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01:最上位格・松ノ位

 ハロウィンイベントが行われている造花街・吉原。

 松ノ位を抱える妓楼、三浦屋にて。


 勝山が口を開くことを見越し、明依は襖を開けてすぐにスライディング土下座で座敷入りを果たした。


「申し訳、」

「それにしてもだ。吉原にはどうしてこうも毎日毎日人が多いのかね。移動するだけで大仕事だ」


 しかし明依の謝罪の言葉はその勝山に遮られた。

 そして誰も、明依の存在に気付いていない。


 あぐらをかき、鬱陶(うっとう)し気に顔をしかめる、丹楓屋・勝山大夫。

 梅ノ位という最下層のアルバイトスタッフから唯一昇格を果たした異才の遊女。

 決して吉原内の流行をなぞらず、胸元を大きく見せる独自の着崩し方を流行させた。勝気であっさりした性格から、男女問わず絶大な人気を誇る遊女の最高位・松ノ位の一人。


「一昨年、修繕工事でハロウィンイベントが中止になった影響がまだ続いているのかしらね」


 ほんのすこし眉をひそめるのは、()満月屋・吉野大夫。

 人は彼女の所作だけで、教養がある様子を知ることができる。

 芸事に秀で、決して怒りをあらわにせず、どこまでも穏やかなその様子はまるで天女のようだと言われる。

 二年前に身請けられ今は吉原の外で暮らしているが、時々吉原に来ては話に花を咲かせている。


「去年のこの時期は例年に比べて観光客が多かったらしいからな。今年もそうかもしれない」


 凛とした佇まいで言うのは、三浦屋・高尾大夫。

 松ノ位の中で一番謎に包まれた人物で、歌舞伎の黒衣のように常に顔の全体を布で隠している。

 よほどの上客でなければ花魁道中をせず、一度会った相手と会話の内容はどれだけ時間がたっても決して忘れない。

 覆われた布の下は醜い顔をしているという話もあれば、美しすぎて揉め事になるから隠しているとも噂される。


「もっと楽しい事があるでしょうに」


 呆れた様子で呟くのは、扇屋・夕霧大夫。

 〝吉原で最も美しい女〟と噂され、その容姿は女でも思わず見惚れてしまうほど美しい。

 花魁道中の規模や客からの貢物の額は桁違いと言われており、噂では何人もの富豪が彼女の手中に落ちて一文無しになったという、まさに傾城と呼ぶべき遊女。


 明依は入り口で正座をしたまま、ゆるりと交わされる世間話を外から眺めていた。


「まあまあ、黎明大夫。そんなところにお座りにならないで。お食事の準備をいたしますから」


 明依は優しく声をかけてくれる配膳係の女性に泣きそうになりながら「……はい」と呟いた。


 配膳係の女性の言葉で明依が来たことに気付いた四人は、それぞれの反応を示す。


「なんだ。来たのかい黎明。もう今日は来ないのかと思ったよ」


 勝山はあっさりと払いのけるように言って、酒をあおった。

 ねえ、なんで? いつもなら怒号を飛ばしているはずなのに、どうして今日は怒らないの?

