千里の道を、二歩目で立ち止まる。
結局、先生が部屋から出て行ってすぐ、解散になった。
夕食を食べてから風呂に入っていると、トモから連絡がきた。
[どうすれば人が入ってくれるんだ?]
[ただ今考え中]
[オレ頭悪いから、ユーマに丸投げでいいか?]
[面白くもない冗談はやめろ。お前もも考えるんだよ]
トモは学力が謎に高い。
テストでは毎回十位前後をさまよっている。
『やればできる』系の人間で、テスト前のギリギリの詰め込みで結果を残す。
はっきり言って、腹ただしい。
毎回、二週間前くらいから堅実に着々と勉強を重ねてやっとトモに並ぶ成績を取る俺。
要領の問題なのかもな。
[オレはその……なんて言うの? 悪知恵は働かないというか、姑息じゃないというか]
[それだと俺が極悪人みたいじゃねぇか]
[間違ってはないでしょ。ユーマは学力はそこそこなのに、勉強が関係ないところではすごく冴えてるじゃん]
[俺、次の四月の課題テストでは本気出すから]
[おお、やる気だね]
一瞬、ヤる気に聞こえた。
森先生、俺トラウマになったかもしれません。
[そう。モチベーション高いのよ、俺]
[ポテンシャルは学年でも底辺だけどね]
[言ってろ。というか、今俺風呂に入ってるんだけど。いつも以上に声が響いて気持ち悪いから後にしない?]
[わかった。じゃ、あとでそっちから繋げてね]
そう言って連絡が切れた。
連絡って言っても俺がさっきまでトモとしていたのは電話じゃない。
AL(Ability Line)と俺たちが呼んでいる、『能力者』同士ができるテレパシーのようなもので、他の能力者ができるのかは知らない。
そもそも他に能力者がいるのかを知らない。
送信可能範囲は俺発信の場合は約半径八キロ、トモ発信の場合は約五キロが限度らしい。
ケータイの圏外みたいイメージを持ってもらえるとわかりやすいだろう。
あと、体調とかでも変わる。
なんとも不安定な能力だ。
まぁ、幼馴染ってことで家が近いし、家の中にいるときは有効範囲の心配がないことがいい。
何より電話料金がかからない。
それはそうとして、人が風呂に入っているときにALを繋げてくるとは非常識じゃないのか?
覗きっぽいというか。
まぁ向こうはこっちが何をしているかを知らないんだけど。
というか風呂で直接頭の中に響く会話をするってもうプライバシーとかの問題を凌駕している。
もはや一体化していると言っても過言ではないのだ。
つまり、俺たちは夜の営……マジで吐きそうだからこれ以上考えるのはやめた。
のぼせてきたので風呂から上がることにする。
体を拭いて扉を開けると、風呂場の熱気から解放され、涼しい空気が俺の体を包みこんだ。
そのまま台所まで行き、全裸で冷蔵庫を開け、牛乳パックに直接口をつけてギュニュギュニュと豪快に飲み干す。
うん、例えようのないうまさだ。
毎日この瞬間、この一杯のために生きている! と叫びたくなる。
気がつくと半分くらい飲んでいた。
このまま机に牛乳パックをダン! と叩きつけて、「くうぅう……!」と唸りたい衝動に駆られる。
が、パックの耐久力が気になってできなかった。
コップだったら何も迷わずやっていただろう。
明日提出の宿題はなかったし、服を着てからテレビでも見ることにしよう。
リモコンを操作すると、二秒後にはテレビの画面の中でよくわからない学者のおっさんがペラペラと、これまたよくわからないことを熱く語っていた。
トモならまだしも、俺はこういう内容は聞くだけで頭が痛くなってくる。
チャンネルを変えると、漫才の特番をやっていた。
これなら楽しめそうだ。
お笑い芸人のネタに時折笑いつつ、柔軟体操をしていると、トモからALが接続された。
[ユーマユーマ! オレ、閃いたよ!]
[何に?]
[生徒会に興味を持ってもらうってやつ! 悩み相談ってどう!?]
[ふむ。その心は?]
[今さっき、テレビで学者が言ってたんだよ。コミュニケーションが人に与える印象について]
ついさっき変えたチャンネルの話だ。やっぱりトモは理解していたみたいだ。
けど何だろう、この言いようのない悔しさは。
あと、トモの声が邪魔でテレビの音が聞こえない。
[いいんじゃないか? 明日、先生に言ってみようか]
[おう!]
