戦雲到来
ずいぶんとしばらくぶりの投稿となります。一日も休まず正月も書いていたのですが、なにぶんにも遅筆なうえに、五回も六回も推敲しないと気が済まないたちなので、前回からかなり時間がたってしまいました。前に読んでいただいた人(数人ですがおられます)も、投稿期間が開き過ぎていろいろ忘れておられるかもしれないし、この章から覗いてくださる方にも作品世界を理解していただけるように、後書きで用語解説を書いてみました。本当はもっと前の章につけたいのですが、改稿の仕方がよくわからないのです。下手にいじって本文が変なことになるのは嫌なので。そのうち詳しい人に教わって改稿するつもりです。
白いテーブルクロスの駆けてある円形テーブルに、マグアップとショートケーキの皿が運ばれてきた。のどが渇いていたマユラは、マグカップをひっつかんだ。中は冷えたレモンティーで、がぶがぶのどを鳴らして飲んだ。それからクリームたっぷりのケーキに手を伸ばす。マナーなど微塵も心得ぬマユラの横で、エレナは恐縮しきった様子で椅子に腰かけていた。
ザーランド伯爵の館の来客用の一室。二人はテーブルをあてがわれ、周りには志摩をはじめとするチームの面々に、ザーランド伯爵とその家臣団の剣士たちに執事と、二十人近い大人たちがいる。北ナタール郡はグルザムなる者の率いる凶賊の跳梁跋扈して、街道を行く旅人たちまでも襲う始末だったが、ザーランド伯爵の館の周辺には、ヴァルムやヴァルカンなどの魔人賊徒の現れたことなど一度としてなかった。伯爵家には数十人という規模ながら、代々剣をもって仕えた家柄の者たちからなる家臣団のあって、彼らの存在が悪党どもを近づけないでいたはずだった。だから北ナタール郡で最も安全なはずのザーランド伯爵の館からさほど離れぬあたりで、魔物が現れたという事実は人々に少なからぬ衝撃を与えた。そこでとにかく詳しい話を聞こうと、二人は館の一室に招きあげられ、集まった大人たちの前で事の一部始終を話させられたのである。
「食べないの、おいしいぜ」
面倒くさい話も終えて、褒美のケーキに食らいつくマユラの横で、エレナは飲み物にもケーキにも手をつけず、椅子の上で居心地悪そうにしている。マユラにとってザーランド伯爵は田舎の貴族に過ぎず、古くて大きな館に住み、数十人の家来を抱えているが、それ以上の感想はなく、かしこまるような権威でもない。しかしこの地域に生まれ育ったエレナにとって、ザーランド伯爵家は地域の守護神のような存在であり、親たちも世話になっている。その権威は身に沁みていて、とてもマユラのように振る舞えるものではない。
「ずいぶん怖い思いをしたね。さあ、甘いものでも食べれば気持ちも落ち着くよ」
伯爵に優しくすすめられ、それでエレナもあまり遠慮するのも失礼かと思い、レモンティーを飲みケーキを食べた。ケーキなんてめったに食べることはなく、文句なしにおいしかった。
「影の化け物か、マユラ一人の話だったらウソかと疑うところだが、地元の女の子も一緒で、ウィルも見ていたとなると間違いなさそうだ」
バルドスの言葉に、
「ウソなんてつかないよ、ボクは正直者で通っていたんだから」
クリームをつけた口で抗議するマユラだったが、その頭には、学校へいくといって弁当持って出たまま、授業をさぼって倉庫の二階でラノベ読みふけっていた頃のことなど、毛ほどもないのだ。
「お人よしでは長生きできないこの稼業、なんでも疑ってかかるのは習性だ。別におまえのことをウソつきだと思っているわけではないのだ」
バルドスは面倒くさそうに弁解した。
「上から見てたら、あいつは自分の体を魔道の霧で覆っていたみたいだった。そんな魔道の技があるだろう」
話すなり、ウィルはマユラのそばに飛んできて、クリームに腕を突っ込んだ。
「あっ、もう」
「ケチケチするなよ」
「手なんか突っ込んで、バッチイじゃん」
「バッチイとはなんだ。オレたちフェアリーは生まれついての抗菌体質だ、そこらへんの爪の黒ずんだオヤジどもといっしょにするな」
言い返しながらウィルは、手ですくい取ったクリームをなめ、生地のカステラを一かけらもぎとった。
「スモッグスーツかな、黒い霧をまとって姿を隠す技だ」
魔道師カムランが心当たりを述べた。
「ヴァルムの魔道師か」
ダオが難しそうな顔をした。武闘系のファイターには、物理攻撃一辺倒のヴァルムのほうが戦いやすいという思いがある。
「難しい相手でもなかろうぜ。なにせマユラにやっつけられるぐらいだからな」
ファズに言われて、それもそうだとダオも思いなおした。
「見くびってはならぬぞ。マユラはたまたま相手の油断を突けたのであって、そのことをもってして相手の実力を判断するのは危険だ。加えて魔道系のヴァルムは、どんな隠し玉をもっているかわからぬ」
志摩は油断をたしなめた。
「我が館の近くをヴァルムごときのうろつくとは、思いもよらぬことだ」
伯爵にとってこれは意外であり、また大いに心外なことでもあった。
「面目しだいもありません」
ザーランド家の剣士隊の隊長である髭面の武人が頭を下げる。
「すぐに一帯を捜索するのだ。隠れ潜んでいるヴァルムを必ず見つけ出し、成敗いたせ」
「かしこまりましてございます」
伯爵の命を受け、隊長は部下たちを率いて部屋を出ていった。
「我らも手伝ったほうがよかろう」
志摩たちも動き出す。
慌ただしげな周囲の空気をよそに、マユラはエレナを隣にお茶を楽しんでいた。
