0.全てはここから始まった!
今は昔。都は室町にあり。
都の北東部。小高い丘の中腹。
鬱蒼とした木々が日の光を拒んでいて昼なお暗い。春も過ぎたというのに、この丘は、未だに寒気が大きい顔で支配している。
そんな闇の土地でも、切り開かれた明るい場所がある。特別な祭事を行う場所などが、その筆頭であろう。日の光が届いて、ほんわかと暖かい。
だが、うららかな祭事場にしては、ずいぶんと物騒なモノが蠢いていた。
千年杉とはいわないが、五百年杉程度には巨大な大蛇が、まとめて二十匹ばかりそこにいた。ただし、血をまき散らしながら息絶えつつあったのだが。
「おいシズカ! 今ので何匹目だ?」
巫女装束の女なのだが、ぶっきらぼうに荒縄を腰に巻いている。髪の毛がやたら長くて、背もやたら高い女。それはこの時代において異様な風体。
美女なのだが、虎を思わせる危ない目が特徴的である。さらに、左耳につけた銀の耳飾りが、この時代にしてはどうにも異質。
彼女が手にしているのは、青白い光を放つ諸刃の剣。それを乱暴に肩へかつぎ、周囲を睥睨している。
この剣、今さっき作られたばかりのようなピカピカの一品だ。
「私が二十一匹。馬鹿ボシが八十七匹。あわせて百八匹目。馬鹿ボシの煩悩の数といっしょだ」
シズカと呼ばれた美麗人は、白拍子の装束をまっている。
この者も光を放つ刀に付いた血糊を振り払ったところ。
さらさらで艶々の長い黒髪。切れ長の目は愁いをおびて、それでいて人を見下したかのよう。
白粉も塗っていないのに、透明感のある白く儚げな肌。薄く紅を差した肉感的な唇。
女性にしては背が高すぎ、男性にしては低すぎる、中途半端な身長。
そんな美人が両手に長刀を携えている。刀をだらりと垂らす、独特の構え。
「前見ろ、シズカ!」
二人の前に、今までで一番巨大な大蛇が一匹、鎌首をはるか上空に持ち上げ、二人を睥睨している。口より覗かせた舌が、真っ赤すぎる。二つに割れた舌先がチロチロ動くのも、人としての生理にそぐわない。
「ところでシズカ。これって銭かメシか酒になるんだろうな?」
「……なる。足利の尊氏殿より、たぶんなんかが出るはずだ。……まてまて! たとえ出なくとも、私が酒くらい出そう――。来たぞ!」
二つの人影と、一つの巨大な妖が高速度ですれ違う。
大木がごとき大蛇の巨体が、地響きを立てて地に伏した。二人にかかっては、この程度の妖しかしなど、瞬殺できて当然の相手である。死体はすぐに黒い岩と化した。
「ちなみに馬鹿ボシ、あと何匹だ? もうそろそろじゃないのか?」
馬鹿ボシとよばれた長身の女は、周囲を一回だけ見渡す。
大蛇の姿は一掃されていた。代わりに大蛇の死体である黒い巨石がごろごろと転がっていて、足の踏み場に困る状態だ。
「あと一匹だ。そこの――」
巫女装束の女は、青白く光る諸刃の剱を太い木に向け、すっと伸ばす。
「ひっ!」
木の陰に隠れていた小柄な男が身体を震わせた。
「そこの男の後ろに、ちっこいのが一匹。それで最後だ」
馬鹿ボシと呼ばれた長身の巫女とシズカが、小男を挟撃の位置に持っていくべく、左右に分かれて歩く。
この二人、とても息が合っている。小男に、場数を踏んだ組である事が、十分伝わっていた。
「なあシズカ、オレが人間の事をとやかく言うつもりはないが、尊氏より正成へ付いた方が面白かねぇか?」
背の高い巫女は、青く光る剣の威力をわざと見せつけるため、これ見よがしに振り回している。
「確かに楠木正成殿の方が、馬鹿ボシとそりが合うだろう。おまけに尊氏殿より戦上手ときている。しかし、正成殿には政治を見る目がない。政が下手な自称ミカドと手を組んだ時点で私は見限った。幾人の民人が儚い命を落としていったか。私はそれが許せん!」
シズカの手にある二振りの刀が、黄色い炎を上げた。そして、一人で駆け出す。
「双刀のシズカ、世渡りが上手いのな」
背の高い巫女も駆け出した。笑いながら。
かわいそうなのは、木の陰に隠れていた小男である。
凶暴な二人の美人に斬りかけられ、恐慌状態に陥った。
「うわぁぁぁあ!」
小男は、何を勘違いしたのか、巫女の前に飛び出した。人物としてはこちらの方がシズカより危ないのに。
「これごと斬らないとワシを殺す事はできんぞ!」
小男は、胸に抱くは小さな祠。
何かの呪いか、古い鎖で祠の扉を閉じている。
「だから何だ!」
長身の巫女は、委細構わず斬りかかろうとした。
「待て馬鹿ボシ! それは倭文の祠! 鎖を切るとお前、飛ばされるぞ!」
急制動をかける巫女。すごく悔しそうな顔をする。
「きさま、陰陽師か?」
長い髪を振り乱した巫女は、その場でたたらを踏む。
「へっ! 斬れまい? お前はこの祠に触れられぬ。へっ! この祠の封は脆いぞ。落とすだけでも壊れて解けるぞ! へっ!」
小男が顔に浮かべたのは、うかがうような下卑た表情。どうやら、顔の構造自体が小悪党らしい作りになっている様だ。
「むははは! どうした? 斬らんのか? 斬れないだろ? 封印されたくないものなぁ!」
