したテントで選手たちは昼食を取りながら今朝の試合を振り返っていた。
午後の石見双星中戦に向けて、短い休憩時間を過ごしている。
「惜しい試合だったが、予選の順位はまだ厳しい状況だな」
誠が現実的に分析する。
「ただ、内容は確実に向上している。最終戦での結果次第では、まだ少しでも上の順位にいける可能性はある」
「そうじゃなー。緋色のパスは確実に良くなっとるし、白石との駆け引きも面白かったがん」
照も頷く。
「うん、今朝の試合で分かった。僕たちだって強いチームと互角に戦える」
「大森 海と大森 陸の双子が相手か…」
蒼が資料を見ながら言う。
「Hockey Labの店長さんが言ってた双子だ。海がフィジカル系のストライカー、陸がテクニック系のドリブラーって聞いた」
緋色が思い出しながら言う。
「でも、今朝の手応えがあるから大丈夫だと思います」
緋色が自信を持って言う。昨日の絶望感とは全く違う気持ちだった。白石との駆け引きで、自分の成長を確実に実感していた。
「そうじゃなー。今朝みたいにやれば、フィジカルとテクニック、どっちが来ても怖くねぇわ!」
照も同意する。
緋色はテントの外を見つめていた。青空に白い雲が流れている。
(今日の午後の双子戦では、もっとすごいプレーができるかもしれない。白石選手との駆け引きで、僕の光る感覚はさらに進化した)
心の中で、何かが熱く燃えているのを感じた。
「緋色、どう思う?午後の試合」
蒼が聞く。
「絶対に勝てると思う。白石選手との駆け引きで、僕の感覚はもっと鋭くなった。午後の試合では、フィジカルの海選手もテクニックの陸選手も、僕のパスで上回ってやる」
その言葉に、全員が力強く頷いた。
昼食を終えると、緋色は午後の試合への準備を始めた。
数時間後には予選リーグ最終戦。石見双星中戦が、ついに始まろうとしていた。