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47:新風

 風を感じて、ゆっくりと重力に従っていた身体がこれから加速するのだろうと本能的に察してすぐ、ピタリと動きがとまった。


 明依を抱きながら後ろ向きに倒れようとする終夜の胸元に、誰かの手が伸びている。


「探し物はこれですか、終夜」


 聞き覚えのある声に明依は目を開けた。


 胸ぐらを掴むようにして終夜の落下を止めているのは、晴朗。


 そして晴朗の逆の手には、手首から切られた手が握られていた。


 部屋の中には終夜と偽物の終夜が使っていた刀とは別に、刀が畳の上に放り投げられていて、すぐ側では地獄大夫が片腕を抑えてうずくまっていた。


 袖で良く見えないが、腕からは血が溢れて畳に血だまりを作っていた。


 晴朗が握っているのは地獄大夫の手。その手はまるで切られたことを今知ったかのように、ゆっくりと脱力するように力を抜く。

 その途端に重力に従って落ちたのは、精巧な織物が施された入れ物。晴朗は用済みの手を放り投げ、その手で入れ物をキャッチした。


「名演技ですね。本当に死のうとしているのかと思いましたよ」


 晴朗はまるで、終夜の腹の内を何もかも見透かしているみたいだ。

 終夜はゆっくり息を吐くと、首を後ろに脱力させて夜空を見る様に天を仰ぐ。


「早く起こして」


 晴朗に引き寄せられた終夜が身を起こすと、終夜は明依を畳の上に下し、手早く明依に解毒薬を打つ。明依は弱くなる鼓動に合わせて、ゆっくりと呼吸をしている。終夜の手は少し、震えていた。


「……代わりましょうか?」

「いいよ、別に」


 終夜は針が刺さっている明依の腕からうずくまって腕をおさえる地獄大夫を見て、それからまた明依の腕に視線を戻した。


「よく洗脳にかからなかったね」

「僕もその情報を得てここに来たんですが、特に何事もなくここまで来ましたよ。普通の大見世の妓楼でした。拍子抜けですよ」


 珠名屋の様子は、どこをどうひっくり返そうとも〝普通の妓楼〟とは言える雰囲気ではない。珠名屋に〝普通〟を当てはめるとするなら、まず大前提としてふさがれた窓が開いて、自然光が入っている事が絶対条件だ。


 終夜は返事をすることも、表情を変える事もなく、明依の腕に刺さる針を見ていた。


「ご無事ですか……!!」


 そう言って座敷の中に入ってきたのは、数人の陰。陰はすぐに、磔にされた地獄大夫を捕らえた。


 それからも座敷の中には、続々と陰が入ってくる。

 座敷の中がにぎわう感覚を、明依は朦朧とした意識の中で感じていた。


 これだけの陰が入ってくることが出来るのなら、地獄大夫の洗脳しやすい環境は説かれたのだろう。明依の朦朧とした意識は原因や理由を度外視して〝安心〟という感覚的情報だけを明依に与えた。


「ところで、暮相さまはどこですか?」


 晴朗の余裕のある声を聴いた安堵の中、明依は眠りにつくように目を閉じた。






 それから明依は、目を覚ましているとも、覚ましていないとも言い切れない感覚の中にいた。

 身体を包み込むような温かさに、意識の海を泳いでいる浮遊感。

 がむしゃらにぐんぐんと前に進んでいるような気もするし、ただ流れに身を任せているだけのような気がする。

 間違いないのは、明るい方に行こうとしているという事。ただ、それだけ。


 明依はゆっくりと目を開けた。


「明依」


 感情を抑えて、期待を込めた、終夜の声。


「……終夜」


 明依が名前を呼ぶと、終夜は両手で握っている明依の右手を自分の額に寄せてうつむき、目を閉じて震える喉元でゆっくりと息を吐いた。


「お医者さまを呼んでくるわ」


 声が聞こえて初めて、吉野がここにいたことを知った。

 吉野は小走りで病室から出て行く。


 ここはどこだ。

 明依はぼんやりと天井を眺めて、こうなった経緯を思い出そうと努めていた。


「珠名楼で倒れて、ここに運ばれたんだよ」


 終夜は今欲しい情報を端的にくれる。しかし明依の手を包むように持って額に両手を付けている終夜がどんな顔をしているのかはわからない。


 まるで溢れたように、珠名屋での出来事とその時の感情が、ごちゃごちゃになって溢れ出してくる。


 明依はただ身を任せていた。きっとすぐに気持ちが定まる物ではないと知っているからだ。

 こんな状況でも冷静に対処できているのは、自分と付き合う事に慣れた証拠なのかもしれない。


「終夜、助けてくれてありがとう」


 終夜に顔を上げる様子はない。


「うん。どういたしまして」


 しかしいつも通りの口調で、いや、いつも以上にあっさりと、終夜は言う。


 いつもの終夜ならきっと〝これは助けた内に入らない〟というのだ。

 それは二人の関係が少し変わる合図で、終夜の中で大きく何かが変わった証拠だった。


 ガラガラと引き戸が開き、勝山が入ってきた。


 勝山は終夜の隣に立つ。むっとした表情をしている。


「……怒ってるんですか、勝山大夫……」


 明依がそう言うと勝山はゆっくりと息を抜くように吐いて、それから安心したように笑う。


「よく生きて戻った」


 勝山にしては、優しい響き。

 心配してくれていたのだろう。そう思うと思わず泣いてしまいそうだった。


 医者と吉野が入ってくると同時に、終夜はさっと立ち上がると明依の手を放した。


 先ほどまで終夜に触れられていた手のぬくもりが、少しずつ奪われていく。


「後は頼んだよ」


 終夜はそう言って医者と吉野の隣を通り過ぎた。


「終夜くん」


 医者は心配そうに終夜の名前を呼ぶ。勝山と吉野も、同じように心配そうな視線で二人を見ていた。


 終夜は後ろ手で引き戸を閉じる。


「あの、」


 どうしてみんなそんな心配そうな顔をしているのか。事情を聞きたかった明依だが、ドン!! という音が聞こえて、頭の中のものが吹っ飛んで思わず終夜が消えたドアの向こうを見た。


「ほーらな。言わんこっちゃない」


 ドアの向こうからあきれたように響くのは、時雨の声。


「おーい。やっぱ終夜が倒れたぞー。医者呼んでこーい」


 まるで至極当然と言った様子で焦りもしていない時雨の様子。

 しかし明依は命拾いした心臓が鼓動を速めるのを感じていた。


「終夜……!」

「動くんじゃないよ!!!」


 身を起こした明依の顔面を鷲掴みにした勝山が、勢いに任せて明依の頭を枕に押し付けた。


「これ以上病人が増えたらどうすんだい!!!」

「黎明さんが一番重症なんですよ!!!!!」


 医者はあたふたとして勝山の行動を責めたが、勝山はあきれた様子で扉の向こうに視線を移す。


「二週間も寝ずにずっと気を張ってりゃ倒れて当然だ」


 終夜は二週間も寝ずに側にいてくれたのか。

 早く良くなって、今度は終夜の看病がしたい。


 解毒薬のおかげなのか、目覚めは悪くない。

 もしもこの目覚めの不快感までコントロールして解毒薬を作っているのなら、やはり地獄大夫は天才だ。

 もっとほかの所にその技術を使えば、救われる人はたくさんいたかもしれないのに。


「……勝山大夫」

「なんだい」

「痛いです」


 明依は勝山の手の隙間から呟いた。

 しかし、生きているから、死から遠い場所にいるから、痛みを感じるという事を明依はしみじみと実感していた。

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