第11話「合宿最終日」
合宿最終日の朝。
昨日の5試合を戦い抜いた心地よい疲労を感じながらも、相原 緋色は早めに目を覚ました。
時計を見ると、まだ6時半。朝食まで1時間ほどある。
窓の外を見ると、四国の山々が朝霧に包まれて幻想的な光景を作り出している。
せっかくの機会だからと、緋色は軽く散歩することにした。
合宿所を出ると、ひんやりとした朝の空気が頬を撫でていく。
鳥のさえずりが響く中、緋色は自然と足を向けた散策路を歩き始めた。
木々の間から差し込む朝日がまぶしく、足元の小石を踏む音が静寂に響く。
深呼吸すると、山の清々しい香りが肺いっぱいに広がった。
(こんなに美しい場所で合宿できるなんて...昨日は夢中で気づかなかったけど、本当にいいところだな)
散策路を歩いていると、前方から人影が見えた。
「あ、ひいろくん!」
振り返ると、桜倉 えみが手を振りながら歩いてきた。
「えみちゃん、おはよう。早いね」
「ふふっ♪ ひいろくんも早起きさんなんだね。私も今起きて散歩してるところなんだよ」
えみは緋色の隣に並んで、一緒に散策路を歩き始めた。
「昨日は本当にお疲れさまでした。5試合なんて、見てるだけでも大変そうだったよー」
「そうだね、でもすごく勉強になったんだ」
「見てて分かったよ。ひいろくんのプレー、昨日の最初の試合と最後の試合で全然違ってたもん」
えみの言葉に、緋色は少し照れた表情を見せた。
「そうかな?自分でも、少しずつ成長できた気がするんだ」
二人は木漏れ日の中を歩きながら、自然と昨日の振り返りをしていた。
朝の清々しい空気の中、会話も弾んでいく。
「今日も頑張ってね、ひいろくん」
「うん、ありがとう。えみちゃんも頑張って!」
昨夜の食堂で、桜倉 えみ(さくら えみ)の本当の名前を知った。
自然に出る「えみちゃん」という呼び方。
昨夜から使い始めたその響きが、とても心地よく感じられる。
「あ、そろそろ朝食の時間かも」
えみが時計を見ながら言う。
「そうだね。朝食の準備急がなきゃ」
二人は合宿所に向かって歩き始めた。
四国の美しい朝の散歩は、緋色の心を穏やかにしてくれた。
合宿所に戻ると、他の選手たちも朝食の準備を始めていた。
四国の山々に囲まれた合宿地。
今日も朝霧が立ち込める青い人工芝が、朝日を受けてきらめいている。
散水システムからの細かい水滴が空気中に舞い、昨日と同じ幻想的な光景を作り出していた。
「皆さん、合宿最終日です。今日も昨日と同様、ローテーション式で5試合ほど予定しています」
椎名 美智先生の言葉に、選手たちは気持ちを引き締めた。
緋色は深呼吸をした。
昨日の5試合で、あの光る感覚が確実に安定してきているのを感じる。
(昨日よりも、もっとはっきりと見えるようにしたい!)
長瀬 誠が静かに声をかける。
「緋色、昨日の成長は素晴らしかった。今日もその調子で、さらに高いレベルを目指していこう」
その言葉に、緋色の背筋が伸びた。
合宿最終日の第1試合が始まった。
相手は高知県の土佐中学校。
昨日も戦ったが、今日は組み合わせを変えての再戦だった。
「今日も15分間、集中していこう!」
誠の声が青い人工芝に響く。
緋色は昨日よりもリラックスしてピッチに立っていた。
合宿という環境にも慣れ、あの光る感覚への信頼も深まっている。
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第1クォーター 4分
早速その感覚が働いた。
深呼吸をして心を落ち着かせた瞬間、視界の隅で薄っすらと金色の線が浮かび上がる。昨日よりも少し、ほんの少しだけはっきりと見えた。
「今だ!」
緋色の的確なパス要求から生まれた攻撃で、照が見事なゴールを決めた。
「よっしゃー! ひいろ、ナイス判断じゃー!」
照の岡山弁が響く。
試合は2-1で成磐中の勝利。
幸先の良いスタートを切った。
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成磐中の第1試合が終わると、すぐに琴平中 vs 新居浜中の試合が始まった。
「琴平中、昨日より連携が良くなっとんなー」
照が感心しながら観戦している。
緋色も他校の試合を見ながら、それぞれのチームが昨日からどう成長しているかを観察していた。
どのチームも短期間でも、確実にレベルアップしているのが分かる。
(みんな、1日でこんなに成長するんだ。僕ももっと頑張らないと)
ピッチサイドで、えみが手を振って応援している姿が見えた。
緋色も軽く手を振り返す。
15分の観戦後、成磐中の第2試合が始まった。
相手は香川県の琴平中学校。
昨年の全国大会でも上位に進出した強豪校で、今回の合宿でも屈指の実力を誇っている。
「気を引き締めていこう。相手は昨日の松山東中と同レベルの強さだ」
誠の言葉に、選手たちの表情が引き締まった。
琴平中の実力は、試合開始と同時に明らかになった。
組織的な守備と鋭い攻撃で、成磐中を圧倒してくる。
「速い...!」
緋色は相手の連携の良さに驚いた。
パスの精度、ポジショニング、判断力──
どれをとっても高いレベルにある。
しかし、緋色は昨日とは違った。
5試合を戦い抜いた経験と、安定してきた光る感覚への信頼がある。
第1クォーター 6分
決定的な場面が訪れた。
深呼吸をして心を落ち着かせた緋色の視界に、金色の線が浮かび上がった。
昨日よりも確実に、そして安定して見える。
(見える...確実に見える!)