「先生たちも出張るし、きっとあの化け物は見つかって退治されるさ」
「そうね」
ずっと落ち着かなそうにしていたエレナが生来の明るさを取り戻す。その形の良い鼻には白いクリームがくっついていた。
ふたたびあの、雑木林の道をゆく。エレナは木立の陰から、あの黒い霧をまとった怪物の現れるような気がして落ち着かなかったが、横を歩くマユラは、木刀というか棒を担ぐようにして、来るなら来いと意気軒昂である。新しくもらった木刀代わりの棒は径が三センチもあり、長さ一メートル少々の黒樫で重く、木製ながらなかなかに頼もしげな得物であった。
「怖がらなくていいぜ。あの化け物が現れたらこいつでボコボコにしてやる」
「頭にカラをくっつけたようなひよっ子が、大した鼻息じゃないの」
得意になっているマユラに、背後から辛辣な声がとんだ。サブリナである。珈琲色の肌の女戦士。ジョブはしなやかな体躯に二本の剣を装備するツインソード。ツインソードは本来のジョブのくくりではシノビというクラスに含まれるらしい。ジョブシノビの双剣特級である。
「だけどオイラ、化け物に血ヘド吐かせたんだぜ」
マユラは足を止めて振り返り、誇るようにいった。
エレナを家まで送ることになって、マユラだけでは心もとないと、護衛につけられたのが彼女だ。実力的には申し分ないが、皮肉屋の紅一点は、チームの中では一番の苦手だ。
「血ヘド吐かせただけではダメじゃん。殺さないと」
サブリナは至極自然にいってのける。
「人間なら戦いで重傷を負って、手当もしないでいたら死ぬか、死なないまでも傷が悪化してひどいことになる。だけどヴァルムは、致命傷を与えない限り、たいていの傷は、、それをそのまま放置して死ぬなんてことはないの。医者に診せなくても、包帯なんか巻かなくてもアイツらはちゃんと回復する。医者いらず。もし人間がヴァルムだったら医者なんて商売あがったりよ。アンタが与えた程度のダメージなら一日二日で跡かたもないわ。そして向うはアンタの手の内を知っている。今度戦うときは、まともにやったんじゃ勝ち目ないわよ」
「次は必ず仕留めてみせますよ。経験を積んだのは敵ばかりじゃないですから」
「臆病な利口者より、自信過剰の馬鹿のほうがマシだけど」
「馬鹿はひどいな」
「誉めているのよ。傭兵なんて、利口者のする仕事じゃないもの」
「では、そう受け取っておきます」
マユラは向きなおり、ふたたび歩みを進めた。
物騒でぞんざいな言葉のやりとり。これが傭兵の会話なのか、そばで聞いていてエレナはちょっとついてゆけない。本当はまだ怖くて、この林の中の道は通りたくなかった。ちょっと大まわりだけど見晴らしの良い野原を行く道もあるのに、サブリナという女性が、この道を通ると言ってきかなかったのだ。マユラもそれに同調して、エレナの不安には一向に頓着なく、魔物の出現を待っているみたいだ。小鳥のさえずりも戻り、緑陰の空気はさわやかに、得体の知れぬもののどこかに潜んでいるような暗くじめっとした感じも失せていた。いつもどおりのエレナのお気に入りの散歩道は、しかし当分一人で歩けそうにない。
何事もなく林を抜けて視界が開けると、小さな家が畑を抱えてまばらに十数軒建っている集落が見えた。
「あれがウチよ」
エレナが指差したのは土壁の平屋で、庭で子供が山羊と遊んでいた。
「ルディ、弟よ」
エレナはマユラにいうと、
「ルディ」
弟の名を叫んで走り出した。弟は姉の声に振り向いて手を振る。息せき切って走ったエレナが家について、姉と弟は手をとりあってはしゃいだ。
マユラはとぼとぼ歩きながらそんな光景を眺めていると、ちょっと感傷的な気持ちになった。一人っ子で兄弟姉妹はいなかったが、なにせ家族を失くしてからまだ一カ月と経ってなく、家族的な光景を見ると胸に沁みるものがあった。後ろを見るとサブリナはいつもの表情だ。彼女に感傷的になる理由はないのだからそれは当然だが、ふと、この人って、戦闘中とそれ以外のときと、二種類ぐらいしか表情のパターンがないのかしらと思った。
家に着くと一家の出迎えを受けた。
「お父さんよ」
「どうも、エレナの父です」
エレナの父親は見慣れぬ顔の二人、これは主にサブリナに対してだが、その剣呑な雰囲気に押されて、戸惑い気味に挨拶した。その瞳はエレナと同じブルー、四十代ぐらいで背は高く、農夫にしては男前な感じだけど、麻のシャツとズボンの野良着で、日焼けした肌に節くれだった指、マユラは父親と同じ土に生きる人の匂いを感じた。
「マユラです」
マユラはきっちりとあいさつして、そのあとで、
「サブリナよ」
サブリナが投げやりな口調で名乗った。
「さっき娘から、あなたに命を救われたと聞きましたが、どういうことか、詳しく話してこらえませんか」
「そこの林で、エレナさんが魔物に襲われているところを助けたのです。そいつは全身をもやもやした黒い霧に包み、体から生え出た蛇を触手のように使う化け物でした」
「そんな化け物がこの近くにいたというのですか」
父親は疑いの目を向ける。
「パパ本当なの。それでいま、伯爵さまの御家来衆が魔物の捜索に出動しているわ」
「伯爵さまだって、どうして伯爵さまが」
「この人たちは伯爵さまのお客人よ。いま、お館に逗留しているの」
「なんと」
「あなた」
エレナの母親が声をかけた。
「伯爵さまのお客人を、玄関先に立たせたままはよくないわ」
「そうだな。どうぞ、むさ苦しいところですがお入りください」
