お母さんのリボン。
「これ、お母さんのリボンだ」
僕はお母さんと2人で暮らして沢山の愛情を貰って何不自由なく過ごした。
そんなお母さんも僕が青年から中年っと呼ばれる境にいた時に笑いながら亡くなった。
最後の言葉は「お母さんの沢山のリボンを受け取った人達がカラーな世界に掬い上げれていたら凄く嬉しいわ。昌ちゃんには沢山迷惑をかけたかもしれないけれど、お母さんのお腹は嬉しさでお腹一杯」
だった。
お母さんは僕が小さな時に父と別れて女で一つで僕を育ててくれた。
「おかあさん。毎日偽物のお花にリボンを巻き付けて飽きないの?」
僕が幼い頃からお母さんは四畳半の段ボールに囲まれた部屋で一つ一つ造花にリボンを巻く仕事をしていた。
「全然飽きないわ。お母さんのお仕事で一人でも笑顔になれたら嬉しいじゃない」
「ふーん」
僕はお母さんのそんな単純な作業を毎日毎日見て育った。
もちろん。その仕事で得られる稼ぎは少なくお母さんは少ない給料でやりくりしてくれていた。
あまり体が良くないお母さんは日中の仕事が出来ず、1日1000本くらいの造花にリボンを巻き続けていた。
赤に緑に黄色。オレンジに紫。クリスマスは金色のリボンにお正月は赤と白のリボンを年中休まず撒き続けていた。
ある日、お母さんと一つの布団で川の字に眠っていると、僕の横に金ピカの金色に光るリボンが棚から落ちコロコロと僕の方に転がって来た。
僕がそれをとり指にはめて遊んでいると
「お母さんのお仕事は本当に単純なものだけどきっとお母さんのお花を見て笑ってくれる人がいると思うんだ。だからそんな事を考えてたら嬉しくなって頑張っちゃうの。」
「ふーん。でも、たまには僕と遊んで欲しいな」
僕は金色のリボンを足元にポイッと投げるとお母さんにしがみついた。
お母さんは僕の方に体勢を変えて脇をくすぐって来た。
ケラケラと笑ったその日を境に寝る時はどんなに疲れていても僕と遊んでくれる様になった。
そんな僕も中学に上がり、よその子と自分の違いを感じる様になった。
僕は格差を埋めるために自尊心を守るために非行に走った。
喧嘩に明け暮れ、家に帰らないのは度々あったが僕が帰って来るとお母さんは玄関の前で待っててくれ、「おかえり」っと声をかけてくれた。
それから、糊を使いリボンをつけ続けたせいでベタベタになった手を洗いご飯の支度をしてくれた。
小さな丸テーブルを挟み、感謝をいいたくても心にちっぽけな意地で蓋をし会話などせず静かにホカホカのご飯を食べ終わると窮屈になった気持ちを解放する様に外へと逃げた。
玄関で靴を履いていると外は寒いからと手編みのマフラーと千円札を2枚渡してくれた。
僕はマフラーは突き返し、二千円を強引に奪うと外に出た。
外に出ると寒さが身に染みた。素直になれない自分が歯痒くゴミ箱を蹴り上げるとポケットに手を入れ街へと飛び出した。
街を歩いていると酔っ払っているサラリーマンに声をかけられた。
「おっ。お前いくつだよ。たらたら働きもせず、ウロウロとご苦労だな。働いてる俺に感謝しろよ」
っと僕の前に立つと頭を叩いていた。
僕は一度は耐え無視して男の横を通過したが、それに腹を立てた男は僕の背中に飛び蹴りをして来た。
冷たい道路に倒れた僕はそれからを覚えていない。気づいた時には警察官に取り押さえられいた。
中学の3年生の冬。
僕は暴行の容疑で少年院に入所した。
僕に少年院の入所の決定が下された時、お母さんは真っ直ぐ僕を見ていた。
僕が警察官に連れていかれる時、「昌ちゃん会いに行くからね。一年頑張ったらまた美味しいご飯作るから一緒に食べようね」
僕は自分の意地とかプライドでお母さんを傷つけた事に情けなさを覚え、涙を見せぬ様に堪えながら「うん」っと告げ少年院へと入所した。
少年院の規律は厳しく心が何度も折れそうになった。そんな時廊下をいつもの様に規律正しく歩いていると、埃被った花瓶の中に身に覚えのある造花を発見した。小さな時からずっと見ている造花だった。僕はその造花を横目に見ながら寂しさを覚えていた。でも、いつも応援してくれいる様な元気も貰えていた。
