5
すっかりと暗くなってしまった。
宇宙と2人で駅へと急ぐ。学校から駅への距離は遠くも近くもない。
ちなみに、たまたま職員室内にいた若い女教師に段ボール箱を手渡しし、ちょうど学校から出てきたところだ。まるまると話せるかなぁと期待したけれど、彼はタバコを吸いに学校裏に出ていていなかった。
なんだかんだ言って、まるまるのことはだいすきだから、ちょっと残念におもう。
空を見上げれば、光る星が見えた。
「きれいだなぁ」
ちょっとだけ恥ずかしくなるセリフを言いながら、ときどき夜空に視線を投げる。
何度見ても星はきれいだ。実感して、笑みが零れた。
「せら、もしかしたらこの暗闇に紛れて忍者が!」
目を輝かせながらそんなことを言い始めた宇宙には「中二病か」と突っ込んで、またいっしょに笑った。
「いやいやわっかんねーよ、いるかもしんねーじゃんっ」
「忍者さーんこっちら~、手ぇの鳴~るほーうへ!」
もしいるとしたら、影分身の術を実際に拝んでみたい。そうおもうとわくわくしてきちゃって、「ふんぬっ、影分身の術!」と適当に指を組んで唱えれば、「せらちゃんが、5人、だと……」と宇宙がのってくる。
「でもこれ実際には使えんやつでしょ」言えば、「夢のないこと言わんでくれ」と返された。
影分身の術や変わり身の術なんかは、忍者漫画やゲームでよく見かけるからという理由であのプリントに乗っていたけれど、ちいさく「実際には使えない架空の忍術である可能性大!?」と書かれてあったので絶望してしまった。
使えんのかーいっ、とつっこんでしまったのは記憶に新しい。
「つか、忍に興味ないって言ってたのに。どうしたの」
興味ねぇや、と言い切ったわりには、こうして忍の話を持ちかけてくるのは、いったいどういう風の吹きまわしだか。
いきなり忍者忍者言い始めた彼に、呆れた顔をして尋ねる。
そうすれば、「いや、せらが興味あるみてーだったから」となに食わぬ顔で返してきた。
「せらが興味あるんだーっとおもったら、オレも気になっちゃったんだよね」
中二病心がくすぐられるし!? と目を輝かせた宇宙に、そりゃさっきわたしもおもったわ、と思いながら「まぁ、そんな、気になるわけじゃないんだけど」と呟いた。
「そーなん?」くりくりとした目をいつもより見開いて、彼はちょっとびっくりしたような表情をする。
「さっきすげぇ集中してプリント見てたし、好きなんかなぁって思ったけど」
言われた言葉におもわずキョトンとしてしまったが、すぐに笑みがこぼれた。相変わらず、コイツのやさしさには参る。
イタズラ好きでマイペースで人をおちょくるのがだ~いすきな大バカ者。だけど、こんなふうにだれよりもやさしい。こういうとき、宇宙がすきだなぁと実感してしまう。
わたしが忍に興味があるように見えたから、話題になるとおもってネタを提供してくれたのだろう。
べつに、いまさらそんな気を遣わなくてもいいのになぁ。
そうは思うも、うれしい自分がいるから困ったものである。にやけそうになる口元は、咳払いでごまかした。忍法、咳払いの術ってね!
