退屈
〈特殊遺言条例第一条に定める、特殊遺言その五箇条〉
《金銭》・・・対象者に百万円を上限とした金銭を贈ることができる。対象者の選定には審査がある。
《広告》・・・全ての全国紙・全国テレビ・ラジオにおいて、全面広告/五分間の広告を配信することが出来る。内容は不問、ただし性的な表現は不可。
《消去》・・・自分の存在に関わる全ての情報をインターネットから削除できる。
《保護》・・・対象者一名を、死ぬまで国家の保護下に置くことができる。対象者には衣食住と生活費の全てが保証される。必要であれば新しい戸籍も提供される。対象者の選定には審査がある。
《殺害》・・・対象者の殺害が実現する。公人は対象に選べない。《保護》されている人間も対象には選べない。また、個人的に関係のあった人物に限る。その他、対象者の選定には厳しい審査がある。
* * *
村田雪輝は、退屈していた。
いつも通っているバー《アウトランド》で、注がれたジンの中に入った氷をくるくると指で回しながら、村田は大きなため息をついた。ここは、中央線の某駅。中心部から一km程離れた所にあるショットバーだ。
「マスターぁ。悩み相談をロックで」
「ふふっ、何よそれ。それに、注文はさっき受けたばかりよ」
マスターは三十代半ばの女性だ。昼間はラジオ局でナレーションの仕事をしているらしいが、村田はまだそれを聞いたことはなかった。
「じゃあ、悩み相談をストレートで。ヒマなんですよ」
「直球すぎるでしょ。というか、大学生なんてみんな暇でしょ」
マスターは、洗い終わったグラスをキュッキュッと軽快に拭きながらそう言った。
「そんな適当な……。悩み相談を受けるのもバーテンダーの仕事じゃないんですか」
「それはそうだけどね、アンタの場合うちに入り浸りすぎなのよ。相談するような悩みなんてとっくに相談してるでしょ。疎遠すぎて顔を出し辛い同窓会の話、メンヘラの元カノが復縁を迫ってくる話……」
「ちょっ、ちょっ、ストップストップ。そんな人の古傷を抉るようなことやめてくださいって」
笑いながら村田は言った。確かにマスターの言う通りだった。暇があればここに通っているせいで、自分の些細な悩みなど全て吐き尽くしているようなものだった。
「しかしね、暇だということそのものが問題だという領域に、俺もついに来てしまった」
やれやれといった感じでマスターが応える。
「何をかっこつけたような風に言ってるの。大学生なんてみんな暇みたいなもんでしょ、それに私からしたら大学生であること自体が羨ましいくらいだわ……」
いつの間にか全てのグラスを拭き終わったマスターは、「自分用」のグラスを取り出して中に酒を注ぎ始めていた。いくつかの液体を注ぎ終わると、満足したようにグラスを一周させて、それを一口飲んだ。
他のバーの事はよく知らないが、ここのマスターは自分でも結構な量の酒を飲む。それがなにやら面白くて村田はここに通い詰めているのだった。
「とりあえず、同じのをもう一杯」
「はーい毎度」
溶けた氷のおかげで酒がほとんど水に置き換わったグラスをカウンターの奥に寄せて、村田は追加の一杯を注文した。そのとき、
ブンッ。
と、カウンターに置いたスマホの画面上にホログラムが浮かび上がり、村田に通知があることを知らせた。
この時代ではもはやスマートフォンは万人にとって必需品だった。政府が進めた情報改革――「統合/通知」で、あらゆるものがスマホに統合されるようになったのだ。
二〇一〇年代にはまだインターネット上のものに限定されていたスマホの通知機能を、実生活の全てにまで拡げたのが「統合」。今では洗濯機・炊飯器・冷蔵庫の中の野菜、それから公共料金の支払いや家賃までがスマホで管理されるようになった。
次に、「通知」。これは、統合された情報を実生活の時間軸上に配置するものだ。というと難しく聞こえるかもしれないが、実際はGPSと連動してジャストタイミングで通知を送る、それだけである。
例えばスーパーの前を通れば冷蔵庫の中で足りない物が通知され、駅に行けば最適な列車が表示される。家を出る前に目的地を入力しておけば、歩く速度や信号を渡るタイミングまで任せることも可能だ。まぁ、そこまで全てをコントロールしてもらっているのは、今ではもはや死語と化した言葉で、「スマホ依存症」などという。
GPSも昔に比べれば随分進化していて、数十年前では五mくらいの誤差はつきものだったのが、今では三〇cm、つまり手の届く距離まで誤差が少なくなっている。それが情報改革を可能にしたのだ。しかし、こう考えてみると便利な社会になったものだ。
などと考えていたら、スマホの通知が鳴ったことを危うく忘れかけた村田は、
「やべっ」
と小さく呟いて、急いでそれを持ち上げた。
『受信メッセージが二件、アプリ通知が一件あります』
メッセージの方は面倒臭くて放置していた親からの消息確認だろう。そっちは割とどうでもよかった。
「ピッ」
村田は迷わずアプリ通知の方を開くと、「ギルドミーティング」と書かれた項目をタップして、「あと一五分待ってくれ」と書き込んだ。
すぐさま、ギルドメンバーから幾つも返信がつく。
「リーダーまた遅刻かよ」
「絶対許さないw」
やばい、やばい。バーで飲んでいてミーティングに遅れるのはこれで三回目だ。村田は、放置されてすっかり水っぽくなったジンをゴクゴクと一気に飲み干すと、鞄を持ち上げて言った。
「マスター、お勘定」
「はいよ」
マスターはニッコリと答えると、金額を書いた紙をピッとカウンターに差し出して寄越した。二三四〇円。長居した割には安いもんだ。
村田は手早く会計を済ませると、帰路を急いだ。