四十九日
春休みの間、彼女の言葉に翻弄され、僕は無意味な自問自答を繰り返していた。
彼女は僕のことが好きなのか?
でも彼女は僕をあの世送りにしたじゃないか?
ただ、今の彼女にその記憶は無い。
過去の彼女が僕を嫌っていたのは事実だけど、今の彼女が本気で僕のことを好きになる可能性はあるはずだ。
もちろん端からそれが目的で画策してきた訳だけど、まだたった二回贈り物を渡しただけ。
あれほど官能的な目で見つめられるような段階ではないはず……。
「むぅ」
思い出しただけで身体がムズムズしてしまう。健全な思春期男子なので大目に見て欲しい。
でも何度考えても、彼女が僕を気に入った、っていう理由がよくわかんないんだよなぁ。
ジリリリ……!
ポッポー、ポッポー!
クルッポー、クルッポー!
今日も夜な夜な考えたけど結論は出ず。
僕は落ち窪んだ眼を擦りながらバシバシバシッと目覚まし時計を黙らせ、久しぶりに制服の袖に手を通す。
あれからひと月。
すっかり桜も葉っぱ混じりになった今日、僕は高校2年生に進級した。
運命なのだろうか。
僕は再び彼女と同じクラスだった。
神さまが陰ながら助力してくれているのかもしれないけど、残念なことに僕の頭の中は彼女の恍惚とした表情でいっぱいで、この先の計画は真っ白だった。
メロメロにさせるつもりが、すっかり陥落させられているのは僕の方である。
夢うつつで新しい教室に足を踏み入れると、彼女は既に着席していた。
皆ががやがやと新しいクラスメイトと駄弁っている中、彼女は一人すっと背筋を伸ばして読書している。
久しぶりに見る彼女の姿は、散々妄想を膨らませた僕にはあまりに清廉潔白で、声しか聞いたことない神さまなんかよりよっぽど神々しく見えた。
僕の視線を感じてか、彼女がふと顔を上げて僕と目が合う。
「久藤くん」
彼女は読んでいた本をパタンと閉じる。
そして静かに立ち上がり、すたすたと僕の方にやって来た。
「え、え、何?」
僕は急にやましい気持ちになって、思わず両手を胸の前であげる。
彼女は周囲の目を気にするように辺りを一瞥してから、ぽそりと僕の耳元で囁いた。
「随分覇気がないけれど、大丈夫?」
「ひゃうっ」
耳にかかる吐息が生温かくて、僕は女の子みたいな声を出して飛び退いた。
あまりの恥ずかしさに耳の先まで真っ赤になる。
「顔色がコロコロ変わってる……もしかして、死期が近いのね」
そんなことはない。まだ死ぬまで10ヶ月もの猶予がある。
でも、今さらただの寝不足とも言い出せない雰囲気だ。
無言の僕に彼女はわずかに唇を引き結ぶ。その真剣な表情に僕はきゅっと胸が痛んだ。
「前にも言ったけど、私に協力出来ることがあれば言って」
彼女はくるりと翻り席に戻る。後ろでゆるく編んだ長いお下げ髪が、歩く度にふぁさっふぁさっと僕を誘うように揺れる。
触ってみたい――。
出来るかどうかはさておいても、このまま彼女をあの世に送ってしまうのはあまりに惜しい。
僕の計画(既に崩壊しかけているが)が成功しようが失敗しようが、二人のうちどちらかが死ぬことになる。
それなら今のうちに、もっと彼女と思い出を作りたい!
人知を越えた理不尽に付き合わされてるんだから、それくらいの冥土の土産、持たせてもらってもいいよね?
