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26:それはもう過去のこと

「ひっ」

「……ビビったあ」


 襖を貫通して目の前に佇む大鎌(おおがま)の刃に情けない声を上げる旭とは対照的に、暮相は一言呟いた後、すぐに鎌を素手で掴んで力任せに引っ張った。


 襖が外れたと同時に般若の面をつけた遊女が座敷の中に倒れ込む。遊女はうめき声一つ上げる事なく、ゆるりとした動きで立ち上がり手慣れた様子で鎌を薙いで動きを止めた。


「おお、いい女。今日見世やってんの?」


 暮相はあっさりとした様子で遊女に言う。

 遊女は面をつけていて顔は見えないが、暮相や時雨くらいの女好きレベルに達すると顔なんて見なくてもいい女かどうかを判別できるらしい。


 そんなことを考えていられたのは一瞬で、遊女は最低限の動きで暮相に鎌を振るう。


「暮相兄さん!!」


 旭は焦った様子で暮相の名前を呼ぶが、彼は刃をかわした後で鎌の峰に触れて遊女の方へと押しやる。

 遊女はバランスを崩すが、すぐに体勢を立て直して鎌の刃を向けた。


「明依、大丈夫?」

「うん、大丈夫。ありがとう、日奈」


 終夜から離れた明依に、日奈は心配そうな顔で駆け寄った。


 明依は日奈から視線を逸らして暮相を見た。

人の命がかかったやりとりをこれほど冷静な気持ちで見られる機会なんてそうはない。

 例えば終夜なら、相手と自分に実力の差があるとき無駄に戦いを長引かせたりはしないだろうから。


 暮相は〝吉原の厄災〟と言われる終夜に戦いの基本を叩き込んだ人だ。

 レベルが違い過ぎるのだろう。それが暮相が命を奪われることもないだろうという安心感の根本的な原因。そして抗争時の女装していた梅雨への態度も相まって、暮相は女には下手に手を出さないだろうという確信があった。


 明依はとにかく目の前の敵を殺す事にだけ意識を向けている遊女を見た。


 抗争の時に刀と刀の戦いを見てきたが、遊女の動きは彼らとは違っている。

 武器が違うだけで全く違う動きをする。鎌は大きい。見慣れない大鎌を持つ遊女には威圧感があった。目の前から鎌を持った人間と鉢合わせたら、刀を持っている人間と鉢合わせるより怖いだろう。


 〝人間の形をしたものが鎌を持っている〟という画が、人の命を刈り取る死神を連想させるからだろうか。


「威圧感が出るから、鎌なのかな……?」


 明依は主に抗争時の過去の経験からそう思い、終夜に問いかけてみた。

 戦うすべのない明依だが、吉原の抗争というどうしようもない場面に晒されて戦闘に対する勘のような分析力が少しは身についたらしい。


「それもあるだろうね。だけど妓楼の廊下は大して広くない。普通は狭い場所で長物はまず選ばない。鎌を振り回している遊女たちはおそらく、間合いを完璧に把握してるんだ。それが出来るなら、狭い空間を最大限使える長物の武器は有利だ」


 終夜が言う隣で、宵が頷いた。


「鎌っていう武器がまず見慣れないからね。万が一、珠名屋に入り込まれても誰も鎌対策なんて打っていないから、少ない人数でも勝ち目がある。相手が空間を最大限利用している中で、隙を見て先に進むことは至難の業だ。珠名屋側は敵が足止めを食らっている間に次の手が打てる。まあその前に、大体の人間は地獄大夫の毒で戦闘不能だろうけどね」


 そう言えば二年前、終夜に連れられて吉原から外に出た時、書道教室の地下の道が狭い事について時雨が文句を言った際に晴朗が、狭い道で戦う場合には必然的に一対一の構図が出来上がる。だから人数で圧されていても勝ち目があるのだと説明していた。