 勝山の法則が全く分からない明依は、しばらくその場で放心していた。


「久しぶりね、明依。こっちにどうぞ。お話ししましょう」


 吉野はいつも通りの笑顔を浮かべている。

 吉野の優しさに触れてまた泣きそうになり「……はい」と呟いて席についた。


 ()満月屋・黎明大夫。

 松ノ位に昇格する前に行った異例の花魁道中、道中時の独自の歩行法、松ノ位三人に承認を得て松ノ位に昇格するという経歴をもつ遊女。

 異例の遊女として一世を風靡したかと思えば松ノ位の在籍歴最短を更新し、あっさりと松ノ位から身を引き世間に存在感を示した。

 裏社会で彼女が叩き出した歴代最高の身請け額は、今後更新される見込みはないという。

 引退後の現在は、吉原の最奥にある主郭と呼ばれる城で暮らしている。


 約二年前、全盛期、吉原の黄金期と言われた当時の吉原に在籍していた五人の松ノ位が一つの座敷に集まっていた。


「で? 終夜とはどうなんだい」


 食事を楽しんでいると、勝山はさらりと明依に問いかけた。

 おそらく大して気にはなっていないのだろう。勝山は興味なさげに頭を人差し指で掻きながら天井を見上げている。


 明依と終夜は約二年前、引退の花魁道中の後から主郭の頭領の居住区で一緒に暮らしていた。


「絶対興味ないじゃないですか」


 姐さま方に楽しい話を聞かせられるほどのなにかはない明依は、あっさりとした様子で勝山の話を流す。


 しかし夕霧は、心外ねとでも言いたげに美しい声で「あら」と言った。


「私は興味があるわ。教えてちょうだい」


 色気たっぷりの夕霧に毒されそうになりながらも明依は正気を保った。

 夕霧は美しすぎる。美しさに尺度があるなら、限度が過ぎればそれは毒だ。夕霧の顔面がドストライクの明依は、吉原で初夜を迎える客のように背筋を伸ばした。


「私もぜひ聞いてみたいわ」

「遊女を引退して終夜と暮らすようになってからもう二年が経つのか。喧嘩はしていないか」


 うっかり夕霧の美しさに心を奪われている最中に、吉野に続き高尾まで終夜と自分の話を聞きたがっていることに気付いた明依は、とっさに口を開いた。


「本当になにも、」

「あの様子だと喧嘩はするでしょう」

「あの、」

「だけどきっと、熱い夜を過ごして仲直りするのよね?」


 明依の言葉をさえぎって、夕霧は故意に色気を混ぜて言う。


 それから松ノ位の四人は明依に期待のまなざしを向ける。


 ここまで盛り上がられては反応に困るどころの話ではない。

 うっかり夕霧の美しさに心を奪われたのがいけなかった。どんどん言い辛くなる雰囲気は今、絶好調を迎えている。


「あの……」


 視線が痛いというのはこんな時に使う言葉なのだとギリギリの一歩手前で変に感心していた。


 口を開けば、あの勝山でさえ少し身を乗り出す。

 期待に沿えないのが申し訳ないと思いつつ、しかし事実だと腹をくくった明依はぼそりと呟いた。


「何も、ないです」


 ほんの少しの沈黙の後、勝山は豪快に笑った。


「アンタもおもしろい事を言うね、黎明。元遊女がなーにを恥ずかしがることがあるんだか。男と女が? 同じ場所に住んでいて? 何もない?」


 冗談としか捉えていない様子の勝山をよそに、吉野と高尾から感じる〝これはまずい事を聞いてしまった〟という事が少しも隠しきれていない雰囲気。


 事の重大さに気付いたのか、ほんの少しの余裕を欠いて口を開いたのは夕霧だった。


「おかえりのキスはするでしょ?」

「しません」

「廊下で会ってそういう雰囲気になったりとか」

「なったことないです」

「たまには二人でデートとか」

「しません」


 夕霧の言葉を一撃で撃ち落とす。

 シンと部屋の中は静まり返った。


 お願いやめて。

 誰でもいいからなんか喋って。


 明依が心の底からそう思っていると、高尾が咳払いをして口を開いた。


「まあ別に急ぐ必要などないだろう。まだ二年しか経っていないんだ。それぞれのペースがある。それに、大事が起こるよりはいい。例えば無理矢理手を出されただとか、したくもない事を無理矢理させられるとか」


 いつも通りの冷静な口調で。

 いつも以上に饒舌に。

 そして川の流れのように穏やかなはずの声は少し焦っている。


「そうね。もし何かあってからじゃ遅いもの。例えば……無理矢理手を出されたとか。あとは……したくもない事を無理矢理させられるとか、それで! 嫌な思いをしたとか!」


 ほとんど高尾の言葉をパクった吉野は、最後に一言、とっさに自分らしさを付け加える。


 明依と終夜は主郭の最上階。広い居住区の中でまったく別々の生活をしている。

 隣の部屋に住んではいるものの、壁で隔てられているため部屋から出なければ会う事もない。


 終夜は当然、裏の頭領として日々忙しく自分の仕事をしているし、明依も明依で自分の作った保育園を手伝いに行ったり、どうすれば妓楼が遊女たちにとって居心地のよい場所になるのか模索して清澄と一緒に動いたりと、終夜ほどではないものの運営側として忙しい生活を送っている。


 よく会うかな、と思い出すのは朝食。明依が食事を取る部屋に移動すると結構な確率でふらりと終夜がやってきて、しばらくして二人分の食事が運ばれてくるという流れだ。

 一緒に食事をする、というよりは、一緒に食事をすることになった、という方が正しいのだが。


 昼食が一緒になることはない。ごくたまに夕食は一緒になる。しかし終夜は食事を済ませると、さっさとどこかへ消える。

 何をしているのかはわからない。


 あとは廊下で会えば「おはよう」とか「おやすみ」の挨拶を交わすし、時間が合えば少し一緒にお茶を飲んで最近こんなことがあったという話もするので、断じて別に仲が悪いというわけではない。


 確かにここ二年で私たちの関係って一体何なんだろう、と何度も考えた。

 しかし本人に聞く勇気はない。

 そして頭には日奈がよぎるのだ。おそらく終夜もそうなのだという確信がある。きっと二年程度では、互いに距離感を掴み切れない。


 しかし、しかしだ。いつまでこの関係が続くのだろうと不安に思う事がある。

 もっと直接的な言い方をするのなら、いやなんでだよ意気地なしかよ抱けよ。と思っているんだ。


 いやでもやっぱり、日奈がよぎるから。と意気地なしな自分が顔を出して、ずっと堂々巡り。


 また静まり返っている座敷の中、話題を持っている感じで詐欺って本当にごめんなさいと心の中で謝って、助けを求めて座敷の入り口付近に立っている梅雨を見たが、彼は明依と目が合うより先にさっと視線を逸らした。


「なるほどねえ……」


 心の中でみなさまに謝罪をしたのも束の間、神妙な面持ちで口を開く勝山。

 なんでよりにもよってアンタが一番最初に口を開くんだと思った。


 そしてきっと彼女は、この場の全員が全員思っていて、決して口に出すまいと堪えているであろうことを口にするという確信が明依にはあった。


「よっっぽどアンタに魅力がないんだろうね」


 お願いやめて? 一瞬で地獄みたいな空気になったから。


 誰も彼もがアンタみたいに空気を読まないがさつな人間じゃないんだ。

 そして普通に失礼だからとりあえず一旦謝ってほしい。

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