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結局、罰としてプリントのホッチキス止めという、なんとも古典的なものをやらされている宇宙とわたし。ぱちん、ぱちん、とホッチキスの音が室内に鳴り響く。
いまは放課後。やるからにはきちんとするのがわたしたちなので、きれいにそろえて次々完成させていく。
せっかく新入部員に会えるというのに、これでは部活に行けるかどうかさえ分からない。それくらい、あまりにものプリントの多さにびっくりしているところ。
まぁ、全クラスぶんと考えるとこの数も納得はいくけれど、正直めんどうくさくてたまらないというのが本音である。や、自業自得だけどね!
マネージャーはわたし1人ではないし、我が部のマネは無駄に多いためなんとかなるだろうとはおもっている。おまけに、宇宙もレギュラーでないから特別心配する必要もない。
けれど、さわやかイケメンのカオルきゅんに会えないということだけが心残りだ。
「めんどくせー!」
「ほんとめんどくせー!」
「カオルくんに会いたかったよー!」
「オレも!」
ちなみに、先輩方にはきちんと頭を下げて謝った。なんとか無事、生還できた。
「忍とは、ねぇ」
ふと、取り上げたプリントを見ながら、宇宙がちいさな声でそう零す。
そこでようやく、自分たちが留めているプリントが忍者に関わる資料であると気がついた。
忍者って言われても、少年漫画やゲームに出てくるような忍者しか知らないなぁ。
現実にどんな忍がいたのかなんて、さっぱり分からなかった。
プリントには忍についての豆知識、とあり、忍者がどういった存在なのか、忍術にはなにがあるのか、里とはどういう場所か、現在における忍者についてなど、いろんなことが載っているようだ。
ダラダラと文字が並んでいて、人によってはそれだけで読む気をなくすデザインだ。当然、わたしも宇宙もその類の人間である。
ちらりと見ただけで読む気をなくした彼は、すぐに作業に戻ってしまった。唯一それに関して言ったとすれば、「忍とか興味ねぇや」というその一言だけ。
でも、中二病心はそそられるんだよなぁ。そう言おうとして、わたしも口を開く。
しかし、続けようとした言葉は、まるで何かにせき止められたかのように、その動きをやめてしまった。
その原因は紙面上にあった。
なぜか、わたしの視線をぬいつけたまま離さない、ある文章があったのだ。
それは、いやなほどわたしの心を強く突き刺してきて、息ができないほどの苦しみを与えてくる。
見たくない。そう思うのに、どうしてもその場所から視線を外せなかった――まるでなにか特別な力が働いているかのように。
そっと、口を開く。
どうしてか、ふるえる唇は音に変えることを拒んでいるようだった。
それでも、そんなことは関係ないとでもいうようにわたしの口は動きをやめない。そうしてわたしの口から飛び出たのは、目に焼き付いているプリントの文章だった。
「心に刃を刺す。心を殺す。それが、忍」
ぽつり。生み出されたことばは、へんな感覚を背負っていた。それなのに、なぜか心に重くのしかかる。
「なるほどねー」
かるーく反応した宇宙の声をどこか遠くで聞きながら、その文字と睨めっこするような形でじっと眺めた。
心を殺す――そんなこと、本当にできるのかな。
たしかに、わたしの好きな少年漫画に出てくる忍者も非情だった。人殺しをなんとも思っていなくて、主人である小太り大名様の言うことだけを忠実に聞いて動いていた。
そこに彼自身の意思はなく、まるで「彼の意思は主の意思」とでもいうように、無表情に敵を殺していた。
主人を失い、涙を流した彼の姿は、たしかに感情を表していたけれど、漫画の展開として感動要素を取り入れたかっただけだと考えると、本当の忍者は“心を殺した”非情な存在なのかのしれないなぁ。
だとしたら、忍者っていうのはとってもこわいとおもう。
「……せらちゃーん」
そこまで考えたとき、宇宙の声がすっと意識に入りこんできた。
