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金星と土星  作者: 崚斗
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エピローグ

 私はそっと目を開け、彼女を見つめた。走馬灯のように流れた彼の記憶をかみしめる。彼は強迫性パーソナリティー障害の傾向があったのだろうか。いくつか思い当たる節がある。私は以前休憩も大事だと伝え趣味を始めてはどうかと提案したことがある。だが、話を聞くと最早通常の意味での休息でも趣味でもなかったようである。勉強に疲れたときに休息で趣味に興じてほしかったのに、彼にとっては休息は勉学以外の技術向上に充てる時間であり、折角始めた趣味の音楽も楽しむことより専ら技術向上が目的だった。技術を向上させたいと感じるのは当然だろう。だが、彼はその点に於いて極端な固執があった。たとえ趣味に興じたいという気分でなかったとしても彼は毎日音楽をした。特に毎日やるように指示されたわけでもないのに、他の誰よりも優れなければと例えば音楽にも精通している樹の名前を挙げて私に熱弁した。私は音楽に疎いので、もしかすると音楽とは毎日絶対やらねばならぬものなのかもしれないと自分で納得をした。だが、後にそれが全くの見当違いであることを思い知ることになった。私は彼を一度だけ精神科に行かせたことがある。医者は自己肯定感を高めるために、毎日出来たことをどんな小さなことでもいいから書くように彼に指示した。二週間ほどして彼に「出来たことノート」を見せてもらった。彼はノートに書くのが辛いと言い出した。見れば一日十個ずつノートに綺麗に出来たことを書いていたのだ。書かないといけないという義務感、書かないと生きてはいけないという劣等感が彼を益々苦しめたようだった。彼は様々なことに義務感や責任感を感じすぎていたのだろう。気楽に出来たことをノートに書けばよいのに、彼にはそれが出来なかったのだ。

 ある晩秋のことである。毎日決めている勉強のノルマをその日も達成して、彼は研究室へ向かった。共同研究者たちは相変わらず遅刻をしていたが、彼は一度も遅刻をしたことがなかった。彼にとって定刻に到着するのが当たり前だったから、どうして遅刻を繰り返すのかが理解出来なかった。そして、遂にその日普段から溜まっていた怒りが爆発した。どうやら彼が指示しても共同研究者たちは研究をしなかったようだった。別の研究者は指示通りに研究のセットアップをせず次の段階へ移ろうとしていた。彼は

「真面目にやれ!お前はどうしてこんなセットアップをした!なんで僕の言ったとおりになっていないんだ!」

と激昂したそうだ。そういえば彼はバイト先でも苦労していたようで、他人に仕事を任せるときには綿密に指示をし、これ通りにやるようにと言っていたようだ。やることが明確で分かりやすい反面、やや柔軟性に欠けるという評価もあったそうである。他にも、他人に仕事を任せたのはいいものの、任せた仕事がきちんとできているか不安で自分でもう一度全て確かめていたため、余程一人で作業した方が効率がよいと嘆いていたこともあった。だが、彼は二度手間をしてでも確認をしないと不安でたまらなかったようだった。

食事にも苦労していた。彼は食事に於いても細かな決まりがあった。コップに水を入れる量や入れるタイミング迄お店ごとに決まっているようだった。箸の持ち方や三角食べ等のマナーを守るというなら理解は出来るが、彼の場合明らかに度が超していた。更には相手より早く食べ終えないといけないという義務感から食事は楽しめず、専らいかに早く食べるかということが問題だった。

自分が掲げる理想からのズレも彼を苦しめていた。彼は塾でアルバイトをしていることに悩んでいた。そのバイト先は彼によく合っていたし気に入っていたのだが、塾は金銭的余裕があるからいけるのであって、例えば樹は塾に行きたいのに行けなかった。教育は平等てあるべきだと主張しているのに、教育の不平等を利用して生きている自分は卑怯だと嘆いていた。彼が高校の時に塾に行かなかった一つの理由は塾に行かずとも努力すればK大に合格できるということを自ら証明して精神的に楽になりたかったからということだと聞いたことがある。他にも、食べ物を無駄にしてはいけないと主張しているのに、閉店前のスーパーの半額引きのお惣菜を全て購入しないという自己矛盾に悩んでいた。このお惣菜を買わないことでお惣菜が廃棄されてしまう可能性が高まる。もし自分がここで全てのお惣菜を買えばこれらは廃棄されないの食べ物を大切にしている。だが、現実的にそれを実行するのは無理だから、毎回可哀想な食材を見捨てている。諦めた食材に誤りながら彼は貧相な食事を摂っていた。そんなことで悩まなくてもいいのにと周囲が思っても、彼にはどうしても受け入れられなかったのだ。

彼が送っていた義務感のストレスに満ちた日々。遂に最期の日がやってきた。回想を終えた私は花を見つめたまま重い口を開く。雨は次第に上がってきた。

「彼の最期の日、彼は急に私を呼び出した。彼は「自分が生きていると皆が不幸になる。もう誰も傷つけたくないし、誰かが傷付くのを見たくない。きっと父は僕が自殺したら、自殺をするのは心が弱いからだ、我が家の恥だ、と僕の棺を蹴るでしょう。だけれど、これでいい。僕は初めて両親に叛逆する。世間には生きていればいいことがあるとかいう人もいるが、この今を耐えてでも享受すべきいいことが必ず来る保障はあるのか、と聞きたい。抑、結局人類はいつか滅びる。僕がいつ死のうが結果は同じ。それなら、今死んでいいよね。今僕が死ねば僕はもうこれ以上責任を負わなくて済むし、大切な人たちは邪魔者で疫病神な僕がいなくなって幸せな日々を過ごせる。もしかしたら、自殺に追い込まれた可哀想な子だと僕を愛してくれる人もいるかもしれない。いや、きっといる。なら、その選択をしてもいいよね。僕は決して辛くて死ぬんじゃない。死んだ方が自分にも周囲にもメリットがあるから死ぬんだ。あぁ、死というものはなんて素晴らしいのだろう!」と語ったんだ。私は彼の声が鳴り響くのを感じた。何も言えなかった。気付いた時にはもう、涙を流し笑って彼は自らの体に火をつけていた。ごめんね、私はその炎を美しいと思ったんだ。狂おしい程の愛の炎なのか、それとも革命の日に王城から広がる炎なのか。向こうに輝くヴィーナスよりもずっと美しいとただそう思ったんだ。」

