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28:思い出の入り口

 明依は棘が手に刺さらないように注意を払いながら、茨の蔓にそっと触れた。


「終夜聞こえる?」

「聞こえない」


 終夜の一言で時が止まる。そして明依はすぐに冷静になった。

 いやいや、聞こえてないはずないじゃん。聞こえたから返事したんじゃん。


「……なに、その低レベルないたずら」


 完全に毒気を抜かれて、これから死ぬかもしれないという現状で気まで抜いてしまいそうだ。


 しかし聞こえると分かっていて自分の心の準備のために〝聞こえる?〟なんて言ったのがそもそもの間違いだった。


「地獄で待ち合わせだね」


 茨の向こうから聞こえた終夜の声に、明依は思わず息を呑んだ。


 終夜は気持ちを()んでくれたのだという直感。


 日奈の前では自分に対するどんな言葉も言い辛いと察して、言葉にすらなっていない不明確なものに返事をする。


 終夜は優しい。ずっとそうだ。終夜はいつだって優しい。

 だからいつも甘えてしまう。


 明依は前回珠名屋に足を踏み入れて、終夜に洗脳を解いてもらった時を思い出した。


 『一緒にいるって、明依が言ってくれたんだよ。――俺がどれだけ嬉しかったか、わかる? 明依」


 あれは、終夜の本心。

 死を目の前にした今となっては、終夜の言葉を思い出すだけで身に染みて、嬉しく思う。


 今、持っていなければ、求めたりしないのに。今持っている物に対しては、それ以上のものを望んでしまう。


 人間はどうしてこんなに欲張りなのだろう。


 すぐ側にいるのに、姿が見えないのは悲しい。

 今すぐに終夜に会いたい。それだけでいいと、今は心の底から思っている。


 旭と日奈とそれから宵が死んだことに慣れた。お次はどうやら、終夜の側にいる事にも慣れてしまっていたらしい。


 終夜は相手を選ばすに優しい言葉をかける人じゃない。


 窮地(きゅうち)(おちい)った時、人は本当の気持ちを知る。

 早く終夜に会いたい。


 明依には終夜も同じ気持ちでいるという確信があった。

 その気持ちが確かだから、今は自分達にできる事を精一杯するときだ。


「うん。もう行くね」

「気を付けて」


 明依は茨から手をはなした。


「……おい」


 先ほどとは随分違った終夜の声色。たった一言で、自分ではなく宵に声をかけているのだろうという事が分かる。

 終夜は意外と自分には優しい口調で話してくれているのだと、明依は初めて自覚した。


 二年間で関係性は何も変わっていなかったかもしれないが、態度や言葉。そんな細かな所はゆっくりと変わっていたのだろう。


「万が一の事があったら、もう一度死んでもらう」


 終夜の言葉を受け取った宵は、息を漏らすみたいに軽く笑った。


「安心していいよ。万が一はない」


 宵はそう言うとさっさと茨に背を向けて歩き出した。


「だけど、明依が暮相から切り離された〝宵〟を好きになる可能性はあるかもね」


 宵が終夜を(もてあそ)んでいる。という状況を明依が察した次の瞬間、茨の向こう側から何度も銃声が鳴り響いた。


「おい、終夜落ち着け!!」

「バカかお前!! 無駄打ちすんな。弾無くなったらどうすんだ!!」


 焦った様子の旭と暮相の様子から、銃を打ち込んだのは終夜らしい。


 もしかすると終夜は本当に嫉妬というヤツをしているのだろうか。

 そうだとしたら申し訳ないが、少し嬉しい。


 この感情が、遊女が客の愛情を確かめるために使った〝試し行動〟にハマってやめられなくなる理由か……。と明依は何となく人間の真理の部分を察したような気になった。


「旭、暮相さん。後から会おうね」

「じゃあな。明依! 絶対に無事で合流するんだからな! 日奈も!! 宵兄さんも!!」


 旭は明るい口調で言うが、心配気な様子を隠しきれていない。


 みんなで生きている未来があるなら、それはどんな形をしているのだろう。

 しかし、日奈が生きている世界で、終夜と自分が一緒になろうとする所を想像できない。


 何となく、旭への初恋を大切にし過ぎてそのまま拗らせてしまっているような気がする。


 初恋というべき旭を改めて前にしても、終夜に対して感じる気持ちとは違う。

 大人になって行き、〝好き〟という感情に幅が出てきたからかもしれない。


