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00:謹啓 造花街の裏側を知る皆々さまへ

 得体の知れない妖怪たちの手から逃れるために走る。


 人間の叫び声、下品な笑い声と、三味線の不協和音。


 いつも仰々しい暖色の明かりで飾られた大通りでさえ、今はほのかな明かりをともしただけ。

 いつもなら赤い格子越しに美しく笑う綺麗な女たちは、格子の隙間から手を伸ばして、通りすがる人間を捕まえる。


 戦慄の夜。


 明依は細道に入り込み息を整えながら壁に手を付いた。


 みんな無事なんだろうか。とにかく、急がないと。

 その気力だけで明依は壁に手を付きながら歩き続けた。


 いつもなら吉原の夜は華やいで、いたるところから協和音の三味線の音と笑い声だけが聞こえているはずなのに。


 どこからかまた、悲鳴が聞こえて明依は息を呑んだが、それからすぐ、ぼそ、ぼそ、と声か音か判別のつかない何かが道の向こうから聞こえて、明依は無意識にそちらに注意を向けた。


 まさかこの先にもと悪い予感がよぎり、悪い予感が通り過ぎて、今更戻っていては取り返しがつかなくなると腹をくくり、意識を聴覚と視覚だけにゆだねて先を歩いた。


 細道を抜ければそこは、立派な武家屋敷。

 井戸のすぐそばには、女が一人へたり込んでいた。

 手元には皿が一枚。足元に重ねられた皿は八枚。


「……九枚」


 辺りは示し合わせたような静寂。

 井戸の側に座る女がぽつりと呟く。


 ただならぬ様子の女に明依は一度だけ息を呑むと、それから先、呼吸をする事も忘れていた。


 明依の本能は、自身を生存させる為に五感の全てを使って井戸の側に座る女の存在を確かめようと働いている。


「……一枚足りない。また、叱られてしまう」


 へたり込んだ女はそう言うと、まるで映像を逆再生したような普通の人間ではない動きで立ち上がった。

 まるで操り人形(マリオネット)がゆっくりと上から糸を引っ張られたみたいに。


 目の前の事にだけ意識を向けている明依は、先ほどからカランコロンと下駄の音が聞こえている事も、それが今しがた止まった事にも気づかない。


「もし」

「ひっ」


 だから、すぐ隣から声が聞こえて息を呑むころには、真っ青な顔をした女は牡丹柄の灯篭を片手に明依のすぐ側に立っていた。


「新三郎さまをご存じありませぬか」


 牡丹柄の灯篭を持った女からは、ひやりと冷たい空気を感じる。


「知りません……何も……」


 明依はやっとのことで答えて、それからすぐに視界の端で動くものを見つけて視線をずらす。井戸の側に座っていた女が、ゆっくりと近付いてきていた。


 早く逃げないと。そう思って牡丹柄の灯篭を持った女から距離を取り、それからふと、女の足元を見た。


 不自然にも自然にも見える薄靄(うすもや)の向こう側。

 女には足がない。


 明依は身を固くして、来た道を引き返そうとすぐに振り返った。


「あなたね」

「ひっ……!」


 振り返って一歩と歩く間もなく、明依はすぐ後ろに立っていた女の憎しみがこもった一言に悲鳴を上げて後ずさった。


「私と伊右衛門さまを引き裂いたのは……」


 恨めし気に言った女が、明依の肩を力任せに掴んだ。


「違う……! 私じゃな、」

「殺してやる……!!」


 そう言って顔を上げた女は、薬か何かをかけられたように顔は(ただ)れ、片目は腫れあがっている。


 詰め寄る醜い顔の女に押し負けて、明依は思わず尻餅をついた。


 三方向から、女の幽霊が詰め寄ってくる。


「叱られてしまう」

「会いに来てくれるとおっしゃったのに」

「あなたが(たぶら)かしたんだわ」


 ぼそぼそと三方向から聞こえる声に、明依はうつむいて耳を塞いだ。


「いやあああああ!!!」


 腹の底から声を出す。

 明依の声はしばらく辺り一帯に響き渡った。


 しかしそれ以上、身体には何の変化も起きない。


「……あれ?」


 明依はゆっくりと顔を上げる。


 井戸の側に座って皿を数えていた幽霊はニコニコ笑っていて、牡丹柄の灯篭を持った幽霊は困ったような、申し訳なさそうな顔で笑っている。そして顔が(ただ)れた女はゴミクズでも見るような目で明依を見ていた。


