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11:まやかしのレトリック

 いたるところに綺麗な切り口でそろえられた草がある。


 液体にひたされた草や木の実。いぶされた草。天井からつり下がった草は乾燥している。いたるところに大小さまざまな花瓶があり、見慣れない草花が意味あり気に置かれていた。


 雪洞(ぼんぼり)が薄暗く室内を照らしている。


 まるで障子のように天井は等間隔に区切られている。その区画の中に円形があり、円形にはそれぞれ鳥や花が描かれている。向こう側から光を当てれば、ステンドグラスのように淡く光るだろう。


 しかし雪洞はただ辺りを照らすだけで、そうなれば美しいはずの天井の絵はベタリと貼っただけに見える。本来の良さを殺している様子は、部屋の中をいっそう無機質に見せている。


 生きていた自然の産物、草とそれから雪洞の光が無機質な部屋にかろうじて温かさを出しているような妖しげな部屋の中。


 部屋の中には充分な温かさも冷たさもない。長時間一定温度のぬるま湯につかって、身も心もふやけてしまうような。


 そんな室内に、明依は横たわっていた。


「黎明」


 その名前に明依の胸はトクンと鳴った。

 気分のいい響きではない。

 たくさんの感情が言葉にはならないまま頭の中にぼんやりと浮かんで飽和しているから、明確な何かを掴むことは出来ない。


 たくさんの人に呼ばれ、たくさんの苦しみを味わい、同時に誇らしい。そんな気持ち。


「黎明」


 誰かがもう一度、しっかりと源氏名を呼ぶ。


 明依のすぐ隣でささやくように言うのは地獄大夫。

 片手で明依の頭を撫でながら、もう片方の手は明依の手首を握っている。


 しかし室内に溢れる生薬のにおいと深部体温にまで作用するような温かさに包まれて脳機能が著しく下がった状態の明依は、言葉の意味が理解できないどころか、誰に呼ばれているのかでさえ理解できなかった。


「明依」


 呼ばれた名前に、明依は眉を潜めた。

 まるで本当の自分を探られているみたい。

 聞きなれない声に、源氏名ではない名前を呼ばれて。


 いつかどこかで感じた。

 局所麻酔をかけられた状態で心の内側を探られているような。酒を飲んだ時のように中途半端に覚醒した頭は、感覚を閉ざしている。


「終夜を愛してる?」


 純粋な疑問に響く声。

 今の地獄大夫に格子越しで明依と最初に会話をした時のような強い口調や語尾は一切ない。何の気もないようなのに、優しくて暖かい。心の隙間を縫って抵抗するなんて考えが浮かばないほど心の内側に滑り込むような。


 頭はぼんやりとしているのに、自分の思考にはすぐにたどり着く。

 少し気恥ずかしくなるような気持ち。それから、口にしてはいけないような気持ち。


 なにより愛を語れるほど終夜との距離は近くない。

 全部混ざって心の内側が、(にご)る。


「終夜と心の底から愛し合った記憶はある?」


 そう言うと、地獄大夫は口を閉ざした。まるで入力した計算式の答えが算出し終わるのを待っているみたいに。


 〝心の底から愛し合った記憶〟。

 最後の座敷で身体を重ねた時間は〝愛し合った〟という言葉の枠の内側に入るのだろうか。


「それとも、出会ってから何一つかわっていない?」


 出会ってから何一つとして変わっていない。

 何一つ変わっていないから、最後の座敷での夜はきっと〝愛し合った〟という枠の中には入らない。


「終夜が大切?」


 その言葉は、何の滞りもなく、重力に従ってすとんと心の内側に落ちた。


「たいせつ」

「そう。大切な終夜に、何度も騙されたの」


 明依の心臓は一度、明確な音を鳴らす。


「でも仕方のないことだった。終夜の洗脳術はすごい」

「……洗脳術」

「しっかりと感情を絡めて、人の心の内側に根を張る」


 洗脳。それは宵や終夜がしていたこと。


「明依はもしかして〝吉原の厄災〟に騙されてこの街に残ったの?」

「……ちがう」

「どうしてそう言い切れるの?」

「……私が、選んだから」

「全部、明依が選んだの?」

「そう」

「じゃあこの街に来ることを、自分で選んだの?」


 ぼんやりとした宵の形が、頭の中をよぎった。

 自分で選んでこの街に来たと思っていたのに、それは全て暮相が造った宵という偶像の仕組んだこと。


 事実を知った今でも洗脳とわからないほどゆっくりと時間をかけて、〝宵〟という人間は深い部分に根を張った。

 先ほど地獄大夫から言われた言葉と絡み合って、自分の中にストンと落ちる。


 自分で選んだわけじゃない。


「気付いて。明依は今、なにもかも自分で選んだつもりになっている」


 心の奥から澱のようなものが、引きずり出される。


「宵と終夜のしている事は、同じこと」


 宵はだました。終夜もだました。

 二人は同じことをしている。


「今見ている終夜は、すべて終夜が自ら植え付けた偶像。吉原の街に残ることを自分で選んだ気になった。終夜から提案された花魁道中を自分で選んだ気になった。だけどその裏で、三人の人間が死んだ。丹楓屋で終夜を座敷に誘い込んだ気になった。だけど実際に誘い込まれたのは自分の方だった。……嘘をつかれて、いいように利用されて」


