リーディス
空は鈍色の分厚い雲で覆われて、陽の光が差し込まない大地が続く。しかしそれでも地の先まで見渡すことが出来るのは空気が色を含んでないからだ。
ただ大地は荒廃しており、かなりの頻度で発生する竜巻が砂塵を巻き上げる。
その地には半円型の灰色に彩られた建造物が、たくさん立ち並んでいる。
その最西端に白色のドームが存在した。
圧倒的な存在感を醸し出すその建物の中には、天まで届きそうなほど巨大な扉付きの門がぽつんと佇んでいる。
巨大すぎる門を見上げ息を呑む。
「これを開けば、俺の夢が......」
ぼそりと言葉を零し、扉へと手を伸ばす。
扉から伝わってくる冷たさに驚き、反射的に手を引っ込める。手先から上ってきた冷たさは、不安を掻き立てる。その感覚に戸惑っていたのがいけなかったのか、後方から数人の見回りの者たちが声を上げて駆け寄ってきた。俺はそのまま取り押さえられる。
逃げようとする気力すら湧かなかった。
連行されてしまうその間も、俺は後ろを振り向き、巨大な門をじっと眺めていた。
連れて行かれた先は、裁判所だった。
それも、お偉いさんが集まる最高裁判所だった。
奴等は俺の両手の親指に指錠を着け、引きずるように俺を連行する。法廷に引き出され所定の位置で止まると、その場で跪くように背中を警棒で上から押さえつけられる。俺は苦悶の声を漏らした。
押さえつける男を睨んでその痛みを訴えるが、男は俺の視線に気づくと、前を向かせようと俺の顔をさらに抑え込んだ。
抵抗している間に、審議者は既に壇上の席に着いていた。
古風な服装をしている審議者は、神の意思を受け取ることが出来る者が務めている。
それ故、他の職業のように何人も代わりがいる訳ではない。なるべくしてなった彼らは、神の判断に全てを委ね罪状を送りつけてくる。
静寂に包まれる法廷で、唯一聞こえる審議者の浅い呼吸音。その音が消えると審議者がこちらを向き、刑罰を伝えてくる。
「彼の者を断罪の地にて、処刑を行なう」
その判決に、周りの者達は納得するように頷く。
今まで、それほど重くない判決を下してきた審議者の言葉に耳を疑った。だが納得がいくものでもあった。
門を開けてはならない、この星にとっての禁忌を犯したのだ。仕方のない事なのだ。
だが、そんな空気を壊す一人の男が法廷に入ってきた。
その男は声を大にして、判決結果に異を唱えた。
周りの人が注目する中、彼が提案してきた別の判決によって騒然とする人々。
決定事項だと言い、変えられないと言う者達もいた。彼に視線が集まっていた中、俺だけが別の方に気を取られていた事もあって気付いてしまう。
壇上にいる審議者が目を閉じ、浅く呼吸をしていたことに。
騒然とした法廷内にて、声を響かせた審議者によって彼らの騒ぎがピタリと収まる。
「判決結果を伝える」
――そして、俺の刑罰は『惑星追放』へと変更された。
「すまなかったな」
薄暗いドーム内、禍々しい巨大な門を背にした俺に向かって、頭を下げる我が友人。
謝罪の言葉から、彼の気持ちがひしひしと伝わってくる。
「やまない好奇心が生んだ結果だ。お前が謝る必要はないだろ?」
ゆっくりと上げた顔はとても暗く、責任を感じているのだとわかる。
何か言いたい事があるのだろうが、その全てが頭の中で消滅していっているのだろう。目を泳がせ、何度も口をまごつかせていた。
だが長々と留まっていると、ドーム周辺の者達が怪しんで中に侵入してくるかもしれない。そういった事態を想うと、これ以上迷惑は掛けられないと、早急に出立することを決意した。
「......またな」
後ろ手に手を振り、巨大な門へと歩み出す。
「待ってくれ」
彼から放たれた声は、ドーム内にとてもよく響いた。
友人の声につい足を止め、迫ってくる足音の方へと振り向いた。
情けない表情の友は駆け足で寄ってくると、乱れた息のまま目前で立ち止まった。そして力強い眼光で俺の瞳を貫き、言った。
「絶対に、希望を失わないようにな」
そう告げた彼は、押し黙る俺を抱擁する。もしも異性であったなら、何か洒落た事が言えたのだろうか。
「......おまえが女だったら、俺もキザなセリフのひとつでも言ってやったんだが」
そう茶化しながら、彼の背に腕を回した。
「ありがとな。でも、明日には忘れているかもしれないし、意味なかったかもな」
「ああ。お前はいつまで経っても、面白くない酷い奴だったよ」
離れた後、お互いに一笑した。
彼も少しは落ち着いたようで、いつもの陽気な雰囲気を取り戻していた。穏やかな顔で送ってくれる。
彼に手を振りながら門を潜った。刑罰執行の音を脳に焼き付けて......。
――――――――――。
