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06:地獄を名乗る遊女

「地獄屋に入った事ある?」


 雛菊保育園の中。廊下では今しがた野分(のわき)が「ああ、忙しい忙しい」といいながらギリギリ早歩きともいえるスピードで駈ける。そして「こら! 走るんじゃないよ!!」と大声を上げた。


「地獄屋って、珠名(たまな)屋の事か」


 明依の質問に答える(そら)は、畳の上に横たわってご機嫌な様子で身体を揺らす赤ちゃんの頬をツンツンしながらこちらを見ずに言う。


「ある」


 空が質問に答えるより前に、(うみ)が答えた。

 海は壁にもたれかかりすぎて首と後頭部だけを壁に預けている。壁と床に押されて首を曲げながら窮屈にしているのに、腹の上に乗せた本から目をそらさない。


 絶対に寝転んで読んだ方が楽だろう。どうしてその体勢で本を読もうと思うのか、明依には海の事が何一つわからなかった。


「だけどあそこには長い時間いられない」

「どうして長い時間いられないの?」

「いろんなところから生薬みたいな薬の匂いがして、頭がぼんやりしてくるから。それに、幽霊でも出そうな雰囲気」


 二年前まで〝双子の幽霊〟という立場を最大限に生かして人を驚かせることに命を懸けていた海が〝幽霊でも出そうな雰囲気〟というのだ。

 あの暖簾(のれん)の先にあるのはどうやら、とびきり美しい世界ではないらしい。


「あと、あそこの遊女は不気味」

「不気味って?」

「覇気も生気もない。暗い部屋でただ俯いてる」

「ぼーっとしてるって事?」

「ちょっと違う」


 海は本から視線をそらさないまま、首を左右に振った。


「まるで魂を抜かれた抜け殻みたい。私には糸を引いてくれるのを待っている操り人形に見える」

「……操り人形」


 地獄の着物を着て張り見世をしている遊女、終夜が地獄大夫と呼んだ女性に操り人形のような様子はなかった。


「一度でも珠名屋に入った客はあの妓楼に依存する。まるで薬物中毒者みたいに。待ちわびたように期待した顔で入って行って、魂を抜かれたような顔で帰っていく」


 明依は珠名屋に恍惚とした表情で入って行った男性客を思い出した。

 〝幽霊でも出そうな雰囲気〟をしている何もなさそうな妓楼の中、あの暖簾の先に、一体何があるというのだろう。


「誰にも喋らないでほしいんだけど、」

「団子5本」

「……わかった」


 言葉を遮って言う海に、明依が了承をぼそりと呟くと海はポーカーフェイスながら満足気な様子を浮かべた。


「実はね、その珠名屋の中に日奈と旭が入っていくのを見たの」

「おかしな話じゃない」


 思わぬ海の返事に、明依は息を呑んで海の言葉の続きを待った。海は相変わらず本から視線をそらさない。海はページをめくると口を開いた。


「あの妓楼なら亡霊の一人や二人普通に生活していても誰も気に留めない。あの妓楼の人間と亡霊の区別なんてつかないと思う」


 珠名屋の中はそんなに暗い雰囲気なのか。


 たしかに全部の窓を塞いでいるとなれば暗い雰囲気に違いない。

 思い出したのは昔、遊園地に入って大号泣したお化け屋敷。日本家屋から光を奪い去れば、遊園地でよくあるお化け屋敷になる。


「本当にお前の周りは騒がしいな」


 空はそう言うと、ご機嫌な赤ちゃんの頬をツンツンするのをやめて明依に向き直った。


「ここ二年、落ち着いたと思ったらこれだ。また変なことに首を突っ込もうとしてるんだろ」

「別にそういうわけじゃ……」

「珠名屋の名前が出てくる時点で変なことに首を突っ込もうとしてる」


 空と海の言葉に挟まれて明依は言葉に詰まる。これ以上ツッコまれては困ると思い、さっさと立ち上がった。


「じゃあ、海ちゃん。今度団子5本ね。じゃあ、そろそろ帰るよ。時間だし」

「時間って何?」


 海は大して興味なさげな様子で、そして平坦な口調で明依に問いかけた。


「えっと、終夜、帰ってくる……かもしれないし」

「終夜が帰ってきたって、夜一緒に食事するのなんてせいぜい二か月に一回くらいなのに」


 海にそう言われて明依は心臓を槍で一突きされたような気持ちになった。


「もうやめてよ! 最近すっごく気にしてるんだから!」

「元遊女なんだから自分でどうにかしたらいい。男を手のひらで転がすのなんて朝飯前のはず」


 海はそう言うと手のひらを上に向けて揺らした。

 子どもがそんな下品なジェスチャーをするんじゃないと言いたかったが、ここは遊郭。海の言う通り、男を翻弄して金をとる仕事をしている女の住む街だ。


「相手が終夜じゃお前も(あわ)れだな、黎明」


 海に続いてそういう空に、明依は泣きそうになりながら雛菊保育園を後にした。


 傷口をぐりぐりと無遠慮に抉られ、女相手に限っては二人よりは明らかに優しく、そして吉原で間違いなく一番情報を握っている人間の所へと足早に移動した。


「あの妓楼の名前は〝珠名(たまな)屋〟。通称、地獄屋」


 時雨はそう言いながら、小春屋の一室で煙管をふかした。


「ちゃんと主郭から営業許可をもらっている妓楼だ」

「満月屋くらい大きな妓楼だったよ。外から見た雰囲気は、凄く暗かったけど」

「大見世の妓楼だからな。だけど、妓楼の中は独立国家だ」

「……独立国家?」

「そう。独立国家。吉原って街が国からぶん取って作られたみたいに、あの妓楼も吉原からぶん取って独立してんだ。まだここ5年くらいの話だ」

「どうして主郭は放っておくの?」

「放っておくんじゃねーよ。手も足も出ないんだ。今まで何度も陰を派遣して妓楼を内側からつぶそうと思っているのに、地獄屋に入った陰は消息を絶つ。誰一人、あの妓楼から出てきていない」