「でも、ボクたちエレナさんを送ってきただけですから」
「なにをおっしゃいます。伯爵さまのお客人、それも娘の命の恩人を玄関先で帰すわけにはゆきません。たいしたもてなしもできませんが、とにかくどうぞ、お入りになってください」
是非にもという父親の口調に、マユラはどうしたものかとサブリナを見た。
「お茶を一杯、ごちそうになるぐらいならいいんじゃないの」
それでマユラもエレナの家にお邪魔することにした。
エレナの家はマユラの暮していた家より少し大きかった。だが、内装や調度品、それらからうかがい知れる生活の程度は同じレベルだ。
「どうぞ、こちらに。ほんとうに汚いところで恐縮ですが」
父親は一家の食堂に案内した。一枚板のテーブルがあって、椅子も荒削りの手製だ。
「いま、家内になにか作らせますので」
「お茶だけでけっこうです」
サブリナがきっぱりと断った。
「私たちも伯爵さまのところでタダメシ食べているわけではないので、役目もあるので長居はできません」
「そうですか、では、せめてお茶だけでもゆっくり召し上がっていってください」
並んで腰かけるマユラとサブリナに向かい合って父親が席に着き、エレナと弟はその傍らに立っている。しばらく言葉もなくお茶の来るのを待っていたが、
「このあたりに魔物が出たなど、きいたこともありません」
エレナの父親はいまだ半信半疑の顔だった。
「エレナさんの話だと、ときどき人が行方不明になるとか」
「ええ、年に二人か三人、ふいに姿をくらますのです。神隠しとか噂する者もいますが、家出していたらしい者もいます。このあたりはごらんのような田舎で、若い者には面白みがないのかもしれません」
「魔物は、いままで何人も食べてきたといってました。もしかしたら、行方不明の人たちが犠牲になっていたのかもしれません」
「なんて恐ろしいこと」
お茶を運んできた母親が、悪寒を覚えたような表情であった。
「どうぞ」
すすめられてマユラはお茶を飲んだ。温かい紅茶でちょっと渋味がした。マユラの家で使っていたのと同じ下級品で、マユラは母の淹れてくれた紅茶の味を思い出した。サブリナは、ほんの一口飲んですました。
「つまらないものですが」
クッキーも出された。
「家内の手製ですが、これだけは自信をもってお勧めできます」
これだけといわれ、エレナの母親は夫にちょっと目を尖らせた。それから改まった面持ちとなって二人に礼をいった。
「娘を、エレナを助けていただいてありがとうございます」
「私はその場にいなかったの。この子が一人でやったの」
「マユラはとても勇敢だったわ。自分だけなら逃げることが出来たのに、私を助けるために、恐れることなく魔物と戦ってくれたの」
「本当に感謝します」
エレナの言葉を聞いて、母親は改めてマユラに礼をいった。
「これでもサムライのはしくれですから。ほんとうにうまいクッキーですね」
マユラは気どりもなく、クッキーを食べていた。
「見かけによらず強いんだね」
弟のルディだった。年はマユラより二つ三つ下か。
「みかけはそんなに弱そうかい」
クッキーを食べながら年上の余裕で応じたマユラだったが、
「だって、姉さんより背低いし」
むぐっ、クッキーを詰まらせそうにして紅茶で流す。
-ーやっぱりそうなのかーーエレナは同じ年頃の女の子の平均よりは明らかに長身だったので、マユラより低いわけはなかったが、女の子より低いのを素直に認めたくない心理に、命の恩人とか、感謝され持ち上げられたのも働いて、同じぐらいの背丈と思い込んでいたが、実はマユラが五センチぐらい低かった。
「山椒は小粒でピリリと辛いだ。図体よりも大切なのはハートだぞ」
父親が息子をたしなめた。
「あの魔物に出会ったら、アンタをイジメている悪ガキ連中なんか、一目散に逃げ出しているわよ。マユラはその化け物に一人で立ち向かって私を守ってくれたのよ。背が低くたって本当の勇者よ」
背が低いは余計だが、勇者といってくれたのは嬉しかった。
「ボクもお兄さんみたいに強くなれるかな」
「ボクなんか強くもなんともないよ。まだかけだしのぺーぺーだもん。だけどうちの志摩先生の強さは掛け値なしさ。なにせ使い手のリザードマンだって、あっさり切り倒してしまうんだから」
マユラは師の強さを自慢した。
「ボクもその先生に弟子入りして、強くなりたいな」
「いきなりなにを言い出すんだ」
父親が驚いて息子を見た。
「だって、トラヤたちにやっつけられてばかりじゃ悔しいよ」
「この子、近所のガキ大将にイジメられているの」
エレナが説明した。
「なにもそんな人の弟子にならなくとも、父さんを手伝って力仕事していたら、そのうち体も大きくなって力も強くなり、あんな奴らに負けなくなる」
「だけどトラヤは、大きくなったら町に出て、太守様の家来になるっていってるよ。カリスも伯爵様の家来にしてもらうんだって」
「そんなに簡単になれるものじゃないぞ」
「そうよ。それになれたとしても、剣を振り回したり危険なことがいっぱいよ。ケガをしたらどうするの」
母親が説得する。
「私のせいで惑わせてしまったわね。そりゃあ、魔物をやっつけたとか、勇敢な話を聞いたら男の子は憧れるものよ。でも、戦うことだけが人の道じゃないの。お父さんの仕事だって立派に世の中の役にたっているわ。それに、あなたに戦いなんて向いてないわよ」
「ボクに向いていないって、どうしてわかるんだよ」
弟は姉の言葉に反発した。