体を焼き尽くすような、眼前いっぱいに広がる強い光。
その光を受けて、俺の体は強烈な痛みを感じ、すぐにでも引き下がれと警鐘を鳴らしていた。そんな事はすぐに理解したが、俺の理性はそうはならなかった。
長年惹かれていた綺麗な太陽の光が、この俺を包み込んでいる。
嬉々として高揚した気持ちは収まることなど無く、体が限界に達していようと天を仰ぎ続けた。
白一色に染まる中、俺は『天国』をこの目に――。
――――――――――
「っ!」
目が覚めた。
綺麗な太陽を見上げるいつもの夢を見たと、思考が明るくなりだした時、隣から声が届いた。
「目が覚めた?」
少女が、俺の顔を覗き込んでいた。
俺はようやく自分がベッドに横たわっているのだと理解した。
そして俺を見つめる少女の姿は、俺達とは違っていた。
全身を覆う毛は存在せず、白い肌が露出していた。
目尻は下がっており、穏やかな雰囲気を纏っているように感じる。
頭部から生えている毛は黒く、横についている耳にかかるくらいの所まで伸びていた。
服装は白一色のブラウスに、やはり白っぽい上着を着ている。
「君は、この星の人間......だよな?」
「言葉が通じてる......? あなたが喋っている言葉は、日本語よ、喋れるの?」
言葉が通じている事に驚いているが、俺にしてみれば当たり前の事だ。
「いや、にほんごは喋っていない。君がにほんごだと感じているのは、俺が着けているこの首飾りの力によるものだ」
そう言いながら、服の下に入れていた首飾りを見せる。簡素な作りの首飾りを観察するように、じっくりと眺めた後、少女は納得したように頷いた。
「翻訳機なのね......」
その後、俺が投げかけた質問を理解しようと、彼女は眉をひそめ、うつむき、何かを考える。
「......あたしはまあ、一応、この星の人間ってことになると思うわ」
曖昧な返答だ。俺のような別の宇宙から来た者を知らないのだろう。
少し興味を持って、身体を起こし部屋を見回した。
「そんなに不思議?」
木造建築なのだろう。天井は木目が剥き出しになっており、床には白いカーペットが敷かれている。部屋の中の装飾品もかなり少なめで、棚に置かれた時計らしき物や、額縁に入れられた風景の写真が飾られている。
青い空、明るい海が映っている。その写真を見つめ、俺は言葉を漏らした。
「嫌いじゃない」
そんな感想が無意識に零れ、少女の問いの返答となった。彼女は安心したように息を吐き、にこやかに俺の顔を見つめた。
俺もまた、しばらく彼女の顔を見つめていたが、ふと『それ』が頭を駆け抜けた。
――そう、ここは別の星。俺の住む星ではない。
......青い空? 明るい青い海......? !
「この星は......?」
この星は、もしかすると......太陽の見える明るい星......なのか......?
そう思考が追い付いた途端、俺はベッドを降りて、部屋の窓際へと近づいた。
カーテンを開いて空を見上げる。窓ガラスに顔を押し付けるように見上げるが、そこに太陽の姿は無く、わずかに星が輝くだけの空だった。
肩を落とし窓に背を向けた先で少女と目が合った。
「ねえ、あなたの名前は?」
椅子に座る少女が俺の名を聞いてきた。
「リーディス。こことは違う、別の星からやって来た人間だ」
「リーディス......」
俺の名前を噛み締めるかの如く、何度も小さな口を動かして復唱し続ける。
十分満足したのか小さく頷いた後、微笑を向けて名乗りだした。
「あたしは川端蘭奈。この家で妃と一緒に暮らしているの。妃は少し年上の従妹よ。この家はうちのパパの別荘なんだけど、あたしが一人で住みたいって言ったら、妃と一緒ならいいって言われてそうしてる」
蘭奈は穏やかで、か細い声色から、人の言葉に傷つきやすい繊細な性質だと想像がつく。
「それで、聞きたいんだけど。リーディスって、なんで山羊みたいな姿なの?」
「山羊? そうか。......俺の外見はこの星では山羊なんだな」
山羊という生き物がいるわけだ。
「あ......。ごめんなさい。......で、でも、......みたいに見えるの」
俺のような人間は、この星にはいないのだろうな。なんせ俺の姿は、全身黒い毛が覆っていて頭から角が背中の方向に向かって伸びている。この星の人間みたいに、のっぺりとした顔ではなく前に突き出た形をしている。
この姿を初めて見る彼らには、お化けのようにも見えるのかもしれない。山羊という生き物に近いのなら、少なくとも人間としては見られない可能性もあったのだ。
だが、こうしてベッドを使わせてくれるということは、保護してくれたのか......? この少女が......?