ハッとして、思考を中断する。普段から“考える”なんてめったにしないのに、ずいぶんと考えこんでしまった。
おかげで、ちょっと頭が痛くなってきたぞ。はやくも知恵熱を出してしまったようだ。
「そんなに忍に興味あんの?」
聞いてくる宇宙に、「いや」とあいまいな返事。
「だいじょーぶ?」
心配そうな様子にうなずいて笑えば、宇宙も安心したように微笑んだ。
……確かにだいじょうぶ、なのだけど、めったにしないことをしたせいで自分が気持ち悪い。ガラにもなく考えすぎてしまったことが、どうにもむずがゆくなってきていた。
「でもさ、忍の里に1度くらい行ってみたくね?」
「んあ?」
突然の宇宙の言葉に、すっとんきょうな声を出してしまった。宇宙は呆れた表情をしながらも、「ほら、流行りの異世界トリップ」と歯を見せて笑う。
異世界トリップ。
そのことばは今やずいぶん有名だとおもう。わたしは読書が苦手だから小説なんて見ないけど、ゲームでは異世界ものが好きだったりする。
主人公のいる世界ともうひとつ、なにかちがった世界がある。そんな設定に心が躍るのだ。
「忍の世界かぁ。忍術とか使ってみたいかも!」
「わははっ、運動音痴なせらには無理だろ!」
「棚に足の小指をぶつけてしまえ」
「ごめんなさい」
忍の世界、かぁ。たいへんなんだろうなぁ。
わたしは今度こそ適当に考えて、作業を進めていく。地味な作業に段々と眠気を感じてしまうが、なんとか意識をつなぎ止めて集中しようとした。
ちなみに。「忍法、水遁の術!」上向きの蛇口から水を出して指で止め、すき間から飛び散った水で何やらやり始めた宇宙のことは、視界に入っていないものとする。
「あ、影分身の術、習得したい!」
おお、それは欲しい。
プリントに書かれてある忍術説明を見ると、どう考えても便利としかおもえないものだった。
単なる分身の術は、ただ単に素早い動きで残像を見せ、複数いるような錯覚を起こさせるもの。
けれど、影分身の術は錯覚ではなく、自身が複数人に増える術のことだという。
授業サボれるわ、この面倒な作業もしなくていいわ、とにかく影分身の術さえあれば嬉しいことだらけだということだ。
ああ、そう考えると、なんと魅力的だろうか。
影分身の術というのがとても貴重であると実感してしまったわたしは、あとで検索サイトでやり方を調べてみようとおもった。
「ね、それよりこのプリントのどこかに落書きしない?」
ニヤリ。意地悪げな笑みを浮かべてみせれば、同じようなそれを宇宙も返してきた。それは名案だとでも言うように。
わたしたちのことを知らない他のクラスのひとにもあたってしまう可能性もあるけれど、ホッチキスを留め終えたときにクラスごとに分けてしまえば問題ない。この落書きが他のクラスにあたると、反応がすぐに確認できないからたのしくないのだ。
「名付けて、まるまるの髪の毛育成過程!」
「ぶはっ、それ最高! でもついでだから、まるまるの魅力を伝えようぜ」
カバンからペンケースを取り出してシャーペンを持つ。これに当たった子、ごめんねーなんて、謝る気などさらさらないような声色で一応謝罪。そして、まるまるに似せたイラストを仕上げていく。
「キショイ」
「ぎゃはははははっ、せらの絵心尊敬する!」
そう言いながらも「よし、かんせーい」と、宇宙も出来上がったようだった。プリントが差し出され、わくわくしながらイラストに視線を向ける。そして映ってきたそれに――。
「ぶふぅっ!」
噴き出した。
体をクネクネさせながら、「私に髪の毛をちょうだぁーい」と言っているまるまるが1人。その周りには生徒らしき人たちが数人描かれているが、みんな目を合わせまいとしている。
どう見ても女体化だがおでこの部分は後退しているので、もうそれだけでまるまるとわかるのがおもしろい。
さらに、「そ、そんなバカな、俺の髪の毛が!」とリアルな顔で絶望感をあらわにしている彼が1人。無駄に上手くて、堪え切れずに噴き出してしまった。
なんだこれ、おもしろすぎる。っていうか、宇宙の絵心がありすぎて笑わずにはいられないでしょ。