緋色は迷わず手を上げて要求した。
照からの完璧なパスを受け取り、そのまま中央にいる誠へ正確なパスを送る。
誠がワンタッチで突破し、照との絶妙な連携から豪快なシュートを決めた。
「よっしゃあああ!」
1-1の同点。
「ひいろ、今のパス要求、昨日よりもさらに良くなってるぞ」
誠が駆け寄ってきて、緋色の肩を叩いた。
「ありがとうございます。なんだか、少しずつ安定してきた気がします」
「その調子だ。緋色の成長は、チーム全体に勇気をくれる」
第2クォーターも激しい攻防が続いた。
緋色の光る感覚はさらに安定し、2度、3度と的確なパス要求を見せた。
琴平中の選手たちも、緋色の動きに注目し始めていた。
「あの1年生、昨日より明らかに良くなってる」
「ポジショニングが絶妙すぎる」
試合は2-2の引き分けで終了した。
強豪・琴平中と互角に戦えたことに、成磐中の選手たちの表情は明るかった。
琴平中の監督が試合後に声をかけてきた。
「君たち、1日でこんなに成長するとは驚きです。特に君」
監督は緋色を見つめた。
「昨日の試合も見ていましたが、明らかに判断力が向上している。素晴らしいプレーだったよ」
その言葉に、緋色は照れながら深く頭を下げた。
その後も、午前中は続々と試合が行われた。
松山東中 vs 土佐中を観戦し、成磐中 vs 新居浜中の第3試合では勝利を収め、琴平中 vs 松山東中の試合も観戦した。
午前中で成磐中は3試合を戦い、2勝1分けの好成績を収めた。
緋色の光る感覚も、試合を重ねるごとに安定してきている。
「すげぇ調子じゃー、緋色」
照が汗を拭きながら言う。
「昨日から比べても、明らかによくなっとんなー」
蒼も同感だった。
「緋色のプレーを見てると、僕たちもなんだか勇気をもらえるよ」
昼食を挟んで午後も同様のペースで試合が続いた。
成磐中はさらに2試合を戦い、合計5試合を経験した。
最初は緊張していた緋色も、今では光る感覚を確実にコントロールできるようになっていた。
「本当に成長したな」
誠が緋色の肩を叩く。
「昨日の朝と比べて、別人のようだ。特に判断力がとてもよくなってる!」
緋色は照れくさそうに頭をかいた。
「まだまだです。でも、確実に何かが掴めてきました」
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午後2時。ついに合宿最終試合が終了した。
「皆さん、2日間で計10試合、本当にお疲れさまでした」
みち先生の労いの言葉に、選手たちは満足そうに頷いた。
荷物整理を終えた選手たちが、合宿所の前に集まった。
「名残惜しいなー」
照が四国の山々を見上げながら呟く。
「でも、すげぇ成長できた合宿じゃったなー」
緋色も同じ気持ちだった。
2日間で10試合という濃密な経験は、確実に自分を成長させてくれた。
えみが微笑みながら緋色のもとに歩いてきてきた。
「ふふっ♪ お疲れさま、ひいろくん」
「ありがとう、えみちゃん」
午後4時。観光バスが合宿所の前に到着した。
「みんな、忘れ物はない?」
みち先生が最終確認をしている。
選手たちが次々とバスに乗り込んでいく。
緋色は窓から四国の美しい景色を見つめていた。
この2日間で、確実に何かが変わった。
光る感覚への信頼、えみちゃんの新しい呼び方、そして仲間たちとの絆の深まり。
「中国大会が楽しみじゃなー」
照がバスの中で言う。
緋色は四国の景色を見つめながら、胸の奥で熱い想いを感じていた。
(中国大会では、きっともっと強い相手が待ってる。でも、僕にはこの光る感覚がある。そして、支えてくれる仲間たちがいる)
(ものすごく楽しみだ、早く…早く次の試合がしたい!)
バスは夕日に向かって走り続ける。
オレンジ色の空が、緋色たちの新たな決意を優しく包んでいた。
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一方その頃、遥か遠い島根県では—
出雲帝陵中学校の青い人工芝で、一人の少年が黙々と練習を続けていた。
神門 颯真
中学1年生でありながら、既に島根県内では知らぬ者のいない天才司令塔だった。
夜のライトに照らされた人工芝で、颯真は完璧なボールコントロールを披露している。
そのスティックワークは芸術的で、
「コツッ、コツッ」という音さえも美しいリズムを刻んでいた。
「今日はここまでだ。帰るぞ颯真」
監督の神門 烈真が声をかけるが、颯真は練習をやめようとしない。
「まだもう少し」
その声は冷静で、瞳には強い意志の光が宿っていた。
まるで氷のように澄んでいながら、内側に燃える炎を秘めている。
颯真の技術は中学1年生のレベルを遥かに超えていた。
正確無比なトラップ、精度の高いパス、そして試合全体を俯瞰する戦術眼。
全てが完璧だった。
「中国大会まで、あと2週間...」
颯真は呟きながら、再びボールに向き合った。
その姿には、全国制覇への揺るぎない意志が表れていた。
夜の静寂の中、スティックとボールが奏でる音だけが、出雲の空に響いていた。
遠く四国から岡山に向かうバスの中で温かい想いを胸に眠る緋色と、島根で孤独に研鑽を積む颯真。
二人の運命的な出会いが、刻一刻と近づいていた。