「だって、ルディは優しいもの。剣をふるって人を傷つけるなんて向いてないわよ」
「このお兄さんは優しい人じゃないの。姉さんを守ってくれたんでしょ」
「それは・・・・・」
「背だってぼくとそんなに違わないのに、ちゃんとなっているじゃない」
やけに背丈にこだわるなと思いながら、
「ボクには家族なんてない。死んでも悲しむ人なんていないけど、キミにはお父さんにお母さんにお姉さんもいる。きっと、キミになにかあったら、みんな悲しい思いをするよ。こんな素敵な家族があるのに、ボクのマネなんかすることないよ」
エレナから勇者とたたえられたマユラである。少し大人びた口調でさとしてみた。
「家族なんて関係ないよ。ボクだって強くなりたいんだ。いつまでもケンカで負かされてるのはイヤだよ」
「ケンカに勝つためにサムライやってんじゃないんだぜ」
「いいえ、ケンカよ」
それまで黙っていたサブリナだった。
「私たちのやってることもケンカと変わりないのよ。なんでもアリの容赦ナシ、命を張ったケンカなのよ」
褐色の肌のうら若い女性は、まだマユラの備えぬ凄味をたたえ、ルディはまるで猛獣を前にしたように圧倒されてしまい、なにも言えなくなった。
粗末な家のまばらに建つ小さな村のはずれ、志摩は馬上にあってタバコを吸っていた。パピルスという草の葉を加工して作るタバコは、煙も薄緑で、いくら吸っても健康被害を起こさない優れモノだが、嗜好品としてずいぶんな割合の税金がかけられていて、吸い過ぎれば健康には問題がなくても、経済的には大問題となる代物だ。
村を通る道より一騎やってきた。ファズだった。横にフェアリーのウィルも飛んでいて、志摩のもとに走りより馬を止めた。
「村を見て回って村人にも話聞いたけど、魔物なんて見たこともなけりゃ、噂を聞いたこともないそうだ」
「オレも上から見たり、ファズにゃ覗けないようなところも見たけど、化け物の潜んでいる感じはしなかったな。そっちはどう」
「同じだ」
二人の報告を受けて志摩も答えた。
「周辺を見て回ったり、野良で働いていた者にも聞いてみたが、魔物の痕跡もなければ噂ひとつ聞けなかった」
ここはザーランド伯爵の館から三十数キロ離れたところにある村だった。マユラたちを襲った魔物の捜索にチームのメンバーも加わり、志摩はファズにウィルと組んで、このあたりまで足を延ばしたのである。馬は伯爵からの借り物だ。これぐらいの距離ならブレイヴで軽く往復できるが、移動でブレイヴを使って、いざ戦闘のときにガス欠になったらシャレにならない。もっとも志摩のキャパシティならこの倍を往復しても十分の余裕があるが、油断は禁物なのである。
「もう少し先まで行ってみますか」
「いや、これ以上行けば日暮れまでに帰れない。それに、魔物は遠くにいない気がする」
「館の近くに潜んでいるというの」
驚くファズに、
「潜んでもいないかもしれぬ」
志摩はさらに意外の一言を口にした。
「魔物は魔道の黒い霧で姿を隠していた。だがリザードマンやオウガなど、ヴァルムどもは人を襲うとき姿など隠さない。姿を隠すのは見られたくないからだ。もしそいつが数年にわたってこの地域に潜み、ときどき人を襲っていたとすると、もっと山深い地域ならともかく、こんな開けた土地では難しいのではないのかな。普段は人として暮らし、情報を仕入れ、獲物を選別して襲っていた。だから地元の人たちも神隠しぐらいにしか思わなかったのかもしれない」
「人間に化けているというのか」
「おそらくな。伯爵邸での宴席で、蛇がいるとか騒いでいたが」
「あのときは蛇だと思っていたけど、似た気配を持つなにかだったのかもしれない」
ウィルはそのときのことを思い返しながらいった。
「私も微かだが、あの席で人ならざるものの気配を感じた」
「化け物があの場にいたというのか」
「人に化ける能力をもったヴァルムはいる。巧妙な奴は匂いも気配も感じさせず、見破るのも難しい」
「ゾッとしない話だな。けどよ、そんな化け物がいて、もしそいつが賊どもと通じていたら、こちらの事情は筒抜けってことになるんじゃないのか」
「そうかもな。だが、なにかの確証があるわけでもなく、いまのところ俺とウィルが不審な気配を感じたというだけのことだ。そんなあやふやなことで騒ぎ立てて、妙な疑心暗鬼を起こさせたくない。しばらくは、仲間内だけの話にしておいてくれ」
「わかった」
「帰るとするか」
志摩が馬を走らせ、ファズも後に続いた。ウィルは既に志摩のまたがる鞍の後部に腰をおろしていた。先になにが待ち受けようとも、このチームは、この男を信じてついてゆくしかないのだ。
行く手の草が波が船の舳先に当たるように左右に割れ、後ろに風の航跡を曳き、ストリームを駆るマユラは、順風を得たヨットのように草の海を翔ける。草原を二キロほど翔けて見守る志摩のもとに戻った。ブレイヴを消して普通体に戻ると、二三十センチ浮いていた体は着地して、足は大地を踏む。
「ストリームがだいぶ馴染んだな。この短期間に驚くほど乗りこなせるようになっている。せんだっての魔物との戦いでレベルアップしたのかもしれない」
「レベルアップ?」
「ブレイヴ体での能力値が向上することだ」
「それって、強くなったってこと」
「そういうことになるかな」
「やった」