 明依には旭の隣にいる自分を上手に思い描くことができなかった。ずっと昔から、そうだったような気もする。


 名残惜しい気持ちを持っていたって仕方がない。


 一秒でも早く行動に移すしかないんだから。


 明依はさっさと茨に背を向けて、宵の後ろを歩いた。


「行こう、日奈」


 あっさりとそう言って隣を通り過ぎる明依に日奈は速足で追いついて、それから嬉しそうに笑って口を開いた。


「……明依、なんだか変わったね」

「立派になったな」


 こんな時だというのに、日奈と宵の三人でいる時間が嬉しくて。懐かしくて、温かい。

 満月屋で過ごした日々の延長。幸せだったと胸を張って言える時間の続き。


 綺麗な思い出だけがここにある。

 それは今いる場所が光一つ入らないところだという事を忘れさせるくらい、綺麗な思い出だった。


 光が少しも入らない珠名屋は不気味で気味が悪いと思っていたのに、いつの間にか大して気にならなくなっていた。


 慣れたのか、それとも日奈と宵たちに引っ張られて感情が動いているのか。


 明依の思考を止めたのは、宵のいつも通りの優しい声だった。


「明依、辛かったら言うんだよ」

「うん。わかった」


 茨が縦横無尽に動いたことによって外れた襖の隙間から廊下に出る。


 廊下は光を閉じ込めない分、座敷の中よりずっと暗い。ただそれだけの理由で、廊下よりも座敷の中の方が安心できる気がした。


 茨は座敷から続いて廊下も塞いでいる。さすがにあっさり合流というわけにはいかないらしい。


 明依と日奈と宵の三人は再び茨に背を向けて廊下を歩いた。


「地獄大夫の部屋は三階だ。ここは一階。まずは階段を探そう」


 宵の言葉に明依と日奈が短く同意の言葉を呟く。それから同じような廊下をしばらく歩いていると、壁に突き当たった。


「……やっぱり壁の位置が変わってるな」


 宵は独り言のように呟いて、壁に触れた。

 明依も同じように触れてみるが、壁はしっかりとした実体を持っている。

 前回珠名屋から出た時のような幻覚ではなかった。


 いたって普通の壁。

 宵に〝壁の位置が変わる〟なんて話を聞いていなければ、ニセモノの壁だなんて疑いもしないだろう。


 宵は周りを見回して人気がない事を確認すると、少し勢いをつけて体で壁を押した。


「ダメだな。びくともしない。他の道を探すしかないね」

「三階に行く道がない可能性はないかな?」

「それはないだろうね。地獄大夫はきっと三階に行くルートを縛っている。〝吊り橋効果〟を狙っているんだと思う」


 明依の質問に宵は端的に答える。


 〝吊り橋効果〟と宵に言われて思い出したのは日奈と仲たがいした夜の事だった。


 夜桜を見ながら酒を飲み、酔っぱらった挙句に、宵に〝意識している〟と伝えた時の事だ。


 意識しているのは主郭の地下で死ぬかもしれない状況に晒されていた事が一番の原因だから、吊り橋効果のようなものだと自分で結論付けたあの日。本当に大胆なことをしたよな、と宵とのあんなことやこんなことを思い出して恥ずかしい気持ちになると同時に、勢いのある背徳感に襲われた。


「多分、同じことを考えてるよ」


 宵にあっさりと言われてぎくりとした明依は、あたふたとした後で冷静を装って口を開いた。


「忘れよう。いったん、今は」

「俺は忘れないけどね」


 ねえ、なんで急に裏切るの……? 優しい宵兄さんはどこに行ったの……? と唖然と宵を見る明依と、さっさと次の作戦を考える宵。そんな二人を日奈は不思議そうな顔で見ていた。


 宵は小さく息を呑み、それからすぐに隣の襖を開いた。


「……こっちに」


 宵は明依と日奈を襖の先に入れて自分も中に入ると、襖を綺麗に締め切った。


「急いで」


 広い厨房を小走りで駆け抜けて、宵に釣られるまま一段下の土間に下りる。(かめ)(かご)が雑多に置かれた調理場の端に身を隠した。


 しゃがみ込んだと同時に遊女が襖を開ける音がした。見られたかもしれない、というギリギリのタイミング。


 それからは息を潜めていた。足音が調理場に響く。宵は明依と日奈の肩を守るようにして抱き寄せた。


 距離が近い。

 規則的に打つ心臓の音に反応して、懐かしい気持ちが蘇った。もしかすると感覚まで似せて作っているのもしれない。


 匂いも、感覚も、全てが宵だった。

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