僕は神さまの沈黙を『異議なし』と捉えることにした。
放課後。
僕は彼女を再び中庭に呼び出した。
「話って、例のことでしょ?」
ベンチで鳩にパン屑をあげながら待っていた僕に、彼女は来るなり開口一番そう言った。
「そうだよ」
僕は手のひらのパン屑をぱっぱっと払いながら言い、意を決して立ち上がる。バサバサッと足元の鳩が一斉に飛び立つ。
「僕が生き残る為に、君にお願いがあるんだけどいいかな?」
「ええ、もちろん」
ちょっと心配になるくらいの二つ返事に拍子抜けしたが、僕は気を取り直して言う。
「神使の使命……僕が生き残る方法なんだけどさ、君を死ぬほど幸せにすることなんだ」
「……は?」
彼女はこれ以上ないほど訝しげな目で、僕をじろりと見据えた。蛇に睨まれた蛙の如く、僕の頬を脂汗がたらぁりと伝っていく。
でも、ここで怯むわけにはいかない。
「気持ちはわかるけど本当の話だよ! ほら見てよ僕の鼻の穴を!」
僕はビシッとキメ顔で自分の鼻を指差す。端から見たらひどく間抜けで意味不明だろう。
「確かに。間違いなく本当だわ」
しかし彼女はそれで心底納得したようだ。ていうか僕の鼻ってそんなに信憑性高いんだ。
「それで君を幸せにする方法なんだけど……傲慢って思うかもしれないけど……僕に出来ることなんてこれくらいしか思い付かなくて……あの……」
「もじもじしてないで早く言いなさい」
「ごめんなさい」
ぴしゃりと言われて反射的に謝ってしまったが、彼女は謝る僕を見て何故か興奮したように頬を染める。
その顔がたまらなく色っぽくて、僕までぽぽっと顔が熱くなった。
僕はぶんぶんと首を振って頭を冷まし、すうっと深く息を吸う。
そして一世一代の気持ちでバッと手を出し頭を下げながら言った。
「――僕と付き合って下さい!」
「いいわよ」
ポッポー、クルッポー。
僕はお辞儀した格好のまま、いつの間にか戻ってきていた鳩たちが足元で能天気にパンをつついている様子をしばし見ていた。
ん? ……今なんて言った?
「えぇ、いいの! なんで!?」
僕の素っ頓狂な声で鳩は再び散り散りに飛び去った。
彼女はすっかりいつもの人形のような真顔に戻って言う。
「言ったじゃない。私、久藤くんのこと気に入ってるって」
「それなんだけど……僕、君に気に入られるようなことした? 確かに気を引こうとしてプレゼントあげたりしたけどさぁ」
おずおずと尋ねる僕に、彼女はふふっと不敵に笑う。
「そのうちわかるわ」
「何だよそれ……」
僕はモヤモヤした気持ちで眉を潜める。
「久藤くんこそ何で私なの? 他の誰かを幸せにするのでは駄目なの?」
「それは……」
彼女は吸い込まれそうな瞳でじっと僕を見据える。
確かに、全く関係のない他人を犠牲者にすることも一度は考えた。
でも命を奪う以上、安易に相手を決めるわけにはいかない。そもそも死んでもいいと思ってる人なんていないし、誰を選んでも罪悪感が半端ない。
ならば復讐という大義名分の下、彼女を選ぶより他になかった。
それに、これは万が一生き残れなかった場合の冥土の土産作りでもある。その相手は彼女以外には考えられない。
「……僕が君のこと好きだからに決まってるじゃん。他の誰かじゃ駄目なの!」
「ふーん」
「『ふーん』じゃなくて! 今いいこと言ったよ僕!」
こんな痛いこと言わせておいて、そんな素っ気ないリアクション。
くそぅ……めちゃくちゃ恥ずかしい。
顔を真っ赤して怒る僕を見るや否や、彼女は何故かまたあの恍惚とした表情で「はぁ……」と吐息を漏らした。
「その反応……やっぱり久藤くん、いじめ甲斐があるわ……」
「いじ……? え?」
ふふっ、と微笑んで彼女はためらいなく僕の手をぎゅっと握った。
白くて細くてひんやりとした彼女の指が、僕の汗ばんだ不格好な指と絡まり合う。
「な、ちょ、いきなり……っ!?」
僕が童貞丸出しで慌てふためいていると、彼女は僕の指をゆっくりと口元に引き寄せて、
「イテッ!」
かぷっ、と噛った。
僕は度肝を抜かれて呆然と立ち尽くす。
しばらくして彼女がゆっくりと口を開けると、彼女の唾液で濡れた僕の指にはしっかりと歯形がついていた。
「私を死ぬほど幸せにするのは大変かもしれないわよ。私、ドSだから」
ようやく全てが腑に落ちた。
けれど、僕の心臓はどくどくどく……と謎の焦りと興奮に猛り狂っていた。