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私は侍女と顔を見合わせる。侍女は最初こそ知らない素振りだったのだが、ふと思い出したかのように、流行事の話を振ってきた。
城下町では時折、流行事のように不思議な言葉が飛び交い始める。一か月前、私と侍女が同じ大道芸を観にきた時は、『異世界』という言葉をみんなは節々に口にしていた。
結局、その意味はわからないままなのだが、特にそこから話が膨れるということもなかったため、いつの間にかみんなはその言葉を使わなくなり、私も今の今まで忘れていた。
二か月前にも似たような経験をした記憶はあったのだが、今となっては言葉すら思い出せなかった。
「すると、今回の流行事は『糸』ってことなのかしら?」
私のこたえに侍女は頷いた。
「あは! 『異世界』が流行事になってるなんて面白いね! 一か月前の話かあ~。じゃあ多分最初にいったのは私かもね!」
私は侍女とまた顔を見合わせる。侍女はとても驚いていた。
「どういうことですか?」
「どういうことっていわれてもね~。ん~そうだなあ、お姉ちゃんはさ、他に世界があるって聞くと信じる?」
「他の世界……それは隣国のことでしょうか?」
「違う違う! そうじゃなくて別の次元の世界ってこと!」
――別の次元?
私は侍女ともう一度顔を見合わせる。侍女もわからない様子だった。
「あの、いったいそれはどういう意味なのでしょうか?」
「あは! 実は私もよくわかんないの! だけどね、ここはどうやら別の世界っぽいんだよね~」
「はあ……」
「でもねお姉ちゃん! 『糸』についてはちゃんと説明できるよ! 次はお姉ちゃんって決めたから、ちゃんと説明してあげるね!」
――どうしましょう。この子のいっていることがよくわからないのですが……。
◇◇◇
この子は饒舌に説明を始めた。わからないところはその都度聞きながらも、私と侍女は大道芸の公演開始までの時間をいっぱいに使い一通りこの子の話を聞いた。
まとめるとこうだ――。
この子は、人と人との結びつきを『糸』という形で見ることができる。そして、恋愛における『糸』の色は赤くなる。先月の公演の時、この子は私のことを見ており、その時の私には『赤い糸』が伸びていたそうだ。この子は、私が婚約破棄をしていたまでは知らなかったものの、一か月後の今日にまた私を見た時、私から伸びていた『赤い糸』が『灰色の糸』に変わったことで、破談を察知したのだという。
そもそもどうして私を見ていたのか。
それは、この子は当初、興味本位で時の人である殿下の『糸』を見ていたのだ。『糸』を辿れば結ばれている相手に繋がる。そうして私にいきついたという。これが二か月前の話だ。
また、私が城下町を訪れるのは数えるほどなのに、タイミングよくこの子が私に気づけたのは、私のだけは特に際立った『強い糸』だからだという。
人の数よりも目に入る様々な『糸』の中で、意識しなくても気づく私のような『強い糸』を持つ者をこの子は探している。何でも、この子がそういう『強い糸』に触れることで、今成そうとしている目的に必要な『運命性』を得ることができるからだそうだ。
それが一体何なのかは結局教えてはもらえなかったが、この子がいう『糸』の修復は、私のためでもあるのだから協力させてほしいという。
『灰色の糸』を『赤い糸』に修復する協力を。
◇◇◇
その日の夜。
私は自室の窓を開け、全身に涼しい風を感じながら昼間の出来事を思い出していた。
――あの子の話に乗ればよかったのかな……。
あの子の身なりはとても綺麗で、それに見たところ歳は十前後の女の子だった。何かの悪事に加担しているとも思えないので賊の類ではなさそうだけど、幼い頃から伯爵令嬢としての教育を受けてきたせいなのか、知らない人の知らない話にはこれ以上首を突っ込んではいけないという危機感が働いた。
ただ一方で、あの子の話には惹かれるものがあった。まだ誰も知らないはずなのに、あの子は婚約破棄のことを知っていた事実があるからこそ、不思議と信憑性を感じて無下にはしたくなかった。
結局、最後にはあの子に、「考える時間が欲しい」といって私たちは別れた。
「もしもね、お姉ちゃんにもう一度殿下とやり直したいって気持ちがあるんなら、私のお家に来てよ!」
去り際にいったあの子の言葉が忘れられない。
――本当にやり直すことなんてできるのかしら。
私は紅茶を啜り、大きなため息をついた。
殿下は私を愛しては下さらなかった。それは変わらない事実。だからこその婚約破棄だ。そして、そもそもなぜ愛してもらえなかったのか。
その理由は明白だ――。
殿下には、他に想いを寄せる方がいるのだ。
殿下は私と婚約してからもずっとその方のことを想い続けていた。ずっと殿下の御心の中にいて、そしてついには殿下はその方のことを忘れることができなかった。
だから殿下は婚約の破棄をされたのだ。
私はカップに残る紅茶を見つめると、紅茶に反射した自分の顔と目が合った。
私にとってその方の存在はあまりにも大きい。
――その方と瓜二つな私であっても、どうしてここまで殿下の想いは雲泥なのだろうか……。
私は窓の外を見る。闇夜の町に明かりが灯り、空には月が出ていた。
「今日は十四日月……。そうすると明日は満月ね」
紅茶を啜る。また、私はあの子とのやり取りを思い出していた――。
◇◇◇
「何も状況は変わらないのに、関係をやり直すことができても、本当に殿下は私を愛して下さるのかしら? いいえそんなはずはないわ。きっとまた同じ結末になってしまうのよ」
「ん~じゃあお姉ちゃんはどうしたいの? オージさんと結婚したくないの?」
「私は……」
殿下を愛していた。心の底から今でもそう想っている。婚約をしてからも、私は殿下に愛してもらうために努力もした。
でも、結局実りはしなかった。
それでも、一緒に過ごした時間はとても幸せだった。
――この子のいうようにもう一度やり直せるのなら……。
「お姉ちゃん! オージさんのこと好きだったんでしょ! ねえ? 今も好きなんだったらさあ! もう一度頑張ってみようよ――」
◇◇◇
不意に吹いた夜風が私の髪の毛をばさっと揺らした。
私は侍女を呼び出した。
「明日、私はあの子に会ってきますわ」
私は殿下のことを愛しているから――。
◇◇◇
全部で約28000文字です。
投稿した後に見返してみると、まあ誤字や読みにくさが目立つこと。出来る限り手直しします……。