「山羊だと思った?」
「いいえ、......でも似てるから、どういう人なのかと......」
「そういった種族だから、としか言えないな。蘭奈たちの知識に当てはめて言うなら、山羊の形をした宇宙人っていうところだな」
「じゃあ、やっぱり宇宙人なのね? 先祖返りとか、そういった事じゃないのね」
そう言って、蘭奈の肩が少しだけ下がった。宇宙人という事実に、何故か落胆しているようにも見える。
「それじゃあ、どういった所から来たの? ここに来た時の宇宙船とかは?」
気持ちの切り替えの早さに、目を剥いてしまいそうだ。
「ウルファルド星と言う星の出身でな、この星への移動手段は門を潜ったことによる......まあ、ワープのような物だ」
「ウルファルド星? 門でのワープ?」
聞いたことない単語に魅了されたようで、彼女の瞳は探究者のように輝いていた。
「ああ、そうだな......」
好奇心に満ちた蘭奈を落ち着かせるためにも、一つ一つ掻い摘んで説明することにした。
ウルファルド星では、厚い雲によって太陽の光が殆ど入ってこないこと。薄暗いと感じる日中も、人口灯で明るくしていること。そういったところを中心に話す。
「ふ〜ん、じゃあどうやって昼と夜を見分けているの?」
「別に光が全く入らないわけじゃないから、光のちょっとした光量差で見分けている」
「結構目が良い人達なのね」
「さあ、可視光線が違うんじゃないのかな?」
「可視光線?」
「見える光の範囲が違うんだろうと思う。きみたちはきっと暗いものがあまり見えないけど、明るいところでは良く見えるんだろう。俺らはそうじゃないのさ」
「ふうん。そうなの」
「多分、な。......でも、俺らは強烈な光熱で、体が焼けてしまう。だからもしここで外に出るなら、陽の光を遮る物が必要になるだろうな」
「ふうん。......ねえ、もう少し門のことが知りたいわ」
この星に来るための移動手段となったあの巨大な門のことか。
だが、俺自身あの門の事はよく分かっていない。いや俺だけではないな。あそこにいた奴らの中で、誰かあれをきちんと説明できるものがいるだろうか。年配の者なら知っているかもしれないという程度だ。
小さいころに門の事について教えてくれる教育があるにはあるのだが、その内容もとても幼稚で、あの世へ連れて行く幽霊やら巨大な化け物が食べにくるだとか......。どれも成人した奴なら、鼻で笑うような内容だった。
友人は爺さん達と、よく話していたからその時にでも知ったのだろう。明るい太陽のある世界に行くための門だと。
「門で来たのは間違いないが、あの門の事は何も知らない」
「へ〜、秘密の門ってやつなのね」
ふと自分の事を話していて、蘭奈達がこの星で生きている事を羨ましく感じた。今まで憧れた最高の世界に、何の苦労もなく生きていける......そんな人生に。
そして、初めてこの少女の気持ちを考えてみた。
「きみは、どうして俺を......助けてくれたんだ? 山羊みたいな変な奴を......?」
「......んん、......リーディスはね、うちの庭に倒れていたの。背中や頭の毛が一杯焼けてて、とても痛そうで、......だから、あたしが妃に頼んでお部屋に運んでもらったの」
じゃあ、直接には、従姉の妃というものが俺を運んでくれたのか。
「......怖くなかったのかい?」
蘭奈は頭を横に振った。
「だって、服着てたし、火傷してたし、血も出てたから......」
「......かわいそうな感じ?」
今度は首を縦に振る。
そうか。「怖い」より、「可哀そう」が勝ったのか。
見つけてくれたのが、この少女で助かったということか......。
そのときになって、少女の椅子に車がついていることに注目した。こんな形状だということは、おそらくこの椅子は乗った者を運ぶ役割のものだ。
......と、いうことは......?