「……恥ずかしくないわけ?」


 顔が爛れた女は、明依を見下しながら言う。


「……もしかして(かすみ)さん、ですか……?」

「ほらあ! やっぱり裏道も張っておくべきですよ!! こういう小ネタがあると絶対盛り上がりますから! 黎明さん、めっちゃ怖がってましたし!!」


 明依の幽霊の正体確認作業は、井戸の前で皿を数えていた幽霊に遮られた。


(なぎ)なの……?」

「はい、そうです! もう、すっごい練習したんですよー! 立ち上がる動き。どうでした? 自分では結構いい出来だと思うんです! あ、こっちは(もも)さんですー!」


 凪は早口でそう言うと、牡丹柄の灯篭を持った幽霊を紹介する様に手で示す。

 桃は困った様に笑った。


「ごめんね、明依ちゃん。まさかそんなに怖がるとは思ってなくて……」

「でも、桃ちゃん……足」

「うん。着物の足元をちょっと膨らましてて……。そうしたら上から見ると足がないみたいに見えかなーって。あとね、この薄い霧みたいなのはドライアイスを使ってみました」


 桃は恥ずかしそうに笑うと、着物の裾を持ち上げた。

 肌に触れない様に、ドライアイスが結び付けられている。


 明依は尻餅をついたまま、ゆっくりと息を吐いた。


「もう……三人とも……なにやってんの……?」


 そして蚊の鳴くような声で呟いた。


「凪ちゃんがね、仮装して道を歩いて驚かすだけじゃつまらないから、裏道に行こうって」


 9月中旬から始まった吉原のイベントに際して、遊女たちは〝この世の者ではない者〟の仮装をして、観光客を楽しませていた。


 申し訳なさそうな桃とは対照的に、霞はフンと鼻を鳴らした。


「気を抜いている自分が悪いのよ」

「いや霞さんがいちばん……迫真の演技すぎて……。呪われるかと……」


 腰が抜けている明依は力なくそう呟いたが、霞には何一つ響いていないだろう。


 いつも提灯の暖色に包まれて燃えているようにさえ見える吉原の街は、いつもよりずっと明かりが落とされている。

 一言でいうなら、不気味。


 いたるところにひっそりと、ジャック・オー・ランタンを思わせる顔がある。


「ほら、楽しんだならさっさといきなさいよ。次が来たらどうするの」


 直訳すると、邪魔、という霞に、別に楽しんだわけじゃないんだけど……という言葉を言う気力すらなくて、明依は力なく立ち上がった。


 そしてさっさと定位置に戻ろうとする霞と、ニコニコ笑顔の凪と、心配そうな桃に見送られて、満身創痍で来た道を戻った。


 これなら表通りを通っていた方がマシだった。

 人に脅かされて時間を取られる可能性の高い道を避けて移動していたのに、裏道でも脅かされるなんて。


 急いでるのに。

 あれ、どうして急いでいるんだっけ。


 そして明依は、どうして急いだのかを思い出した。


「あっ!! 勝山大夫!!!」


 今日は三浦屋で待ち合わせをしていたのだった。

 勝山は絶対に、遅い! と文句を言ってくるだろう。

 だから裏道を通ろうと思ったのに、三人の迫真の演技に完全にやられてしまった。


「絶対怒られる……!」


 みんなはこのゴチャゴチャした吉原の中で、無事に三浦屋にたどり着いたのだろうか。

 そう思いながら、明依は細道を抜けて表通りへ。


「わっ!!!!!!!」

「いやあああああ!!!」


 金棒を持った赤い鬼が明依に覆いかぶさる様にして大声を出す。

 明依は反射的に目を見開いて、大声で叫んだ。


「あっははははははー!! ビビりすぎー! 目ェ、三倍くらいデカなってたで、お姉さん」


 大学生くらいの四人組の鬼が、ゲラゲラ笑いながら去って行く。

 明依が放心状態で四人組の鬼を見ていると、彼らはまた「わっ!!」と通りすがりの人を驚かし「うわあ!!」というカップルの声が響いた。


「もう……やだ……」


 明依はそういいながら、力なくその場にしゃがみ込み、勝山に酒を徳利ごと投げつけられる覚悟をした。


 こうなればもう、すぐそばにある喧騒がまるで他人事だ。


 遊郭をモチーフに〝テーマパーク〟と銘打って造られた江戸の街並み。

 造られた花街、〝造花街・吉原〟。


 華やかな表舞台。

 現代社会の縮図。

 日本における裏社会の基盤。


 吉原の季節限定のイベント。

 ハロウィン・百鬼夜行。


 この時期の吉原の観光客は、多様な出で立ちで溢れている。


 妖怪に仮装をした客が他の客おどかし、いたるところから上がる叫び声と笑い声。

 揺れる、ジャック・オー・ランタン。


 ハロウィンには、死者の魂が戻ってくるのだという。


 〝ジャック・オー・ランタン〟の名前の由来となった〝ジャック〟という男は生前、自分の命を狙った悪魔を見事に騙し、その悪魔と〝どれだけの悪行を重ねても自分を地獄に落とさない〟という約束を取り付けた。そして堕落を貪りつくし悪行の限りを尽くして死に、生前の行いから天国へ行く事を拒否された。


 地獄にも天国にも行き場のないジャックの魂は現世にとどまり、行く場を失くしたジャックはかぼちゃをくり抜いたものに火を入れて、あるはずのない自分の行き付くあてを探して、現世を彷徨い続けている。


 ハロウィンには、死者の魂が親しい人間の元へ帰ってくるのだという。

 しかし同時に、悪霊も一緒にやってくる。


 だから人間は仮装をし、悪霊のふりをして人間だと気づかれないようにして身を護る。


 年に一度、死者と生者が交差する。

 それがハロウィン。


 愛憎渦巻く吉原の街にも、死んだ誰かが紛れ込んでいるかもしれない。

 以前、大阪道頓堀でキャッチのお兄さんに脅かされ「目ェ、三倍くらいデカなってたで、お姉さん」と言って笑われた事があります。

 お話として昇華し、ここで成仏してもらおうと思います。


 はじめましての方、はじめまして。

 野風まひると申します。この話は続編になりますので、本編を読んでから読んでいただくことをオススメします。ミステリーなのであらすじもまともに書けないくらいのネタバレを含んでおります。(ちなみに本編90万字くらいあります。ご興味がある方は、お暇なときにでも)


 前作から見ていただいているみなさま、お久しぶりでございます。

 またお会いできて嬉しいです。

 9月には更新するという目標だったのですが、間に合わないのではないかと思って焦りました。

 なんとか間に合いました。

 完結までお付き合いいただけると嬉しいなと思っています。ぜひ楽しんでいってください。私も楽しんで書きます!


 とりあえず本日3話分更新します。

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― 新着の感想 ―
[一言] 続編! 楽しみにしていました 今度はどんなことが起きるのか明依の活躍をわくわくしながら待ってます
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