「も、これっ、やば!」
「わっはっは、オレの傑作!」
「もうなんかまるまるに愛着湧いてきた!」
「やったね! これで君も、まるまるオタク」
「いやだーっ」
そう言いながら笑い合えば、なんだかちょっとあたたかくて。
どうしてだろうか。本当にいきなり、「宇宙と離れたくない」なんて思ってしまった。
目に涙をためていまだ大爆笑中の宇宙は、「ほんっとおまえ最高っ」と言ってお腹に手をあてている。どうやら腹にまできたようだ。
かくいうわたしも笑いが止まらず、同じようにお腹が痛くなってきたのだけど。
胸のなかをうずまく感情が、なんだかちょっと切ない。
ひたすらわらい続けた彼は、そろそろ落ちついてきたのだろう。「なぁ」と目にたまった涙をぬぐいながらわたしを向いた。それに合わせて、サラサラで少し短めの彼の髪の毛が、ふわりとささやかな風に釣られる。
くるくるとしたかわいい目は、かつて女の子と間違えられていたものの面影を残しながら、彼の端正な顔を作り出すパーツの1つとして整頓していた。
彼はそれを向けながら、ふっと目元をゆるませて口を開く。
「オレ、やっぱりせらといると退屈しねーや」
ニッ、とイタズラっ子のそれで笑ってみせた宇宙。そんな彼の言葉に目を見開いて、おもわず言葉に詰まってしまった。
ドキドキ、ドキドキ。わたしらしくない胸の高鳴り。
それは恋愛感情からくるものとはすこしちがっていた。恋愛感情よりももっともっと、あたたかくてやさしいものだとおもう。
うれしくなって自然と笑顔になれば、宇宙も眉を下げてうれしそうにわらった。
「わたしも、お前といんのが1番楽だし、たのしい」
おなじようにニッと笑ってやれば、「うはは」と言って彼も嬉しそうにはにかんだ。そうして、まるでそうすることが当たり前と言うように、ハイタッチ。
「オレたちさ、絶対異世界でも仲良くなれると思わね?」笑いながらそう言った彼に、「もしかしたら誕生地的に敵同士かもよー」と意地悪をする。
「いやよく考えて。オレたちなら、敵同士なのに仲良いとかありえそうじゃん!」
「うお、禁断! でも分かるかもしんない」
「普通に日常会話しそうなのがオレたちじゃね?」
「我が道をゆくーってやつだね」
そう言ってまた笑い合えば、ついに最後のセットをホッチキスで留め終えた。
「やっと終わったー」ぐぐっと目の前で伸びをする宇宙。と同時に、向かい合わせにした机に、彼の足がぶち当たった。
いってーっ、というその声にちいさく笑って、「ばーか」なんて言ってやる。
「宇宙くん、だっせーの」
「うるせ、デコピン喰らわすぞ」
「両目潰してやる」
「なんでそんな過激なの!?」
青い顔をした彼は放置し、プリント全部をきれいにまとめて段ボールに詰めた。
そんな最中、「つーか疲れすぎて俺も髪の毛抜けそ」と呟いた彼に、「促進しようか、手伝うよ」と手をわきわきさせながら爽やかに笑ってみせる。
「まるまるは孤高のままでいた方が良いから」
仲間になりたくないと暗に告げた彼は、ポキポキと軽く関節を鳴らし、時計に視線を向けた。
んだよ、協力してやんのに。残念に思いながら、同じように時計を見やる。
「うわ、やっぱ部活行く時間ないじゃん」
あ。その言葉に、わたしは重要なことを思い出した。
「あああああああっ、わたしのイケメン!」
「いや、お前のじゃねーから」
絶望に打ちひしがれるわたしを冷めたように見ながら、宇宙は「あーあ、部長にまた怒られそ」と面倒くさそうな顔をした。だからと言って、今後気をつけるわけでもないあたり、救いようがない。
「ほら、まるまるに渡しに行きますか」
完成品を持ってそう告げれば、「行くかっ」と彼も元気よく立ちあがる――イスが倒れる。
バカだろ。ガシャーンとけたたましい音をたてたそれに「うるせえ」と言えば、「ごめんね、せらちゃん!」と宇宙が気色悪い裏声を出した。
やめなさい。
そんななんだかんだで、すっかり暗くなってしまった廊下に足を踏み出した。電気はついているが、薄暗くて気味が悪い。