私は笑っていた。

「だから、彼を見殺しにしたんですか。」

「そうだよ。美しかったから、私は見とれていたんだ。」

「もし、私があの時あの道を通らなかったら、兄は完全に人間ならぬものとして道路に転がっていたのではないですか。」

「そうだね、きっと。そして、花に言われたんだよね、「人殺し」と。」

彼女はあの日、私の側に置かれていた傘を、足で踏まれた跡のある青い傘を兄のものだと認めた瞬間、燃える兄を見ながら私を「人殺し」と罵った。

「翔さんは、にんげんは生きてこそ人間になれると思わないんですか。」

 その問いかけの直後、彼女の元に一杯のスープが運ばれた。私は彼女がマナー通りにそのスープを飲むことを期待した。きっとそうはならないと知っていたが、ただ一縷の希望を持ちたかった。彼女は私を凝視したまま上体を倒さず、スプーンの先を口に向けてひらりとスープを飲んだ。どこかの没落貴族の母のようにひらりと飲んだのだ。

「あ。」

彼女は呟く。時間は戻らぬ。私には彼の死に対する答えがあった。だから、私は彼女の目を見てはっきりと言ったのだ。

「髪の毛?」

彼女の涙が器の縁を軽く叩いたとき、彼女はもう二度と貴方に会うことはないでしょうとだけ言って私の元から去っていった。それはか細い声で。雨はやがて上がっていた。

 私はこの古びた喫茶店を後にした。これで正しいんだと私は確信があったから、何一つ後悔はない。ふと二人だけの言葉が反芻される。

「どうして彼らは無責任にも死ぬなと言えるんですか。」

誰も「幸せにするから生きろ。」とは言わなかった。誰もが「死ぬな。」としか言わなかった。私も無責任にも彼を生かそうとした一匹の悪魔なのかもしれない。だが、あの日の私は確かに何も彼に言えなかった。あの日の私は彼を幸せにする確信が持てなかった。だから、彼を独りで受け入れた。ただ静かに受け入れた。雨上がりの静寂が私の全身と共鳴し、目頭が熱くなった。ごめんね。あの日の私は単なる人殺しなのだろうか。彼を受け止めたことは許されざる罪なのだろうか。いや、この空にサタンはいない。あれほど彼が恐れた土星は悪魔ではない。私はそれを知っていたから、それを見上げることに恐怖がなかった。あぁ、私が見たのは斜陽の側で輝くヴィーナスの姿。私は胸をなでおろした。口角が俄に上がるのを感じたが、私はそれに失望さえしなかった。私は彼が革命をしたかの地へ足を速めた。きっと私には彼程の愛も恋も革命もないだろう。だが、私だけが彼を愛せるのだという確信があった。五年ぶりの道。今でも彼が現れそうな懐かしさを感じる。この長い月日が私に彼を幸せにする方法と力を与えてくれた。悴んだ手でマッチを一本擦る。今にも消えそうな赤い炎。何かを忘れたように足元に落ちた火は不愉快な液体にすぐ燃え広がり、私の体を包んだ。ヴィーナスよ、私の炎は貴女よりも美しいか。この炎は罰ではない、私の最期の幸福だ。

「金星と土星」をお読みいただきありがとうございました。内容が重い上に差別や偏見が含まれており、読んで辛くなった方もいらっしゃるかもしれません。

本人が死を望む場合にも命を救おうとすることは果たして正義なのか。ある知り合いが釣りをした時に言っていたことですが、「もし釣った魚を海に返したら魚は口に針が刺さった痛みに耐えながら生きないといけない。それならいっそ殺して痛みから解放してあげた方がいい。」と言っていたのを思い出します。私はこの考えに小学校低学年の頃に出会い、積極的な死の肯定というものを知りました。これを人間に敷衍して考えた場合、他人の人生や命にどのくらい他人が干渉して良いのかということについては私はまだ結論が出せずにいます。生きることは素晴らしいという価値観を私は知っていますし、その価値観を尊重しています。だけれども、生きることを肯定的に捉える人の価値観で死のうとしている人の人生を変えていいのか。それも、本人が辛くて死ぬのではなく、やめたいからやめると人生を辞めた場合、それを止めることは果たして正しいのか。魚と違って本人の意思で積極的に死にたいと言ったとき、ただ「生きろ」と言うことが本当に正しいのか。太宰の「斜陽」という小説(スープ(斜陽ではスウプとつづられている)をひらりと飲む下りは斜陽で描写されています)では主人公のかず子は人間は「恋と革命のために生きている」と気付きましたが、もし「恋と革命のために死んだ」ならば、それにかず子は納得するのでしょうか。同じく太宰の「かくめい」という小説で彼は「にんげん」が「にんげんの底からの革命」をするときに周りへの説法はありえないと述べました。私は「にんげんの底からの革命」をして死んだ人は「生きるために生きる」人よりも幸せと考えることも出来るのではないかと感じています。生きるために生きるだけの人生と死んでにんげんの底からの革命が出来る人生があったとして、後者を選ぶこと、後者を容認することは果たして必ずしも悪だと言えるのでしょうか。

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