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37:死を想え

 三階の景色は、一階、二階と何も変わらない。

 しかし三階に到着してから遊女たちが現れる事もトラップが作動することもなく歩いている。平和と言えば平和だった。


「お、ついたぞ」


 暮相の声で顔を上げた終夜は、地獄絵図を見た。


「まだ三人は来てないな。……でも、みんな無事だよな!」

「あっちには宵がいるしな」


 誰かに肯定してほしいと書いてあるような声色で言う旭に、暮相が俺ナイス! といった様子の暮相。


 終夜はただ、襖に壮大に描かれた地獄絵図を注意深く眺めていた。


 明依だけを心配しているのか、はたまた三人を心配しているのか。それともここに三人必ずたどり着くと確信しているのか、計算を終えていないのか。あるいは、今終夜の意識の全ては何よりも、壮大に描かれた地獄絵図に集中されているのか。


 いつも以上に何を考えているのかわからない終夜の様子を見た暮相は、彼と同じように地獄絵図を眺めた。旭は何か言いたげな様子で終夜を眺めている。


 最初に廊下の向こう側に視線を移したのは暮相。次に終夜が視線を移した。そして終夜が顔を動かしたことで、最後に旭が視線を移す。


 浅い呼吸を繰り返しながら壁に手を付けて歩いてくる女がひとり。


「明依!」


 旭は嬉しそうに明依の名前を叫んだ。


「無事でよかった! 心配して、」


 駆け寄ろうとする旭を引き止めるように、暮相は旭の肩をしっかりと掴んだ。


「本物じゃねーよ」


 暮相の言葉に、旭は唖然としてほとんど体重の全てを壁に預けて歩く明依を見た。


「じゃあ、あれは誰だよ……」

「地獄大夫が作った偽物だ」

「終夜……?」


 終夜は何を思っているのか、旭と暮相の会話も、ぼんやりとした表情で浅い呼吸を繰り返しながら終夜だけを見る明依にも返事をしない。


「日奈と宵兄さんとはぐれちゃって……気付いたらここにいたの」


 そういう明依は立っているのがやっとという様子。それどころか小さくせき込む体力すら残っていないように思えた。

 明依は終夜だけを見ている。まるで、旭や暮相が見えていないかのように。


「返事くらい、してよ」


 やっとのことでそう言った明依だったが、返事をしない終夜に警戒の色を見せる。

 自分の言葉に返事をしない終夜をニセモノかもしれないと思ったのだろう。色を失いかけていた明依の目に、ほんの少しだけ光が宿った瞬間だった。


 しかし俯いてせき込んだ明依は、その場にずるずると着物を壁に擦る音を立てて座り込んだ。


「明依……!」


 旭が駆け寄ろうとするのを、暮相がもう一度止めた。


「何で止めるんだよ、暮相兄さん!!」

「この〝明依〟は、もうすぐ死ぬからだ」


 暮相の言葉に動揺を見せたのは旭だけ。

 終夜はもしかすると〝明依〟と同じように、二人以外は何も見えず、聞こえていないのではないかと疑うくらいに、暮相と旭の言葉に反応を示さない。


 沈黙の中、苦しそうに明依が呼吸をするたびに隙間風が通り抜けるような音がする。


「星乃は、この明依にも毒を盛ったのか……?」

「明依と同じ症状じゃない。おそらくもともと呼吸器系の病気なんだろ。そして、もう打つ手がなく手遅れなんだ」

「……そんな」

「だけど〝明依〟は、自分を本人だと思ってる。俺達と一緒って事だ」


 旭は唖然とした様子で床に崩れ落ちたニセモノの明依を見て立ち尽くしている。


「地獄大夫の目的は、終夜に〝明依の死〟を見せる事だ」


 暮相はいまだに唖然とすることしかできない旭を見た。


「明依が誰に最期を看取ってほしいか分かるか、旭」

「……どうにも、ならないのかよ」


 旭の絶望が混じった声が廊下にぽつりと響く間、終夜はゆっくりと明依の側に歩き出した。

 それから終夜は、明依の膝に腕を回すとゆっくりと明依を抱き上げる。


「もう、やめてよ。……ニセモノかと思った」


 安心したような声で言った明依が、目を閉じる。

 終夜は明依の顔を見る事も、返事をする事もなく歩いた。


「二人にさせて」


 明依を抱えたまま隣を通り過ぎる終夜を、旭は拳を握りしめて何も言えず、暮相は何も言わずに見送った。


「誰に話してるの?」


 ゆっくりと目を開けた明依。そこでやっと終夜は、柔らかい表情で笑った。


「明依以外、誰がいるの?」

「今更、許可いる?」

「いらなかった? じゃあ、さっきのはナシ」


 終夜がそう言うと、明依は力なく小さく笑ってまた目を閉じた。