「何故きみはずっと、その大きな車付きの椅子に乗っているんだい? 立ったり歩いたりしないのかい?」
蘭奈はそんなことを聞かれるとは思わず、ちょっと驚いたような顔を浮かべる。
「......太陽が好きなリーディスさんが、あたしの事を聞いてくるなんて......」
周囲の事に関して無関心な人間だと思っていたようだ。
「俺、そんな薄情な人間だと思うのか?」
「あ、いえ、そういうわけじゃないのよ。他人に無関心を貫く人って多いの......だから」
蘭奈の必死な弁明に、肩を竦めた。
「えっと、車椅子の理由ね。たいした理由は無くてね。生まれつき脚が不自由なのよ」
そう言って自分の膝をさすった。
話題が自分のことになった途端、少女は口をつぐみ、うつむいてお喋りをやめた。
◇◇◇
二日ほど経ったころ、昇ってきた太陽に興奮を覚え、俺は再び外に出た。
だが案の定、太陽の光に顔や手足を焼かれた俺は、再び蘭奈に助けられる。
蘭奈が妃を連れてきて、俺を屋敷に運び入れてくれたのだ。ホースの水で消火されながら車いすに乗せられた俺は、足下の床を水浸しにして部屋へと連れられた。
そうか、最初のときもこうやって運ばれたのか……。
妃は蘭奈の従姉なのだが、あまり蘭奈とは似ていなかった。
せいぜい十二~三歳程度の蘭奈は、身体も小さく色白で、おとなしいタイプだが、従姉の妃は二十歳くらいの大人の女性で、目元も口元もきりりと締まり、少しきつい顔立ちの人間だった。
妃は看護師の免許を持っていた。
なるほど、蘭奈の世話係という方が近いだろう。彼女はてきぱきと身体を動かし、俺の火傷の手当てもそつなくこなした。そして俺は包帯をぐるぐると巻かれ、与えられた部屋へと返された。
「ありがとう」
去る彼女に向かって声を掛けてみたが、妃は振り向くことなく、返事さえ返すことなく部屋を出て行った。
それ以来、俺は戸外へ出ることはしなかった。
これはさすがに二人に迷惑を掛けるだけだ。俺は屋敷の中を自由にうろつく許可をもらって時間を潰せる書斎を見つけた。
そしてそこで気になる本を手に取り、時間を消費する日々を送ることにした。
今日、その書斎で俺はあるものを発見した。
それは描きかけの絵だった。
「これは......太陽の絵か。海岸線が描かれていて......これは、灯台か......?」
小型のイーゼルに立てかけられたキャンバスには、海に沈む真っ赤な太陽と、岸壁に建つ灯台が描かれていた。決して上手いとは言えないが、不思議と、俺はこの絵に惹きこまれていた。
胸が高鳴っていた。
厚い雲の向こうには何があるのかを考え続けた少年時代だった。太陽という眩しい星が浮かんでいると噂で聞いていたが、どれだけ想像しても、そんな星もそんな空も想像することが出来なかった。
どんよりとした世界。......それでも、厚い雲が我々生き物を護っていると教えられ、その向こうに行くことも想像することも、決して許されない星の掟があった。そんな熱く眩しい世界など、誰も考えたこともないのだ。
一度でいいから空から照らす陽の光を浴びたい。そんな思いが胸の奥を満たしていく。
雲を研究し、大地と気象をテーマに学問を続けていた俺は、あの厚い雲の向こうの世界というものを想像し、憧れを抱いた。
――そして、それがすべての間違いだった。
「あれ? リーディス?」
蘭奈が書斎に入ってきた音に全く気付かなかった。
「本でも読んでいたの?」
「さっきまで見ていたが......」
「その絵、気に入ったの?」
蘭奈はキャンバスの絵を指さし、困ったような笑顔で質問してきた。
「そうだな。何というか、とても惹かれるものがある」
「ああ、それは太陽が沈んでいくところを描いてみたの」
「そうか。......沈む太陽か」
「......。よっぽど太陽が好きなのね?」
「そうだな、これは、この絵は、蘭奈、きみが描いたの?」
「うーん、まあそうなんだけど......」
顎に指を当て、考えながら目を伏せる蘭奈。
黙って返答を待っていると、蘭奈は何か思いついたような表情を浮かべ、伏せていた視線を上げる。
「だったら、そこに行ってみる気はない?」
蘭奈は絵画を指さしている。
