2.三十六計逃げるにしかず
大型のワンボックス車が、高速道路を北上していた。
雨脚は弱いものの、水滴がフロントを叩いている。
運転手は、唯一の運転免許保持者、志鳥パパこと、真二郎だ。関西に拠点を持つプロ野球チームのキャップを目深にかぶって黙々とハンドルを握っている。
昨日から崩れ気味の天気だったが、夜になってとうとう降り出してきた。
天気予報は台風の接近を告げている。直撃コースでなければよいが、……この雨と風は目くらましに最適だ。
車の中は静寂性に性に富んでいた。しばらくは道路の繋ぎ目と、ミカボシの鼻息と、ワイパーの音しか聞こえなかった。
「簡単に抜け出せるものなのね」
ドアに肘をついた雫が、夜を見上げながら、ぽつりと漏らした。
「あれだけごった返した上に出入りが激しくなりゃ、屁でもねぇぜ」
助手席に鎮座したモコ助が、偉そうな口をきく。
「あの中にゃ真島君の息がかかった者が二人いた。わかんねぇように抜け出すにゃ、下手な芝居一つで十分だ」
車の後部シートで偉そうにふんぞり返っているミカボシ。
「芝居してたのはモコ助だけでしょ?」
ミカボシの隣に座る雫。ジト目でミカボシを睨んでいる。
「犬が軍師のパーティーってのも、情けねぇ限りだな、オイ!」
雫の刺し殺すような鋭利な視線をものともせず、ミカボシは話し続けていく。
「いつも同じ場所にオレ達がいると思ったら大間違い。オレ達に真島の潜伏地がわからないように、真島にもオレ達の現在位置がわからなくなってこそトントンだ。……ところで、ホントに真島のアジトに当たりがあるのか?」
ミカボシの鼻息が荒い。
「天羽々斬剱が真島の手に移ったのは痛かった。だが、目的のためとはいえ、真島は大怪我をした。傷はすぐには癒えないだろうさ」
一方、至極冷静な口ぶりのモコ助である。
「やっこさん、一番安心できる場所へ逃げ込むだろう。最後の戦いに赴くため、一度は寄る場所。そこはおそらく、真島の本拠地『真島家』だろうぜ」
「そこを急襲しても良し。……遠く離れても良し」
挑発的に笑うミカボシ。車のシートに深く腰掛ける。
「ねえ、真島……は、絶対に明日襲撃してくるの?」
黄色いライトの対向車とすれ違う。闇に慣れた目に、ハイビームがやけに眩しい。
「来るね」
愛想の無い返事をするミカボシ。
「雫が一生結婚できないのと同じくらい確定している」
「……え? うそ!」
だらけていた雫。一気に精気がよみがえる。悪い方の精気だが。
「いや、雫の方は真島の襲撃確率より高いか……。雫より、二回り以上離れている子年生まれに、かろうじて縁があるくらいだからな」
考えながら話すミカボシ。
真の意味で計算に強い雫が即座に反応した。
「あたし虎年だから、三十六の時、十才の子としか縁がないって事? ショタ?」
「お父さんは不純異性交遊は許しませんよ!」
キャップの庇をグイグイ捩る真二郎。
「ややこしくなるからお父さんは黙ってて!」
雫の眉が危険な角度に吊り上がり、腰を浮かした。
「七十の男子って線もあるのを忘れてねぇか? あと八十二才とか」
ミカボシは、至極まじめな顔をして軽口を叩いている。
「嬢ちゃん、いちいちミカどんに付き合っていたら、星界……じゃなかった。神経がもたねぇぜ!」
眠たそうな声でモコ助が突っ込んできた。
それはある。堅く目をつぶった雫。軽く頭を振り、落ち着かせてから元の位置に座った。
ヤレヤレと、器用に肩をすくめるモコ助。
「八十二の線もあるなら、遙かに年の離れたミカどんって可能性もあるね。嬢ちゃんに男運は無いが、女運はすごいのを持ってるしな」
人語ではなく犬語で喋るモコ助。それも聞き取れないくらいに小さな声で。
そして、もう一度、ヒョイと肩をすくめた。
「あのまま黒岩神社に居座っていたら、次は大蛇の完成形、八頭八尾のヤマタノオロチをつれてヤツは現れるのは確実。それを踏まえて……」
モコ助、今度は人語で聞こえるように喋った。だらけた空気を締めにかかる。
「この中で知らないヤツはいないと思うが……」
軍師モコ助は言葉を切り、疑いの眼でミカボシをじっと見据えた。
「念のため聞くが、ミカどん……。ギリシャ神話に出てくる蛇の化け物ヒュドラの首は、ヤマタノオロチより二個多い十個だ。胴体と尻尾は一つなんだが……」
モコ助はクリクリとした目に、いやな色を浮かべながら、横柄に座っているミカボシを見上げた。
「ミカどんよ、ヤマタノオロチの尻尾は何本だ?」