魔物との戦いから三日が経っていた。じつはあれ以降、マユラも連続してブレイヴ体になれている時間が少し伸びているような気がした。それは時間的な長さだけでなく、キャパシティが少し大きくなっているのを感じるのだ。ブレイヴの能力者でない者には翻訳不能なのだが、量的、空間的な感覚で、ブレイヴの燃料であるところのバイオクァンタムの残量、あとどれぐらいでガス欠になるかも、なんとなくわかるようになっていた。
「実戦だけでなく、日々の修行、鍛錬によっても経験値は蓄えられてレベルアップするが、実戦のほうが経験値も多くレベルアップも早い。だからといって無茶をしてはならぬぞ。地道に技を磨くことをせずに、命を危険にさらして、手っ取り早くレベルアップしようとするものがいるが、技が伴わなければせっかく得た能力も十分に使いこなせない。戦闘は遭えば怯まず好んで求めず、鍛錬は日々怠らないのがバランスのとれた成長のしかただ」
戦えば強くなるといったら若年層、とくにマユラのような向うみずの少年はなにをするかわからない。その冒険心を、志摩は一言諌めたのだ。
「あの」
「なんだ」
「ボクってレベルいくつぐらいですか」
「3から5ぐらいじゃないかな。レベルの正しい判定、ブレイヴ体での能力値についての正確で詳しい情報は、アナリストにみてもらわなければわからない」
「アナリスト?」
「ブレイヴの分析やレベルの判定を専門とする魔道師だ。アナハイムに着いたら、おまえもギルド所属の魔道師の事務所に行って、IDを作ることになる」
「IDって」
「いずれわかる。ちなみにレベル1はブレイヴの覚醒。キャパシティが1分なくても、ブレイヴ体になれればレベル1だ。レベルの話はこれぐらいにしておいて、ストリームは、どうやら使い走りが務まるぐらいには使えるようだな」
「快適にとばせます」
「とばすだけではダメだ。ストリームは乗り物ではなく戦いの機動力となるものだ。これと剣技を組み合わせて風刃一体の技と成さねばならぬ。そのためにはストリームについてよく知っておかねばならない。ストリームを駆る上で特に心せねばならないのはジャンプだ。ストリームの弱点とまで言う者もいるが、まあ、難所ではある」
「ジャンプがストリームの弱点ですか」
マユラには、ストリームの機動力は無敵にも思えたのだが。
「おまえも気づいているかもしれないが、ストリームで翔けていて、即座にジャンプすることは出来ない」
いわれてみればマユラも、ストリームで翔けてはいたがジャンプしたことは一度もなかった。いや、一度だけ、エレナを守って魔物と戦ったおり、ストリームに急ブレーキをかけて、巻き込む風で敷き積もった枯れ葉を舞い上がらせて敵の視界をふさいだとき、急速に足元のストリームの膨らむのを感じて、これを蹴るようにして跳び、敵に渾身の一撃を与えたのである。
「ストリームでジャンプするには、一旦ブレーキをかけて流れを絞り、足下に揚力を溜める必要がある。スプリントタイプは一歩の踏み出しで即座に跳躍できるが、ストリームタイプは溜めの間があるためにジャンプするのを読まれやすい。ジャンプ力そのものはスプリントに劣るものではないのだがな」
つまりあの場面で、マユラはなにもわからないままに、ストリームタイプの特性を活かした戦法をとっていたのである。
「だからといって、ストリームがスプリントに比べて不利ということにはならない。ストリームには泳ぐといった、スプリントにはマネのできない技もある」
泳ぐとはストリームで体を浮かせ、水平に近い体勢で、まるで魚が泳ぐように滑空する動きである。長い時間はできないが、転瞬の動きの変化は相手の意表を突く。
「一般的に、ストリームタイプは水平方向の動きに優れ、スプリントタイプは縦方向の動きに利があるとされる。実戦では、ストリームタイプの敵と戦うこともあるが、スプリントタイプに出くわすことのほうが多い。ヴァルムも、オウガやリザードマンなど人型のものはほぼスプリントタイプの動きだ。スプリント相手に迂闊な跳躍は必ず裏をとられるので、ジャンプに溜めの間の要ることは常に心せねばならない」
「ジャンプしなければいいんですね。ジャンプしなくったってこちらには飛燕の動きがあるのですから」
「迂闊な跳躍は危険だが、一切使わないとすると弱点を固定化してしまう。さまざまな仕事に工夫が必要なように、戦いでも工夫することが大事なのだ。基本や原則に従い、機に応じては基本を外れ型を破る。だがやみくもにこれをしては自滅を招くだけだ。基本をしっかり修めたうえでの工夫により、変幻自在の妙味を現し機を制することが出来る。敵に裏を取らせず、効果的にジャンプする工夫の技が当流にはある。これについてはいずれ手ほどきしてやる。とにかく、わが身の能力の長所短所の点をわきまえることが大切なのだ」
学校の授業や親の説教にはろくに耳を傾けなかったくせに、志摩の教えはまばたきもしないで聞いた。自分から進んで選んだサムライの道なのでモチベーションが高いこともあるが、この教師は手が速く、うっかりあくびでもしようものなら、ゲンコツをいただくことになるからだ。
「ストリームで翔けるときにはジャンプの練習もしておけ」
「ストリームからスプリントに切り替えることはできないのですか」
マユラは以前から抱いていた疑問をぶつけた。
「戦闘中にスイッチできれば、両方の利点を取り入れて、それぞれの欠点を解消できるのではないのですか」