 妓楼の廊下はあの地下ほど狭い訳ではないが、スペースを大鎌の長さで埋めているのならきっと同じ仕組みのはずだ。


 考え方ひとつで有利にも不利にもなるのだと思い、明依は終夜と宵の深い思考に改めて感心していた。


「はやくしてよ」


 せかす終夜の言葉で、明依は再び暮相に視線を戻した。

 あっさり身を交わす暮相からは相変わらず圧倒的な余裕を感じる。


「邪魔すんな終夜。今、あーあ俺、どうせならこんな風に女と戯れて死にたかったなー、って思ってる所なんだよ」

「もう一回チャンスあるよ。よかったね」

「でも違うんだよなあ……妥協して死ぬってのはさあ。……おっ、危な」


 時雨かよ、と突っ込みたくなるような発言をさらりとする暮相。いかにも時雨と気が合いそうだという感想だった。


 きっと暮相がいた頃の吉原はもっと荒々しくて、もっと賑やかだっただろう。

 吉原一の人気者、時雨がもう一人いるようなものだ。


 通りの騒がしさの中、時雨と暮相の二人が肩を並べて歩く様を見て吉原に住んでいる人間は夜の始まりを知っただろう。酒に酔った二人を見て夜が深まったことを感じただろう。


 自分が吉原に来るよりもずっと前の話だと知っていながら、一目でいいからその粋な光景を見てみたかったと思った。


「……なんか」


 宵はぼそりと呟いたことによって、明依は宵を見た。


「なんだろう……。この物凄い嫌悪感は……」


 明依はもう一度暮相を見る。「こんなことはやめにして、ベッド行くのはどうだ?」と自分に鎌をふるう遊女を口説いていた。


 本当にどうして〝暮相(あれ)〟が〝(こう)〟なるのだろうと明依は暮相と宵を眺めた。

 注意深く表情などを見ていても、とてもではないが同一人物には見えない。


「大丈夫だ、宵兄さん。俺はどっちも、」

「どっちもどっちだよ」


 おそらく〝俺はどっちも好き〟と言おうとした旭だったが、終夜はそれをさえぎって一言呟き、宵にとどめを刺した。


「おい、終夜。暮相兄さんがアホすぎて、宵兄さん気にしてんだよ。フォローくらいしろよ」

「そういうのは旭の役目だろ」


 宵に優しくする気なんてさらさらない、とでも言いたげな終夜に旭はため息をついた。


 二人はこんなやりとりもするのか、と旭の生前に見る事のなかった二人の様子に嬉しさを感じていた。


 必ず別れが来る。それは紛れもなく悲しい事だ。

 だけどもう終わりが目前にあると知っているのは、逆に言えば幸運なことかもしれないと明依は思った。

 終わりが明確にわかっているのなら、自分の持っているすべてで大切にするだけでいい。


 〝明日死ぬように生きろ〟というのはきっと、これに近い感覚なのだろう。


 考え事をしている明依をよそに、終夜は急に軽々とした様子で駆け出した。


 そして未だに攻撃をいなすだけの暮相と遊女との間に開いた空間を狙って足を突っ込むと、終夜は女を蹴飛ばした。


「こういうのが俺の仕事だ」


 終夜は壁に打ち付けた反動で遊女が手放した大鎌を足で蹴り飛ばした。

 終夜は動き出そうとする遊女の首を掴んだ。


「終夜!! 殺すなよ!!」

「わかってる」


 焦った様子の旭とは対照的に、終夜はさらりと言う。それから自分と正面で向き合わせる様に力を込めて引き寄せた。

 女が自分の腕に爪を立てている事なんて気にもせずに、ゆっくりと細い首を握る手に力を込めていく。


「ねえ、お姉さん。聞きたいことがあるんだけど、話はできる?」


 終夜は場違いなくらい明るい声でそういって笑顔を貼り付けている。

 しかし女は終夜の腕に爪を喰い込ませる力を強めただけ。反動で落ちた般若の面の下には、虚ろな顔。終夜に首を絞められているのに、苦しみすら感じていないようだ。


 そもそも生存する気にすら見えない遊女の様子。明依はこの遊女はもうきっと〝生きる〟という行為をしていないのだと思った。


「時間の無駄だね」


 終夜がそう言ってすぐ、遊女はまるで急に電源が切れたみたいに、首を持つ終夜に身を委ねた。


 終夜はあっさりと遊女から手を放す。ゴト、と鈍い音がして、遊女は畳に倒れ込んだ。


「誰かさんたちの大騒ぎのせいで居場所がバレた。先を急ごう」


 終夜はそう言って、明依たちの方へと振り返った。


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