調子に乗った陰陽師。小悪党っぽいだけではなく、性格も歪んでいるようだ。どのような者を相手にしても、その後の結果を考えられない典型。
どうにかして相手の隙を見つけ、上から見下したいという、腐った性根の持ち主らしい。
「我こそは樫森の範泰! そうだシズカ、コイツを封印して欲しくなかったら、お前、裸になれ! 裸になってそこに寝ろ!」
「上等だ、コノヤロウ! オレ様をそこらへんの鶏と一緒にしてんじゃねぇ!」
頭の悪そうな巫女は、シズカの事に触れられて、前後の見境が無くなったようだ。
この男の失敗は、この巫女の性格を読み違えた事だ。この巫女は、彼が読んだより、はるかに短くて切れやすい気の持ち主だったのだ。
「まて! 馬鹿!」
シズカが制止するものの間に合わない。それ以前に聞く耳を持っていない。
小さく勝ち誇る小男。
巫女は彼にむかい、剣を高く大きく振り上げこう叫んだ。
「天罰覿面!」
この時代、神道仏教が現在の科学の位置にある。
科学万能ならぬ神仏万能の世。科学がこの世の全てを説明したように、この時代、神仏がこの世の全てを説明していた。
科学が理詰めの学問であると同様、神仏も理詰めの学問であった。
故に天罰という言葉はこの時代、相当の重みを持つ。二十一世紀でなら、不死の病を宣告されたようなもの。
小男は胆も小さかった。天罰という、ただの言葉を聞いただけで、身を縮み上がらせていた。
手にした祠だけを頼りとばかり、顔の前に突き出すしかなかった。
「刃っ!」
裂帛の気合いと共に、剣が真一文字に振り下ろされた。
祠に真一文字の刀傷が刻まれる。封印である鎖が弾け飛んだ。
だが、祠が盾となり、剣の攻撃が小男まで届かない。
「へっ! へへっ! 愚か者め! 封は解けた。へっ! お前はもう終わりだ!」
またもや小さな自尊心の鎌首を持ち上げる、小さな小さな陰陽師。勝ちを確信して笑い出す。
この男、次が無い事くらいわからないのか?
無言、そして無造作に、――至極無造作に逆袈裟で斬り上げる。
小男の胸から上が、二股に割れた。祠を放り投げながら、後ろに倒れる。
転がった祠の扉が開いた。中から七色に光る霧が渦を巻いて湧き出てくる。
「馬鹿ボシ!」
双刀のシズカ。言葉が続かない。泣きそうな顔をしている。
「倭文神の呪いか。……チッ! こうなってはジタバタしてもしかたねぇ。シズカ、長いようで短けぇ付き合いだったな」
「何諦めてるんだ馬鹿ボシ! なんとかなる! まだ間に合う!」
シズカが転がった祠に駆け寄り、扉に手をかけた。扉は一枚の鉄のように堅くなっていて閉じる事ができない。
シズカが次に取った行動は、刀を振り回す事。だが、見えない障壁に弾かれ、刃が通らない。
刀に光を宿らせて斬りかかるも、同じように弾かれる。
「オレは今までたくさんの人間を見送ってきたが、見送られるのは初めてだ。たまにはそれも良かろう。ケラケラケラ!」
小気味よい笑い声上げながら、バカ星の影が薄くなっていく。
「ほらよ!」
シズカは、放り投げられた剣を慌てて受け取った。
「ありがたい霊剱だ。シズカが開く神社の御神体にでもするがいいぜ!」
とうとう背景が透けて見えるまでになった。
「お前がその気なら、この祠を守ってくれ。いつかオレ様がここから飛び出す時が来る。もしその時に、シズカの子孫がそこにいて、なおかつ泣き虫だったら守護してやらぁ」
もう姿は、輪郭すら朧気となった。
「勘違いするなよシズカ。一宿一飯の恩を返すだけだ。……元気でな。早く痔を治せよ。あと政に(まつりごと)は深入りするな」
姿が消えた。声だけがか力強く聞こえてくる。
「鳥のように二つの刀で羽ばたくシズカ。お前は死鳥のシズカだろ。泣くんじゃねぇぞ……」
声までが消えた。もう何も残っていない。
祠の扉が、音を立てて閉まった。コロリと音を立て転がる。
「この馬鹿ボシ!」
シズカは、祠を思いっきり蹴り飛ばした。
壊れる事もなく、転々と転がる祠。
「私がお前ごときで泣くわけないだろ!」
シズカは目を吊り上げて祠に駆け寄った。
小さな祠をもう一度蹴り飛ばせる位置に付け、膝を折ってしゃがむ。
刀傷の付いた祠を乱暴に拾い上げ……。
そして、愛しそうに、抱きしめて、頬ずりした。
もう一度――。
「バーカ」
シズカの澄んだ目から涙がこぼれる。
やがて、わんわんと大声をあげて泣き出したのだった。
時系列に並べ替えますと、
①「我を恐れよ。そして滅びよ!(ファーストコンタクト)」←このお話。
②「我を崇めよ! そして敬え!」
③「我を崇めるな! だけど敬え!」
となります。
合わせてお読みいただくと、より一層お楽しみいただけると信じております。(あるいは恥の上塗り)
天津甕星ことミカどんが、ヴァズロックと一戦やらかす半年余り前の出来事。
異世界で、ライオットと酒を酌み交わしつつ、コソコソ自慢話していたお話しのことです。 第一次ミカボシ召喚事件、とでも言いましょうか。
「我を崇めよ」シリーズ(笑)は、ここから始まった!