終始興奮したままで、トモはALを切った。
さて、引き続きテレビを見ますか。
「悩み相談? いいんじゃないか。やってみろ」
「ですよね!? 頑張ります!」
翌日、宿木先生は思った以上にすんなりと快諾してくれた。
昼休み、速攻で昼ごはんを平らげた俺たちは、職員室に来ていた。
「けど、どうやってそれを全校に知らせる? ポスターでも描くのか?」
「いや、オレたち絵は下手なので……まぁ、秘策があるんで大丈夫ですよ!」
「そうか。じゃ、そっちに一任する」
そろそろ私はお昼にする。
今日は蕎麦だ。
いいか、蕎麦というのはだなーーと、先生の雑学教室が始まったので職員室を後にした。
埃が隅々にある、掃除当番の怠惰を証明するかのような廊下を教室へと向かってトコトコと歩く。
トモは自分のアイデアが採用されたということで、テンション上々だ。
「じゃ、今日の放課後から早速活動開始だ!」
「言っとくけど、俺、よくわからんからお前に任せるぞ」
「何言ってんだ。生徒会長なんだから、ユーマがやるんだよ」
「……はいはい」
五時間目の授業中、よくわからない数学の問題をそっちのけで眠気と戦っていた俺に、トモからALが来た。
[ユーマ、今やって!]
[いや、何を]
[さっき職員室で言った、『秘策』! ユーマの能力を使えば全校生徒に伝えられるだろ]
[お前、最初から俺の能力を使うつもりだったのかよ……。知ってると思うけど、俺自分の能力嫌いなんだよ。使いたくねぇ]
[そこをなんとか……。オナシャーッス!]
キィィィィィン! 金属の切断音のような、高い音が脳内に響いた。
頭が割れそうだ。
ALで大声を出されるとマジで死にそうになる。
何もそこまで激しく主張しなくても。
[うるせぇな! ALなんだから大声出すなよ、このバカ!」
[ユーマもな!]
[貸しイチ、な。こういうのは、本人の了解を取ってからするもんだ。次はないぞ」
[わかったよ。ごめんって!……じゃ、お願いします!]
なんだよ。やればいいんだろう?
一度目を閉じて、開くと同時に能力を解放する。そう手順を設定して瞼を閉じた。
両目に熱を感じる。
それと同時、ほぼ一瞬でその熱が自分の黒目へと収束する。
どういう理屈かさっぱりわからないが、今鏡を見ると俺の双眸は普段の黒から赤にその色を変えているはずだ。
そう思いながら既に熱を忘れた目を開ける。
ーー能力解放。
頭の中に、いつもとは違う、形容しがたい感覚が広がる。
それは決して不快ではないが、別に心地の良いものでもない。
擬似的に空間認識力が上がった気がする。
実際に見えているわけではないのに、教室内で空中浮遊してクラスの全員の頭を少し上から見下ろすようなイメージが瞼の裏に映る。
イメージの中で、背後霊ポジの俺から学校中の生徒の頭に糸を繋げた。
ちなみにトモは言われた通り除外している。
【以下のことを真実として記憶に上書きしろ。『一、これは全てクラスメイトから聞いた話である。二、生徒会では今、全校生徒を対象とした悩み相談・ボランティアを実施している。依頼があれば生徒会室へ。既に何人もの生徒の願いを叶えている』以上。】
ふう。疲れた。
[やったよ、トモ。]
[ユーマ、最後に話盛ったね。まだ何もしてないってのに。]
[大丈夫だ。『真実として記憶に上書き』したんだから]
[確かに]
そして、放課後の生徒会室。メンバーは相変わらずの俺とトモの二人だけだ。
昼に俺の能力を使って呼びかけたにもかかわらず、十七時、つまり六時間目が終わってから約一時間経ってもまだ誰も来ないというのが今の現状である。
まぁ、そう簡単にはことは運ばないか。
「来ねぇな、依頼」
どうやらトモは俺以上に期待していたようだ。
今は床に座り込んで体育座りをし、膝に顔を埋めながら指で床をつついている。
大柄なトモがそれをするとかなりキモい。昼間のあのテンションはどこへいってしまったんだろう。
昼間がギアナ高地なら、今は地底人の都といったぐらいの高低差だ。
その急落下ぶりは、もはや全身粉砕骨折で確実にあの世への階段を駆け上がるレベル。骨の一割は落下の衝撃で押しつぶされ、粉末状態になっているかもしれない。
「まぁ、待ってみよう」
で、まぁ……結果、誰も来ないという、ね。
俺はそもそもあまり期待してなかったからまだしも、トモはかなり落ち込んでいた。フォローするのも面倒くさくなるほどにだ。
で、その翌日の放課後のこと。
俺は入学式の準備をどうするか……と本を読みながら頭の片隅で考え、トモは「誰か来い……誰か来い……おお、神様!」とか言いながら血走った目で机の周りをグルグルと周回していると、ついに来たのだ!