「忍とかめっちゃおもしれーっしょ、てかカッコ良くね?」
「興味ないって言ってたやつがよく言うわ」
「や、うん、まぁあんときはハゲるほど疲れてたっつーか、なんかプリントまとめてんのが面倒だったからだけどさー」
「ほんまかいな」
「まじまじ、まるまる二世になりそうだったからね。おでこが枯れ果てた大地になって、後退子さまになりそうだったから」
おでこをスパーンと叩きながらそんなことを言う宇宙に、「なにが後退子さまだよアホか!」と言いながら大爆笑する。
「うまいっしょ、うまいっしょ!?」
絶対いまのはおもしろい、とでも言いたそうな表情にさらに噴き出して、「おもろいけども!」と笑った。
「とにかく、あんときは疲れてただけ! 漫画とかで忍者設定ってすっげーわくわくすんだよね!」
「それはわたしもだけどさ」
「だろー!」
だから、気を遣うなって、アホ。
実際興味もあるのだろう。
実際あのときは疲れていたのだろう。
だけどそれ以上に、宇宙はわたしが「忍者が気になる」って言いやすい雰囲気を作ってくれているのだ。
長年の付き合いだからわかる。
気遣われているって。
そんなんだから、ほんと困っちゃうんだよね。なんつーか、こいつと幼馴染でよかったなぁって。
「……ばーか」
照れ隠しに吐きだしたセリフは、自分が思っていた以上にあまい色をまとっていた。
それがまた、ちょっとだけ照れくさい。
さらにごまかすようにちいさなため息を吐いて、もういちど夜空を見上げれば、自然と目が細められた。
しあわせって、こういうことなんかなぁ。ゆるんでいく口元は、微笑んでいるように弧を描かせることでごまかす。
ごまかしてばかりだなぁと思うけれど、まぁいっかなんておもえる程度には自分の脳内は沸いているらしい。
首元の宇宙のマフラーが、あたたかい。
「なー、せらー」
「んー?」
手に息を吹きかけながら寒さをしのごうとしている彼は、そっとわたしの名前を紡いだ。
丸まった体はそのままに、上目遣いでこちらを見ているその目を、わたしも横を振り向いて見返す。
「あのさ」
少し硬めに出された声に、おもわずわたしの顔も強張ったけれど、重なった視線を逸らすことはなかった。
なにを言い出すのだろう。いや、なにを言われるのだろう。
ちょっとだけ緊張しながら、その口が開かれるのを待つ。
「来年の夏はさ、ぜってーいっしょに花火見に行こ」
ぽかんとした表情に変わったわたしに、宇宙はうつむき加減に、すこし照れくさそうな表情をしながら、やわらかく笑ってみせた。
それはとても温かくて、こっちまで照れくさく思えてくるようなものだった。
たしかに今年、サッカーの試合が重なって花火大会に行けなかった。
毎年2人で見に行っていた花火だったからこそ、今年も見に行くのが当たり前のような気もしていた。
2人で見たいという気持ちは確かにあったけど、2人で行動することが当たり前のわたしには、「当たり前」の意識が強かったせいで、行けなかったことに何かがこぼれ落ちたような感情を抱いていた。
きょむかん、とかいうやつだろうか。
それはきっと、「当たり前」が「当たり前」じゃなくなったことに対するものだとおもう。
好きなひとと花火が見られなかったから、なんていうロマンチックな意味ではなく、なにを言わずともそれが当然の予定であるというような、暗黙の了解のイベントが達成されなかったことに対してだっただろう。
なにより、部活で行けないのは仕方のないことだからとおもって、結局花火大会のことについてはそれ以降なにも触れなかった。
残念だったし、ちょっとだけ部活の存在を疎ましくおもっちゃったのも事実だけど、宇宙と会えるっていうのは花火も部活も変わらない。
だから、特に気にしていなかった。いや、気にしないようにしていただけだったのかもしれない。
それが冬になって――今になっていきなり宇宙がこの話題に触れてきたのだ。驚いてしまうのも無理はない。
