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ありがとう、さようなら

作者: 火渡ユウ

相思相愛でも、叶わない恋がある。それが、彼女の現実だった。政略結婚の下、明日から、好きでもない男の妻となる。そして今日は、愛する彼との最後の逢瀬であり、夜桜の咲く公園の道を、月夜を背に、手を繋ぎ歩いていた。


「今まで、ありがとな。未亜(みあ)


惜しむように、そっと手を離したかと思いきや、壊れ物を扱うように抱き寄せた。吸い寄せられるように胸元に顔を埋めた未亜は、抱き返すことなく身を預ける。だが、彼の服に染みる涙を止めることはできなかった。

最初は、駆け落ちも考えていた。しかし、婚約を破棄すれば、相手は大企業の御曹司、川崎和也(かわさきかずや)だ。何を仕掛けてくるかは分からない。和也に彼との関係を知られれば、その傘下で働いている彼、健斗(けんと)の強制退職は免れないだろう。

だからこそ、未亜は苦渋の決断をした。愛する人と、別れることを。


「来世は、ずっとお前の隣に居るから」


その言葉さえ、返すことはできない。漏れそうな嗚咽を、喉元で抑えるのに必死だった。素直に頷けば、この手を伸ばしてしまうからだ。今からでもまだ間に合う、逃げようなんて、奥深くに仕舞い込んだ思いを述べれば、後には戻れない。未亜が伝えなければならない言葉は、他にある。それは、最も優しく残酷な言葉。


「さようなら」


 抱擁を解き、彼に背を向けて、自宅へと歩き出す。泣いていることを悟られないように、堂々と胸を張り、前を向いて歩いて見せるが、心は、健斗を求めていた。今すぐ駆けて来て抱きしめてほしいと思うのは、いけないことなのに、そう思えば思うほど、痛い程に胸が締め付けられる。

 聞こえない足音が、すべてを告げる。この関係は、もう終わりだと。


「未亜、とっても綺麗よ」

「ありがとう」


ウェディングドレスを纏った未亜は、鏡越しに母親に向けて微笑んだ。食欲不振で顔色の悪い彼女を見て見ぬふりをし、母親はブライズルームを出て行った。誰も居なくなった部屋の中で、ハイライトを多めに入れた顔を見て、力なく笑った。


(健斗なら、どう思うかな)


 ふと、考えてしまう。すると、目尻を下げて微笑む健斗の姿が思い浮かぶ。あり得ないけれど、彼ならば想像でさえ嬉しいと思ってしまう。本当に好きだと、改めて実感する。そうして、何度も止めたスイッチが、再び入る。

 残り香を嗅ぐように、思い出を求め、彼を探し、乞い願う。記憶に手を伸ばせば、健斗がいる。宝物のように、優しく大切に接してくれる彼の感触を、一つ一つ思い出す。自分自身を抱きしめ、目を瞑れば、彼に抱かれている錯覚に陥る。あの温もりは、もう二度と帰って来ない。ノックの音が聞こえ、ゆっくりと目を開けた。


「未亜様、準備が整いましたので、式場の方へ移動をお願いいたします」


 案内係に連れられ、扉の前に立つ父親の隣で、少し震える逞しい腕と組んだ。花弁を入れた籠を持つフラワーガールとベールガールに会釈し、深呼吸をした。


「さぁ、行こうか」


 パイプオルガンの演奏に合わせ、扉が開かれる。大勢の視線を向けられる中、ゆっくりとバージンロードを歩く。未だ健斗を想う気持ちを拭えない未亜は、その先で待っている花婿を見ることができなかった。やがて、この手は新郎となる和也に渡される。和也の先導で階段を登る間、心の中で張り詰めた糸が切れそうになるのを感じる。隣にいる人は、健斗がいい。それ以外、何も望まない。緩む寸前の涙腺を、引き締めるために前を向いた。

 讃美歌を合唱してから、結婚指輪の交換まで、何も考えないように、牧師の言葉に耳を傾けた。それでも、健斗の顔が脳裏を過る。屈託ない笑顔を見せたと思えば、愛おしそうに抱き寄せられ、甘い言葉を囁かれる。消し去れない記憶が、心に針を刺す。今すぐこの場を逃げ出して、健斗に会いたい。二度と離れまいと抱きしめて、その温もりに溺れたい。自ら唇を重ね、彼との愛を確かめ合い、より深く彼を感じたい。

 その願いは、遂に断たされる。


「それでは、誓いのキスを」


 未亜の頬に、涙が伝った。


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