少年院に入る前は友達は沢山いたが誰もきてくれなかった。でもお母さんは週に一度絶対に会いに来た。
手の爪は糊が染み込み黄色くなっていたが、いつも元気に僕に話しかけてくれた。
僕は構成を誓い1年の少年院生活を終えお母さんの待つ家へと帰った。
僕の足音を聞いたからか分からないが玄関を開けるとお母さんは玄関で「おかえり」っと僕を責めずに待っていた。
「昌ちゃんご飯にしようか」
お母さんは糊でベタベタになった手を洗いできる限りのご馳走を作ってくれた。
「美味しいよ。ありがとう。そしてごめんなさい」
僕はそう言って白米で口に蓋をする様にを口一杯に方張ると必死にご馳走を食べた。お母さんはニコッと笑うと僕のお皿におかずを乗せてくれた。
僕はそれから、工場に就職し懸命に働いた。凄く単純なネジを作るつまらない仕事だ。
やりがいもなく、でも中卒の少年院出の僕を雇ってくれる所はここしか無かった。
毎日毎日ネジを作り続けた。給料も安くやりがいなど微塵も感じてなかった。
お母さんは僕が仕事から帰ると、お風呂とご飯の準備をしてくれていた。
ご飯が終わると片付けをしまた段ボールの部屋に籠り造花にリボンを丁寧に撒き続けていた。
「もう、10年以上毎日毎日リボンを撒き続けて飽きないの?」
僕は率直な意見をお母さんにぶつけた。
お母さんは何故?って顔をしながら話した。
「確かに昌ちゃんが言うように単純な仕事だし、側からみたらつまらないけど、お母さんのリボンはもうきっと沢山の人を笑顔にしてると思うんだ。だって毎日1000本以上作って、10年よ。100人くらい笑顔に出来てたら、嬉しいわ。」
お母さんはそう言って後ろを向くとペタペタと造花にリボンをつけ続けた。
僕はお母さんの横に座り、造花を一つ取ると赤のリボンを巻いた。リボンの結び目が対象にならずなかなか難しい。
上手く調整して、並べられた造花の隅に置くとお母さんは僕を見て
「これで101人の人が笑顔になったわね」
っと言ってニコニコしながら作業を続けた。
それから僕も仕事への向き合い方が変わり真剣に取り組む様になった。
気づけば30歳を超え役職を貰えるまでに成長した。
その頃からお母さんの体調は悪くなり、病院で検査を受けると手の施し様がない状態になっていた。
自宅へ帰るかホスピス病棟に移るかの話になった時も自宅に帰るとすぐに決断をした。
僕は治療が受けれるホスピスへと絶望を感じながらも説得を続けたがお母さんは初めて僕に逆らい家に帰る事にした。
お母さんはそれからずっと造花にリボンをつけ続けそして、僕に見守られながら亡くなった。
覚悟はしていてたが、僕の心を白くするのは簡単だった。
お母さんとの思い出のボロボロの部屋で僕は住み続けた。
そして気持ちに整理がつき始めたある日、僕はお母さんのお世話になった病棟に挨拶に向かった。
そして待合室で待っててもらう様言われた待っていると僕の隣に1人の女性が手にもう色の禿げたお母さんの造花を持って座っていた。
僕はあっ。っと言うと、その女性は何か?っと言った表情で僕を見ていた。
「いや。その造花どうしたのかな?っと思って」
僕がそう言うと女性は造花をクルクル回しながら答えてくれた。
「私、小さな時にもうダメかもって病気にかかってこの病院に入院してたの。その時のクリスマスの時ここのお医者さんが私にくれたのよ。金ピカのリボンが凄く綺麗で元気を貰ったの。変でしょ?でも、それから頑張って奇跡の完治。それから私のお守りよ」
「そうなんですね。お守りなんだ」
僕は胸に熱いものを感じた。
「でも、そんなに驚く事ですか?」
女性は不思議そうに僕に言ってきた。
「はい。驚きです。僕のお母さんはやっぱりすごい人でした。沢山の人を笑顔にできてたみたいです。」
僕は胸を張って女性にそう告げた。
おしまい。
読んで頂きありがとうございました。