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百箇日

 こうして、僕たちはこんなにもあっさりと、再び恋人同士になることができた。

 実際のところ、彼女が僕のことを本当に好きなのか甚だ疑問だけれど……とりあえず、生き残るための第一歩は踏み出せたんじゃないかな。


「久藤くん、私ほうじ茶ラテが飲みたいわ」

「え」

「飲みたいの」


 あれから僕たちは、天気のいい日はほぼ毎日、こうして昼休みに中庭で一緒にご飯を食べている。

 中庭は普段ほとんど人通りがなく、木陰のベンチはどの校舎の窓からも死角になっているので、僕たちの密会を知るものはおそらくいない。そもそも、教室で彼女は必要最低限の会話しかしないし、僕を見て顔を赤らめるなんてこともないので、誰も僕たちが付き合っているとは思ってないはずだ。

 たぶんその方が、僕か彼女のどちらかが死んだとき面倒がなくていいだろう。


「あのさ、学校にそんな小洒落た飲み物が売ってるわけないじゃん」

「ほうじ茶と牛乳を買って作ればいいでしょ」

「その二つ、単に混ぜたら絶対まずいと思うけど……いいの?」

「まずかったら、久藤くんに飲んでもらうわ」

「あのねぇ」

「あら、間接キスのチャンスじゃない」

「…………」


 ふふ、と彼女は意地悪く微笑む。

 僕はやれやれと重い腰を上げて、購買へ向かった。


 とにかく、彼女は付き合い始めたあの日からというもの、こんな風にわがまま放題なのだ。自分でも認めてたけど、生粋のドSなんだと思う。


 しかし!