 ぼんやりとした頭で終夜を思い出そうとした。

 まだよく知らなかったときの、終夜の事。


「お前の知る終夜は、どんな人?」


 それを遮るみたいに、地獄大夫は明依に問いかける。

 まるで思考回路を制御するような質問。しかし、今の明依には違和感を持つほど頭が回ってはいなかった。


 ただ愚直に。される質問に脳みそからさらえた部分の話を口にするだけ。


「……優しい」

「優しい嘘をつくのね」


 優しい嘘を、終夜はつく。


「嘘をつくのよ」


 終夜は、嘘をつく。

 どうして終夜は、嘘をつくんだろう。


「出会った時からそう。終夜はお前に嘘をつく。花魁道中の時も、丹楓屋に誘い込まれた時も、終夜は嘘をついた。そして終夜は、これからもお前に嘘をつく」


 どうして終夜は、嘘をつくんだろう。


「どうして……?」


 明依のかすれた声が響いて、耳を通った自分の声が胸の中に入る感覚。

 明依の目から涙が一筋だけ流れ落ちた。


「どうして泣くの?」


 正常に回っていない明依の今の頭では、表面温度と同じ温度の涙を感じて認識することが出来なかった。

 だから明依は何となく、経験則から導き出した胸の痛みと鼓膜を通った声で、自分は今泣いているのだろうとぼんやり思っただけ。


「……かなしい」

「どうして悲しいの?」

「……終夜が嘘をつくから」

「泣く必要なんてないのに。知らない人の為になんて、泣いてあげなくていい」


 知らない人。それは明らかな違和感を誘発するのに


「お前は終夜の事を何も知らないんだから」


 地獄大夫の言葉が耳を通って、明依の感情を違和感ごと絡め取る。


 そうだ。

 終夜の事を、何も知らない。


「いつも終夜は一方的にお前の事を知っていて」


 またほんの少しだけ心が反発する。

 何も知らない、というのは、自分の思っている〝知らない〟と同じ意味だっただろうか。


「会うたびにお前を(まどわ)す。しかし終夜は、お前の本質的な部分を何もしらない」


 いつも終夜に惑わされる。

 そう。終夜にまともに相手にされたことなんて、一度もない。


「お互いに何も知らない他人同士。旭と日奈を介してのみかろうじて繋がっているだけの事。そんな男の為に、どうして泣いてやる必要があるの?」


 その言葉に心が反発する。

 だけどもう、明確な感情も抵抗も出てこなかった。


「どうして?」


 もう一度、念を押す様に地獄大夫は明依に問いかけた。


「……どうして、だっけ」

「自分の中で答えが出ないなら、まだ判断できるほど終夜と関わっていないということ」


 そうだ。だけど、そうじゃない気がする。


「人との関りを拒み、しかし人の中に立入り操ろうとする」


 自分の気持ちが曲がっているような気がする。

 だけどどう曲がっていて、もともとはどんな形だったのか。ぼんやりとした頭では、何一つとして思い出せない。


「まさに〝吉原の厄災〟」


 その言葉で思い出したのは、終夜に首を絞められた時、宵が無実の罪で主郭に連行されたあの時の事。


 終夜は――


「明依!!」


 日奈の叫び声にも似た声が聞こえて、明依は目を開いて身を起こした。

 急に覚醒した意識が頭痛を連れてきて、明依は思わず目を閉じて頭を抱えた。


 パニックになった頭では、ここがどこで自分が誰かもわからなくなるくらい。


「やっと起きた」


 その声に明依は息を呑んだ。

 終夜は薄ら笑いを張り付けて、すぐそばでしゃがみ込んでいる。


 たくさんの感情が渦を巻いている間に、終夜は明依の顎から首にかけてを力任せに掴んで引き寄せた。


「待ちくたびれたよ」


 いつもの薄ら笑い。

 遊女を遊女と思っていない乱暴な行動。

 自分勝手な態度。


 目の前の終夜が自分の中に不明確にあった何かと完全に絡み合って、それから感情が渦を巻くことをやめた。


 何かがカチリと音を立てて、定まったような。


 明依は自分の顔を掴んでいる終夜の手首を握った。


「はなして」


 そして強く、終夜を睨んだ。

 それを見た終夜は、花が咲いた様に楽しそうに笑う。


「そうそう。その反抗的な顔」


 まるで何かが制限をかけていて、出られないみたいな感情がある。


「その顔が見たかったんだよ、黎明」


 だけど感情の正体は、掴めそうで掴めない。

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