「とても魅力的な案だな。そうだな、俺は、ここに行ってみたい」
楽観的な夢を抱くが、現状では行くどころか外に出る事すら出来ない。
太陽はこの星の者達に恵みの光を与えるが、俺に対しては灼熱の地獄を与える。からだを焼かれるという問題を解消できない限り、この魅力的な光景を見ることは叶わない。
「でも、リーディスは焼けてしまうものね......。なんとかしてあげたいけど......」
そうして再び思考を巡らせ始めた蘭奈だったが、すぐに顔を上げて笑みを浮かべる。
「気休めかもしれないけど、玄関前に日傘が二つあったから、それを使ってみるってのはどうかしら」
「日傘か......。暑さまで凌げるとは思えないが、少しでも違えば、簡単に焼けることは無いかもしれないな」
蘭奈は小さく頷いた。
その日は雲の多い日だった。
蘭奈の車椅子を押して、玄関前にある日傘を彼女から受け取る。
試しに家の中で開くと、大きさはそれなりの物で、影で俺の体を覆うくらいの事は出来そうだった。
「それじゃあ、外に出てみようか」
そう言う蘭奈の車椅子に手をかけて、家を出ようとした時に、ふと尋ねてみた。
「妃はこないのか?」
「......いいのよ」
蘭奈は少し寂しげな様子で答える。
知らせてないのかもしれないな。俺は妃には嫌われているのだと思うと、少し寂しく感じる。
しかしよくよく考えるとそれで普通かもしれなかった。俺の容姿はあまりにもここの星のものとは違い過ぎるのだ。むしろ蘭奈の態度の方が普通ではないのかもしれない。この星の人間たちが、外見の違いから、俺を殺すという選択をしても可笑しくはないのだ。
そんなことを思って身震いをしつつ、蘭奈と共に家を出た。
「どう? 焼けたりしない?」
「暑くはあるが大丈夫だ。この調子なら焼けることは無いだろう」
日傘作戦は成功だった。肌を刺すような痛みも無く、安全に外を歩くことが出来ている。
暑いのは防げなかったが。
花の色も鮮やかで、海岸までの道を歩きながら咲き誇る花へと目を向けた。
「お花が好きなの?」
蘭奈は脇に続く植え込みの花を指差して言った。
「あれはね、ハイビスカスというの」
赤やピンクの大きな花びらが、緑の葉の間に見える。
「豪華な花だ」
「そうでしょ。あっちはね」
と言って、今度は、民家の庭に枝を垂らす濃いピンクの葉のような花を指差す。
「ブーゲンビリアっていうの。綺麗でしょ。この島の花なの」
蘭奈の言う、ハイビスカスとブーゲンビリアの花が一面に咲く道を、じわりじわりと進む。時々足を止めては、気に入った場所をカメラらしき物で撮影する。
次第に空は雲が薄れ、青く輝いていく。
蘭奈は出会って以来、もっとも幸せそうな笑顔を見せていた。
穏やかな風で揺れ動く、色鮮やかな花の群れ。そんな中で笑顔を浮かべて撮る彼女の顔は、俺の頭の中で印象強く焼きついた。
「ねえ、リーディス。リーディスは自分の星を追い出されて、悲しくは無かったの? 皆いなくなったら良いのに、って思ったりしなかったの?」
幾分か表情を暗くし、苦しそうな目を向けてくるが......。
孤独に追いやられる者の、心を知りたいのだろうか。だが俺自身、その問に関する答えは持ち合わせていない。だから答えは決まっている。
「何も思わないさ」
とても軽く、楽観的な口調で彼女に伝えた。
「まあ、思うも何も、あの太陽が俺の全てを焼いていたからね。思考も何もかも、炭のようになっていたからな」
「今まで溜めこんでいた恨みとかも、全部太陽に燃やされちゃったんだね」
「その言い方だと、まるで恨み心というやつを守りたいみたいだな。どっちかと言うと、捨ててしまいたいものだろ? そんな恨みとかってやつはな」
彼女に少し抗議してみたが、ニコニコと笑う蘭奈の心に響いているかは分からなかった。
やがて、目的地が姿を現し始めた。
「あれが、西埼灯台よ。陽が落ちきる前に着いて良かった」
正面に見えている塔を指さして、俺に名称を教えてくれた。
それなりに高い灯台の姿に見惚れていると、車椅子に乗った蘭奈が指をさす。
そこには、あの絵にそっくりな場所が、俺の目に映っていた。
視界いっぱいに広がる海に、太陽の光が差し込みキラキラと赤く輝いている。