 僕は断じてМではない。


 だから、今だってこんな訳の分からない使いッ走りをさせられていることに、普通に腹が立っている。間違っても萌えてはいない。


「220円です」

「はい」


 僕はもやもやと不満をくすぶらせながらも、お望み通りほうじ茶と牛乳を購入し、中庭へ戻った。


「うん、なかなかいけるわ」

 僕が作った即席ほうじ茶ラテ(というより、ほうじ茶オレ)は、意外にも彼女のお気に召したようだ。

 結局全部自分で飲んでしまい、間接キスのチャンスもなかった。


「ねえ久藤くん」

「はいはい、今度は何?」


 僕は投げやりに返事をする。

 二か月弱もの間、彼女のわがままに付き合わされてきた僕にはわかる。彼女がふいに言う『ねえ久藤くん』に続く言葉は、大抵ろくな事じゃない。


「デートしましょう」

「……え?」


 また無理難題をぶつけられると思っていた僕は、肩すかしをくらってぽかんと口を開けた。彼女は間抜け面の僕に淡々と言う。


「私たち、まだデートしたことないでしょ。どこか連れてって」

「え! 待って。どこかって、例えばどこ?」


 生まれてこの方、女の子とデートしたのは去年彼女とショッピングセンターをぶらぶらしたあの一度きりだ。

 しかも彼女にその記憶はないし、そもそも去年の彼女はおそらく僕を昇天させるために完全に猫をかぶっていて、全くの別人だった。


 デートに関して言えば、僕はド素人だ。


「どこって、私が喜びそうなところよ」

「うわぁ、一番困るやつ!」

「それじゃあ、次の日曜日、楽しみにしてるわ」


 彼女はそう言って、困り顔の僕を見て満足そうに微笑むと、長いおさげ髪をふさふさと揺らしながら教室に戻っていった。


 僕はベンチに一人取り残され、「はあぁ」と途方に暮れる。


 彼女が去った途端、ぽっぽー、と馴染みの鳩たちが群がってきて、物欲しそうにぐるぐると僕の周りをうろつきだした。


 良いよなあ、鳩は。呑気で。


 こんな調子で、あと半年かそこらのうちに彼女を死ぬほど幸せにするなんて……本当にできるんだろうか。



 悩んでいる間に、あっという間に約束の日となって。


「なんで、バッティングセンターなの」


 完全に迷走した僕は、彼女と近所のバッティングセンターに来ていた。


「いや、志乃宮さんドSって言ってたからさ。カキーン!ってボール打ったらスカッとするんじゃないかと思って……あはは」

「……」


 彼女のガラス玉みたいな目がじっと僕を見据える。何の感情も読み取れない瞳に僕はおどおどと目を泳がせた。


「まあ、とりあえずやってみようよ! 結構楽しいからさ」


 ここはひとつお手本を、と僕はチャリンと百円玉をマシーンに入れて、ヘルメットをきりりと被り、一丁前なフォームで打席に立った。


 ――スン。

「?」


 気付いた時には、ボールは背後のネットにぶつかってコロコロと足元を転がっていた。


「い、今のは様子見だよ? うん、大体球筋はわかった。次が本番だからね」

「ええ」


 正直に言うと、僕もバッティングセンターは小学生の時以来である。運動は大して好きじゃないし、そもそも根っからのインドア派なのだ。

 とはいえ、小学生の時は結構打ててたんだけどなあ……。


 よし、次こそ。


 ――スン。

「あれ?」


 ――スン。

「うそ?」


 その後も歯を食いしばってぶんぶんとバットを振り回すが、空しくも風を切るばかりでボールには掠りもせず。

 あっという間に僕の打席は終了した。


「球筋を見極めるのに全球使っちゃったわね」

「うるさいよ!」


 彼女はくすくすと笑いながら、僕からヘルメットを奪った。


「なんとなくやり方はわかったわ」


 彼女はすっと凛々しくバットを構え、打席に立った。

 まあ、たぶん一球も当てられないとは思うけど……そのときは僕がかっこよく慰めてあげよう。


 カーン!!


 いきなり甲高い音が鳴り響いてハッと見上げると、彼女の打った打球が大きく弧を描いて向こう側のネットまで飛んでいくのが見えた。


「当たったわね」

「えぇ!」


 初体験でいきなりホームランって!

 平然とした顔で言う彼女を前に、僕はあんぐりと口を開けた。


「案外簡単じゃない」

「え、ちょ……?」


 そう言って彼女は何故かヘルメットを外し、ピッチャーマシーンに背を向けて僕の方に歩き出そうとした。


 マシーンに映るピッチャーの映像はすでに投球体制に入っている。


「危ない――!」


 僕は咄嗟にネットをくぐって彼女の肩を掴み、ぐっと打席の端に引き寄せた。


「きゃ!」

 僕たちは勢い余ってそのまま倒れこむ。そのすぐ上を、スン、とすごい速さでボールが通り過ぎ、ネットにぶつかってぼとりと落下した。


 僕は彼女の下敷きになりながら慌てて腕を伸ばし、『中断』のスイッチを押す。マシーンのピッチャー映像はピタリと止まり、動かなくなった。


「何やってんの!? 危ないだろ!」


 僕は彼女の尻に敷かれた格好のまま、声を荒げる。彼女は状況が呑み込めていないようで、こてんと首を傾げてぱちぱちと瞬きした。


「その……一回打ち返せたらもうボールは飛んでこないのかと思ったの」

「はいはい悪かったね、僕が一球も当てられなかったからさ! 普通は当てても当てられなくても決まった数だけボールは飛んでくるんだよ」

「そうなのね」


 彼女は僕に跨ったまま、珍しくしおらしい顔で呟く。僕は思わずそのうっすらと紅潮した頬に見惚れて――魔が差した。


 ちゅっ。


 彼女の細腕を掴んでぐっと引き寄せ、彼女の頬にそっとキスをした。


 いつもわがままを聞いてるんだから、これぐらいのことはさせてもらっていいはずだよね?


「……」


 彼女はそっと頬に手をやり、きょとんと目を見開いている。僕がそんなことをするとは夢にも思ってなかった、みたいな顔だ。


 僕だって男だ。尻に敷かれているだけではないさ。


 この体勢じゃあ何の説得力もないけどね。


「なんなら唇にしてくれても良かったのよ」

「え? もー、そこは少しくらい照れてくれてもいい……」


 平坦な口調で言う彼女にほとほと呆れてそう言いかけて、言葉を呑み込んだ。


「意気地なし」


 そう呟く彼女の目が、うぶな少女のように恥じらいを帯びて揺れていたのだ。


 僕は確信した。

 彼女は人を精神的にいたぶって悦ぶタイプだけど、身体的には真逆なんだ。


 一つの活路を見いだした僕は、心の中でぶおおーん!とほら貝を吹き、反撃の狼煙をあげた。


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