「切り替えることはできるが、戦闘中には無理だ。ブレイヴのスタイルが大きく変化するから、体が新しいスタイルに馴染むのに数日かかる。また、以前のスタイルにふたたび戻っても、定着していたものがリセットされてゼロになっているから、技能的にかなり落ちる。つまり、レベルアップしていたものがレベルダウンするというわけで、初級のうちならともかく、ある程度レベルが上がってからスタイルをチェンジしようとするものはいない。昔、おまえと同じようなことを考えて、いろいろ試した者がいたそうだが、戦士としてはまったくものにならなかったらしい」
やはり、そう都合よくゆくものではないようだ。ここでマユラは、以前からの疑問をもう一つぶつけた。
「ストリームって体浮くじゃないですか。レベルがあがればこれで空を飛べたりできます」
「できんな。どんなにレベルが上がろうと、ストリームは足であって翼ではない。一メートルを超えると高位のレベルの者でもストリームを形成できなくなる。どうにか安定したクルーズが出来るのは50センチが限界だ。レベルや個人差で多少の上下はあるが、マスタークラスでも、リフトポイントはおまえとそんなにちがわないぞ」
これも、そんなところだろうとは思っていた。鳥のように空を飛べなくても、マユラはストリームで翔けることにすっかり参っていたから、少しもがっかりはしなかったが。
「館に戻るぞ、付いてこい」
「もう少し、稽古していたいのですけど」
本当はエレナに会いにゆこうと思っていたのだが、
「ダメだ。おまえは魔物に目をつけられているかもしれんのだ。一人にはしておけん」
チームの者も加わり、かなりの人数で周辺を捜したが、結局マユラたちを襲った魔物を見つけることは出来なかった。
「あんなの怖くありません。次に遭ったらやっつけてやります」
「一度勝てたから次も勝てるなどと思うな。それを油断というのだぞ」
「だけど・・・・」
「しのごのぬかすな。ゆくぞ」
志摩はブレイヴ体となってストリームを流し、その姿は見る間にちいさくなってゆく。
「待ってください」
さすがにマユラも、ここでエレナの家へ向かう勇気はない。慌ててストリームを駆って師のあとを追った。
館に戻ると、伯爵家の者が足早に来た。
「いま、お呼びに行くところでした」
「どうかしたのか」
「ベイロード男爵様がおいでになられて、いま、伯爵様とご家来の主だった方々、それにあなたのお仲間たちも交えて会議しておられます」
案内されたのは一階の広間だった。そこは自由に使っていいことになっていて、暇なときにはチームの者や伯爵の家来たちがたむろして、カードゲームや碁をして遊んでいた。志摩に続いてマユラも入ろうとすると、入り口むの脇に立っていた者に止められた。
「大事な会議だ。子供は入ってはならぬ」
「ボクだってチームの一員だ」
マユラは抗議した。
志摩はそんなマユラをしばし眺め、
「中で見聞きしたことを、だれにも話さぬと誓えるか」
「はい」
マユラは威勢よく答える。
「単に話さないというだけではない。敵に捕らえられ、爪を剥がされるぐらいの拷問を受けても、口を割らない覚悟があるか」
そんな痛そうなことなんて考えたこともなく、突きつけるような志摩の言葉にドキリとしたが、これがサムライの覚悟なら怯んではいられない。
「腕をへし折られたって、チームの秘密は守ります」
「よかろう、入れてやってくれ」
志摩に言われ、男は不審げな顔ながら仕方なくマユラを通した。
中では十数人の男たちが、なにやら人垣を作っている。
「なにかあったのか」
志摩が仲間たちを見つけて声をかけると、ダオがバルドスの横を空けてくれた。前のほうに出ると、円形のテーブルの上に大判の地図が広げられていた。
「ベイロード男爵がグルザム一味のアジトを突き止めたのだ。で、総攻撃の作戦会議というわけよ」
「なるほどな」
志摩はテーブルに広げられた地図を見た。
「アジトはどこ」
「ここだ」
ベイロード男爵が指揮棒のような細長い棒の先で示した地図の一点、そこには赤いバツ印がつけてあった。
「アジトはロナムの森の中に構えているとばかり思っていたが、まさか、シザ峡谷の洞窟をアジトにしていたとわな」
ザーランド伯爵が、意外の感想をもらす。
「洞窟をアジトにしていたのか」
「そうだ。このあたりはシザ峡谷といって、地元の者もめったに足を踏み入れぬ、草木も生えぬ不毛の土地。そこに我々も知らなかった大きな洞窟があって、連中はその洞窟を根城にしていたのだ」
「ベイロード殿の部下が、根気強い探索の末にようやくみつけたのだ」
「いま、巣穴のネズミどもを一匹残らず始末する段取りを話していたのだ」
ベイロード男爵は愉快そうにいった。四十前後の白人で、服の上にミスリルのベストを重ね、腕や足
にプロテクターを装着したライトアーマー(軽装甲)のいでたちだった。聞いたところによると、元アルスター帝国軍人で、どこかの州軍でソードオフィサー(佩剣将校)をしていたとのことだが、志摩の目から見ても使いそうな男だった。
「シザ峡谷に入るにはいくつかの入り口があるが、ここ、北の谷間より侵攻するのがよい。この崖沿いの道が死角となっていて、みつかることなく峡谷に入れる。北より進入して涸れ沢を渡り、赤谷を抜けて奴らのアジトの前面に展開するのだ。洞窟にはほかに抜け穴はなく、奴らはまさに袋のネズミよ」
男爵は地図上に棒の先を動かしながら、作戦を説明した。
「ふむっ・・・」
志摩は地図を眺め、懸念の表情となった。地図はそんなに精密なものではなかったが、おおよその地形の検討はつく。
「入り組んだ地形のようだが、こんな場所で、逆に待ち伏せされたら苦戦は必至だぞ」