「俺の星にも、こんな場所があったな......。光が差し込まないあの星で見た景色の中で、初めて感動した場所だった。それでも、こんなにも広く、輝いている海は......初めてだ」
「また感動しちゃうんだ」
蘭奈がくすくす笑っている。
「ああ俺の星の海は、雲のせいで灰色だからな。モノトーン以外の海は珍しいんだ」
「ふうん......」
笑みを浮かべて答えていると、少し離れた場所に石碑があることに気付いた。
「蘭奈、あれは?」
「あれ? あれはこの国の最西端を示す石碑よ。そこよりこちら側があたし達の国だから、海を越えちゃ駄目よ? わかった?」
少し、威張ったように高慢な笑みを作る蘭奈の頬をつついてやった。
そして再び海へと顔を向けながら、ふと、思い出すことがあった。
「......門は、俺の国の最西端にあった」
「ええっ、すごい。一致してるね、こっちの世界と」
「そうだな」
俺達の祖先は、あの門の先にある星がこの地だと分かっていたのかもしれない。
ここは目指すべき世界だったのかもしれない。
今はまだ我々は焼けてしまう。だから再びくぐれる日を夢見て、破壊せず閉じておいただけなのかもしれない。
でも、今の俺はあの門を潜って生き長らえる事が出来ている。不思議な感じがする。
この地を目に焼き付けたい。そしていつか来る誰かに、この映像も、この思いもすっかり渡してしまえることが出来たなら......。
俺は彼女の頭にそっと手の平を乗せて、陽が沈み切るまで、最西端のこの地でじっとその場に佇んでいた。
あの赤い太陽が沈むまで――。
◇◇◇
「よし、だいぶ覚えたぞ」
「三日しかやってないのに、文字の暗記が早いのね。得意分野だったりするの?」
ある日の夜、蘭奈の部屋で、文字の読み書きを教えて貰っていた。
最初は見たことない未知の文字を覚えるのはなかなか辛く、この国の文字、言葉はかなり複雑で、一通り発音することが出来ても、いつまでも分からない言葉が無くならないことに苛立っていた。それを見るに見かねた蘭奈が、なんとかしようと文字の読み書きを教えてくれることになったのだ。
三種類の文字を見せられた時は、軽く眩暈がしてしまったが、いざ覚えようと学習し始めると、案外簡単だと思った。これは俺たちが使っている文字と、ほぼ同じものだと気づいたからだ。
そしてその日、部屋の明かりを点けようと立ち上がった時、訝しげな表情を浮かべた妃が扉を開けて入ってきた。
「ちょっといいかしら」
穏やかな口調で隣に座って良いかと俺に許可を求めてきた。
彼女の心がとても冷え切ったものだとすぐに分かったが、俺は頷いた。
緊張に包まれた空気の中、妃が落ち着いた口調で、だが冷たく抗議しているような視線を向けたまま、俺が外に出ていないかを尋ねてきた。
「ちょっと、何を言っているの」
蘭奈も珍しく眉をひそめて、不機嫌そうに割って入る。
だが臆することなく、妃は言葉を重ねた。
「ここ最近、人間じゃないモノを見たって噂になっててね。これに聞いてみようと思ったの」
彼女の言葉に、蘭奈は声を上げて否定する。
そんな蘭奈を無視して、俺に対し睨みを利かせてくる妃の鋭い目つきに、まるで喉元に刃物を突き付けられてくるような感覚を覚えた。
「あ、ああ......。時間が空いた時に、ちょくちょく出てはいた......かな」
親に悪事が見つかったような気分になって、外に出た事を白状した。
たしかに雨の時や曇天の日に、太陽の影響を受けるかを知るために何度か戸外に出たことはあるが......。彼女にとっては、あまり良い事ではなかったのかもしれなかったな。
「ほら見なさいっ!」
俺が外に出ていた事実を知るや否や、彼女は声を張り上げ激昂した。
態度が大きく変化したことに驚いた蘭奈は、体をビクリと跳ねあがらせ呼吸を乱す。
必死に息をする彼女の姿を見ても、妃の怒りは治まらなかった。
「あなた、自分が人間じゃないってわかってるの! あんたがここにいるって事がばれたら、蘭奈や私に疑いがかけられてしまうのよ!」
ハッと、そのとき初めて、俺は二人の事を気にかけていなかったと気づいた。