「……一本……じゃなくてぇ――」
自分の答えに車中の空気が硬化するのを敏感に感じたのだろう。ミカボシが二言を継ぐ。
「二本……いや、四本! 今日のは四本あった! あ、六本だ!」
モコ助は、何かを諦めたかように目をつぶった。
そして息を吸い込む。
「さっきから八首八尾っつってんだろが!」
クワっと目を開いたモコ助。少ない面積の白目部分に血管が浮いていた。
「ヤマタノオロチは八つの首と八つの尾を持つ怪物。三首黄金龍キングギドラでさえ尻尾は二だってんだから、念が入っているぜ」
ミカボシを非感情的な目で見つめるモコ助である。
「記紀によると、外見は赤加賀智の様な目。現代語に訳すると、眩しいほどに赤いホオズキの実みたいな色をした目ってことだ。腹は血の色で、これも赤。動きが速そうだ。何より最大の驚異は、八つの山と八つの谷にまたがるまでの巨体だな。伝説通りだと」
雫も忘れていた。ヤマタノオロチの武器は八つの首だけじゃない。
「伝説通りだと、その巨躯が最大の脅威となる」
八種類の攻撃手段を持った首。神性を帯びた剣ですら通らぬ鱗。そしてなにより、一つの地域をすっぽり覆うほどの巨体。
まさに、三貴神スサノヲですら計略を用いねば倒せなかった大怪獣。
神話では、やられ役で定着しているが、とんでもない! 荒神の力をもってしても、どうにかできる相手じゃない。
「スサノヲが天下りするずっと前から葦原中国、つまり、現世でブイブイいわしてたオレが聞いた事も戦ったこともない、巨大で有名で目立つオロチ」
じっと考え込む一行。
そして、左耳の棒ピアスをコリコリと弄んでいたミカボシが、言葉を続けた。
「それは記紀を書いた人物が直接見たのか? そんなにデカかったのか?」
ミカボシは、後頭部をポリポリとめんどくさそう掻いて、シートに沈む。
「別方面からアプローチと行こうや」
モコ助がシートの影から小さな顔を覗かせた。
「推定体高数百メートル。推定体重数百万トンの自重をタンパク質とカルシウムだけでささえきれるものなのかね?」
存在するだけで骨は折れ、動こうとするだけで筋組織が裂傷を起こす。
「生物学的に考えて、山一つ分の巨体、自重を支える術はなし」
結論が犬の口から出た。
物理学が確立されていない神話の時代ならともかく、現代でそんな巨体の存在は許されない。
二人の人間は、乾いた声で笑った。
寂しい限りだが、人類科学がここでも勝利を収めていた。
「なぁメコ助よ」
「モコ助な」
「ヤマタノオロチについて、こうは考えられねぇか?」
先ほどとは一転して、ミカボシの声が暗い。神のみぞ知る未知の手法を解き明かすか?
「ヤマタノオロチ。普段は小さくて軽くてグッタリしてるんだけど――」
ミカボシの言葉に、一同息を呑む。誰かが間違って唾を呑んだ。
「興奮すると巨大化して堅くなるんじゃ――」
「まじめに! もっとまじめに人生を送りなさい!」
雫の右手がミカボシの喉笛をつかんだ。
その手をふりほどこうと必死でもがくミカボシ。
「真島に嫌がらせをする良い方法がある!」
雫の手からミカボシが逃れた。
「真島の狙いはオレだ。オレが姿を消せばいいんだ!」
「四つ首の大蛇までならミカどんを探す。ってなものだろうけれどもな……、八首へ移行した今、真島はミカどんを必要としない。真島は喜んで世界をツブしにかかるぜ!」
モコ助が冷たく言い放つ。
車中は再び静かになった。
だれかの呼吸音と、雨が車体を叩く音がしばらく続いた。
「そろそろ、お前らと真島の関係を詳しく話してくれねぇかな? ノリと流れで共闘してるカタチになってるけど、天津甕星様は安っぽい戦いなんざしねぇ。ましてや自分に利のない戦いなんてまっぴらごめんだ」
おどけてはいるが、ミカボシの目が金色の炎に揺らめいていた。
「その話は私からしよう」
そう言って、真二郎は左のウインカーを出した。
道半ばであるが、高速を降りることにしたらしい。
「目的地まで、片道で五時間はかかる。真島は私たちの位置を知らない。襲撃時間のイニシアティブは私たちが持っている。戦いに向かうのだから、英気を養いながら前進すべきだ」
「さて、真島の話だがね……真島幸一郎が、私の実の兄ってことは知ってますね?」
真二郎は、緊張しながらETCのゲートをくぐったのだった。
誰にでも過去はある。
今の自分を作った過去がある。
真島がなぜ、こんな暴挙に出たのか?
次話「昔の宝箱」
おたのしみに!