「満月屋で吉原解放の宴をした時も終夜は、こうやって私を部屋まで運んでくれた」

「なんだ、覚えてたんだ。爆睡してたから覚えてないと思ってた」

「覚えてたよ」


 明依は懐かしさにひたっているように、穏やかな声で言う。


 終夜は明依を抱えたまま襖を開けると、座敷の一室に入った。

 まるで二人を出迎えているみたいに、仰々しく飾り立てられた青白い部屋の中。雪洞、色とりどりの番傘、みずみずしい花々。 


 しかし座敷の中は、空気そのものが冷たく感じるほどシンと静まり返っていた。


 明依はぼんやりとした様子で辺りに視線を巡らせた。


「綺麗だね。……終夜にも見えてる?」

「見えてるよ」

「これも、また幻覚なのかな」

「さあ、どうだろう」


 終夜はそう言うと明依を部屋の真ん中にゆっくりと下す。明依は小さく咳をした。

 終夜は明依の手を握って持ち上げる。それから明依の指先を見た後、明依の顔へと視線を移した。


「どんな感じ?」

「うん。悪くないよ」


 明依の口調も表情も穏やかで。その様子がこれから向かう先にふさわしくないからか、終夜は何かを言いかけてそれから口をつぐんだ。


「悔いのない人生だったなって思ってる。後悔はしてないよ。私は幸せ者だったって思う。日奈と旭にも、宵兄さんにも会えた。それに、暮相さんにも。終夜はこんな人の側で育ったんだって思うと、嬉しかった」

「……それのどこが、嬉しいの」


 終夜はほんの少し震えた声で問いかけた。


「考えたら私、私と出会う前の終夜の事、あんまりよく知らないから」


 悲しそうに笑う明依に、終夜はゆっくりと息を吐きだした。まるで自分に、落ち着けと言い聞かせているみたいに。


「助けに来てくれてありがとう、終夜」

「……助けられてないから、こうなってるんだよ」

「終夜、そういう所あるよね。私は助けに来てくれたことが嬉しいって言ってるの」


 終夜は握っている明依の手に力を込めた。


「病室で話をした時、終夜むかつくーって思ってたけど、気を失う前も目を覚ましてからも、終夜が助けに来てくれるんだろうって、疑ってなかった。それで、本当に終夜は助けに来てくれたの」


 終夜は俯いて、明依に見えない様に歯を食いしばった。


「……ごめんね、終夜」

「なにが?」


 俯いたままの終夜。その声は感情の一切を排除して、不自然なくらい自然に部屋の中に響いている。


「こんな地獄に、ひとりでおいて行ってごめんね」


 明依はそう言うと、終夜が握っていた手を解いて彼の頬に触れた。


「大丈夫」


 終夜はそう言うと、自分の頬に乗った明依の手を包むように手を重ねて、それから明依にだけにしか見せない、穏やかな笑顔を浮かべた。


「……俺もすぐ、そっちに行くから」

「じゃあ、地獄で待ってる」


 明依はそう言って、目を閉じた。


「終夜」


 自分の名を聞き終えた終夜は、ゆっくりと目を閉じる。脱力した明依の手を強く握りながら吐く息が、喉元を震わせた。


 ゆっくりと目を開けた終夜は、少しの間無機質な表情で明依の顔を見つめていた。

 それからゆるりと立ち上がると、自分の羽織を明依の顔から上半身を覆うようにかぶせた。


 終夜は振り向かずに座敷の出入り口まで歩く。まるで、ここにはもう用はないと言いたげなくらい、あっさりと。


 しかし出入り口の襖を前にして立ち止まると、終夜は意図的に呼吸のペースを落とした。


 ゆっくり息を吸い、息を止めて、ゆっくりと吐き出し、息を止める。そしてまたゆっくりと息を吸う。その繰り返し。


 しばらくそうしていた後で、何の前触れもなく襖を開けて外へ出た。


「ぼさっとしてないで行くよ」


 終夜はいつも通りの様子でそう言いながら、旭と暮相の隣を通り過ぎる。


「なあ、暮相兄さん」


 心配そうに終夜の背中を見る旭の横で、暮相は腕を組んだまま冷静な様子で終夜の背中を見ていた。


「俺、時々終夜の事が分からなくなるんだ……。俺には本気で辛い事が、終夜は本当に平気なんじゃないかって。……終夜は俺なんかとは違って特別な人間なんじゃないかって、思うんだ」

「人間なんて、誰もたいして変わんねーよ。お前が好きな女が目の前で死んで辛いと思うなら、終夜もおんなじ気持ちだ。……ただアイツは、人よりもずっと自分の感情を隠すことに慣れているだけだ」


 終夜は地獄絵に目を奪われる日奈、宵、それから明依の元へ、まるで何事もなかったかのように歩いて行く。

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