この星に来た時に、絶大な高揚感を感じた。命が長らえたと分かった時には、再びあの太陽を見ようと思った。その一心で、自分の体を実験対象として外に出ていた。天候の条件を確認しながら、何度も何度も......。
だが身勝手な俺の行動によって、裏では俺を助けてくれた恩人を窮地に追い込んでいたのだ。思わず言葉を詰まらせてしまった。
すぐにでも謝罪をしようとした時に、俺の言葉を遮って妃の叫びにも等しい怒鳴り声が響いた。
「この別荘は蘭奈が住む場所! バケモノのあんたなんかに、居場所なんてないんだから!」
十日にも満たない時間ではあったが、妃の中では既に限界だったらしく、口から出てきた言葉は悲痛な心の叫びのようであった。
故郷で起きた事が脳裏に浮かび、感情が昂った俺は、必死に呼び止める蘭奈の声を振り切って、この家を出ていった。
月光りが薄く照らす夜道を駆けていった。
初めて蘭奈と巡ったあの道を。
暗い世界で尚、鮮やかな色をみせてくれる花達。
綺麗に整えられた道を駆けて、崖に建つ灯台の展望台に登った。
灯台の屋根の上に膝を組み、月夜に照らされる静かな海をぼんやりと眺めた。
何も考えず、ずっと穏やかな波の音に耳を傾けていたというのに、頭に浮かぶのは家を出た時に見た彼女の泣きそうな表情だった。
保っていた平常心も、蘭奈の顔を思い出すだけで崩れてしまう。
沈み切った心が後押ししたのか、それとも俺自身少し前から思っていたのか、そろそろ人生を終えてしまっても良いかもしれないと。そういった思いが湧いて来始める。
子供のころから追い続けた恵みの光。あの明るさ。そして厚い雲のない世界。そういったものに対して、尽きない憧憬を抱いた。
その時に抱いた思いが、この星に来た時に初めて満たされた。永遠に湧き続けるお天道様への気持ちは、ここに来て更に膨れた感じがした。
天を覆う雲、肌を濡らす雨、体を指す風。どんな害があるか分からないのに、無茶なことを行ない続けていた。だけど、最初に抱いた夢は叶ったのだ。
もう十分堪能した。
だから何も考えずに、朝火が昇ってくるその時を待ち続けた。
水平線上に浮かぶ朝火を想像しつつも、俺の頭の中では故郷にいる友人の事が浮かんできていた。子供の頃に気に喰わず殴り合った事や、試験ギリギリまで勉強していた思い出がじわじわと浮かんでくる。そして最後の日、自らの危険も顧みず、法廷に現れ、減刑の要求をした。どれだけの勇気だったことか......。
「あいつ、元気かなあ......」
消え入りそうな声を漏らしてしまう。
友の存在というものをしみじみと有難いと感じた。ただ、心残りは、俺はやつに何もしてあげられなかったことだ。心配させるだけさせて、永遠の別れとなってしまったことだ。
そんなことを考えているときだった。
「リーディスー......!」
遠くの方から声が聞こえてきた。
妃に告げられた言葉が引っ掛かり逡巡したが、聞こえてくる声に惹かれて振り返る。
――彼女、蘭奈がいるであろう場所を見下ろすと、車椅子に乗り一人で長い道を進んでいる姿が映った。
心配そうに声を上げている彼女の膝元には、俺が使っていた日傘があった。
今すぐにでも彼女の下に行って、安心させてやりたい。だが、妃が言っていた言葉が、頭の中で何度もこだまする。
ここで彼女の下へ行っていいのか。
また彼女らに迷惑をかけてしまうのではないか。
俺一人の責任で済む話を、ややこしくする必要があるのか。
彼女が許してくれても、彼女らの家族が多大な迷惑を被るのではないか。
いや、そもそも彼女は俺が同居する事に、気を許しているのか。
本当は、迷惑だと感じる中で、仕方なく家に置いているのでは。
永遠に出られない迷宮の如く、俺はその場で固まってしまう。
「リーディスーッ! どこーっ! 返事してーっ!」
声が枯れそうなほど呼び続ける蘭奈は、勢い良く走っていたため、凸凹道の石にタイヤを挟み、派手に転んでしまった。
地面に倒れる彼女の姿に、巡り続けた思考が止まる。
転んだ蘭奈は、諦めないと言わんばかりに、打ち付けた顔を上げて俺の名前を呼び続ける。
「脚が......っ!」
転んだのは彼女だけではなく、車椅子も同じだった。