職員室までまだまだ道のりがある。そこまで歩いていかなければならないのかと思うと気分が下がった。
疲れたからだろうか。肩になにかが乗っかっているかのように体が重い。
「暗い怖いきゃーっ、せらちゃん助けてー!」
突然の後ろからの大声に、おもわずビクリと肩を揺らした。
あ、今ので肩に乗っかっていた奴は振り落とされた、絶対振り落とされたと暗示をかける。
ちなみに、先ほどの声の主はもちろん宇宙。面倒くさそうな様子で歩いているのだから、怖がっているわけがない。
が、わたしにツッコミをする余裕も、なにか言葉を返す余裕もなかった。
いや、べつにね、こわいとかじゃないの。薄暗い感じが真っ暗よりこわいとか、そういうことはおもってないの。
あ、あとツンデレも目指してない。そんなことをグルグル考えながら、スタスタと足早に職員室を目指す。
もちろん、宇宙の気配がきちんと後ろから着いてきているだろうことを確認しながら、だけど。
「んふ、せらちゃんこわいの?」
「こわくねーよ!」
「ねぇねぇ、こわいの?」
「うっぜぇ!」
からかってくる宇宙を睨む。
いいか、こわいってわけじゃない。暗闇はなにが起こるかわからないだろ。だから、注意深くなってるだけだからね。
ふと、窓に視線をやれば、自分の姿が映っていた。
セミロング程度の茶色の髪の毛。前髪は赤いゴムでひとつくくりに結ばれており、斜め後ろに映る宇宙と共通していた。たれ目に近い彼のそれとはちがい、わたしはちょっと猫目だけど。
すこしだけくるりとパーマがかった彼の髪とは逆に、わたしは完全なストレート。まっすぐと重力に従って伸びている素直な髪の毛は、わたしの性格をそのまま表しているんじゃないかな!
ふと、整った彼の顔を窓越しに眺めてみると、昔からあんまり変わっていない姿にちょっとだけ笑えてしまった。こうやって隣を歩く距離感も、ぜんぜん変わらないなぁ。
やっぱりこの距離が1番楽しいかもしれない。
「寒いな」
聞こえた宇宙の言葉に意識を戻して、「ほんと寒い」と返す。
窓は閉められているというのに、どこかからすき間風が侵入してきているのがよく分かった。それが、マフラーを忘れてしまったわたしの首元に直当たりして、この上なく寒さを誘う。
ああ寒い。カチカチと歯が振動音を作り出す。
必死に体中に力を入れるが、肩が凝るだけで何の解決にもならない。
ちゃっかり赤色のチェックのマフラーをしている宇宙を恨めしそうに見やれば、彼はそっとため息を吐いて「ほらよ」とそれをわたしに寄越した。
「え、なに」ちょっと予想外で目を見開けば、「おまえ、びっくりしすぎ」とくすくす笑われる。
その笑い方がなんだかいつもより大人っぽくて、なんだかドキリとしてしまった。
「使えよ、寒いんだろ」
なんともないというような表情でわたしにマフラーを差し出す。だけど、そんな彼もきっと寒いのだ。だってさっきそう言ったから。
それを分かっているのに、そう簡単には受け取れなかった。いくらわたしでも、さすがに遠慮する。
「い、いいよ、宇宙が使いなよ」
「ばーか、今さら遠慮してんな。つーか、早く受け取ってくんねーと、手が限界なんだけど」
大量のプリント入り段ボールを片手で抱えている彼は、「はやくー」とわたしを急かす。「ねぇまじで重たいはやく」そう言われてしまえば、受け取るしかない。
渋々といった様子でマフラーを手にすれば、彼は「風邪ひくなよ」と言っていつものような子どもっぽい笑みをみせた。
……ほんとうに、こいつは。
わたしもちょっとだけ笑って、「とか言って、明日風邪ひいたら怒るからね」と声を飛ばした。
「だいじょーぶ、バカは風邪ひかねーから!」
自信満々に言ってみせた宇宙に「自分で言うなよ」と軽く突っ込んだが、おかしくなったから声に出して笑った。
その心地良さを抱えたまま、いつもの調子で口を開く。心は躍っていた。
「ねぇ、そ、ら、くーん」
「は、あ、いー」
わたしと同じ調子で返してきた宇宙に、ニコニコとした笑顔を向ける。そうして「ありがとね」と言えば、彼は「おう!」と声をあげて、あかるく笑ったのだった。