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邯鄲にて  作者: 門松一里
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1.姜深蓮死す

『邯鄲にて』

〝Handan〟


 中國幻想怪奇絵巻。




1.姜深蓮死す


 豪族馬陵袋(ばりょうたい)の妻姜深蓮(きょうしんれん)はたいそう美しく邯鄲(かんたん)の都では知らぬ者はなかった。


 深蓮が表に出るのは決まって晴れた日であった。深連が出るその日は一日(くも)ることがなかった。というのも、婚姻のおり「雨、夜露に濡れてはならぬ。水の名をもつ者を近づけてはならぬ。剣を二度と持ってはならぬ」と、深蓮の(さと)方士(ほうし)に言われた(ゆえ)であった。


 馬大人(ばたいじん)は笑う。妻や子は屋根のある家にあるのが当たり前である。どうして濡らすことがあろうか。剣もまた(しか)り。若いころは無茶をして腕を鳴らしたが、安定したこの歳になって剣もなかろう。水の名のことなど元より意に介していなかった。


 ある時、馬陵袋は馴染みの店で、美しい娘と出会った。聞くとその店が拾った娘であるという。良く気づく(さと)い娘であった。気に入った馬陵袋は手持ちのお金で買ってきた。名を聞くと茶泉(さいずみ)と言った。泉――水の名である。深蓮が青ざめたのはいうまでもない。深蓮はその娘を(そば)によせることはなかった。


 邯鄲に久しく長雨が続いた時である。当然、深蓮は一歩も外へ出ようとしない。人間見られなくては見たいものである。馬陵袋に取っては自慢の妻であった。美人の奥方を見たい仕事仲間に()われつい、見せることを約束してしまう。


 雨も止み晴天のある日、出かけるように馬陵袋は深蓮に言った。深蓮は方士にもらった鏡で天気を見た。(かんば)しくないようである。行きたくないと言う深蓮であった。馬陵袋が天を仰ぐと雲一つありはしない。深蓮は泣いて出たくないと言ったが馬陵袋は許さぬ。


 無理に連れて出てしまった。


 そんな時に限って雨は降る。


 深蓮は春先の小雨に濡れてしまった。


 すぐに熱を出し帰路に着くことになった。


 馬陵袋が心配したのは言うまでもない。


 心配しても治らぬ。


 深蓮はそのまま熱を出したまま半月余り床にあった。


 高名な医者に診てもらったが治る気配は(よう)として知れぬ。


 起き上がれぬ深蓮は大事にしていた懐の紙に、指を噛み、血を塗った。すると一陣の風が舞い消えた。


 翌朝、風に乗ってやって来たのは一人の若人(わこうど)であった。


 下女の茶泉が出迎えるとたいそう若い人物である。


 その若人は同郷のものだから深蓮に会わせるように、茶泉に言った。


 (いぶか)しげなことがあるものだと病床の深蓮に言うのも(はばか)られ、主人の馬陵袋に告げると知らぬ知らぬである。


 若人は返されてしまった。


 昼の刻に目覚めた深蓮が来客の有無(うむ)を尋ねた。その声は消えそうである。


 茶泉がいないと答えるとそんな事はあるはずがないと深蓮が叱った。


 そういえばと朝の風に乗ってやって来た若人を思い出した。深蓮は青白い顔を凍らせ連れ戻すように言うとまた気を失ってしまった。


 茶泉が仕方なく市中に出るとすぐに見つかった。


 若人は猫と話をしている。変である。


 同郷の者とはいえ、茶泉には合点が()かぬ。


 若人は猫にこれも縁だと指を切ってみせた。


 猫は途端にいなくなった。


「遅かったな」


 深い声をして若人は言った。案外、歳を()っているのかも知れぬ。


 家に上がると、茶泉の案内も要らぬ。知っているかのように深蓮の床に向かった。


 眠っている深蓮の手を握った。


 驚いたのは主人の馬陵袋である。若い男が、同郷とはいえ、妻の床にいるのである。


 茶泉を叱り、剣を手に取ると部屋へ入った。手討ちにする気である。


 馬陵袋は剣には自信がある。それがいけなかった。


命数(めいすう)か……」


 若人は手を離した。


 (ほの)かに(べに)を帯びていた深蓮の頬であったがすぐに消えてしまう。


「あなた何という事を……」


 深蓮の言うことも聞かず馬陵袋が斬りかかった。


 深蓮が若人の前に立った。斬れずにいると若人は一陣の風と共に去ってしまった。


「わたくしの命数も後少しです」


「何を言うか! この不貞な!」


 カッとなった馬陵袋が斬ろうとするが深蓮の両眼は避けない。死期を悟っている。


「あのお方は氷人(ひょうじん)ですよ!」


 深蓮が言うなり倒れた。


 氷人は仲人を意味する。


 聞いて驚いた。馬陵袋が婚姻したのはもう二十年も前の話だ。……その時のお話はいずれ、また……。


 氷人は全然歳を経っていなかった。その時、くれぐれも雨、夜露に濡らせるなと(ことづ)かった事を思い出したがもう遅い。


「雨、夜露に濡れてはならぬと言われたのに濡れ、水の名をもつ者を近づけてはならぬと言われたのに茶泉を雇い、剣を二度と持ってはならぬと言われたのに持ちました。命数は揃いました。故にわたくしの命の(ほむら)も一刻でしょう」


 果たして美しい深蓮は一刻の後に死んでしまった。残された馬陵袋とその娘桃忠(とうちゅう)は嘆き哀しんだが深蓮は帰らぬ。




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