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「待てやぁぁあああ!」
ズダダダダダダダ。
けたたましい音を立てて廊下を全力疾走しているのは、宇宙とわたしと何人かの先輩方である。
「ツラ貸せやぁ!」
さてさて、いったい何が起こったのだろうか。
正直自分もよくわかっていないが、火山が噴火したような勢いで怒りを爆発させている先輩方を見ると、とにかく逃げずにはいられないようだ。彼らのまっかな顔を見るかぎり、火山の噴火とい表現したわたしはさすが、といったところか。
まぁなにがあったのか簡単にさらってみよう。
キーンコーンカーンコーン。ただいまから、柊せらちゃん先生による、本日の復習を開始しまーす。
実は、だ。
屋上で宇宙と共に授業をサボっていたところ、この先輩方に絡まれてしまったのだ。縄張りを横取りしたことになったらしい。
「金くれたら許す」だとか何だとか言っていたようだったが、議論に熱中していたわたしたちは、そのまま『ゴキブリとコオロギの類似点』について語り合っていた。
けっこう似てるよね、アイツら。
と、そんなふうに真剣に語り合っていたところ、先輩方の何かに触れたらしい。顔を真っ赤にして怒り始めた彼らが、「ふざけんな」と言いながら追いかけてきたということである。
たしかに、結果的に無視したことは悪かったけど、こっちだってわざとじゃないし、そもそもコオロギとゴキブリが似てるのが悪いんだよね!
「止まれやあああああっ!」
「むりむり、オレたち止まったら死んじゃうから。止まると窒息しちゃうマグロみたいなもんだから」
「うぜぇぇぇぇええっ」
声を張り上げた先輩方の様子から察するに、彼らは余裕のようだ。わたしなんてゼェハァゼェハァ、興奮したオッサンよろしく鼻を大きく膨らませながら息をしているというのに!
乙女にあるまじき姿を晒してしまっているわたしに、ああどうか神の御加護を。
それよりも、気になることがあった。
「マグロって、止まると、窒息し、ちゃう、の?」
いま初めて知った事実にびっくりしながら宇宙に聞けば、「らしいよ!」と笑顔が返ってきた。
うん、なんだかんだ言ってもサッカー部のプレイヤー側である宇宙は、マネージャーのわたしほど疲れてはいないようだ。軽口が叩けるほどには体力が残っているらしい。
「テメエら舐めてんのか」
「すんませえぇぇえん!」
「やっぱ舐めてんじゃねぇか!」
怒鳴る先輩方がこわすぎて、真顔で走りを再開する。
しかし、わたしの体力はすでに底を尽きかけており、そろそろ人生投げ出してもいいんじゃないか、なんて考えさえ湧き起こるくらいには、いろんなことをがどうでも良くなってきていた。
ほら、人間、諦めが肝心っていうかさ。
「わたしは、そろ、そ、ろ、限っ、界っ、だっ」
ひたすら前を向きながら走り続けるが、わたしは言葉通りもう限界である。「えー」と言った宇宙に殺意と羨望を抱かなかったわけではないが、すっかり疲れ切ったわたしには文句を言う気力もない。
明日は絶対に筋肉痛だな。そんなことを思うが、自分に明日があるのやらと不安にもおもえた。
5階にあたる屋上から階段を駆け降りているが、いよいよ学外にまで進出しそうな勢いである。一応、それなりにイイコちゃんであるわたしからすれば、学外への逃避行は避けたい。
あ、でも、4人のこわいお兄さんから逃げる少年少女って、ちょっと少年漫画みたいでいいよね。
「オイコラ止まれやあああ!」
ごめん、やっぱ全然良くないわ。
そう言えば、今年の3年はガラ悪いし気を付けろって、このひとたちのことじゃないの。今さらながら思い出した事実に頭痛がするのを感じた。
どう見たって要注意人物じゃん。ダボダボのジャージに身を包んだ先輩方を見れば、彼らがこわい人であるのはいちもくりょう……いちもくなんちゃらである。
――そのときだった。
「あ、まるまる!」
「神ぃぃぃいいいいいっ」
「髪だとぉぉぉおおっ!?」
途端に目を輝かせた宇宙の視線の先には、我らが担任「まるまる」がいらっしゃった。どうやらプリントを職員室に取りに行っていたらしく、手にはプリントが抱えられている。
ゴッドの意味で神って言ったのに、ハゲを――いや、頭の砂漠地帯を気にしているまるまるには、ヘアーの意味で髪と聞こえたらしい。
どないやねん。
そんな一瞬のコントを披露している間にも、後ろからは怒声を響かせる先輩方がわたしたちをストーカーしており、そんな先輩方に続くように、騒ぎに気付いた教師が「待ちなさいっ」と彼らをストーカーしている。
シュールだ。すっげぇ、シュールだ。
「まるまる、なんかダブルストーカーに会ってんの、助けて!」
そう言って、まるまるの背中へ隠れるように回りこんだ。先輩方が「テメェら!」と声を震わせる。
「やーん、こわーいよぉ、まるまるぅ」
「たすけて、まるえもん!」
どこの未来の猫型ロボットだよ、というようなノリでまるまるに助けを求めれば、ポキポキ指を鳴らしながら先輩方が「っざけんなよ!」と怒鳴りつけてきた。物騒なものである。
ここで「ふっ、そんなに言うなら相手にしてやろう」と言いながら大技を繰り出し、相手をコテンパンにしてやれればいいけれど。
ただの一般人にはむりな妄想である。
まるまるはそんなわたしたちの様子に、この世のけがれの全てを祓うかのような大きいため息を吐いた。そして、「胃が痛い……」と言って胸元を押さえる。
大丈夫かと心配そうに見やるわたしたちに、「原因は確実にお前らだからな」と言われてしまった。
わたしたちの影響力のすごさよ。これ世界征服もユメじゃないってやつだな!
「てへへ、まるまるの胃をやっつけちゃった」
宇宙がかわいこぶってそんなことを口にしたため、わたしも釣られるようにして「せらちゃんたちおちゃめーっ」と声を上げてみる――まるまると先輩方の顔が修羅を浮かべた。
あ、ごめんなさい。
「まるまる、そんなにストレス溜めたらますます髪の毛がなくな――あ、もうないじゃん」
「そこの3年生、こいつら思いっきりしばいとけー」
「ええええええええ、まるまるの薄情者ーっ!」
さっすが、まるまる。目をぎらつかせた先輩方は、恐怖に身を震わせて涙目になっているかわいそうなわたしたちを見て、口角を上げた。なにこれ、やられちゃうフラグ?
――ああ、髪様。哀れな発毛率をお持ちのまるまるに、寛大な御心で恵みたる髪の毛を与えてやってください。
せめてもの髪の毛がそこにあったなら、きっとあんなにも彼の心は荒んでなんぞいなかったであろうに……。
ああ、髪様髪様、とぶつぶつ小さく唱え始めたわたしに、宇宙は突然、意地悪そうに笑う。余裕だなぁ。
「まるまるってさ、その怒りに使う力が、毛根に注がれればいいのにね」
こうしてわたしたちの人生は幕を閉じた(完)。