2.襲撃
ここは雫親子が住まう、黒岩神社の境内。
小高い丘の中腹で、奇跡的に開けた土地。
周囲は、森と呼んでも差し支えない立派な木々が乱立していた。
見ようによってはパワースポット。
見ようによっては原始的な風景。
人によっては納涼お化け大開を開催したくなる場所。
神社には、身の程にそぐわないまでの大きな神殿がどんと居座っている。
護摩たき兼、とんど用の加持場には黒い焦げ跡が目立つ。広いだけが自慢の境内は、氏子達の努力により保たれている砂利が、綺麗に敷き詰められている。
そんな古いだけが自慢の神社。
さて……。
二十一世紀になって二桁の歳月が流れたというのに、時代の空気を読めないモノが雫の眼前で大きな顔をしていた。
地と月の成り立ち、ナノレベルの研究や遺伝子にまで解析の進んだ科学万能の時代にそぐわないモノ。もっとも、雫サイドだって、現代にそぐわないのだが。
雫と雫の父・真二郎、おまけにすくみ上がったモコ助の眼前。威嚇のポーズを取っているのは巨大な頭と尻尾を二つずつ持った巨大な蛇。
と、もう一つ。
同じく巨体が自慢の化け物ムカデ。
二首の大蛇は、二つの口から二股に割れた赤い二つの舌をチロリチロリと動かせ、雫達の匂いと体温を感知している。
化けムカデは、体側に生えた無数の足を無秩序に蠢かせている。
雫がどうにも我慢できないのは、その足が、人のそれにそっくりなことだった。ご丁寧に、すね毛まで生えている。
雫達のそぐわなさは、この二体に比べれてそれほどでもない。
雫が巫女装束に諸刃の長剣を構えていること。
神官姿の真二郎が、使い古した算木を重ねて作ったサークルの中で身構えていること以外は。
あと、真二郎の消耗ぶりが異常であることと、雫の赤い袴が、刃物により切り刻まれていることも、付け加えねばならない。
二人のやられっぷりの代償に、大ムカデの足が、所々非対称になっていた。
大蛇は、鱗が何カ所か剥がれ、血を滲ませている。だが、微々たる被害のようだ。
雫は肩までしかない髪を手で撫でつけた。
細身の体だが、きびきびした動きから、筋肉の発達による体脂肪率の低さによるものであることがうかがえる。
今年十七になる雫だが、あと二年もすれば目を見張る美女に育つであろう。
ただ惜しむらくは、彼女の目。鋭さを与えられた目にはめ込まれた、黒い瞳が冷たすぎる。
それが、彼女から人を遠ざける原因にならなければ良いが……。
「相手していただくのが、お二人なのだから、失礼の無いように、こちらも二つ用意したのだが……バランス悪かったかな?」
怪物の後ろに男がいた。首を捻りつつ真剣に考え込んでいる。
グレーの外套にくるまり、フードを目深に被った男。
口元からこぼれる白い歯が、見る者に清潔さを印象づける。
「用心深く結界が張り巡らされていたので、奇襲は無理だったな。しかし、結果として追い詰めてるんだからよしとしよう」
運が良かった。
雫にとって運がよかったのは準備が整っていたこと。
父一人の時ではなく、雫が高校から帰ってきていた事。
毎日の儀式をとりおこなうため、清められた巫女装束に着替えていた事。
黒岩神社の御神体である十柄劔を(とつかのつるぎ)手入れしていた事。
何より運がよかったのは、黒岩神社の志鳥家が、退魔行で有名な一族だったことか。
真っ先にモコ助が吠えた。
めったに吠えないモコ助だった。それだけで雫は異常を確信することができた。
本殿から飛び出した雫は、ただちに二体の妖と対面した。
同じように、妖の気配に気づいた父も境内に飛び出していた。
このような風体を持つ巨大異生物が、神妙に神社へ賽銭を落とすために来るはずはない。
妖の後方で、ほくそ笑んで立っているフードの男がいればなおのことである。
雫と真二郎は直ちに戦闘を開始した。
ただ、不安要素が一つあった。
それは、敵が尋常でない強さを持っていたことだけだ。
「雫! 冷気の結界を張る。モコ助のことは心配するな!」
額に汗を浮かべた真二郎が、サークルの中で印を切ると、境内の空気だけが冬になった。
それでも状況は雫サイドの不利。
「おとうさん、モコ助は捨てなさい! 犬にかまってる余力はないわ!」
雫の言うとおり。情が移っているとはいえ、足手まといにしかならない犬は捨てるべきである。
だが、戦に際し、冷徹な色を浮かべる雫の目に、一瞬悲しみの色が走ったのを父は見逃さなかった。
「経立といえど、出自はハ虫類に節足類。寒さには弱いはず。こちらは手の内を出し尽くした。あとは逃げるしかない。モコ助は任せろ!」
真二郎は、呪に組んだ左手で大地を刺し、新たな結界を作り出そうとしている。右手で、震えているモコ助の首根っこをつかんでいた。
「余計なことを!」
雫は、目の隅でモコ助を確認した。
そして、切れ切れになった朱色の袴をひるがえした。
