2.馬好きの劉馬と絵師張遼春
2.馬好きの劉馬と絵師張遼春
昔、邯鄲の外れに劉某という男がいた。名はあったが終ぞその名で呼ばれることはなく、常に劉馬と呼ばれた。というのもその男、大の馬好きであった。生まれたのが厩だったせいもあるやも知れぬ。父親を知らぬというがまさか牡馬ではあるまい。いやそうやも知れぬ。何しろ産声を馬のように鳴いたとか鳴かなかったとか。ままそう言われるぐらいの馬好きであった。
幼いころから厩にいては馬を見ているから馬のことは何でも分かった。ここが痒い、ここが痛い……。良し良し、こうかこうか。せっせと世話をするが分かっていることと施すこととは同じではない。所詮は伯楽――馬の医者にはなれなかった。しかし、馬が好きである。博労――馬の商人になった。好きこそ物の上手なれというが、好いているものはそうそう簡単には売れぬ。目利きの出来と商才とは同じくしない。終には馬子――馬を引く人になった。
馬は乗るものである。大の馬好きが馬を引いている。人の笑い物になった。
しかし、劉馬にはそれで良かった。大好きな馬と一緒におれたからである。
朝早くから働き、夕前早めに仕事を終え、城の門が閉まるまでに馬と遊ぶのが日課であった。思えばこのころが劉馬にとっては一番の幸せな時の間であった。
そのころ、巷では張遼春という流行りの絵師がいた。当代、知らぬ者はおらぬ、猫でも知っているといわれた遼春であった。
遼春は幼いころから絵師であった。一つで筆を持ち、三つで絵が成り、五つで筆を選んだという逸材である。
若いころから才能があると方々へ出かけたくなるものである。見聞(勉強)と言いつつ流布(宣伝)でもある。終には家を出て帰らなかった。絵で食べられたからである。また、北の遼から来た母に似て色白の美しい若者であった。食うにも困らぬ者が足して富めぬ家に帰ることはありはしない。今日も邯鄲への道を歩いていた。
豪族馬氏の娘、桃忠に請われたからである。
「もし……」
もうすぐ邯鄲という国境で遼春を止めたのは、和らいだ笑みを湛えた若人であった。
「何でしょう?」
「何処に行かれるおつもりか?」
行く方角など歩いて行く方角に決まっている。笑みの男の問いは変である。
「邯鄲へ」
邯鄲から来たであろう、笑みの若人は指を折り数えた。
「夕には邯鄲に着きますまい。戻られるが得策かと」
着かないとは言うが、日は高く、長閑である。雲一つない晴天である。着かぬはずはない。
「どうしてそう仰るのです?」
遼春は尋ねた。
「橋が流されている」
この道程に橋などありはしない。若人が違うことを言っているのは明白である。
「どうしても行かねばなりません」
「背に腹は……」
かえられない。
笑みの若人は懐を撫でた。
「あなたにそんなことを言われる――」
はっと気づいた。他人に懐具合を言われ、言い返した遼春であったが今、旅路を急ぐのは正直、懐具合を心配してでの事であった。先日、遊び過ぎたツケである。邯鄲に着けば金主馬桃忠からの手厚い施しが待っている。
この若人はそれを知っているのだ。
「方士様ですか?」
方士とは道士あるいは仙人をいう。
「ウム……」
肯定した。
遼春は良く見た。若く見えてはいるが瞳の奥は深い……。どうやら本物の方士のようである。遼春の洞察力は絵を描いているだけに高い。
「命数を数える時よなあ」
君は人生の岐路について考えたことがあるかと方士が問うた。
意味深げに方士は笑んだ。
遼春の背筋が凍った。