「その心配はない。賊どものアジトは常に我が配下の監視するところだ。動きがあればすぐに報せが入るはずだ。それに、奴らのアジトがシザ峡谷の中にある以上、一網打尽にするには峡谷に入るしかあるまい」
「さよう、虎穴に入らずんパ虎子を得ず、危険を冒さねば大きな成果は得られぬ。だが、その危険も元ソードオフィサー殿の手配りが行き届いている。まず、心配はあるまい」
ザーランド伯爵は頼もしそうにベイロード男爵を見て、男爵も自信に満ちた態度で応えた。
志摩たちがザーランド伯爵の招きに応じて、はじめてこの館にやってきたとき、宴席で顔を合わせたザーランド伯爵とベイロード男爵の間には、確執めいたものの存在を感じさせた。それが今は、和気あいあいとしている。伯爵はここ数年悩まされてきたグルザム一味のアジトを、突きとめてくれたことが本当に嬉しかった。その一事で日ごろの不仲も忘れ、男爵を大いに見直したのである。ベイロード男爵も伯爵に評価されて気を良くしているようだった。
「これで悪党どもの命運も尽きた」
ザーランド伯爵は上機嫌に笑った。
「では早速ながら、攻撃は明日、早朝にはこの館を出発してもらいたい。なるべく多くの兵を集め、手配万端怠りなく願います」
「明日、ですと」
ザーランド伯爵は驚きを顔に表した。
「さよう、昼過ぎにはきゃつらのアジトに攻め込み、日暮れ前にはかたがついているでしょう」
「待たれよ、明日は早すぎる。周辺の貴族各家にも声をかけ、郷士たちも呼び集めるなどして人を集め、準備を整えて十分な陣容で挑むとなると二日は欲しい」
「なにを悠長なことをいっておられる。アジトが突き止められたことを賊どもが知れば、洞窟のアジトなどさっさと捨てて、いずこかへ消え失せてしまうであろう。そうなったらこれまでの苦労も水の泡だ。せっかく掴んだこの機会を逃すことはできぬ」
「御懸念はわかるが、しかし討伐するとなると、こちらも十分な人数を集め、しっかりした陣容で事に臨む必要がある。不足した兵力で挑んで敗れては、それこそ目もあてられぬというものだ」
「これは意外であった。この地域きっての名門ザーランド家の御当主殿が、まさかこのように臆病であったとは」
ベイロードは口の端を吊り上げ嘲弄の笑みを刻む。
「臆病だと」
ザーランド伯爵も、臆病などといわれてはなごやかでいられない。
「相手の三倍四倍の頭数がおらねば、賊退治もできぬ性根では臆病といわれてもしかたあるまい」
「功を焦って拙速に仕掛けるは、知略を備えぬ蛮勇というものだ」
さきほどまでの和気あいあいもどこへやら、晴天の突如黒雲を呼び、雷鳴とどろくかのような雲ゆきとなった。
「不足した兵力というが、私とご貴殿の配下のものども合わせれば五十にはなろう。相手も似たような数。だがこちらには、加えて頼もしき傭兵たちのあるではないか。なんの懸念もないとは思うが、それとも、二百三百おらねば、五十程度の賊とも安心して戦えぬと申されるか」
「賊どもにはヴァルムがいると聞いたが」
「ヴァルムが恐ろしゅうござるか」
「なんだと」
「ご安心を。ここ数日見張らせているが、トロールだのオウガだのヴァルムの姿は見ておらぬとのことだ。あやつらは賊どもの固定のメンバーではなく、食客として渡り歩いているようなので、いまごろはよその土地に移っているやもしれぬ」
「確認したわけではなかろう」
「確かに確証はないが、なかからなにまで、敵の内情を見透かすことなどできぬ。戦にはリスクがつきもの、七割の感触でヴァルムがいないと思ったら、それはそう見てかかるり、三割のリスクは引き受けるしかない。傭兵殿はいかがお考えか、場数を踏んできた者の意見をお聞かせ願おう」
「六分の勝算が見込めるなら、やるべきだろう」
志摩の答えであった。
「俺たちだっていつまでもここにいられるわけじゃない。兵力は月の満ち欠けのように増減し、ときをかければこちらが万全の状態で戦えるという保証がないのなら、六割の勝算が見込めるときには、機を逃すべきではないというのが俺の考えだ。ただこれは、経験から得た俺の個人的見解にすぎない。戦いは生き物、経験則や合理的な判断が勝利に結びつかないことはままある」
「いかにも戦闘稼業を渡り歩いてきた者らしい意見だ。私も勝利は待つものではなく、こちらからつかみ取りににゆくべきものと心得ている。ご貴殿もさいぜん、虎穴に入らずんばなどと申されたではないか」
「いや、それは・・・」
「もし万一、日延べして賊どもを取り逃がすことになったら、すべての責任を負っていただくことになるが、さあ、いかがなされる」
詰め寄るベイロードに、伯爵は難しげにどうとも決めかねる様子だった。
「伯爵様、心配することないよ。ウチのチームがついているんだ、山賊なんかめじゃないって」
底抜けに明るい声がして、みれば大人たちの中に少年が一人、胸をはって立っている。
「ガキが口だすんじゃない」
バルドスがどやしつけたが、マユラはやかましそうに小首をかしげたものの縮こまりもしない。
「なにものだ」
ベイロード男爵が咎めるような目を向ける。
「マユラ、俺の弟子だ」
「魔物退治をしたとかいう小僧か」
「そうだよ。まあ、たいした化け物じゃなかったけどね」
マユラは場所柄も頓着せずにいってのける。
「ウチのチームは志摩先生はじめ腕利き揃い。山賊の二十や三十ものの数じゃないって」
「馬鹿野郎。卵から孵ったばかりのひよっ子の分際で、わかったような口を利くんじゃない」