依頼人一号が。
よろしく頼む。
そう言って生徒会メンバーの対面の席に座ったのは、男子生徒だった。
凛々しい、そこそこ整った顔のイケメンだ。
背もトモと同じくらいだし、結構モテそうだ。
彼は自己紹介で明石勝也、三年生と名乗った。つまり、俺たちの一つ上の学年ということらしい。
「で、明石……先輩、依頼の内容とは?」
俺が聞くと、明石先輩は俯いてハァハァと荒い息を始めた。
顔も赤い。
……もしかして、何かの病気なのかもしれない。
もしそうなら大変だ。
救急車を呼ぶ必要があるかもしれない。
俺が能力を使おうと思ったその時、明石先輩はガバッと顔を上げて言った。
「妹が可愛すぎてヤバいんだけど! 」
ふむ。
……どう反応するのが正しいんだろう。
「どう可愛いんです?」
さすがトモ。
躊躇のなさがこんなところで活きてくるとは。
ナイス!
「俺の妹、って言っても義理の妹なんだけど……美しすぎる! 殺人的な可愛い顔! 神々しさを感じるスタイルの良さ! 性格! どれをとってもパーフェクトゥな、もはや女神! 俺はもうあいつへの気持ちを抑えられそうにない……。いつか襲ってしまうかもしれない……そう思うと夜も眠れないんだ。でもそんなにも可愛いあいつも悪い。俺とカズサは結ばれる必要がある!ああ……カズサァアァァアア!!」
そう言って彼は突然反り返ってブリッジをした。
なんとも凄い柔軟性だ。
ふむ。
[[変態だな]]
依頼内容は結局なんだったっけ。妹が可愛すぎて襲ってしまいそう……だったっけ。
初めての依頼がこんなに常軌を逸しているとは。
先が思いやられる。
そう思っている最中も、先輩はブリッジの状態のまま「カズサァアァァアア! お兄ちゃんはお前を宇宙一愛しているよぉ! お兄ちゃんのことも愛してねぇー! ヒイィイイイィィイィィ!!」とか絶叫している。
エクソシストの派遣要請を早急に検討しなくては。
いや、もう手に負えない。
この人は高確率でヤバい薬、もしくはそれに準ずるなにかをキメているはずだ。
出会って十分と経っていないけど、できればもう今後一切関わりたくない。
そもそも、先輩ってことは生徒会のメンバーには加えられない。
対象者は新一、二年だけなのだ。
「わかるか!? カズサの可愛さが! 俺の愛が!」
「いやわかんねーよ!」
充血しまくった目で聞かれてもこの人の愛はわからないし、この人は生徒会には加えられない。
というかカズサって誰だよ。
俺にどうしろっていうんだ。
けど……この人は放っておくと本当にそのカズサ? さんに手をだしかねない危険性を孕んでいる。
「わかりました。承ります」
「カズサ! カズサ!ハァハァ!」
[ユーマ。この変態、聞こえてないよ]
[はいはい]
【わかりました、承ります。今日はお引き取り下さい】
先輩は黙り、すんなりと帰っていった。
「どうするトモ? 最初の依頼人がヤバめの人だが。生徒会メンバーの対象外だし」
「せっかく来てくれたんだ。記念すべき初の客、やってやろうじゃねぇか」
「わかったよ」
先は長そうだ。
けど、これが俺たち生徒会の第一歩になる。
どうせ、やるしかないんだ。
他の選択肢なんてない。
……やってやろうじゃないか。