同時に、こいつもなんだかんだ同じ気持ちだったのかなぁと思うと、言いようもなくうれしくなってしまった。
くすぐったいような感覚が、わたしの中でおどるようにはしゃぎだす。バカみたいにポジティブだけど、やっぱりうれしいものはうれしい。
だからね、わたしがこの誘いを断るわけがないだろ、宇宙。
「りんごあめとフランクフルトとイチゴ味のかき氷!」
「へ?」
「おごってくれるならいっしょに行く」
そんな意地悪を口にしたのは、ドキドキしていることに気付かれたくなかったから。
なんだ、この乙女チック。苦笑したくなったがとりあえずは我慢して、挑戦的に宇宙を見上げた。
そんなわたしに宇宙はすこしムッとして、「かき氷だけなら、まぁ」とこぼす。
「ナメてんのおまえ」
般若の表情に変えたわたしに、「いや、それコッチのセリフ!」と見事な切り返しをくれた。
「うそうそ、80%本気だから」
「ほぼ本気じゃんっ」
青い顔でわたしを指さす彼に、「仕方ないなー」とわざとらしい口調で告げる。
そうすれば彼は、「お?」と期待に満ちた瞳でこちらを見てきた。「なになに、妥協っすかネーサン」おどけた口調が心地良い。
茶番、だよなぁ、こんなの。
そうはおもうけれど、結局わたしも宇宙もこのやり取りを楽しんでいる。
だからほら、コイツだってきっと、「せらがオレの誘いを断るわけがない」と確信しているだろう。
そしてわたしも、その期待を裏切るようなことはしない。というか、ぜったいにできない。
だってね、いや、こんなことを思っているとおもわれるのはちょっとはずかしいけど、はっきり言うとほら、「アイツがわたしとしたいことは、わたしもアイツとしたいと思っていること」だからさ。それがわたしたちの心地良い関係なんだ。
「ふっふーん。いいよ、出血大サービス。もちろんタダで、来年は浴衣デートしましょうよ、ダーリン」
ちょっとおちゃらけたようにそう言えば、宇宙はニィっと歯を見せて、うれしそうに笑ってみせた。その顔が、なんだか幼いときの宇宙を思い出させる。
こぼれるような明るい顔で、だいすきだとでも言うようなやさしい顔で、宇宙はいつだってわたしに向かって笑ってくれる。
おもわず当時の数々のしょうもない出来事に思いを馳せれば、自然と笑みがこぼれた。
「さっすが! 断るわけがないと思ってたよ、オレのダーリン!」
「いやそれおかしいだろ」
ダーリン同士になってしまった事実に突っ込んでやれば、彼は「にしし」と笑ってたのしそうにしている。
しかも、指切りすっぞ、なんて小指を差し出してきたものだから、ちょっとだけ顔を歪めてしまった。
「ガキじゃあるまいし」
「いーじゃん、指切りしよーぜ!」
目の前に差し出された、わたしのそれよりずいぶんと骨ばった宇宙の指。それでもスラリと綺麗に伸びた彼の指は、女のものとはちがって見えた。
おもわず、戸惑ったような表情で宇宙を見てしまう。指切り、かぁ。ちょっとだけ複雑だ。
いつもそうだ。宇宙の言動は時にとても子どもっぽい。
大人になりたいと背伸びをしちゃうお年頃のわたしには、それがすこし恥ずかしいくらいだ。
でも、いやだとは思わない。この感じがちょうど良くて、なんだか侵されたくない領域にさえ感じらえる。
ぬるま湯のような温かさに沈んでいられる宇宙との時間が、わたしにとっての宝物なんだろうなぁ。
きっとこんな宇宙だからこそ、彼のことが好きなんだろう。すきですきで、たまらないのだとおもう。
差し出されている宇宙の小指に、自分の小指を絡めた。久しぶりに感じる彼の体温に、乙女のように胸が高鳴る。
宇宙が指に力を入れた。それに呼応して、わたしも力を込める。そして――昔のものより低くなった彼の声が、お決まりの歌を紡いだ。
ゆーびきーりげーんまん、うーそつーいたーら、はーりせーんぼーんのーますっ!
重ねるようにして同じものをうたった自分の声は、やっぱり思っていたよりずっとやさしくて、実感すればするほど、頬が熱くなったのを感じた。