バルドスが怒鳴りつける。
「そう怒られるな。さすが少年ながらにも魔物を退治するだけのことはある。肝の据わっているもののようだ。それに、おぬしたちのことを信頼している」
ベイロード男爵は、感心したようにマユラをもちあげた。
「ものの道理もわからぬ子供のいったこと、聞き流してください」
志摩の言葉に、ベイロード男爵は首を横に振った。
「なんの、私も街道でのお主たちの戦いぶりを聞いて、賊徒などものともせぬつわものと思っている。これほどに心強い味方もありながら、憎きグルザム一味を討つ機会に二の足を踏めば、それこそ臆病のそしりはまぬがれまい」
男爵はマユラの言葉を援用して伯爵を誹謗した。
「我が主に対する重ね重ねの無礼の発言、見逃せぬぞ」
伯爵の家来がいきりたった。
「カッカするな。私とて伯爵を、名誉あるザーランド家の当主にふさわしい、勇気のある方だと思っている。しかし勇気とは行動によって顕すもの。好機に動かず、漫然といつ訪れるとも知れぬ時期を待っている
ようでは勇敢とはいえまい」
「よいだろう、明日、賊徒討伐を決行する」
名誉を重んじる伯爵にとって、臆病者呼ばわりなど我慢できるものではない。決闘するか、さもなくば相手の鼻をあかしてやるかだ。
「まことに」
念を押すベイロード男爵。
「くどい。貴公こそ、明日になって臆するなよ」
「それはない。既に話したとおり、峡谷一帯の地形は調べ上げてあり、作戦も練ってある。あとは行動あるのみ。さながら、中に落ちたネズミの外に出ようと足掻いている壺の口より、煮え湯を注いでやるかのごとく、我らが一軍の投入により、きゃつらの命運も尽きるのだ」
ベイロード男爵は大笑した。
「志摩殿、おのおのがた、勇戦を期待する」
ザーランド伯爵の言葉に、
「心得た」
志摩が応え、
「まかせておけ」
バルドスが胸を叩く。
「悪者どもをやっつけるのですね」
マユラは師を見上げた。
「それが仕事だ。そのためにここにいるのだ」
志摩は至極当然の口調で応え、タバコに火をつけた。淡い緑の煙をくゆらす泰然の態度に感じ入ったマユラだったが、師の胸中に懸念のあることなど思いもよらなかった。
宴のときに感じた異様な気配、そしてマユラたちを襲った魔物のことなど、なにか邪の動きのあるような気がした。しかしまあ、災厄を避けて通れないのがこの商売。降りかかる災厄は切り払うのみ。タバコを半分灰にする間に、志摩は胸の気がかりも煙のごとく消していた。
用語解説
ブレイヴ・・・生物が本来生成しているバイオクァンタム(生体量子)なるものを気燃焼して体の回りに形成するエナジーフィールド。使用者に超人的な機動力を与える。
ブレイヴ体・・・・・ブレイヴを発現している状態。
普通体・・・・・・ブレイヴを発現していない、つまりは普通の人の状態。
ヴァルム・・・異界ヴァルムヘルに生まれる生命体。魔人や魔物、化け物と呼ばれるのはほとんどがこのウァルムである。ヴァルムにはゴブリンやオウガやリザードマンなど様々な形態のものがいるが、この世界に人やその他の獣や虫など様々な種の生物がいるのと違い、ヴァルムヘルにはヴァルム一種類しかいない。無限に生み出されるヴァルムたちが、果てしない淘汰のなかでレベルアップして形態を変え強さを勝ち得てゆく。虫けらのようなものが、レベルアップと変成を繰り返した末に魔王になることもありえる。ただ、ヴァルムの生態についてはヴァルムヘルが人の行ける世界ではないので、詳しいことはわかっていない。ヴァルムについてはっきりしていることは、ヴァルムはブレイヴ体になることはできず、こちら側の世界では繁殖や、レベルアップによる変成もおこなえない。ヴァルムがこちら側にきて人を襲うのは、カルマを溜めてレベルアップするためである。ヴァルムは人が富を求めるごとく、力、強さを欲してやまない生き物なのだ。
ヴァルカン・・・・・人食いの儀式を経てヴァルムヘルの邪神に帰依した人間。ヴァルカンは普通の人間と外見は変わったところがなく、ブレイヴ体にもなれるが、ブレイヴ体になると、顔に邪紋と呼ばれる紋様が現れる。
ストリームタイプ・・・・ブレイヴのスタイルの一つ。二三十センチ浮上し、足元にジェット気流を吹かし、これを駆って翔ける。動きはスケートというかサーファーというか、地上数十センチを滑るように翔ぶのだが、もっと自由自在に、変化に富んだ動きを表せる。ストリームは駆るといい、翔けるという。
スプリントタイプ・・・ブレイヴのスタイルの一つ。シューズを履くように足元をエアと呼ばれるエナジーフィールドで包む。ストリームのように滑り翔ぶのではなく、普通に走るように一歩一歩足を動かす。しかしエアを履いた状態での脚力は、普通の人間の十数倍。駿馬をもしのぐスピードで走ることができる。エアは掃くといい、走るという。ストリームタイプとスプリントタイプ、どちらも一長一短で、どちらかが優れているということはないが、スプリント派が多数を占めている。
剣帯・・・・剣士がベルトの上から巻く、ガンベルト(この世界に銃は存在しないのですが)の刀剣バージョンのようなもの。革製で筒状のホルスターに鞘ごと差し込む。ベルトの間に挟むよりもずっとしっかり腰に保持できる。
まだいろいろ説明したい用語や設定はあるのですが、今回はこれぐらいにしておきます。次は、物語も佳境というか、重大局面にさしかかるはずです。年なので寒いと執筆ペースも落ちますが、なんとか春までには投稿したいです。