彼女の体を支えていた車体は脚に覆いかぶさるように倒れ、蘭奈の動きを止めていた。
悲痛な表情を浮かべてもがき苦しむ彼女を見て、咄嗟に体が動いた。
彼女の下へ向かった。
長い階段を事も無く駆け下りてゆき、苦しむ蘭奈へと駆け寄った。
「蘭奈っ!」
「ああ......ああああ......」
むせび泣いているようで、出したい言葉が出ない彼女に手を差し出し、下敷きになった彼女を助け出す。
「痛くないか......」
ひっくり返った車椅子を戻し、涙で頬を濡らす蘭奈をゆっくりと車椅子に座らせる。
感極まった心は治まらず、俺の問いにも頷くだけの蘭奈。
俺は、彼女の隣に寄り添うように屈み、嗚咽を漏らしているその背を優しく撫でた。何度もしゃくりあげる彼女を見つめる。
「妃に言われて、迷惑しているって初めて知ったんだ。そんなことも気づかなくて......。俺は蘭奈に......合わせる顔がない」
だが嗚咽を漏らす蘭奈の口から言葉はなく、代わりに激しく首を横に振った。
「蘭奈。俺は人とは違うからさ......。蘭奈の友達が、離れていくだろ?」
俺も動揺しているのか、思うように言葉が出て来ない。
「い、かないで......」
しゃくりあげる中、頑張って繋いだ彼女の言葉に目を丸くした。
「ともだ、ちは......いない、から。......みんな、離れて、いっている......から。だから、初めての......友達......」
――初めての? 友達......?
蘭奈の胸にあいた穴を塞ぐように、彼女の肩に腕を回し、身を寄せた。
蘭奈は再び涙を流し、俺の胸に頭を擦りつけてくる。泣く赤子をあやす様に撫でる。
いったい誰を撫でているのだろう。俺はいったい誰の心を慰めようとしているのだろうか。そうして心穏やかになっていったは、俺の方だった。
「海でも見ようか」
鼻をすする蘭奈に、夜の海を見ようと提案した。頷いた蘭奈の車椅子を押して、最もよく見える場所に向かった。
「ここでいい......」
蘭奈の要望どおり、車椅子を止める。ブレーキをかけて蘭奈の隣で屈む。
海の向こうへ沈む月を眺めた。
だが、月が水平線に近づいた時に、何かを映した。水平線ではなく、凸凹の影がみえる。そして月はその中に隠れようとしていた。
「向こうに何か見えるな、あれは?」
穏やかに、何も言わずに眺める蘭奈へと話しかけてみた。
「ああ。うーん、......でもそれ隣の国だから、あんまり気にしなくてもいいわ」
「隣の国?」
「うん」
「向こうにも国があるのか?」
「もちろんよ。もっともっと沢山の国があるわ」
「......そうなのか」
隣国だと知って心が躍った。
この星にやって来て、太陽を見ただけで満足していたが、新たな気持ちが湧いてきた。
なんて馬鹿みたいなんだろう。太陽に満足して命を終わらせようとしていたのか。
まだこの星に対しては全く満足していないじゃないか。俺は何一つ知らないことだらけなのだ。
今を生きる目的をこれから決めてもいい。
こんな俺を友達だと言ってくれるこの少女のために生きてもいい。
ここでの生活はまだ始まったばかりなのだ。
ふと、誰かの声が聞こえた。
蘭奈も聞こえたようで首を捻って振り返る。
そこには凹凸の激しい道を、よろよろと歩いている妃の姿があった。おそらく蘭奈の事を心配して追いかけてきたのだろう。
などと考えていると――
「妃も『言い過ぎたかも』って言ってたの。だから。きっと、心配して来てくれたのよ」
その言葉に、俺は蘭奈へと振り返った。
「え、誰を」
ちょうど月が向こうの国の中へと隠れてしまったそのときに、俺はキラキラした声を聞いた。
「リーディス!」
蘭奈は、見たことのない明るい笑顔を浮かべていた。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
過去に書いたものを動画に落としこんでYoutubeの方にあげています。
児童向けの内容ですので、興味をもった方は下にURLを貼っておきますので是非ご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=8BolfMFS7_0