3.大ムカデ
「な、なにが!」
さすがの真二郎も現状が把握できなかった。
とっさに動いたのは雫だった。
先の欠けた剣に黄色の光をまとわせ、真二郎を狙う大ムカデの顎を迎え撃ちに飛び出した。
飛び出した雫の視界の隅に、二首の大蛇の赤く開いた口がよぎる。弾んだバネは進路変更がきかない。
「危ない!」
背中から雫に体当たりする真二郎に、大蛇の口から吐き出された紫色をした指向性の煙が被さる。
雫と真二郎が重なって大地に転がった。
モコ助が……裏切った?
フードの男は、とても愉快なものを見ているかのように笑った。身内に裏切られるの図、がよほど気に入ったようだ。
「おまえ達が可愛がっていた犬の名は梵天丸だ。覚えておくがいい。ついでに言うと経立だ。これも覚えておくがいい。私が送った間者だ」
経立とは、動物が非常に長い年を経て成るもので、怪しい力を持つようになったものである。
「大丈夫か? 雫!」
真二郎の右腕が、青紫色に染まっていた。
「余計な事しないで!」
雫の反応は、子とは思えないほど冷たかった。なぜだか怒りすらこもっている。
「モコ助の飼い主が現れた。寂しくなるな、雫」
真二郎が、自分の腕に無関心を装って、うそぶく。
「これでいいの。わたし達に何かあっても、モコ助の事を心配しないですむ。物事が良い方へ進もうとするきっかけよ。ただし……」
父に肩を貸す事もせず、走る事を促し、境内とある場所へ移動する雫。
後を追う妖二匹。左右から雫親子を追い立てる。
「これからモコ助は敵ね」
境内の隅。ひっそりと建つ小さなほこらの前で追い詰められた。
この祠、非常に古いのが見て取れる。縦に一本、刀傷とおぼしき溝が掘られているところに、歴史を感じる。
左から大ムカデ。右から二首の大蛇が上に下に右に左にと、覆い被さってきた。雫に逃げ場なし。
「お父さん、右腕もらうから」
なにがそうさせるのか、平然とした顔で言ってのける雫である。
「生き残っても切断するだけだろうから、まあいいけど、何に使うんだい? 毒が入ってるよ」
雫はクルリと剣を回転させ、逆手に持ち替えた。
「黒岩神社の主祭神は武甕槌神。副祭神は經津主神。そしてもう一柱の副祭神は建葉槌命。最後の手段よ。あたしの体を社にして、倭文神の建葉槌命を降ろすわ!」
大ムカデと二首の大蛇が飛びかかるのと、雫が真二郎の腕を切り裂き、刀身に浴びせるのとが同時だった。雫の打つ手が遅れている。
そして――。
「待て!」
待ったをかけたのはフードの男。知的好奇心で目が輝いている。
「待て、待て待て!」
待ての対象はムカデと蛇。モコ助こと梵天丸は、いったん下ろした尻を上げた。
理由はわからないが、男が作ってくれた時間は逃さない。雫は自分の左腕に刃を突き立て、その血を剣にかけた。
血が贄である。
「冷静に見て、わたし達はあきらかに力で押し負けている。織物と星を祭祀する武葉槌命ならば! あの悪神天津甕星を織り込んで封じた建葉槌命の戦闘スタイルなら、この状況を打開できるかもしれない」
「おいおい、高天原の神を取り憑かせるなんて無謀じゃないか?」
フードの男が、あきれ顔で口を挟んだ。でも目は希望にギラついている。
「オリジナルでは無理でも、階層を落とせばなんとかなる! 経立程度の相手なら、それでも余裕でしょ?」
螺旋状に絡ませた二つの血の筋が鍔にかかるやいなや、くるりと背を向ける雫。
小さくて古い祠に向かう。
剣を放り上げ、二礼二拍手。それがすんだ頃には雫の手に血にまみれた剣が戻っていた。
「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原に至りまして禊ぎ祓いたまえ!」
流れる動作で剣を眼前に構えつつ、早口で詔を唱える雫。
「我が衣に降りたまえ、建葉槌命!」
剣を振り下ろし、祠にかかった錆びた鍵を断ち切った。
祠の扉が勢いよく開く。
瞬時、風が吹き、小さな祠の扉に吸い込まれていった。
ムカデも大蛇も、体を硬くして動きを止めた。フードの男すら動きを止める。
すべての音が消えた。
だが、何も起こらない。
雫とフードの男が動こうとしたその時!
祠の扉の奥。そこから突風が吹き出した。尋常でない突風は二体の妖の巨体を押し返すほどだった。
風はすぐに収まる。収まった直後、七色に光る一握りほどの煙が、小さい音を立てて湧きだした。
だが、それきり。小さな祠は静かになってしまった。
「こ、これだけか?」
フードの男は、腰の引けた格好でつぶやいた。
「いや、そんなはずは……」
ぐいと覗き込む雫。
豪と音を立て、拡散された黒い風が、雫の顔に吹き付けられた。
何かが現れた。
人型をした何かが、雫の顔の前に突如出現した。それは勢いよく扉から飛び出してきたのだった。
『花火に火が付いたら絶対に覗き込んではいけません』雫の脳裏に、そんな名文が浮かんだが、事すでに遅し。
雫に「避ける」の選択は与えられなかった。その人型は、雫と重なり合って、一直線に飛んでいったのだ。
大ムカデと二首の大蛇の間を直線で飛んで抜けた。その先にある板塀にぶつかって、雫と何者かの飛行記録が止まった。
今回、ちょい短いです。
メインの方、次回登場予定。
全てはそこから始まる!
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