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14:生気を込めたパペット

「しっかりして、明依」


 終夜の声で日奈と旭について考えている思考はほとんど無理矢理動きを止めた。


「二人は死んだ。目の前にいるのは本人じゃない」


 終夜の声色は、人に言い聞かせながら同時に自分にも言い聞かせているように聞こえる。


 理由なら簡単に想像がつく。

 死んだはずの日奈と旭があまりにも生前のまま目の前にいるからだ。


 死んだと思って生活していた二年間の全てが間違いだったのかと頭をよぎるのは、珠名屋の雰囲気がそうさせているのかもしれない。


 終夜の言葉だけが気持ちを正常な位置に戻すための指針だった。


 終夜はゆっくりと息を吐くと、それからすぐに日奈と距離を詰めて彼女を畳に押し付けた。


「おい終夜!!」


 終夜の行動に最初に反応したのは旭。明依はただ、頭の中と目の前で次から次に変わる状況に追いつけずにいた。


 終夜は刀の切っ先を日奈に向ける。


 頭の整理が追いつかないこの感覚はまるで、敵対していた時に終夜から一方的に情報を注がれているときのよう。


 終夜に畳に押し付けられた日奈は自分の胸ぐらを掴む終夜の手首を握って、身を震わせて目を瞑っているだけ。日奈の目じりには涙が浮かんでいた。


 偽物だ。

 だから終夜は日奈を殺そうとしている。


 終夜が苦痛に耐えるように、歯を食いしばった。

 しかしそれでも、握った刀を日奈に向かって振りかざそうとする。


 終夜が日奈を、殺してしまう。

 終夜が大切な友を二度も、手にかけてしまう。

 日奈が、死んでしまう。


「終夜!!」


 明依が叫んだ途端、終夜はその言葉を待っていたみたいにぴたりと動きを止めた。


「なにやってんだよ、お前!」


 終夜が動きを止めた間に、旭は口調を荒げて終夜を押しのけた。バランスを崩した終夜は立ち上がりながら数歩後ろに下がり、ゆっくりと息を吐いて、それから頭を抱えた。


「大丈夫か? 日奈」

「うん。……平気。大丈夫」


 旭は日奈の側に座って日奈が体を起こすのを手伝う。

 旭だったら間違いなく、この反応をする。


「……終夜」


 明依は放心状態のまま、終夜の側まで歩いて名前を呼ぶ。しかし終夜が明依の言葉に反応することはなく、明依が終夜に触れる事もなかった。


 旭は日奈の安否を確認すると、きつく終夜を睨んだ。

 日奈に危害を加えようとする相手が例え友達の終夜だろうと、旭は真っ直ぐにぶつかる。


「何考えてんだよ! 終夜!」


 そう。きっと旭ならこんな反応をするのだ。

 旭は日奈の事が大切だから。だけど好きでもない人の為にだろうと同じように怒れてしまうのが旭という男だという事を思い出す。


 目の前の二人が、〝造られた人間〟。

 本当にそうなのだろうか。知れば知るほど、自分の常識を疑いたくなる。これも洗脳の一種かもしれないと思いながら、抗えない。


「私は大丈夫。怒らないで、旭。私もまだちょっと、混乱してるから。きっと終夜もそうだよ」


 今にも終夜にとびかかりそうな勢いの旭の胸に手を置いて落ち着くよう促す日奈の手は震えている。

 言葉は気丈に聞こえるが、終夜に殺されかけて怖くて堪らなかっただろう。

 日奈ならこう反応をする。


 どこをどう切り取っても、絶望的なくらいあの頃のままの二人だった。


「日奈と旭を殺した時の感覚を覚えている?」


 立ち尽くす終夜の耳元で、地獄大夫が言う。

 急に姿を現した地獄大夫に目を見開く明依とは対照的に、終夜はただ俯いていた。


「人肌と同じ血の温度」

「黙れ」

「心臓の鼓動が止まる瞬間、まだ生きたいと願う身体が本能的に行う、最後のひと呼吸」

「黙れ!」

「ここにはお前が取りこぼしてしまったものが全部ある」


 終夜はきつく歯を食いしばった。


「終夜」

「その声で俺を呼ぶな!!」


 旭の声の残響すらかき消すように、終夜は叫んだ。


 地獄大夫はいつの間にかまた、消えていなくなっていた。

 この空間には交わる事はないと思われた人間が4人、取り残されている。


 終夜の激しい否定に旭は少し目を見開いて、それから睨んだ。睨むと言っても、その視線はどこか悲しそうで。

 長い間一緒にいた明依には何となく、旭がこれから言おうとしている事が分かっていた。


「……じゃあ俺は今更、お前の事をなんて呼べばいいんだよ」


 真っ直ぐな言葉。

 そうだ。きっと旭は友達だと思っていた終夜に〝名前を呼ぶな〟なんて言われたら、真っ直ぐな言葉を返すのだ。


 全部、幻なのだろうか。

 今目の前にいるのは言動も全く違う赤の他人で、地獄大夫の魅せる夢の中の産物。もしそうなら、三浦屋からの帰り道に梅雨と見た日奈と旭の説明がつかなくなる。


 幻であるわけがない。

 しかし、日奈と旭である訳がない。


 どうしてこんなに、似ているんだろう。


 立ち上がろうとする日奈の手を旭が握った。小さな気遣いを忘れない日奈らしく「ありがとう、旭」と言う。

 日奈と視線が絡んだ。明依は思わず身構える。


「明依」


 日奈の声が恐る恐る、明依の名前を呼ぶ。

 それはまるで、喧嘩別れをしたままになっていた友に久しぶりに話しかけるみたいに、様子をうかがう声で。


 明依は声を出せないまま、日奈を見ていた。


「大丈夫だった?」


 心配そうな声。


「怪我はしてない?」


