2.モコ助
「え? 何? 治ってるの? お父さん!」
「そうだ、お前の父ちゃんの腕は治ってる。有り難くも畏くも、オレ様が治した。飯はまだか?」
ぎぎぎと音を立て、雫はミカボシの方へ首を回転させた。
「なにしたの?」
「解毒。飯はまだか?」
「どうやって?」
「人間相手に説明しづれぇな……」
ミカボシは俯せになたまましばらく黙っていた。
考えるときの癖なのだろうか、ミカボシは耳の棒ピアスをひとしきり弄くった後、怠そうに寝返りを打ち、蝋燭に灯った火に目をやった。
「雫な……。蝋燭の火の吹き消しかたを肺呼吸してない水中節足動物に説明できたら、解毒方法を詳しく説明してやろう。飯はまだか?」
神というのはこういうモノなのだろうか? 簡単な質問に答えないくせに、とんでもない奇跡を瞬きほどの労力でやってのける。
いや、こいつ……もとい、この悪神だけが捻くれているのだろうか?
「……あと二分。今までどこほっつき歩いていたの?」
「現在の葦原の中國を調べていたんだ」
「それでどうだった? 手始めにどこを破壊してきたの?」
「おめぇらの核兵器な。あれ汚ねえぞ。あれ使われると占領してもその土地が使えなくなるじゃねぇか。まあ、オレ様は賢神と呼ばれた神だ。人類が未だ気づいてない簡単な対処方法をいくつか思いついたがな。飯はまだか?」
古い柱時計を見る雫。
「三分経ったわ。蓋開けて食べなさい」
寝そべった状態から零時間で正座し、いそいそとカップ麺の蓋を引きちぎり、箸を手に持つミカボシ。湯気の立つ麺を箸で引き上げてじっと見る。
「これ、なんだ? うどんの細いのか?」
「ラーメン。中華そばとも言う」
「大陸産か……」
クンクンと匂いをかいでいるミカボシ。恐る恐る麺を口に運ぶ。
「おい雫! なんだこれは!」
「なに?」
気に入らなかったのだろうか? 雫は、懐から札を取り出して身構えた。戦闘準備完了!
「美味! 旨い! おいしい! おまえ、料理上手いのな。宮廷料理人か?」
頬を上気させ、雫を褒めはやすミカボシ。
ミカボシは、親の敵のようにして麺を掻き込み、スープを飲みながら遠い目をする。
真二郎は、ミカボシの豪快な食べっぷりに目を奪われていた。
雫はというと、高鳴ってしまった心臓を落ち着かせるため努力していた。
ここで、雫はあることを思いついた。せっかく一目置かれたのだ。ましてや、カップ麺の貸しがある。ここでミカボシに一働きを頼んでも、断られないだろう、と。
「ミカボシさん。モコ助は本当に経立なの?」
「経立だね」
モコ助に一瞥もくれずに答えるミカボシ。
「あなたの力でモコ助の傷……治せない?」
「い、や、だ、ね! オレは裏切り行為が大嫌いなんだよっ、ほっほー!」
厚かましくも憎らしくも、ミカボシは、左手中指を一本高く立て、ナルトの切れ端がついた舌を長く伸ばして否定した。そして、何事もなかったかのようにカップ麺をすすり、さかんに旨いだの美味だの雫は天才だのと褒め讃えている。
おもわず右手の拳を骨法の握りに構えた雫ではあるが、思いなおした。
カップ麺に感動してる悪の巨星を鑑みて、ある策略が雫の脳裏に閃いたのだ。
「それ、安物のラーメンなんだけど、……世にはラーメン専門店ってのがあるの。こんど一緒に食べに行かない?」
汁をすするミカボシの手が止まった。
「ラーメン一本で生計を立ててる人達のお店よ。当然、そのカップ麺より美味しいわ」
「こ、これより旨い食べ物があるのか? ラーメン部の民が作っているのか?」
信じられないのだろうか。ミカボシは、国道一号線豊橋交差点で首をすくめている子犬のようにワナワナと震えていた。
「今食べてる醤油味の、もっともっと本格的なものから、輝く透明な塩スープ、濁っているのにさっぱりした味の豚骨スープ。そうそう、お箸がスープに立ってしまうこってりスープやダブルスープってのもあったわね。舌に乗せるだけで蕩けるチャーシューに、色が変わるまで煮込んだ卵のトッピング。毎日行列ができるいいお店知ってるよ」
ミカボシが惚けたように口を開いたと思っていたら、時間と空間をマイナス一秒で越え、雫の胸ぐらを乱暴につかんでいた。無駄に使われた神の力である。
「何が欲しい? 紀伊半島か? 銀の鉱山か? そうだ、邪馬台国畿内説の物証をあげよう!」
本気の使いどころを間違え、目を金色に光らせているミカボシを押しのけ、雫はこれみよがしにため息をついた。
「邪馬台国が近畿にあったのかどうか置いといて……」
本殿の片隅で横たわったまま動こうとしないモコ助を見る雫。
「モコ助のことなんだけど。あなたの力で傷を治せない?」
ミカボシの姿が消えた。どこに消えたのか? 経立に利く薬草でも採りに行ったのか?