雫は、片手持ちにした十柄劔を晴眼に構え、詔を唱え始めた。
「畏くも經津主神のお力をもちて!」
剣の化身とも呼ばれる經津主。この神は神武甕槌と共に天孫降臨のおり、芦原之中つ国こと、地上世界を平定した武神である。
地上には多くの勝手に光る神や、騒がしい悪しき神がいた。また、草木さえもがことあるごとに文句を口にする。
經津主神と神武甕槌神。この二神は、数多くの従わない神霊たちや、悪しき神、さらに草・木・石の類までも成敗し、地上を平定しつくした。従わない者は星神の香香背男だけであったという。
雫が左手を刀身に沿わせた。途端、黄色く発光した。
二度ばかり剣を振る。手応えを確かめてから中段に構え、素足が覗く袴を翻す。
「スバラしイィ!」
妖の後ろ。フードの男がやたら感動していた。
「剣に神格を降ろす者がいるが、精々赤色止まり。これほどまでに明るい黄色は見たことがないっ! やはり私の目に狂いはなかった。名高き志鳥家こそ、我が願望を叶えてくれよう!」
フードの男は、力一杯握りしめた拳を頭上へ持ち上げた。
「ところで――」
持ち上げた手はそのまま。フード男の口調が変わった。
「フツヌシなんかより、いっそスサノヲを剣に降ろしたらどうだ? 三貴神なんだから強力だろ?」
気勢をそがれた感じの雫。足がつんのめる。
「フツヌシは剣の神様。だから剣を媒体にできる。海の神とも死者の国の神ともいえる三貴神スサノヲは何を媒体に召還すれば良いの? ふざけないで!」
スサノヲと同じ三貴神であるアマテラスは、陽の極み、太陽である。
アマテラスを降臨させるには何を媒体にすればよいのか?
陰の極み、月であるツクヨミは?
「なるほど、それも一理。では、まずは大百足、死んでこい!」
男の合図で大ムカデが吠えた。一対の牙をガチガチ鳴らし、一直線に雫へと向かう。
「望み通り殺してあげるわ!」
雫の眼前に大写しで迫った大ムカデの牙。
そこに、黄色く光る十柄劔の切っ先を力任せに合わせた。
柄に伝わる敵の堅さ。衝撃が痺れとして雫の腕に伝わる。
いやな金属音を立て、剣の先、三分の一が折れ飛んだ。
「ちっ!」
僅かに大ムカデを押し返した隙を利用し、大きく後方へ飛びさがる雫。
「ご神体が!」
感想を述べたのは、着地し、さらにマージンを空けながら真二郎とモコ助のいる防御サークルへ入ってからだった。
「……なんだ、つまらん。大百足の毒牙すら折れんのか? 大いに期待はずれだ。期待はずれも甚だしい! お前ら最低だな!」
フードから男の顔が覗く。中年後期。ハンサムだが影がある。
猛禽類のように鋭い目。頬のこけた青白い肌の色。
「大百足、やれ」
蝿を手の甲で払うように、投げやりな態度で命を下すフードの男。
「シャーッ!」
黄色い液体を撒き散らしながら、大ムカデの顎が雫を襲う。
「なんの!」
真二郎が両手を挙げ、手のひらを大ムカデに向ける。
不可視の障壁が大ムカデの勢いを削いだ。真二郎が誇るオリジナルの呪。その名も八卦絶対防御。
「しっかりしろ雫! 諦めるな!」
「諦める? たかが切っ先を折られただけで? 今度は大きいのを召還するわ。お父さんこそ早く冷気の呪を完成なさいよ!」
当然でしょ? とばかり。雫は冷たい目を父に向けた後、まずは息と気を整えに入った。
娘の冷静さに、苦笑いを隠せない真二郎。
前線で戦っていた雫は、酷い成りをしていた。着物の左袖は千切れて無い。朱が綺麗な袴には何本ものスリットが入っていて、生の足がのぞいている。
再び衝撃が走る。大ムカデが懲りもせず体当たりをかけてきたのだ。
だが、真二郎が張る結界に綻びは生じない。雫も微動だにせず体勢を整えている。
絶対の信頼を置いている証拠だ。
黒岩神社神主であり、志鳥家当主である真二郎の使う結界。
それは八卦見が使うような算木を自己の周囲へ、ある一定の法則で並べる。その並べ方や祝詞の種類によって、周囲あるいは内部にいろいろな効果をもたらすものだ。
特に防御に使われた場合、絶大な効果をもたらす。
この手の強みは、呪詛のシステムを構築する八卦の算木を内側に設置することだ。
強力な結界を張ってしまえば、外から手が出せない。ガチで力押しするか、内側の者が算木の配列を崩さない限り、強力な結界が崩れることはない。
内側から崩されぬ限り……。
「時間の無駄だ。私としてはここに見切りをつけて早く他を当たりたい。まったく時間の無駄だ!」
フードの男は、心底めんどくさそうに溜息をついた。つまらなさそうに結界の中の一部に視線を向ける。
「梵天丸、やれ!」
熱意のこもらない短い命令がとんだ。
その命令に反応したのはモコ助だった。
真二郎に寄り添って震えていたモコ助が走った。
モコ助は左の算木を、それも結界のキーになる算木をピンポイントで崩す。
――真二郎の結界、崩れる――。
書き間違い修正!