 『まさかまさか。たかが一人の女の為にたくさんの人間のこれまでを棒に振るとは』


 地獄大夫の言った言葉はきっと、派遣された陰の事を言っていたのだろう。

 だから終夜はあの時、銃を打てなかった。


「妓楼から出てこない陰の人は、殺されてるの?」

「どうだろうな。死んでるなら死体くらい上がってきてもいいはずだけどな。相当上手に処理してるのか、実はまだあの妓楼の中で生きてるのか。なんにせよ、音沙汰ひとつないのが怖いところだな」


 陰の実力は抗争の時に嫌と言うほどこの目で見ている。

 あの人たちがみんな妓楼の中から出てこないというのは、必ず何か理由があるはずだ。


 明依は珠名屋の入り口を思い出していた。

 まるでぽっかりと偶然開いてしまったような、地獄の穴。


 知れば知るほど、珠名屋の事が分からなくなる。


「薬物中毒者の巣窟だとか、人を食う鬼がいるとか、そんな噂を聞いたんだけど……」

「あの辺りは本当に治安が悪いからな。まあ、一つの区切られた街で人間を生活させようとするとこうなるんだよ。みんながみんな世渡り上手じゃない。表通りが光なら、あそこは吉原の陰の部分だ」


 〝吉原の陰の部分〟時雨のその言葉は、あの通りの様子を明確に表現していた。


「……張り見世をしている遊女を見たんだけど」

「珠名屋で張り見世をする遊女は一人しかいない。自らを〝地獄〟と名乗る遊女。通称〝地獄大夫〟だ」


 あの夜。

 扇のように広がった羽織を思い出す。あそこには確かに、地獄の様相が描かれていた。


「本当の源氏名は乙星(おとほし)って言うらしいが、今となっては知っている人間が何人いるんだか。みーんな〝地獄大夫〟って呼んでる」

「どうして〝大夫〟なの?」

「何言ってんだ。お前のあだ名も一時期〝ゆで卵()()〟だったろ?」

「その話はやめて」


 酔った客に着物を掴まれ、調子がいい時のゆで卵くらいつるりと上半身が露出した時の事を思い出した。


 そういえばあの時、旭が座敷から飛び出してきてくれたんだっけ。と一瞬だけ懐かしい気持ちになったが、完全に風化したと思っていたあだ名を掘り返された恥ずかしさと怒りですぐに埋まった。


「まあ、ゆで卵大夫とはわけが違う。乙星って女は、吉原の街では最高の名誉とされる松ノ位への昇格を何度も断り続けた遊女だからな」

「松ノ位への昇格を断ったの? どういう理由で」

「さーな。あの辺りは昔から治安が悪くてな。改善しようと試みた主郭が、大見世の妓楼・珠名屋の乙星に松ノ位昇格を本格的に主郭が打診したんだ。そしたら乙星は、自分の顔面に傷をつけた。それから手紙を一通、主郭に寄越した。『次がありますれば()()つ時に楼閣(ろうかく)門前にて自刃(じじん)致す所存にございます』ってな」

「どういう意味……?」

「次松ノ位昇格の話をしたら、吉原が一番盛り上がっている時間帯に主郭の真ん前で死んでやるって、主郭相手に脅しをかけてんだよ。以来主郭は、打診をしなくなった。狂ってるだろ。いい女だけどな」


 真剣な口調で語っていたかと思えば、時雨は急にしっかりと自分らしさを出してくる。


「本名は星乃(ほしの)。もともとは満月屋の遊女だ」


 それを聞いて感じたのは、嫌な予感。

 本能的な危機を感じて、心臓がしっかりと音を立てる。


 もともとは満月屋の遊女。一番に思い浮かんだのは十六夜だった。

 十六夜は満月屋の見張りの陰として遊女の中に紛れ込み、それから丹楓屋に異動になった。

 あの一連した災いを思い出す。


 しかし明依は高尾を思い出して心の平穏を保った。あんな風に優しい人もいるじゃないか。悪い事ばかり起きるわけではない。


「本当は修繕工事の時にぶっ潰して方を付ける予定だったみたいだったが……。あの時主郭はいろいろな方向を向いていて、それどころじゃなかったからな。独立したと言われている今もちゃんと主郭に金を収めていて、探りに行った陰が帰ってこない以外の害はない。まあ、今は触らぬ神に祟りなしって感じなんだろうな。……で、何で急に珠名屋なんて気になったんだ?」


 日奈と旭を見た。そんなことを言えばきっと、時雨は止めるだろう。

 もしかすると先手を打って終夜に報告をして、身動きが取りづらくなるかもしれない。


「ハロウィンの時って騒がしいから人通りの少ない道を探してたの。そしたら迷い込んじゃって。その時に偶然見つけたの。梅雨ちゃんが『関わるな』って言って詳しく教えてくれなかったからどんな妓楼なのか気になって」


 大筋の本当に、少しの嘘を混ぜる。


「梅雨が正解だな。関わるモンじゃない。地獄に引きずり込まれるぞ」


 時雨は警戒の色を解いてゆるりとした態度で座った。


 時雨に聞いても日奈と旭の正体はわからない。

 外部から情報を入手するのはきっと、これが限界なのだろう。

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