いや――。包帯を巻かれ、座布団でぐったりしているモコ助の向こう側で、足を大きく後方へスイングバックしているミカボシの姿があった。
「今、楽にしてしてやんよ!」
ミカボシの目が恐い。口だけで笑っている。
蹴り殺す気だ!
「待ちなさいミカボシ!」
ミカボシが足を振り抜いた!
「ギャン!」
モコ助を思いっきり蹴飛ばすミカボシ。モコ助が、雫の足下まで派手に転がってくる。
「何するのよ! いくら経立で裏切り者だからって、大怪我してる小さな犬よ! 蹴り飛ばすなんて酷い!」
雫は転がってきたモコ助を慌てて抱え上げた。
「その通りだぜ、ミカどん。先ずは交渉のテーブルにつくのが知的生命体の仁義ってもんだろう? 神だから先に天罰ってか? それが許されるって法は無かろ?」
雫の声ではない。父の声でもない。中性的な声。あえて言うなら落ち着いた少年っぽい声。
だとすれば、いったい……。
「必殺・九ミリパラベラムバレットパンチを顔面に炸裂させてやろうか糞野郎!」
モコ助だった。
前足をシュッシュシュッシュしている。たぶんファイティングポーズだ。
「おい犬ころ。てめえ、あれくらいでダメージ残すようなタマじゃねぇだろ? いつまで怪我のフリして寝てんだ。つか、経立のくせに愛玩動物の真似してんじゃねぇよ!」
ミカボシが指を差しながら、その場であぐらをかいてドッカと座り込んだ。
「モコ助、ちょっとモコ助! ちょっと待ってモコ助!」
珍しく雫が狼狽えている。
「おいコラ雫! 俺の話聞いてんのか?」
「ミカどんは黙ってて! モコ助あんた話せるの?」
「ミカどん言うな! 恐れ多くも先の悪星、天津甕星之命様、頭が高いと言え! 怪我を治したのはオレ様だぞ!」
「ミカどんに治してもらった覚えはねえぜ? むしろ治したのは自力だ。ミカどんは愛くるしい愛玩動物を足蹴にしただけだろうが?」
「ミカどん言うな! 第一、お前ホントにトイプードルか? 淡路犬じゃねぇのか?」
「黙りなさいミカどん! モコ助から事情を聞くのが先よ!」
「だからぁ、ミカどん言うな、つってんだろうがぁ!」
「まあまあ、私の腕を治してくれたのは事実なんだから、感謝してますよミカどん」
「ミー・カー・どー・んー、言ーうーなー!」
以後、アマツミカボシは、あまりにも長ったらしいのと、複雑なのと、黒岩神社の祭神との相性が悪いという理由で、ミカどんと呼ばれることになったのであった。
そんなワケで、邪馬台国は畿内にあるようです。
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次話「散歩」
ただの散歩で終わらない。