5.現代科学
「……雫」
ミカボシが気の抜けた声で雫を呼んだ。
「なによ?」
攻撃的な意味合いで間合いを詰めていた雫。
ミカボシが遠く、西の空を眺めている。ミカボシの人ならざる目なら、厚い雲を通して夕日の血で染め上げたような綺麗な赤を捕らえているかもしれない。
雫は、ミカボシの隙だらけな態度に、肩の力を抜かざるを得なかった。
「夕べから気になっていたんだが、ひょっとしてアマテラスは……あ、いや、何でもねぇ」
ミカボシは話を途中でやめ、ポトリとモコ助を地面に落とした。やけに透明感を感じるミカボシだった。
「心から信仰してる人は少ないわ。それが……」
雫は気づいた。目の前にいる背の高い麗人は天津甕星。悪神だけど日本古来の神なのだ。
「安心して。あたしの家は神官職だから、当然信仰心は厚いわ。信じているから神の力を行使できるんだし! そうそう、熱心な信者だって、……狂信者なら結構いるはず!」
雫とモコ助、そしてミカボシの間を強い風が、わざとらしく吹き抜けていった。
「ほ、ほら、人類の文化が進歩しちゃって、世界が狭まっちゃって、世界中の宗教が紹介されてさ、宗教によっては熱心な活動家もいたし――」
「はっきり言ってやったらどうだい、嬢ちゃん」
モコ助が雫の足下にやってきた。そしてくるりとミカボシに向き直って座る。
「人類は太陽の正体を暴いちまったのさ」
太陽は天照大神ではない。物理学で説明できる天体だ。
「太陽の不思議といえば、気体でも液体でも固体でもない第四の状態だという事くらいだな」
「モコ助! 黙りなさい!」
雫がモコ助の口を押さえた。
ミカボシが西の空を見るのをやめた。東の空――暗くなりかけた空を見ている。
「大地の正体も暴いた――」
モコ助は柔軟な体を利用し、するりと雫の手から逃れた。
「生命の仕組みを覗き見た。地球の行き着く先を知ってしまった。宇宙の誕生に神の手は必要ない。人は神とのつながりを自らの手で葬った。人類は神の奇跡を自らの手で亡き者にしちまったのさ!」
モコ助は、険しい顔をしたミカボシに叩き付けるように言葉を続けた。
「アマテラスはもういない。ツクヨミはただの石ころだ。天の悪星・天津甕星! この世界で生きていけるのか?」
無表情のミカボシ。右手を自分の首の後ろへ回し、隠していた何かをゆっくりと背中から引きずり出した。
それは鈍い光を放つ、古い諸刃の劔。
「それは御神体の十柄劔! どうやって……何をする気?」
「ミカどんにとって空間と距離は規制の対象にならないのさ。どこから取り出したと聞かれれば、黒岩神社の神棚から、と答えるはずだぜ」
片手で持った剣を頭上に掲げるミカボシ。まつろわぬ神、闘神・天津甕星は手に得物を持つだけでさまになる。そして、ミカボシの眼前に立つ生物は死を覚悟する。
「雫、おまえは毎日毎回同じ道を通って散歩しているのだな?」
ミカボシが雫に向けて剣を投擲した。
放物線は緩やかなもの。雫でも余裕で柄をつかめるほど。
雫が剣を手にしたと同時に、ミカボシの右足が石ころを蹴り上げた。
人が目で物を捕らえて、筋肉を動かす指令を出すまでが百三十ミリ秒と言われている。その時間を経て初めて人の筋肉が動き出す。
ミカボシが蹴った礫は、八十ミリ秒後に雫の立ち位置に到来していた。反応などできる時間ではない。
そして石ころは、雫の短いスカートを揺らして、後方へと飛んでいった。
放物線を描かぬレーザーの軌道を取り、飛行する礫だが、公園の端まで飛んだところで砂と砕けた。
「お見事!」
手甲で受けたフードの男が立っていた。
「迂闊だな雫、お前、つけられてたぞ」
ミカボシは桜の木の枝を折り、木刀よろしく、だらりと手に下げ持った。
「真島のダンナ!」
モコ助が、牙を出して身構える。
「梵天丸……声が聞こえぬのでてっきり死んだと思っていたが。キサマも我が元を離れるか?」
「なに時化た台詞吐いてやが――」
「雫! おまえの行動パターン読まれてたんだよ! こいつストーカーみたいにおまえの後つけてたんだよ! 一度狙われたんなら毎日と同んなじ行動とってんじゃねーよ、バカ!」
「ミカどん、オイラにかぶんないでくれるかな? それ意識的にオイラを無視――」
「確かに迂闊だった。認めるわ」
「嬢ちゃん……」
モコ助を無視するミカボシが、モコ助に台詞を被せる雫を迂闊だと叱ったのは、戦士としての心構えができていないからだ。
「雫よ。志鳥家の雫よ。お前は私に似ている。お前もこの世の摂理を不条理だと、神を憎んだ口ではないか?」
フードの男こと真島の声は、腹に響く良い声だ。人に命令しなれた者は、みんなこのような声を出すのかもしれない。聞き逃すことを否定する力を持っている。
「どうだ、私と共に同じ道を歩まぬか?」
真島の声が打って変わって哀願調になった。雫の心に語りかけている。
「雫の望む物が手に入る。雫の願いを叶えてやろう。母に会いたくないか? 思い出せ、あの時の後悔を。己の無力さを。時間を取り戻そうではないか!」
真島が軽く手を上げた。それが合図だったのだろう。
真島の後ろ、高台になっている黒岡公園の頂上に、大蛇の二首がヌッと顔を出した。
家、何教だったっけ?
次回「四つ首の大蛇」
ただ首が四つあるだけではない。
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