 日奈は自分が殺されかけた状況でも、自分の事は後回しで他人の心配をする。

 なにが〝大丈夫〟なのかわからず、とにかく頭の中に浮かんだ言葉を口にしようと思った。


「……うん、平気」

「よかった」


 日奈が目に涙をためてほっとした顔をするから、思わず涙が浮かびそうになる。


「久しぶりだね、明依」


 日奈の声だ。ずっと聞きたかった日奈の声。

 もう二度と聞くことがないと思った声で、名前を呼んでくれる。


 当たり前だと信じて疑わなかった日々の続きみたいに、生き返ったみたいに、日奈が言うから。


 ダメだ。泣いてしまう。


 ふいに腕を引かれて明依は釣られるままに走った。

 座敷から飛び出して暗い廊下へ出てから、明依は終夜が自分の腕を引っ張っていることに気が付いた。


「出るよ」


 終夜は冷静に、たった一言そういう。

 冷たくも聞こえる終夜の声。


 それは、夢を遮ってしまう事に対する申し訳なさ、自戒の念、それから葛藤。

 しばらくの沈黙の間で明依は、終夜の一言に詰まった言葉の意味の深さを感じていた。


「来た道は覚えてるから。一緒に帰ろう」


 〝一緒に帰ろう〟

 一緒に暮らし始めるまで、終夜からそんな言葉を聞く日が来るなんて思わなかった。

 きっと抗争のさなかにいる自分に終夜の言葉を聞かせれば、幸福の絶頂にいる言葉にすら聞こえるだろう。


 しかし今となっては、すぐ側で触れないように注意を払いながら互いを眺めているだけの二人。


 明依の思考が途切れた原因は、暗い廊下からふらりと現れたのは般若の面をつけた三人の遊女の姿。

 明依は思わず身を固くしたが、終夜はあっさりと振り払って立ち止まる事なく走った。


 それからは走って、何度も敵をいなす終夜に身をゆだねていただけ。

 過去も未来も考えられない。ただ、今を生きる事だけに、必死になっている。


 気付けば終夜は壁に向かってスピードを緩める事なくまっすぐに走っていた。


「終夜」

「幻覚だ。大丈夫、信じて」


 明依は終夜を信じて壁に向かって走り、ぶつかるギリギリに目を閉じた。

 急に光を感じて、目を開ける。


「終夜さま、ご無事でしたか!!」


 すぐ近くから大声が聞こえてすぐ、明依は勢い余って前のめりになって転びそうになった。

 しかし終夜は明依の腹部に腕を回して前のめりになる明依の身体を支えた。


「誰か中に入った?」


 終夜は明依の腹部に腕を回して支えたまま言う。明依は終夜の腕に体重を預けたまま外の景色を眺めた。


 目に入る月の光は、一瞬にして胸のつまりのような不安感を取り払う。

 夜が明るいという感想を持ったのは初めてだった。怖いと思っていたはずの珠名屋前の通りでさえも、今では安心している。


 珠名屋という妓楼の中の異常さを思い知っていた。

 日奈と旭は、あんな暗い場所に取り残されている。胸が痛んで、明依はあの二人は本当の日奈と旭ではないと言い聞かせるのに、また珠名屋の中で見た二人の顔が頭に浮かぶ。


「終夜さまのすぐあとに二人。まだ出てきていません」

「……多分もう出てこないよ」


 終夜の意味ありげな一言に、陰の数人は息を呑んだ。


「地獄大夫は薬と洗脳術を複合的に使う。あれじゃあ妓楼の道順を正確に覚えていない限りは出られない」

「洗脳術、ですか」


 明依を立ち上がらせながら言う終夜の言葉に、陰の数人はどんな風に反応したらいいのかわからないと言った様子で呟いた。


「そう、洗脳術。厄介だよ」

「……あの、終夜さま。それはどう、厄介なのですか?」


 まるで敵との間合いをジリジリと詰めるみたいに様子を伺いながら陰は問う。


「かけてあげようか?」


 終夜はあっさりと、それでいて脅すように笑顔を張り付けて言う。


「遠慮いたします」

「そう? 遠慮しなくていいのに」


 陰が恐る恐る返事をすると、終夜はいつも通りの飄々とした態度で返事をする。

 先ほど座敷の中で見せたどの態度とも違う。たくさんの人が知っている終夜のいつも通りで。


 明依は先ほど地獄大夫に洗脳されかけていたことを思い出し、洗脳術の恐怖を身をもって思い知っていた。たとえ来た道を覚えていたのだとしても、頭がぼんやりした状況で正常な判断をして妓楼の外に出られるとは思わない。


「ご無事ですか、黎明さま」

「はい。大丈夫です」


 女性と思われる陰の問いかけに、明依は反射的に返事をして頷いた。その途端、頭がくらくらして、立っているのもやっとの状態になる。

 走ったからか、酸素不足なのか。わかるのはこの状況はきっと、まずいという事。


「とりあえず中に入った人間がすぐに殺される心配はないよ。いったん退避」


 終夜の声がぼやけて聞こえる。


 まるで最初に終夜と対峙した座敷の中で毒を盛られたと嘘をつかれた時みたい。


 だけど違う。

 本当に体に悪いものが入った時、人間の身体はこんな反応をするんだと思った。


 汗が止まらず、平衡感覚さえなくなる。


「……明依?」


 不安げな終夜の声が耳に届いてすぐ、明依はその場に座り込んだ。

 そしてそのまま、身を起こしておくことができずに横になる。


「明依!」


 そんなに焦ってくれるんだなと他人事のように思う。それからただ名前を呼ばれるだけで嬉しいなんて、本当に終夜の事が好きなのだろうと、改めてそう自覚する。

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