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7.闇。


 雫は闇の中にいた。


 何も見えない。何も聞こえない。距離感が無くなった。有るのは足底で感じる大地の存在と、三半規管が捉える平衡の感覚だけ。

 足下の感覚だけが頼りの世界で、雫は荒く息をついていた。


「とにかく走ろう」

 闇とてその範囲に限界があるはず。闇に包まれたのなら、闇の外へ出ればいい。


 大蛇や真島の位置に当たりをつけ、雫は反対方向へ走った。


 走ったが、終わりがない。闇が切れない。

 とっくに黒岡公園の頂上広場を突っ切った距離は走ったはず。


 どれくらいの距離を走ったのか? いや、そもそも走ったのだろうか? 判らなくなってしまった。

 外はどうなっているのだろう? ミカボシは戦っているのだろうか? わたしはどうなってしまうの? どうやってここを抜け出せばいい?


 ――助けてほしい――。


「いけない!」

 心の底で吐いた弱音を力ずくで打ち消した。


「わたしは助けを求めない!」

 自分にそう言い聞かせ、地面の感覚を確かめた。


 ……これは公園の地面だろうか? 自分は足で立っているのだろうか?


 それが綻びの最初だった。

 疑念が疑念を呼び、闇がさらに暗転した。


 唯一感じていた足裏の確かさが消えた。頼りにしていた平衡感覚が消えた。


 恐怖が雫に進入してきそうだった。打ち消そうとしたら余計に怖くなってしまった。

 闇により体が感覚を無くしていく。それは恐怖による恐怖のスパイラル。


 その時、雫は目の前に何かの光を見た。唯一の感覚に視覚をこらす。

 それが、雫が封印してきた記憶の鍵穴だとは知らずに……。




 あれは雫が八歳の時。


 護符を握りしめた小さな雫は、物陰で小さくなっていた。護符をこの世の頼りとばかりに汗ばむ手で握りしめ震えてしゃがみ込んでいた。


 母が戦っていた。


 相手は馬ほどの体躯を持つ金毛の狐。黒岩神社御神体である十柄劔を手にした母は、果敢に化け狐と切り結んでいた。


 一進一退の状況。互いの力が拮抗した戦況。どちらかが対応を間違えれば、即倒れるであろう。全てにおいて未熟な雫でも見て取れる緊迫した状況。


 母の、唯一の弱点である自分という存在に、狐が手を出せないでいるのは、ひとえに母の巧みな戦闘技法によるものだ。


 母はこの道でも五指に入るほどの強者だ。たとえ奇襲を受けたとはいえ、化け狐の一匹や二匹に負けるはずがない。


「お母さん……」

 消え入りそうな、それこそ蝋燭の火のような声で母を呼ぶ雫。その声が届いたのか、ちらりと雫を見る母。


 その目は、逃げなさいと言っていた。


 自分を守っては戦えない。自分が母の足を引っ張ってしまう。それが解らぬ雫ではなかった。

 その場から逃げなかったのは、母が心配だったからだ。


 自分に何ができるだろうか?

  

 強くなりたかった。母を助けるだけの働きをしたかった。


 首筋に生暖かい風を感じたのはその時。


 これは風じゃない。生臭い息だ。雫は反射的に振り返る。

 狐はもう一匹いたのだ。


 金狐より一回り大きな銀狐が嫌らしく笑っていた。

 いや、口を開け、雫の小さな身体を掛けるための牙を剥いていたのだった。


 雫は悲鳴を上げた。


 叫ぶ雫。尋常でない雫の叫び声を聞いた母。雫の危機を察知した。


 当たらぬ攻撃で金狐を引かせた母。金狐にくるりと背を向け、直線で雫へ駆けつけた。

 母の背後には、追いかけてきた金狐。母の前には牙を剥く銀狐。


 雫を銀狐の牙から救うのがやっとだった。


 母は、銀狐の爪で腹を割かれながら、銀狐の額に十柄劔を突き立てていた。金狐に背を裂かれながら詔を唱え、噴き出す血を毒に変え金狐の右目を焼いた。


 悲鳴を上げ逃げていく金狐を見もせず、ボロ布のように崩れ落ちる母の体。

 自分の体に流れる血を毒に変えたのだ。本人が無事でいられるはずがない。


 母は事切れていた。

 雫に、一言(いちごん)も残さず死んでしまった。


 雫は涙を流さない。


 なぜ母は、自分の命を捨てたのだろうか?


 大好きな母は、なぜ私の目の前で私を放って死の国に向かったのだろう?

 雫に、自分の身を守れるほどの力があれば、母は捨て身の行動に移さなかったはず。


 なぜ母はあっさりと死んでしまったのだろうか。


 母はまだ若い。今日ここで狐に襲われなければ、もっともっと生きていられたはずだ。

 長生きして、……足腰立たぬほど長生きして、雫が生んだ孫達に囲まれ、天寿を全うしてほしかった。


 こんなに早く死んでしまって……。


 涙はまだ出てこない。


 小さな雫は腕を伸ばした。神が住むという天に向かって伸ばした。

 伸ばしても、神は雫の手をつかんでくれなかった。


 もしこの世に神がいれば、母は死ななかった。

 いや神はいるのだろう。化け物がいるのだ。母と雫は不思議な力を持っているのだ。だから神様はいる。


 でも――神に人を助ける力は無い。


 ならば神の力を自分のために行使してやる!


 今から自分は強くなる。どんな化け物にも負けない力をつける。

 母のように短い生を終えるつもりはない。母は馬鹿だ。こんなに早く死んでしまって、なにが人生だ。

 自分は長生きしてやる。強くなって長生きしてやる。


 自分は、自分の子供を悲しませるようなことは絶対しない。長生きしなくて何が人生だ!

 長生きしなくちゃ、楽しいことには出会えない。


 雫は細い腕を天に伸ばす。

 神の力を使うためにひ弱な腕を伸ばす。母は馬鹿だ。


 だから……だから……。


「だれか、わたしを……」

 小さな雫を救う者はいない。雫の伸ばした手をつかむ者はいない。


「わたしの手をつかんで!」


「こうか?」

 大きな手が雫の手をつかんでいた。恐ろしい強力で、雫の体ごと引き上げていった。


狐、なんがか怖い存在。

伏見稲荷の赤い鳥居が怖い。

なんであんなにたくさんあるんだ?


次話「トラップ」

トラックではない。


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